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難産でした。
2日前に更新しようとして踏み止まり、ほとんど書き直しになりました。分中違和感を感じましたら、たぶんそれは密かにやりました前話の改稿のためです。申し訳ない。
章を分けました。
年末に向けていろいろとやることが増えてしまい、いっぱいいっぱいではあります。
ご迷惑をおかけしますが、ゆるゆるとお付き合いくださいますようよろしくお願い申し上げます。
11/20 一部訂正しました。
身体の中に残っていた霊力は、自身とアルゥエの治療でそのほとんどが尽きた。これ以上使おうとすれば気を失うなりなんなりしそうで当然ながらもう使えない。
武器は携行していた切り取り用のナイフのみ。
血をたくさん失って脱力感は半端がないのだが、カイがいままでに食らってきた『加護持ち』たちが糧になったのか、おのれの四肢に意志はちゃんと伝わり、何とか動くことはできている。
ふらつかずに何とか歩ける程度か……この状態で、いかにしてやつを殺すか。
カイは震える身体を小屋の壁に預けて、坐り込まないように考えに集中する。
(…殺せ)
途切れ途切れに、それでも伝わってくる神様の声、
分かってる、神様。
何とか動くことはできそうなのだが、それでも何かがいつもと違う感じで戸惑いがぬぐえない。『神石』を失っているからなのか。
もしかしたらおのれはいま大きな勘違いをしているのではないかという不安が湧き上がっている。『神石』を生命維持に必須の器官ではないと断じて安閑としているのはまずいことなのかもしれない。
たとえば人が突然肝臓やすい臓を失ったとしても、生命活動に支障が出始めるまでにはタイムラグが存在するだろう。失ってただちに致命とならない重要器官というのもあるのだ。
頭がうまく回らない。まるで霞がかかったように多くの物事をいっぺんに見渡すようなことができない。『魔法』をどのように扱っていたかの体感的記憶も徐々に曖昧になっていくようだ。
(…早く殺せ)
焦るなよ、神様。
ちゃんと握っているのに、ナイフを取り落しそうな不安に空いた手をそちらに添える。こんな軽い武器を両手で持たねばならないばかばかしさ。
霊力が枯渇しかかっているので、むろん魔法は使えない。カイの奥の手である魔法が封じられているわけで、それだけでもう勝算は絶望的なまでに低下している。
初めて『魔法』を試したあのときも、まだ『加護持ち』ではなかったものの平兵士なりの質の低い『神石』を身体は内蔵していた。こうして待ってみても、霊力の回復はほとんど感じない。霊力が『神石』から供給されるものだという認識にやはり間違いはないのだろう。
しばらく目を閉じ、考え続けた。
どうやったら、勝てるのか。
オルハ様にも競り勝った、武術に長じるあの坊主に致命の傷を負わせるには、いまなにが必要なのか。考えがまとまらないのがもどかしくて、問題をどんどんと単純化していく。本来の彼らしくないドラスティックな合理思考が、余計な考えを木の枝を切り払うように捨て去っていく。
そうして究極的に、カイが暴力であの坊主を上回ることができるのだとするなら、その道はただ一つのみだという結論に至る。ではその蜘蛛の糸のようにわずかな勝利への可能性を手繰り寄せるためにはなにが必要なのか。
辺土生まれのがさつな少年に本来備わるはずのない異常なほどに高度な知的作業が、その脳髄の中で積み重ねられる。絶体絶命の生存の危機に至ってより強く干渉してきた何かが、少年を強烈に変質させようとしていた。
そうして、頭の中でなにかがかちんとはまった。
迷っている余裕などなかった。
カイはひとつ大きく息をつくと、目的を果たすための行動を開始したのであった。
カイはそろりと小屋から忍び出る。
地面の草を踏むことでわずかな足音が起こり、一瞬だけその動きが硬直する。
が、また動き出す。
(やつは……いたか)
カイの接近に気付かないのか、真理探究官ナーダは座したまま手指で印を切りつつ聖句を唱えることに没入している。
谷の神の恩寵がまだ残っていたならば、その祈りを捧げる姿から炎のような霊光が立ち上るのが見えたかもしれない。カイはそれらの不思議を見るための目を失っていた。
ナーダは谷の神様の墓所に祈りをささげることに没入しているようであったが、物音も立てずに近づいていくカイにやはり気づいていたようで、あるところにまで接近すると唐突にその祈りがやんだ。
頭巾を下ろしたままの僧形がカイを見てくる。そうして神に勤行が中断することを詫びるように胸元で印を切ると、座を解いて立ち上がる。頭巾に隠れて見えないものの、もうその目はまっすぐにカイを捉えているのが分かった。
「なぜ生きているのです」
投げられる問いにカイは返さない。
カイはただナーダを睨み返すのみである。
まるで武器を持ち慣れない女のように、両手で持ったナイフを前に突き出した格好で、ゆっくりと間合いを詰めていくだけだった。
ナーダはおのれの投げた疑問を自身で解決しようとするように、カイの胸元に残ったままの生々しい肉の穴を見、それが致命傷でなくてなんなのだというように、ようやく頭巾を上げてじかに顔を見せた。
なんとなくだった。ナーダの示した明らかなうろたえがおかしくなって、笑ってしまった。
ナーダの眉がびくりと跳ね上がった。
「…傷は致命傷です……神石を抜き取られ、加護を失った抜け殻に等しい『加護持ち』が、あの傷を快癒することなど考えられません」
そこまで言って、ナーダは何かに気付いたように目を見開いた。
そのときに見せたあからさまな動揺に、カイはまたおかしくてたまらずにきひひと笑った。
不思議と手の震えが収まってきた。笑ったことでナーダに対する恐怖心が薄れたためなのだろうと自覚する。
そしてそれを機に一気に突っ込んだ。
ここで負ければ今度こそ完全に息の根を止められるのは分かっている。最初から全力だった。
おそらくいまならば兵士筆頭のバスコと加護なしでも打ち合いを演じられるのではないかと思う。加護がなくなってみて分かったが、カイの素の身体能力……肉体が本来的に備える力は相当に成長していたようだった。
『神石』もなしに《二齢神紋》を顕し、武術込みでオルハ様をしのいで見せたこの真理探究官にとって、手負いのカイの動きなど止まって見えていたことだろう。カイの繰り出した唯一の武器であるナイフを奪うべく、手首に手刀が落ちてきた。
打ち易そうなところに手首をさらしたのは、最初から計算ずくだった。避けるふりをしつつ振り出したカイの片足がナーダの足元を強襲する。それを寸前で見切ったナーダは軽く飛んでかわすと、ほとんど反射のように伸びていたカイの脚を空中から蹴り砕こうとする。
このあたりのやり取りは武術を習えばよくあることと知れるので、カイも最初から回避までを織り込んでいて、間一髪反撃をかわすことに成功する。
その後に《円の歩法》に移る。辺土武術たるズーラ流こそがラグ村の人間にとってもっとも頼るべき技だった。
「カイ」
ナーダが名を呼んでくる。
一度殺してきた相手に、なれなれしく名前を呼ばれるのは怖気が走る。
敵のわずかな動きにもナイフを走らせ、牽制に集中する。
「なぜ治っているのです」
ナーダの目が、片時もカイの胸元の傷から離れない。
ほとんど凝視と言っていいぐらいに見入っている。
本来ならばこうして正面からの打ち合いになれば、『加護持ち』に等しい力のあるナーダならば、村で筆頭に等しいとはいえ平の兵士など一気に攻め潰せただろう。その決断をナーダが留保しているのは、明らかにカイを警戒しているからだった。
カイはもう本当におかしくてたまらずに、息も切れかかっているのに声を上げて笑い出してしまった。呼吸が続かずに咳き込んだ。
「…答えなさい」
「…見たまんまだろ」
「…護りの恩寵なくしてあの大怪我がこの短時間に治るはずがないのです。わたしはたしかにあなたの『石』を奪ったはずです」
「…こうしてる間にも、少しずつ、治っていってる」
まるで『加護持ち』の超絶の治癒力で、傷がいままさにふさがりつつあるとでもいうように、いやらしい笑い方をしてみせる。そうしてカイは地面の砂利を蹴りかけた。
たいした仕掛けでもないのに、ナーダは必要以上に警戒をあらわにして間合をとった。その怖れ方たるや、まるで上手の『加護持ち』でも相手しているようであった。
「…まだ傷の治りが悪いようですので、いまのうちにまたとどめを刺しておきましょう」
坊主はまた例の『密具』とか言うやつを懐から取り出した。
本当になにかの骨から削り出したような白い武器で、よく見ると刃物ですらなく、その刀身のような部分は白いパイプを斜めにカットしたような中空の形状をしているのが分かった。
そのパイプの太さの分だけ、肉をくりぬいていく武器なのだろう。持ち手は僧院のものらしく拝所のおりんを叩くやつみたいな形をしている。
カイはその『密具』を狙った。『加護持ち』殺しの武器は明らかな脅威だったからだ。一度それに殺されそうになったのだから、そうすべきだった。
ナーダは絶妙の動きでカイの攻撃をおのれの懐へと引き込み、カイの目が『密具』に囚われている間にもうひとつの手が死角からカイの胸元の穴へと伸びた。
硬く鍛え抜かれたナーダの指先が、カイの体内へと再び侵入した。そうしてかろうじて繋がっていた血管をいくつも引きちぎりながら『それ』を掴み取ったとき、カイのナイフは『密具』を持ったナーダの左腕を捉えきれず、結局は薄墨色の袋袖を切り払っただけに終った。
ナーダの手がカイの胸元から引き抜いたのは、そこにあるはずのないもの……ふたつめの『神石』だった。
「これ、は…!」
カイの胸の傷からわずかに見えていたそれは、真理探究官たるナーダのうちなる強烈な欲求を刺激して止まなかったに違いない。
たしかに、それは紛れもなく本物の『神石』だった。
ただし表面の一部を削り取られた……すでに使用済みの『神石』だった。
あっけにとられている間にカイは飛び込むように地面を転がり、ナーダの袖袋から零れ落ちたものを抱え込んでいた。
どこに隠されていようとも、それだけは手に取るようにカイには分かっていた。
(やつを殺せ!)
ああ、分かってる、神様。
それを掴み、おのれの肉の穴の中にねじりいれる。
形勢は、転じた。