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2018/2/28 魔法訓練シーンを修正しました。
指先の火は消えない。
白姫様はこっちへ近づいてこようとする。
桶の中の水が容赦なくぶくぶくと沸き立ち始めている。特に火のまわりが急激に熱せられて、やけどしそうなほどの熱さがゆらゆらと上り出している。
「その桶の中はなんなの?」
カイが何かをしそうだと察したのか、白姫様がやにわに駆け寄ってきた。
こんなところで心の準備もなくおのれの異常性を露見させてしまうわけにはいかないと、カイは必死に念じた。
(…消えろ、消えろ、消えてくれ)
「あなた見たことある顔ね、その桶の中を…」
指先の『火魔法』は消えない。消えろと念じてはいるのだけれども、それが『消しかた』の正解であるようには自分でも感じられなかった。
水の中でも消えない火だから、『さんそ』がどうのという理屈は通じない。
ならどうやって? 『かいじゅ』魔法? それともほかの魔法を発動して『うわがき』する? でもそのときはなんの魔法を上からかぶせればいい?
数日前の無学なカイならば、一瞬のうちにそこまでの思案を巡らせられなかっただろう。次々と火を消す場合のシチュエーションを頭の中に並べ立てていき、そして『これは』と思うイメージにたどり着く。
(『ガスの元栓』を……閉める)
全身から回収され続けている生命力らしきものの流れを、ガスの元栓を閉じるイメージでカットする。
背を丸めて桶を隠しているカイの肩に手をかけて、白姫様が彼をひっくり返すのと、魔法を燃料切れさせるのがほぼ同時であった。
自分よりも小柄で細腕な白姫様には恐るべき腕力が備わっていて……それはむろん白姫様もまた領主家伝来の『加護』を受け継いでいるからなのだが……ともかくそのしとやかな容姿を裏切る怪力持ちであったりする。モロク家はご当主様、長子のオルハ様、そして白姫様の3人の『加護持ち』がいるのだ。
もんどり打って倒れ込むカイ。その手から離れた桶が水をぶちまけながら宙を舞う。
そして水の中からついに露出したカイの右手……その人差し指の先に燃えていた魔法の火は、そのときほの青い揺らめきを残してふうっと消えてしまっている。気付かれていないと思いたかったが、どうにも微妙な瞬間だった。
そうしてどうと背中から倒れ込んだカイは、まだ十分に治っていない骨折の痛みが盛大にぶり返して、のけぞるように絶叫したのだった。
「いいっっってぇぇぇ!!」
白姫様があまりの大声にぎょっと立ちすくんでしまっている。
とっさに口を押さえたもののもう十分に絶叫してしまったカイは、城館のそこここから何事だと問い質す叫びが発されるのを耳にして、大慌てでその場から逃げ出そうとした。
白姫様が「待って」と声をかけてくるのに振り向きもせず、わが身を抱えるようにして遁走を図るカイ。その背中に理不尽な怪力を内蔵した繊手が迫る。
「だから待ちなさいって言っているでしょう!」
白姫様に服の襟首をむんずと掴まれ、体格だってほとんど変わらないというのに、ひょいっと首を掴まれた猫のように持ち上げられてしまったのだった。空中で無駄にじたばたとした後に、その男女逆転のみょうちくりんな構図に気付いたカイはなんだかしおたれてしまった。
その後城館は亜人族の夜襲があったと大騒動となり、寝ていた兵士は全員たたき起こされ、ご当主様までもが寝所から飛び出してきたというから、それらがすべて誤報によるものだと判明した後ははもう、怒り心頭の大人たちによる説教と躾が行われたのはいうまでもない。
辺土における躾とは、たいていの場合直接的な体罰をもって成されるのがもっぱらであった。
「………」
「ほんとうにごめんなさい」
過剰体罰が問題視されることなんかないこの村では、躾はリアルな暴力行為で行われる。骨折箇所に触らないように最低限配慮されたカイは、半日後、柱にくくりつけられた状態で顔だけをブクブクに腫れ上がらせて泣いていた。
ひとつ怒るたびに怪我人相手に本気ビンタする村のおっさんたちはマジでやばい。精神注入というやつを現実に実践している。
もうほとんどぼそぼそとしかしゃべれないカイに手を合わせながら、白姫様はこっちを覗き込むように見てきて、「本当に大丈夫なの?」と心底申し訳なさそうな顔で聞いてきた。いや、見たまんま大丈夫じゃないから。
このような事態となった責任の一端は感じているらしい白姫様。領主の娘が素で下っ端兵士に頭を下げてくるのだから、非常によい子ではあるのだけれども…。
「…それで、あのときの『火』の件なんですけど」
若干、粘着質気味なのが玉に瑕だった。
「…なるほど、あなたは『御使い』の素質があるのですね」
ばれてしまったものは仕方ないと観念したカイは、前世の記憶以外のことを聞かれるままに白状した。
戦場帰りの手負いで暇だったから、なんとなく遊んでてたまたま出来てしまった、皆を驚かせてやろうとひそかに練習していたところだったなどと、われながら適当なことを供述していったのだが……突っ込まれないかとひやひやするカイの様子になど気付きもせず、姫様はそれらの言い分をあっさりと受け入れてしまったのだった。
簡単に信じすぎだろとか思ったカイであったが、この姫様はあまり人を疑うことを知らないのかもしれないと察して、まあいいかと気分を切り替える。
それよりも白姫様の言葉に出てきた『御使い』というのが気になった。
実際にいる魔法使いのことと理解でよいのだろうか。姫様曰く、こういう不思議な力を振るう『加護持ち』が国の中央には少なからずいるらしい。
「使い方を間違うとすぐに命を燃え尽きさせて死んでしまう危険な技だから、わたしもおとうさまから使うのを禁じられてるの。都のほうでも伝来の秘術を守る一部の特別な家系のみで扱われてるらしいわ。…あなた、素質はあるようだけど、もう二度とその術は使わない方がいいと思うわ。あなたぐらいの普通の子だと、体中の霊力をすぐに使い切ってしまうから」
その辺はもう体験として理解しているので素直に頷く。
霊力を使い切ると命の力が急激に弱まって、具体的な例として心臓が止まって死ぬことが多いらしい。なんとなく胸のあたりをさすってしまう。
「…この件については秘密にしておきましょう。あなたもみだりに周りに吹聴などしないでくださいね? あなたみたいな年頃の子は特にそういう『特別な力』に憧れますから、きっとすぐに死人が出てしまいます」
「…あい」
「普通、生まれたままの人ひとりの霊力は、蝋燭1本を燃やすほどの量しかないと言われています。あなたもそのくらいの時間あれを燃やしてたら、いまごろ心の臓が止まって死んでたかもしれません」
「………あい」
「『加護持ち』ですらやり方を誤れば死に至ることもあると言われています。くれぐれも、周りには軽率にしゃべったりしないように」
そうして白姫様はいい匂いを残して折檻部屋から出て行ったのだけれども、それを見送ったカイは不心得にもさっさと気持ちを切り替えている。
もうなんとなく感じは掴んだ気がする。おのれの持ち合せる霊力の少なさを数値的にとらえ直したカイは、その使用限界の低さを割り切ったうえで、身の丈に合った成長の道を模索する心算である。
(成り上がってたらふく飯を食うんだ)
欠食児童の食への渇望を舐めてはいけなかった。
(…この状況でできることは)
そのときふと体を戒めているロープを切れないかと思い立ち、さっそく『術』の行使を検討し始める。
そうして唾を飲み込もうとして、口の中に広がる傷の痛みと血の味に顔をしかめる。
いや、まずは先に口の中の痛みを何とかする魔法を試しとこう。この過酷な世界で身につけてうれしい『治癒魔法』というやつだ。
その魔法を試すにあたって、どのように実施するかを思案し始める。
(…霊力の手持ちは蝋燭1本分)
むろん模索しまくるにしても、死なないように安全措置を確実に講じる。
大原則として、絶対に安全だろうと思われる施術限界時間を取り決めて、その許容範囲で試行を繰り返すべきだろう。
まず第一に、魔法施術限界はざっくりと10秒とする。『びょう』とはあっという間の短い時間のことだ。もう知っている。
第二に、『霊力』の『元栓』をしっかりと管理すること。ガスの量を加減するように、その『元栓』の開け閉め操作が確実にできる確証を得ておくこと。
そして第三に、具体的にどのようにイメージすれば『治癒』としての効果を得られるのか、理屈の部分を十分に考察することである。
カイは折檻部屋である城館の庫裏の中を見回した。麦の収穫時はいっぱいになる倉庫なのだが、収穫前の時期にはずっとがらんどうで、こんな折檻なんかにも使われたりする。
通風に開けられた明り取りの窓の外を、水滴がしたたっている。上の階で誰かが使った汚水を外に捨てたのだろう。
1、2、3、4…。
だいたい2秒間隔ぐらいなので、5回したたったら強制終了ということにしよう。10秒が20秒になったからとてさすがに死にはしないと思うのだけれども、たかが練習で命を賭ける必要もない。
(…水か5回したたったら問答無用で終了)
すうっと、胸いっぱいに息を吸い込んでから、カイは危険な魔法実験を開始した。幸いにいまは柱に縛られているので、手足の力が抜けても倒れ込むことはない。
最初の水のしたたりを待って、カイはおのれの『神石』に意識を伸ばした。
まずはなけなしの『霊力』を全身から搾り集める。その回収作業は『神石』に念じるだけで自動的にやってくれる。
そして手足が急速に血の気を失い、冷えてくることにびくつきつつも、『神石』の熱をまず治したい口のところにまで持ってくる。
ここまでで水が2回したたった。
(傷よ治れ…ッ)
念じる。
念じる。
念じる。
…だがダメ。
イメージを切り替えろ。
(『肉』よ元に戻れ…)
念じる。
念じる。
…だがこれもダメ。
水がさらに2回したたった。
思考錯誤は次で最後だ。もっと対象を絞り込め。
(『細胞』よ活性化しろッ)
念じる。
すべてを振り絞るように念じる。
…そして口の中がぼんやりと柔らかな熱を帯びた。
ゆっくりその感覚を味わっているゆとりはなかった。
窓の外を5回目の水がしたたって、強制終了の時間となった。
イメージするのは先ほど魔法カットに有効だと判明している『元栓閉め』である。『神石』から伸びている熱気のラインを、ギュッと締め付けるようにカットした。
はあ、はあ…
肩が揺れるほど呼吸が荒い。
たった10秒の間に全精力を使い尽くしたかのような疲労感だった。手足の熱が徐々に戻ってくるにつれて人心地がついてくる。
(…口の傷は……よくなったのかな)
ぺろりと舌を回してみて、やってきた鈍痛に顔をしかめる。
しかし先ほどまでの鋭い針を刺すような痛みはなかった。
治ったのか、治ってないのか。正確な評価はこの部屋から解放されたのちになるようだった。
疲れから、カイはほとんど気を失うように眠りに落ちたのだった。