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神統記(テオゴニア)  作者: るうるう/谷舞司
仮面の守護者
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 怒涛のごとき灰猿人(マカク)族の攻撃が始まった。

 大森林の住人である彼らにとって、高く堅牢であるとはいえラグ村の防壁ぐらいならば、取りつきさえすれば乗り越えることなど造作もない。

 大弓の3回ほどの斉射をさほどの被害もなくかいくぐった灰猿人兵は、雨期に川からあふれ出た大水のように石を荒積みした村の防壁に恐るべき勢いで群がり寄り、垂直の壁を苦もなく這い上がってくる。

 接近されてはもう大弓の出番はない。弓手は武器を槍に持ち替えて、灰猿人兵を突き落とそうと息を合わせて突きかかる。大弓は無用となっても、大盾係のほうは飛来する飛礫(つぶて)がどんどんと増えているので、引っ込むわけにもいかずに奮闘を続けている。

 投げつけられてくる飛礫は防壁上の人族兵を狙ったものだが、はずれれば当然のように壁の内側へと飛んでいく。硬い地面に跳ねて転がっていく危険極まりない石くれに、女子供たちが悲鳴を上げて走り回る。当たればただでは済まないので、女たちは防壁で守られる物影を安全地帯として、おのれたちにもできる敵への『攻撃』に必死になって駆け回っている。


 「ほらっ! ぶちまけて!」

 「あんたたちはそれ、あっちに持ってって!」


 村の数箇所で煮立たせた鍋から、湯気の上がる液体を汲んで防壁上の『最前線』に身をさらした女が、兵士顔負けの肝の太さで飛んでくる飛礫の下を駆けていく。その通り抜けたあとに残される鼻の曲がりそうなほどの悪臭に、兵士たちが思わず身を竦めた。


 「大好きな臭いだ、たんと嗅ぎな!」


 それは森の深部調査でも活躍した、獣避けの草……それから煮出した特性の『臭い汁』だった。それを防壁に這い上がろうとしている灰猿人兵の鼻先に次々にぶちまける。鼻の利く種族ほど、これは効いた。

 直接鼻に入れば、悶絶必死の刺激臭が一昼夜はとれなくなるだろう。どれほど頑強な亜人種だろうと、そうした攻撃にだけは耐性も何もあったものではないらしく、悲鳴を上げて気持ちいいほどにきれいに剥がれ落ちていく。

 それでも灰猿人兵らの防壁を侵す速さは尋常ではない。ところどころでは早くも壁上での攻防がはじまるところもあり、付近に彼らと伍するだけの武力をもつ手だれ兵が薄い箇所は、一気に蹴散らされそうな情勢となる。

 その守りの綻びとなりかねない急所に飛び込んでいくのは、各所に待機していたカイら実力に抜きん出た幹部兵たちであった。村であまり数を持たない貴重な財産である革鎧を与えられ、明らかに他の兵とは様子の違う幹部兵らが姿を現すと、なぜかまた面白いように形勢が再逆転する。灰猿人たちの多くはすぐに腰砕け(・・・・・・)して、中には武器を放り出して自ら防壁の外へと逃げ出す者さえあった。

 なぜなら……カイら遊撃の幹部兵らは、全員がその顔に『隈取り』を顕していたからだ。むろん本物では当然なく、煤を油で練った黒い塗料と化粧具の紅で、神紋をペイントしたものだった。

 これは辺土で拠点防衛の時などにときおり使われる手だった。陣営に与する『加護持ち』の数を敵が正確に把握しているなんてことがほとんどないのを逆手にとった嫌がらせだ。

 ラグ村の防壁上には、都合10人以上の『加護持ち』が溢れることとなる。

 人族でもそうだが、常人は『加護持ち』と直接争いたがらない。理不尽な暴力にさらされることを本能が忌避するのだ。

 しかしまあ、そんな効果などは正体がばれるまでの一時的なものに過ぎない。守備側に『加護持ち』が現れたと知れれば、当然のように攻撃側も対抗する『加護持ち』らを押し立ててくる。本物が躍り出てくれば、化けの皮がはがれるのもたいていは時間の問題となった。

 が、今回に限りは人族側に運があった(・・・・・・・・)

 灰猿人の最初の『加護持ち』が防壁上に躍り出たのは、北面の中ほどだった。その灰猿人戦士は、上位者であるという確信に裏打ちされた余裕で怯える人族を睥睨(へいげい)し、いままさに目の前にいるおのれの胸までしかない小柄すぎる人族の(・・・・・・・・)『加護持ち』(・・・・・・)に対し、小賢しいその欺瞞を許さぬと咆哮したのだった。


 「…ひ、引くな!」

 「両側から押し込め!」


 盾持ちが周囲の助力を得て、大盾で敵の『加護持ち』を左右同時に押していく。幹部兵扮する偽の『加護持ち』と息を合わせられれば、足場の悪い防壁の上ならばあるいは追い落とすこともけっして不可能ではなかったろう。

 そしてそこに、『偽の加護持ち』として折りよく戦いに参加していたあきらかに年端もないと思われる人族戦士は、近頃著しく頭角を現してきた『成りかけ』のカイだった。

 彼の人並みはずれた怪力は、『偽物』たちのなかにあって驚くほどに異質だった。絵具で描いただけの『隈取り』だというのに、まるで本物の『加護持ち』のようにその怪力は存分に振るわれ、体格に勝る灰猿人兵をこれまでに幾匹も、槍の石突でもんどり打たせ、柄でしたたかに叩き伏せてきた。

 そのあまりの怪力のせいでカイはここまでに持っていた槍をすでに何本も折ってしまっていたが、『加護持ち』よりも『加護持ち』らしいというか、無手であることをまったく気にすることもなく、途中ぐらいからは素手であっても子細構わず敵に襲い掛かり、握った拳で本当にただの喧嘩のように殴りつけるようになっていた。

 そのときの敵の『加護持ち』も、まさか相手が豚人(オーグ)六頭将(リグダロス)の一角を突き崩した強大な『加護持ち』であるなどとは思ってもいない。その顔に描かれたせいぜい《二齢神紋(ドイ)》程度の相手だとみなしていたから、必要以上に前のめりになっていた。

 両側から押し込んでくる大盾を肩でこじり開けるように突破して、その石斧を振り下ろしてくる。

 「気をつけろ!」と誰かが叫んだのが聞こえた。

 カイはその迫りくる石斧の歪な刃先を見送りながら、見切りがついているからこその大雑把さでするりとそれをかわし、そのまま固めた拳を相手の下っ腹へと叩き込んだ。

 ご当主様のそれとほとんどそん色ない圧倒的な量感を持った灰猿人戦士の胴体が、カイの拳を真正面から受け止めた。そしてそのごわごわとした体毛が内側へと折り込まれていくようにカイの拳とともにめり込んでいき、すべての運動エネルギーを受け止め切った巨大な肉塊は、次の瞬間本人の意思とは真逆の後方の空中へと弾き飛ばされていたのだった。

 その目が信じられないと言うように、おのれをあっさりと凌駕してみせた人族の子供を見た。そして盛大な血反吐を吐いて仲間たちの頭上へと落ちていく。

 突き出していた拳を収めながら、その様を見下ろしているカイ。

 どっと沸き返る人族の兵士たち。

 怪力だけならば『加護持ち』とも余裕で殴り合えるカイは、あっという間に防壁の北面中央部の決戦戦力となっていた。ここはやつだけで十分と、他の幹部兵らが手薄な箇所へと散っていってしまうぐらいの活躍だった。

 灰猿人たちが現れた村の北面こそが主戦場であるというのに、差し渡し100ユル以上はある北側防壁の中央付近がすべてカイの持ち場とされてしまっていた。本来ならばそれがどれほどの無茶であるのか、熟練兵であるバスコやセッタならば分かっているはずだった。なのにそんな彼らすら苦笑しつつ桧舞台をカイに丸投げする有様だった。

 次々に突破されそうになる北側防壁をカイは素晴しい脚力で人々の頭上を飛び越え、跳ね転がるように素早く移動しててきぱきと対応していく。人で過密状態の壁上は素手の殴りあいのほうが邪魔もなく動きやすいというのもあった。

 そしてバスコらが期待したように、たしかに猛攻にさらされる北側防壁は、カイのやりたいようにやらせたほうが守るにも率がよかった。何より恐るべき『偽加護持ち』の八面六臂の活躍をやつらに見せ付けることには別の意味があった。


 「…すげえすげえ!」

 「次はこっちだ! 早く! もたねぇぞ!」

 「道開けろ! カイッ、飛んでけっ!」


 カイが施している偽の『隈取り』が、灰猿人たちの目には見間違いようのない『真実』として受け止められたことだろう。明らかにカイを恐れた灰猿人兵らが、北壁に上がるのを躊躇し出した。

 彼らの目がラグ村の防壁上を探るように泳ぎ、そこに別の『加護持ち』らを多数見出すに及んで、明らかに彼らの戦意は後退した。

 この村には予想以上に『加護持ち』が多い。他の幹部兵たちの偽装も、防壁を超えようとする灰猿人兵たちに無視しえぬ圧迫感を持つようになる。もっとも小さく見えるカイが恐るべき力を目の前で見せ付けているのだ、それよりも明らかにがたいのいい『加護持ち』らが偽者であるなどとは断じ難かった。


 「死ぬなッ」

 「がんばれ、もう少しだ!」


 戦いが始まってそろそろ半刻ほどが過ぎようとしていた。第一波の攻撃がそろそろ現界を迎えようとしていることをラグ村の人々も肌で感じていた。

 やがて木鐸を鳴らすような音が響き渡り、灰猿人兵たちが次第に退き始める。壁の際に手をかけて今まさに躍り出ようとしていた半猿人兵が、不満げな眼差しを残して壁を飛び降りていく。彼らの灰色の毛が地面の上から退いていくと、その下で見えなかったいくつもの死体がその姿を晒し始めた。

 ラグ村を襲った灰猿人の軍勢は1000。戦前はもはや村の命運もここまでかと諦観さえ抱いた人々も、意外に善戦しえたおのれらに驚きを隠さない。

 敵が退いていく姿を見てその場に坐りこんでいく兵士たち。そしてその半信半疑の目が追っていく撤退中の灰色の背中の向うに、まったくの無傷で整然と居並ぶ屈強そうな軍勢を発見する。

 ラグ村防衛戦、その緒戦で村の壁に群がった灰猿人兵たちは、実際には半分にも満たない全体の3分の1ほどの数に過ぎなかった。

 ラグ村という、人族領でもそれなりに大規模な集落を相手の一戦である。その戦力を計る上での『小手調べ』がいま行われた戦いなのだと察して、ほとんどの者たちが苦い顔をした。


 「班で点呼しろ」

 「見当たらないのを申告しろ」


 戦いが収まると、すぐにその場で生者たちによる点呼が行われ、被害状況が明らかとされていく。

 それでもラグ村側はかなり善戦したといえよう。その死者の数は分かっただけで30余人。そのほとんどが壁の外に寄り過ぎて、飛礫にやられたか、もしくは乗り越えてきたやつらに叩き殺されたかした者だった。壁の内側には一匹たりとも通さなかった。女たちにも死者は出なかった。

 むろん、それに倍する怪我人は出た。奇跡的な生還者で言うと、防壁の上から敵に引きずり落とされ、その後は他の死体と一緒に踏みつけられ続けていたやつなどが、『神石』回収作業の合間に発見、無事保護されたりもした。


 「カイ、おまえほんとすげえわ」


 何人かに思い切り肩を叩かれ、カイはそのたびにたたらを踏んだ。

 幾人もの男たちに、まっすぐな憧れるような眼差しを向けられた。辺土の男たちはほんとに根が単純で、強いやつには無邪気な好意を向けてくる。それに(げん)担ぎかなにかなのか、むやみとカイに触りたがる者も多かった。股間にまで手を伸ばすやつもいて、そいつはカイに強烈な頭突きを食らわされて担がれていった。

 べたべたと触られ続けて、それでもカイは空気を読んで我慢した。

 その場にいた年長のおっさんに「我慢してくれ」とたしなめられたこともあった。

 カイがいた場所の死者が驚くほど少なかったのだ。壁のほかの場所では目も当てられない被害が出ていた。すこしでも何かにすがりたいとみなが心の寄る辺を求めていた。

 わずかに血なまぐささを含んだ冬の風が、汗で毛の張り付いた額やうなじの熱を奪っていく。カイが小さくくしゃみしたのは、験担ぎの列がそろそろ途切れようというころだった。

 待っていた班の仲間たちと最後に手を叩き合った。班仲間は一応誰も死ななかったらしい。


 「カイ」

 「カイよ」

 「行こうぜカイ」


 呼びかけられる声に応えながら、カイはようやく笑った。小さな笑い声が白い煙になって風に散っていく。

 カイは眼差しの先にある灰猿人たちの本陣、おそらくは支族の長がいるのだろうその集団を眺めやって、その族長がどんなやつで、いまなにを考えているのかを少し想像した。


 (…あいつら、やっぱ様子が変だ)


 今回の敵の軍勢の大きさと、ラグ村側の戦力差を考えれば、さっさと全力で攻めかかって、さっさと目的を達してしまえば手間もなかったのではないかとカイは思う。

 森に砦まで作っていたというやや度を越している灰猿人たちの慎重さに、カイは引っかかりを覚えた。そしてそんなカイの拘泥に、マンソも含めてだれも気付くことはなかったのである。


改稿するかもです。

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