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神統記(テオゴニア)  作者: るうるう/谷舞司
仮面の守護者
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53






 主を失った巡察使一行が去ってからのラグ村は、その日常を急速に回復しつつあった。

 わずか数人の客人をもてなすために費やされた膨大な食料は、その後の涙ぐましい節制と、収穫期に入った黍や豆類のおかげて備蓄が回復し、切迫するほどの不足は解消されつつあった。

 男たちは作物の刈り入れと乾草の準備などの季節柄の農作業に汗を流し、女たちは滞っていた身の回りの片づけや繕いもの、干し肉や川魚の燻製などの保存食の用意など、冬場に向けた大切な作業に精を出す。辺土の厳しい冬場に向けた作業に没頭することで、村人たちの間に残っていた暗い空気ももうすっかりと払われたように見える。


 「あっ」

 「雪が降ってきた!」


 子供かそれに気づいて、物珍しそうに指差した。

 大人たちが作業の手を止めて、白く息を吐きながら空を振り仰ぐ。

 辺土の空に、白いものがちらちらと舞いだしていた。

 厳しい冬が、もうすぐそこまでやってきている証であった。




 「…あの子の妹が、また来てるぜ」

 「おい、カイを呼んでやれ」


 城館で暮らす男たちのほとんどが起居する兵舎。

 その入口の出入りが激しくなる夕食の頃合いに、その少女は出没するようになった。

 兵舎の中から出てきたカイは、入口の前でじっと佇んでいる少女を見て、小さくため息をついた。

 カイよりもひとつ年下の12歳の少女リリサは、エルサの妹だった。

 彼女はカイの姿を見て駆け寄ってくると、彼の服をぎゅっと掴んで揺するようにした。


 「おねえはどこに眠ってるの」

 「………」

 「リリにも場所を教えて!」


 リリサは姉の亡骸が本当にある場所でお祈りをしたいのだと、遺族としては当たり前な要求をカイにぶつけ続けていた。

 迷惑な客人たちが村を去った後、壁の外の共同墓地にいくつかの新たな墓が作られた。主客であった中央貴族……いまはもう本人も鬼籍に入ってしまったが……その巡察使の乱行によって殺された、不運な女たちのものであった。

 そのとき作られた墓のひとつに『エルサ』と名を刻んだものもあった。


 「おねえは、あたしのおねえなの!」


 彼女の墓はたしかにそこに作られたが、収められたのはただひと房の遺髪のみ。亡骸そのものは、別の場所で、カイが勝手に葬ってしまったのだ。


 「…教えない」

 「だから、なんでなの!」


 勝気な少女は、カイに食い下がる。

 もしかしたら自分の義兄になっていたかもしれないカイを、腹立ちまぎれにポカポカと殴る。それを困惑しながらも黙ってカイが受け入れるしかなかったのは、少女がその間大粒の涙をあふれさせているからだった。

 眠ったままの恋人を村の外に連れ出したのは、彼女に見せると約束していたきれいな『景色』を死ぬ前に見せるためだったとカイは言い、問い詰めてきた《女会》のアデリアを筆頭とした者たちは事情を聴取したのちに納得して矛を収めた。とてもきれいなところだから、そこに埋めたのだとまっすぐに言われて、女たちは羨ましがる向きさえ見せたぐらいである。村の共同墓地は、本当にただのなにもない場所で、掘り返すと昔の人の骨が簡単に出てきてしまうようなところであったから、そうした特別な場所に葬られるということは、それなりにうらやむべきことなのだった。

 ならばせめて、その場所を教えてほしい。

 残された近しい肉親であるからこそ、そう強く願うリリサ。

 カイはただただそのやるせない想いを受け止めることしかできなかった。エルサがいまある場所を、カイは口が裂けても言うわけにはいかないのだ。

 カイの頑なな態度も、失った恋人に対する独占欲の表れだと周囲には思われている。そのことについてはいろいろと意見もあったが、女たちには概して好意的に受け止められているようであった。

 ただし目の前の少女だけは別である。最後には抱き着いて大泣きしてくるその少女を、カイは黙って受け止め、「すまん」と謝ることしかできないのだった。



***



 村人たちが時間とともに落ち着きを取り戻していく中、ラグ村の領主家、モロク家の人々は領民たちには理解しようのない問題の処理に、その頭を悩ませていた。

 村を訪れていた中央からの上級役人が、変死を遂げた。

 そしてその随員たる役人方が慌てて王都へと引き上げていった。そういうことをただ見たままに放っておくことは、小なりとはいえ領地を経営する貴族にとって非常に危険なことなのであった。

 一行が退去するなり、当主ヴェジンはすぐさま遣いを出し、辺土小領主たちの盟主であるバルター辺土伯への面会を願い出た。

 そしてその返事が来るなり、ヴェジンとその嫡子たるオルハがバルタヴィアへと赴き、中央からもたらされるであろうモロク家に対しての罰を和らげるための根回しが始まった。

 小領主たちの結束があって辛うじて保たれている辺土の安定を、バルター辺土伯はよく理解してくれている。その『理解』にすがって、モロク家への風当たりを弱くさせるための申し開きの書状を、辺土伯家に所縁のある中央貴族に働きかけて、国王の目に留まるところにまで上げてもらうのだ。

 巡察が不調に終わったことでモロク家は収穫物の貢納などの重荷を背負うことはなかったが、代わりに爪に火をともすように蓄財してきた家の金銀をばら撒く必要があった。当主であるヴェジンはそれについて顔に出すことはなかったが、嫡子であるオルハははっきりと苛立ちを表して、だから最初から物惜しみせず差し出せばよかったのだと父親に何度も食って掛かった。

 骨を折らせるバルター辺土伯には当然のこと、その中央貴族に対する鼻薬としての財貨もそら恐ろしいほどに用意した。ただひたすらに、国王の不興がモロク領に深刻な不作をもたらさないようにするためだった。

 ヴェジンは何も知らない村の領民たちを、ただ飢えさせないようにとひたすらに心を砕いた。足りない費用に充てるために、バルタヴィアまで連れてきた馬車引きの馬までも半分処分した。オルハにはそれが腹に据えかねたらしく、その後領地に帰ってからも父親とはよく対立するようになった。


 「支払った金貨を使えば、南部の上等な小麦だって庫裏いっぱいに買い付けることができた。だからわたしは言ったではないですか!」

 「…その議論はもう済ませたはずだ。誰が予想などするものか。巡察使様が我が家中で命をお落としになるなどと」

 「そもそも父上は領民に甘過ぎなのです。あの件もそうです、望まれるのなら『生娘』ぐらい一人でも二人でも差し出せばよかったのです。土臭い田舎娘の純潔などに、どれほどの価値があるわけでもないのに…」

 「お兄様!」


 親子の言い争いに、たまらずジョゼが口をはさんだ。《女会》の長であるオルハの母カロリナよりもよほど村の女たちに頼まれているジョゼは、兄のあまりな発言にはっきりと顔色を変えていた。

 モロク家の『加護持ち』3人が、ただならぬ雰囲気を醸している横では、夫人とほかの子供らが、不安げに肩を寄せ合っている。世話する女たちも壁際で硬くなっている。


 「…女は出しゃばらずにそこで静かにしていろ。これは後継ぎであるわたしと父上との間の話だ」

 「いいえいいえ、黙りません。すぐに言葉を撤回してください、お兄様!」

 「もっとおしとやかにしていないと、せっかくの縁談がなしになるぞ。これほどの良縁、なかなかあるものではないというのに」

 「ジョゼは縁談など望んだことは一度だったありません! 伯の第6子かなにか知りませんが」

 「…不敬だぞ、ジョゼ」

 「オルハ、ジョゼ! もういい、やめよ!」


 親子喧嘩が兄妹喧嘩に成り代わりそうな雰囲気に、ヴェジンが一喝した。

 ぴしゃりと言われて、さすがに兄妹はいったん言葉を飲み込んだ。しかしその目はまだまだ熱気を孕んで、すぐには両者とも矛を収めそうもなかった。


 「…ジョゼ、おまえはもうすぐ開かれる冬至の宴に連れて行く。準備をしておくのだ」

 「…お父様、ジョゼは」

 「伯の庇護を得られるのならば、これは良縁なのだぞ、ジョゼ」

 「………」


 モロク家の保身活動が、予想していなかった縁談を呼び寄せていた。

 辺土に雪のごとき白銀の髪の美姫がいると、妙な噂が広まっていることをモロク家の人間たちはバルタヴィアに出向いて初めて知ることとなった。

 モロク家の一の姫、ジョゼこそが白姫と言われる美姫の正体であると、州都(バルタヴィア)の社交界も予想もしていなかった注目をモロク家に向けていた。

 バルター辺土伯は、縁談を求めていた6人目の息子の相手に、その噂の美姫をあてがうことにした。そして伯に骨折りを求めているモロク家には、その申し出をはねのけることなどできようもなかった。

 唇を噛んで俯いている妹を見て、オルハはそれ見たことかというように胸をそらせた。おのれの父への抗弁は、かわいい妹の理不尽な処遇についても含まれているのだぞとその顔は言っている。

 すべては大切な賓客の安全を守れなかった、モロク家の手抜かりから生じていることだった。村の領民たちからは見えないところで、モロク家の人々も苦しんでいるのだった。


 「冬至の宴は半月後だ。よいな、ジョゼ」


 ラグ村に、冬が近づいてきていた。


この度、主婦と生活社「PASH!ブックス」さまにて、書籍化する事になりました。

活動報告に詳細載せておりますので、よろしくお願いいたします。


※活動報告は、『小説情報』⇒(ページ最下部)『作者マイページ』で閲覧できます。

 分かりにくいようですので、追記いたしました。

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― 新着の感想 ―
蛙野郎と不愉快な仲間達の乱暴狼藉を中央に訴えでて、色々むしり取ってやればいいのに。攻撃は最大の防御だよ。 寄親なんだから、寄り子のピンチに救いの手を差し伸べるのは当たり前では? 娘を寄越せとは図々し…
[一言] 自分は安全圏から騒ぐばかりで、領民を守ろうと実行に移さなかったツケが回ってきたね。自業自得だと思うよ。
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