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神統記(テオゴニア)  作者: るうるう/谷舞司
忍び寄る影
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 (殺せ!)


 いきなり波長が合ったように、神様の声が明瞭に頭に響いた。

 半ば抜けがらのように感じられていたおのれの身体に、はっきりと熱が戻る。胸の肉を盛大にえぐられた死ぬ寸前の大怪我の、本来あるべき深刻な痛みがそこで脳天を突き上げてきた。

 痛い!

 痛い痛い痛いッ!

 もしもいまが命の危険のない場であったなら、我慢することなく七転八倒したところだろう。


 (治れッ!)


 カイはナーダからけっして目をそらさずに、痛みの大波を乗り越えるべく息を詰める。

 そうしてわずかの時をおいて、心臓がばくんと跳ねた。一瞬後に傷口から血が噴き出して止らなくなり、慌てて手で押さえた。

 治れ!

 治れ!

 供給が劇的に回復した霊力にあかせて漠然としたイメージのまま『治癒魔法』を叩きつける。細かいことを考えているゆとりなどまったくなかった。患部に波紋のように広がった魔法の力が、急激な肉体修復現象を(かゆ)みのような感覚で返してくる。失われていた血の経路が、千切れていた筋繊維が、神経の経絡(けいらく)が、どのように治りたがっている(・・・・・・・・)のかを体感で教えてくれる。

 詳細なイメージを補完されて、カイは矢継ぎ早に効率化された『治癒魔法』を組み上げて、再度患部に送り込む。

 その傷口の異常な修復速度を見せ付けられる形となった真理探究官が叫んだ。


 「ありえませんッ!」


 まあたしかにありえない速さだったろう。

 あの鎧武者の回復力も桁外れだったが、それでも一度与えた傷に付け込める程度には治りも遅かったし、切り傷や骨折以外の、例えば腕一本が失われるような大きな欠損が生じれば、その完全な修復が行われるようなことはなかった。

 カイの胸の傷もまた、大きく肉が失われていた。あの異様な形をした『加護持ち』殺しで円形にくり抜かれていたのだ。

 その肉の虚ろが、見る間にふさがっていくのを見せつけられたナーダは、しっ、と武道家特有の強い呼気とともに飛び出していた。カイに向ってではない。谷の外に向ってだ。

 ナーダはその身につけた僧会の武術によって、《二齢神紋(ドイ)》であるにもかかわらず《三齢神紋(トレス)》のオルハ様にも打ち勝てるほどの実力を示していた。

 がその本来の実力を発揮しかかっているカイに対しては、迷わず逃げを打った。多少の武術の練達では覆しようのない理不尽がおのれを破壊するだろうことを見極めたのである。

 本気で逃げを打った『加護持ち』を捉えることは、同じ『加護持ち』であっても難しいといわれている。戦場から離脱する敵の『加護持ち』を討ちそこなうことなど茶飯(さはん)である。


 (殺せ!)


 谷の神様がいきり立つ。

 カイもまた胸の傷を修復することにかまけつつも、その目は走り去ろうとしているナーダの背中を追い続けている。

 なんとも判断に迷いのない男だと思った。その大地を駆ける速さは修行僧としての修練の賜物であるのか、地面に穴を開けない(・・・・・・・・・)不思議な足繰りでどんどんと加速していく。走法にも僧会武術の秘伝があるのか。

 あらかた胸の穴がふさがり、心臓の鼓動が落ち着いてきた。

 カイは例の『目玉』を見逃すまいと、霊光の世界を見通す目でナーダの背中を見据えた。案の定、カイの動向を後ろ向きのままでも見逃すまいと、『目玉』が頭上近くに残されていた。

 手の届きそうのない高さにあるその『目玉』をいったん無視して走り出し、『目玉』の死角に入ったその一瞬にカイは恐るべき跳躍力で宙を舞った。

 潰す!

 カイはそう念じて、その手指の先に魔法のかたまりを作り出す。

 自然の理を知っていれば、木だろうと鉄だろうとなんだって切れる『例の剣』を生み出すことができる。ならば、目には見えない魔法の産物を破壊するための理屈とは何だと考えた。

 物質でないものを切ることは出来ない。よってあの『剣』で切っても素通りしてしまうだろうと思う。現実に形を持たないのに確固たる機能を持ち、使用者に益をもたらすこの『目玉』のような存在を、カイは知っていた。

 スパイウェア。

 機械の頭脳の中に概念(プログラム)のみで構築された生き物(アプリケーション)

 カイは霊力を帯びさせた手で『目玉』を鷲掴みにすると、落雷のイメージで高圧の霊力をそのなかに迸らせた。


 「…ぐぅぅ!」


 いままさに谷の崖に取り付こうとしていたナーダが、苦痛にうめいて身をかがめたのが分かった。なんらかの形であの『目玉』はやつの肉眼とつながっていたのだろう。

 カイはその姿を見つめながら、一歩を踏み出した。けっして逃がしはしないとの決意のもとに、谷を侵した愚か者を(ちゅう)すべく走り出す。

 カイの接近を知ったナーダは目を押さえながらも必死に崖を登り出した。なかなかの速さで脱出を果たしそうに見えたナーダであったが……その至る先に突如として姿を現したのは、すでに武装した姿のポレック老だった。


 「主様のお声が聞こえましたもので」


 細身の剣をひと払いして、谷上に出ようとしていたナーダの鼻先に突きつける。

 圧倒的に不利な体勢で小人(コロル)族の長を見上げる形になったナーダは、それでも背後に迫るカイの脅威よりはマシと判断したのか、強引にその脅しを撥ね退けようとした。

 が、百年以上の年月を生きてきた小人(コロル)族の長老は、種族を守る『加護持ち』としてあまたの厳しい決断を下してきた男であり、すべきことに迷いがなかった。

 眉一筋動かさずに、谷の縁を掴んでいたナーダの手指を剣で刺し貫いた。

 驚愕して身を浮かしかけたナーダを、慈悲の一片もなくさらに蹴りつける。

 そうしてナーダは成すすべもなく谷底へと再び転落して、身を起こしたときには目の前に仁王立ちのカイがたたずんでいたのだった。


 「…これでおよろしかったでありましょうか」

 「…ああ、手間がなくなった」

 「…助太刀はご入用で?」

 「…ひとりで大丈夫だ。…それよりもすまん。アルゥエにひどい怪我をさせた」

 「……やったのは」

 「こいつに留守を襲われたらしい。…何とか命は取り留めさせた。こいつには報いを受けさせる」

 「…では、お任せいたしまする」


 目と目が合って、老人が孫娘の大怪我に一瞬だけ怒りを垣間見せたのを捉えた。本当に申し訳なく思う。

 ポレック老は、ちゃんと谷の守り役を果たしてくれているようだ。

 頭巾も取り落として禿頭を曝け出したナーダを何の感情もなさげに一瞥すると、深々と会釈してポレック老の姿は谷上に引っ込んで見えなくなった。

 さて、この男をどうやって殺してやろうか。


 「…あの小人(コロル)族は、あなたに()く帰依しているようですね」


 ナーダは刺された手を庇いながら、まっすぐにカイを見つめてきた。

 『加護持ち』とはいえ、やはりその回復力はその神格によって差があるようだ。左目も出血しそうなほどに充血している。


 「…わたしを殺したいのなら、好きに殺しなさい。命の奪い合いをしたのですからもはや命乞いはいたしません」


 言われなくても遠慮などする理由もない。

 ただあの『加護持ち』殺しで抵抗された場合のことを考えて、気構えするのみである。


 「…わたしがこうして加護もなしに《二齢神紋(ドイ)》を顕すまでに、あまたの敗者の屍をいままでに踏み越えてきました。今度はわたしが他者の糧になる番というわけです」

 「………」

 「カイ、本当に残念です。…あなたがもしもわたしの誘いを素直に受けていたならば、けっしてこのようなことにはならなかったでしょうに…」


 懐からあの『加護持ち』殺しを取り出すのを見て身構えたカイであったが、ナーダはそれをそっと足元へと置き、抵抗はしないというていを示して見せた。

 僧衣の裾を払い、ナーダは説法を始めるときの僧侶のようにゆったりと腰を地面に落ち着けると、居住まいを正してカイを見る。


 「…辺土の民は知らない者がほとんどでしょうが……いま王国はその屋台骨を大きく揺るがせています。いますぐにでも弱りきった列神を取り替えていかねばその版図さえも崩れ去りそうなほどに国そのものが動揺しているのです。《僧会》は辺土に現れた新たな神を、早急に王国の社稷に引き入れるべきだと結論しました。王国内の身分序列を打ち壊してでも引き入れねば、もはや王国は長くは持たないだろうと強く危惧しています。…あなたのその身に宿した、この地におわします大いなる神の合力が、人族百万の安寧に喫緊(きっきん)に必要とされているのです。国の南方は、あまたの異形の民らに攻め立てられ、もはや取り返しがつかないほどに乱れ立っています」


 もはやおのれの死を受け入れている諦念がその目にはあった。


 「…あなたが誘いを断ったから、わたしはもうあなたから加護を奪うしかなかった。ひと目見ただけで恐れ敬うべき神であることは分かっていました。それでもわたしはなんとしてでもこの谷の神を中央へと持ち帰らねばならなかった。…ここまでのことをしておいて、わたしは先ほどまで本当にこの谷の神を我が身に宿せるのかと、《象形紋(グリフス)》さえも顕す大神を本当に宿してよいのかと内心は不安でならなかったのですよ。祈れば迷いが振り切れるわけでもないというのに、まったく愚かなことでした。…そうして失敗したとなったら、恥も外聞もなく逃げ出そうとする……おのれの身を逃れさせたからとてなにがどうなるわけでもないというのに、度し難い愚物です。我ながら呆れ果てました」


 そうしてナーダはその場に膝を突くと、首を差し出すように首をたれた。

 まるで処刑を待つ罪人のような姿で、なおも言った。


 「…どうか、もう一度お考えください。カイ、あなたは紛れもなく人族であり、モロク家の治めるラグ村の民として生を受けたはずです。…どうか、どうか、人族の国にそのお力を合力していただけますよう、伏してお願い申し上げます」


 それは一命を賭した、最後の交渉であったのだろう。


 (殺せ!)


 神様が叫んだ。

 谷の神様的には情状酌量の余地などまったくないのだろう。

 人生の最後と見極めた僧侶が、我が身を投げ出して国のため人族のためと懇請するさまを、素直にらしい(・・・)と思ったカイであったが……同時に申し訳ないぼとに心はまったく動かなかった。


 「言うことはそれだけか」


 カイの応えは感情を帯びてはいない。

 人族を統べる統合王国の中央が腐り果てているのは、あの蛙野郎の一件で重々理解していた。

 中央の王侯貴族たる『加護持ち』たちが贅沢三昧で研鑽を忘れ、衰え果てているためにその支配の(たが)が緩みきってしまった。それを新たに顕れた彼という強い『柱』で支えさせよう、無知な田舎者に労苦を背負い込ませようということなのだろうとカイは理解した。

 国の中央というのは、腐りきった糞溜(くそだめ)のような場所だと思った。


 「お断りだ」


 にべもなくそう答えて。

 カイは平伏したままの、生かして帰すわけにはいかない男を殺したのだった。


『忍び寄る影』はこれでおしまいです。

次話から新章となりますが、いろいろと立て込んでおりまして少し間が開くと思います。

ゆるゆるとお待ちくださいますようお願い申し上げます。

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― 新着の感想 ―
坊さんの神石はポレック老が食べたんだろうか 異種族で組むと同族の神石が無駄にならなくていいですね
[一言] 坊さんも可哀想に。 血だけの愚者が肥え太り、恵まれなかった者は本来あるべき姿を目指す。手に入らないからこそ理想に己を近づけて、最初から理想そのものであるはずの者が堕落する。
[一言] なんかけっこう頭がよくなっている!?前世の記憶が完全に戻ったの?!
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