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神統記(テオゴニア)  作者: るうるう/谷舞司
仮面の守護者
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1/5 改稿いたしました。






 「…また煙が上がってやがる」

 「…だいぶ冷え込んでるから煮炊きしてんだろうさ」

 「…なんだってんだよ、こんなクソ忙しい冬前だってのに」


 ひそひそと、並んで歩く兵士たちの間で会話が交わされている。

 仲間のひとりが不安げに遠く東のほうの森を見、そこにうっすらと上がっている幾筋かの煙を指差した。

 石斧を使う灰猿人(マカク)族も火は使うし煮炊きも行う。彼らが森の中で焼畑を行っているのは、深部に入り込んだことのある兵士たちから知識としてもたらされている。彼らが芋と一緒に塩漬けした人の肉を煮込んで食うという噂もまことしやかに広まっている。

 森に煙が上がっているということは、そこで火を使っている者がいるという証拠であり、ここいらで火を使う可能性のある者といえば、ラグ村の人族か、森の奥に暮らす灰猿人かのいずれかであったろう。

 あの煙がよく現れるようになった半月前から、村人たちはその近くの森には入らないようになった。ゆえにあの煙を起こしている主は、灰猿人たち以外にはありえなかった。


 「…あの煙……だいぶ森の端に近いよな」

 「…猿野郎が」


 誰かが憎々しげに吐き捨てた。

 村は冬を越すための大量の薪を備蓄する必要に迫られていた。通年ならば村から近い森に行って、そこからそれらを得ればよかったのだが、今年は思うに任せなくなっていた。

 灰猿人の襲撃を恐れて、村人たちは薪集めをずいぶんと村から離れたあたりから行っていた。森まで出向く仕事はたいてい男の仕事であるので、農地で収穫が終った頃から手空きの男たちが物々しい武装をして、10ユルドも離れた森にまでやってくるようになった。

 むろんのこと、手間隙は数倍である。


 「少し前に村に来てた坊さまがいたろ、あの人の調べ物に連れてかれたやつでさ、坊さまがオルハ様に言ってたのを聞いたのがいるんだ。…近いうちに猿どもの大侵攻があるかもしれねえって」

 「…タジクの話だろ。オレも聞いたぞ」

 「でもよ、深部でオレらも見たじゃねえか、猿どもは森の奥で豚野郎の軍勢に盛大にぶっ殺されて、蹴散らされてたろ? 意味わかんねえよ」

 「目の前にああして出張ってきてやがるんだから、分かんなくてもそういうこったろ。少し前にだって、小勢だけど急に村を襲ってきたことがあったじゃねえか」

 「カイが坊さまに正座させられてたときのやつか」

 「あれだって、深部調査の後のことだろ。なら、ラグ村を狙ってるのは蹴散らされたのとは別の支族かもしんねえってこったろ……マンソだってそう思うよな?」

 「亜人どもの世界もけっこう複雑そうだったからなぁ。あってもおかしくはないだろうな。…っと、そろそろ森に着くみたいだし、仕事をおっぱじめるぜ……カイ」

 「ん。おまえら、仕事だ」


 カイのぶっきらぼうな指示に、班の仲間たちが苦笑気味に準備を始める。

 他の班もぞろぞろと森の端に取り付きだす。


 「よーし、今日はあの木でいくか」

 「ありゃちょっと、太すぎねえか」

 「太いよ」


 森の浅いところにある、手頃な低木は集めるのが簡単だが、『戦利品』としては女たちの受けがすこぶる悪い。持ち運びもかさばる上に、火をつけたときにやたらと目にしみる煙が出るのだ。


 「手間でも大きめの木を倒して村まで引き摺ってくか、かさばる小さい木を持ち帰るか、どっちかしかねえんだからさ」

 「まあ運ぶのは便利なのがいるしなー」

 「…というわけだ、カイ」


 マンソがくいっと、おのれの背中に負った大きな斧を親指で指した。

 体力のあるマンソですら、村からの数ユルドを背に負わなければならなかった大きな斧……それにはかなり見覚えのあるカイであった。

 豚人族の手斧だった。

 紐で括って背負っていたそれを仲間の手を借りて降ろしたマンソは、改めて手にとって、試すように両手で肩に持ち上げた。男ならば何とか持ち上げることぐらいは出来る重量の代物だ。が、武器として戦場で常用するには、人族の平均以下の男にはいささか手に余ったろう。

 マンソはそのあたりで一番細いバレン杉に勢い良くそいつを打ち込み、手をしびれさせてわずかにたたらを踏んだ。斧は木の幹に、ほんのわずか食い込んだだけで止まっている。

 そうしてさあ出番だぞとばかりに、マンソは『主役』に場所を譲った。

 カイの怪力が威力を発揮する場面である。その斧の柄を握り、あっさりと引き抜いたカイ。そのまま身体をひねるように身を引いて、何の迷いもなくわずかな切れ込みに鉄の刃を叩き込んだ。

 それだけでご当主様の腹回りぐらいの太さのあるバレン杉が、どしんと小枝のようにたわんで揺れた。その動揺で木の繊維がぶちぶちと千切れていくのが分かる。たったの2、3振りで、細いとはいえバレン杉が一気に倒れていく。カイの班ばかりか、同行していたほかの班の男らからも嘆声が漏れた。


 「…んじゃ、オレらは先に帰るんで」


 手早く邪魔な枝を落とし、そのなかの手頃なものを班員たちがそれぞれに見繕うと、カイの班はそれでノルマ達成となった。肝心の幹本体は当然のようにカイの担当となり、枝を落とした後に残る出っ張りに縄を幾本かかけて、それがカイに渡される。

 なんだか自分だけが損な役回りを押し付けられているような気がしてしかめつらをしつつも、カイは村へと向かって歩き出す。太さ1ユル、長さに至っては20ユルはありそうな大木が、カイの怪力によって軽がると運ばれていくのを見て、ほとんどの者があっけに取られている。

 カイ班が去った後に残されたたくさんの枝を、他の者たちがややして奪い合ったのはむろんのことである。もとが大きいバレン杉の枝は、それなりの太さがあって『戦果』としては十分なのだ。


 「しかし、あいつは本当に尋常じゃないな」

 「村にえらいやつが生まれたもんだ」


 死の危険にさらされ続けている辺土の男にとって、『強さ』とは同族を守ることとなる『善き力』であり、純粋に憧れられるものである。同時に等量の『嫉心』も掻き立てるものであるのだが……カイのそれはあまりにかけ離れすぎて、もはやその対象ですらない『別枠』扱いになりつつあった。

 村人たちは薄々と感じていた。

 カイは想像以上にたくさんの『神石』を、あの戦場で食べてきたのではないのか。

 『加護持ち』じゃなくとも『神紋』を顕した坊さま……僧院の秘法により土地神の恩寵なくして《二齢神紋(ドイ)》を顕すに至った人間を現実に見てしまっていただけに、そうした想像にたどり着くことは比較的容易であった。


 (…もうあいつは、あっちの世界に半分足を踏み入れているんじゃ)


 『加護持ち』でないのに、半ばたどり着きかけている人間……カイという少年は、村でそのような存在として認識されつつあった。



***



 「…アクイ」


 部屋の中の空気を入れ替えるために、窓を開け放っていた女が振り返った。

 名を呼んだのが主家の姫であることを知った女は、入ってくる冷気が気に触ったのかと慌てて窓を閉めようとして、「寒くはないわ」の言葉でその手を止めた。


 「…なんだか外が騒がしいようだけれど」

 「ジョゼ様、薪割りです」

 「…薪?」


 雪のように白い肌をした少女が近寄ってくるので、アクイと呼ばれた女は窓側の場所を譲り、かしこまった。

 窓から外を見た『白姫様』は、常に周りに気を配り続けている。外の騒ぎが取るに足らない男たちの薪割りのざわめきだと分かれば、とくにそれ以上関心を持たれることはなかろうと女は待っていた。

 しかし窓から身を乗り出したまま、白姫様が動かない。

 そうして初めて、アクイも遠慮がちに男たちの作業風景に目を落とした。そこには薪用とはとうてい思われない大きな木と悪戦苦闘している男たちが見える。あれ一本を全部薪にするならば、村全体で一旬巡は持ちそうだなとアクイは女らしい現実的な皮算用をする。


 「…ジョゼ様?」

 「…あんなもの、どうやってここまで運んできたの?! 森からずっとなのでしょう?!」

 「…ほんとうです、大きい木」


 ちらりとそこに見えた少年の姿に、アクイはああと思う。

 他の男たちから盛んに声を掛けられて、戸惑っているふうの寡黙な少年を彼女は知っていた。年頃の女たちの会話に最近よく上がるようになった、急成長株の少年で、たしか名はカイといったはずだった。

 彼の並外れた怪力はもう村で知らない者はいない。もしも知らない者がいるとするなら、そうした怪力が発揮される農作業に従事することのない、この城館3階の領主家の人々ぐらいであるだろう。

 白姫様も、それを知らないようだった。


 「…それはたぶん、あそこにいる子が……カイという名の」

 「…今年は薪集めも早そうだな」


 ふたりの会話に、不意に割り込んだ声があった。

 聞き慣れた声音であったので、それほど驚くこともなくアクイはまたかしこまった様子を繕った。白姫様が顔を向けている先には、いつの間にそこにいたのか、ご当主のヴェジン様が隣の窓から外を見下ろしていた。


 「…あのカイとか言う小僧、なかなかの怪力なのだ」

 「カイ、ですか」

 「まだ兵役で取ったばかりで子供みたいななりをしているが、あれはいいぞ。先の西の兵役で『化けた』わ」


 おかしそうに喉を鳴らしているご当主様の様子に、よほどあの少年、カイを気に入っているのだということが伝わってくる。

 たしかにあの並はずれた怪力は、もはやただびとの域を超えてしまっている。先日まで滞在されていた加護もなしに神紋を浮かべて見せた僧官様を見ているので、あの少年ももしやとは思われている。


 「…いま少し様子を見て、人としての性根が悪くなければ、一族に取り込むのもよいかもしれん。ちょうど年の近い娘もいるしな」


 そのご当主様のいいようにはさすがに驚いてしまったアクイである。領民から娘を召し上げることは数あれど、男子(おのこ)を婿として召し上げるというのはほとんど聞いたこともない。

 歳の近い娘と聞いて、つい白姫様を見てしまったアクイは、いやいやと内心で首を振る。オルハ様とジョゼ様は正妻であられるカロリナ様のお子なのだが、ご当主様にはほかにも第二夫人のファルダ様のお子が3人いらっしゃる。ファルダ様の長女のセラル様は今年で14歳、いま少し年長であられるジョゼ様よりもそちらの方が歳は近いと察する。

 気位ばかりが高くて領民をないがしろにするふうの姫で、あまり良い話は聞かないのだが、ご当主様が決断すれば領民であるカイに拒否することなど許されない。最近狙っている女も多い有望株のカイにしたら、好みでもない相手との婚姻に不満はあろうが、それでも領主家に名を連ねるという一事だけであまりあるほどに得をすることがいくつもある。日々のつらい労働からは解放されるし、食事もたっぷりと得られる。ほかの女だって後から手に入れることもできるだろう。

 少年を取られて気落ちする女たちを幾人か思い浮かべて、アクイは小さくため息をついた。男もそうだが、女たちの間にも厳しい競争がある。


 「…よし、あの小僧を『冬至の宴』に護衛として行かせてみるか。使って試した方が早いか」

 「お父様……カイを州都に連れて行くのですか?」


 白姫様がご当主様に言った。

 アクイからはその後ろ姿しか見えてはいないのだが、なぜだか白姫様がうれしそうな様子であることが何となくだが分かった。

 不思議に思ったアクイであったが、すぐに別の用を言い渡されてその違和感はあっさりと頭の中から抜け落ちてしまう。

 銀色の艶のある白い髪が機嫌のよい馬の尻尾のように気もそぞろに揺れて、そしてアクイの視界からさらりと消えていったのだった。


今年1年、お付き合いありがとうございました。

来年もまたよろしくお願いいたします。


お休みが三が日しかないので、その間はお休みいたします。

ではでは。

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