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神統記(テオゴニア) 作者:るうるう

忍び寄る影

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 急に力のある『神石』を取り込んだから、気絶してしまったのだと思っていた。おのれに実体験があるからこそ、カイはそう思ってしまった。
 そして結果として、エルサは目を覚まさなかった。

 「…エルサは『僧院』に移すことになった」

 《女会》の幹部であるアデリアに呼び出されて、簡単にそう告げられたとき、なにを言われているのかすぐには理解出来なかった。
 きょとんとしたままのカイに、アデリアは「こっちをちゃんと見な」と叱りつけて、村がエルサというひとりの少女を見放す決断をしたことを繰り返し言った。
 怪我や病気で身動きの取れなくなった者、働きで村に貢献できなくなった者は、その回復が見込めないと判断された時点で捨てられる。貧しい村に、無駄飯食いをいつまでも養っていくゆとりは微塵もない。
 いくさで大怪我を負って、結局五体が満足に治ることなく復帰の見込めなくなった身寄りのない兵士などが、よく村の無人の僧院に移され、『断捨離(だんしゃり)行』の果てに『入滅』するていで死を強制される。
 人の手に拠らず、『飢え』という天の摂理によって生を終えるという形をとるのは、知恵ある生き物のずるさの表れでもあっただろう。
 その理屈が、昏睡したままのエルサにも適用された。ただそういうことであった。
 むろんカイはその結論に断固として反対したが、ではおまえが寝たきりのエルサを一生養っていくか、と言われ、あの子の閉じたままの口は麦粥も飲み込めないのにどうしようってんだいと、実際の延命の難しさも厳しく指摘された。
 点滴など影も形もない世界である。意識のないまま呼吸だけがあるという状態は、もうほとんど生存が絶望的で、死んでいるのと変わらないのだ。
 栄養分の直接投与を可能とする医療器具を絵として思い浮かべても、それがどんなものなのかをカイは察し得ない。それから程なく僧院に移された寝たきりのエルサを、カイは引き止める者もいないために片時も離れることなく付き添い続けた。
 カイはエルサが『レベルアップ』のための気絶から目を覚ますことを期待してじっと待ち続けた。
 そのあいだにも無情に時は過ぎ、エルサは昏睡したままどんどんと痩せ細っていった。
 3日も経つと、もうエルサの死を受け入れてしまった村人たちは、僧院に足を運ばなくなっていた。カイも食事は摂らなかったが、加護のせいか断食している割にはやつれの進行は微々たるものだった。
 エルサが僧院に移されて3日目の夜、エルサとカイの姿が村から消えた。彼女を肩に担いで村を出て行こうとする少年の姿を何人かが目撃したが、積極的にそれを止めようとする者もなかった。担がれたエルサがもはや生きているようには見えず、カイがその亡骸をどこかに埋めに行ったのだと思ったのだ。
 不憫に思ったのだろう、門の番兵が「おまえまで死ぬなよ」と言い、カイは「少しだけ行って来る」と言い置いたらしい。
 むろん辺土の夜は危険である。人族よりも目の良い亜人種たちが幅を利かせるのはえてして星明かりのみの暗がりだった。が、彼の悲しみようを知っていた村人たちは止めなかった。
 そうして恋人を失った少年の姿は、夜の闇のなかに消えたのだった。



 カイは駆けた。
 腕に抱えた少女のぬくもりがいまにも失われてしまうような気がして、ともかく全力で駆けた。
 『加護持ち』の全力というのは恐ろしいもので、カイが足を速めるほどに景色が跳ねるように後ろへと飛び退いていく。地をひと蹴りするたびに、えぐった穴ができた。その風を突き破っていくような速さが、一歩の距離を際限なく引き伸ばしていく。もうほとんど飛んでいる。

 (谷に連れて行ってやるぞ)

 カイは何度も目を覚まさないエルサに言った。
 あの美しい谷を恋人に見せてやりたいという想いもあった。甘く実った山林檎をしぼった汁ならば、寝たままのエルサでも喉に入るのではないかと思った。

 (ぜったいに目を覚まさせてやる)

 そして、おのれが巡察使の『神石』を食べさせたことでこのようなことになったと言うのなら……もしもまだ知らない、加護にまつわる知識が足りていなかったからだというのであれば、知っていそうなやつにそれを聞けばいい。そうも思った。
 もう何百年も生きているという小人(コロル)族の長、ポレック老。
 もしかしたら知恵をもらえるかもしれない。
 谷へと向う途中で必ず近くを通るバーニャ村のほうから、「また出たわ!」「化け物が!」などと叫び声が届いてきたが、いまは構っている心のゆとりもなかった。村の脇を素通りして森へと分け入り、蜥蜴人(ラガート)族の縄張りを遠慮なく越えて、最短で谷を目指す。
 そしてカイの目に、久方ぶりの谷が姿を現した。

 (殺せ!)

 カイの中で神様が唐突にそう叫んだ。
 最近はずっとそうしたことが続いていて、誰に向かって言っているのかもわからない言葉に、谷の神様の頭がおかしくなったとカイは聞く耳を持たなくなっていた。
 背後のほうでカイの侵入に驚いたのか蜥蜴人(ラガート)たちが警戒の声を次々と発している。その喉を鳴らすような威嚇音が予想以上に大きくなって、なにか気分を害すようなことをしてしまったかと焦りつつ、それでもカイは立ち止まることなく先を急いだ。

 「じいさん!」

 カイは谷の魅惑を振り切るようにして、谷縁の小人(コロル)族の集落へと飛び込むように駆け入って行く。もうすっかりと暗くなった夜更けであるというのに、カイの呼び声で小人(コロル)たちがテント状の家から次々と顔を出した。
 集落の中ほどで立ち尽くすカイに、ポレック老がやや慌てた様子で駆け寄ってくる。
 「何事でありましょうか」と尋ねてくるポレック老に、カイは肩に担いでいたエルサを地面に降ろすと、前置きもすべて吹っ飛ばして、『神石』を食べさせたら気を失った、その後まったく目を覚まさないと起こった症状を並べ立てる。

 (殺せ!)

 邪魔な声にイラついた。
 その苛立ちが顔に出たのか、ポレック老は怖れを顔に表して、詳しく内容を聞かないままにありうる可能性を列挙し始めた。
 いわく、体の成長の激しさに気絶しているかもしれないこと。
 いわく、『毒』となる『神石』を食べて心が壊されてしまったかもしれないということ。
 毒とはなんだ、とカイが聞くと、存在が異質すぎる生き物の『神石』が毒を持つ場合があること、もともとその『神石』の持ち主がなんらかの『毒』に冒されていた場合が考えられるということ。
 そして最後に、ポレック老は言った。

 「…同族食にまつわる『中毒』が考えられます」

 ポレック老を食い入るように見つめていたカイの目が見開かれ、その目尻から滂沱(ぼうだ)と涙があふれ出した。原因が判明した。
 わなわなと震えだしたカイに、ポレック老は何かを察したように、氏族に伝わる「同族間継承」についての処置を口にした。

 「…人族にあるのかどうかは知りませぬが、何らかの事情で墓所へ御霊の還御を待たず、同族食の禁忌を侵して御霊を継承させる場合があります。その場合の毒の取り除き方は…」
 「どうやってやるんだ!」
 「…食させて後、しばらく時を置いて御霊の定着をさせた後、食べさせた髄を吐き出させます。その後に毒消しの薬草を煎じて…」
 「…すぐに……吐かせる」

 カイは獣のように大声で吼えた。ガリガリとおのれの爪で顔の皮を削り取り始めるに至って、小人(コロル)たちがその凄惨な自傷行為を寄ってたかって止めに入った。

 (殺せ!)

 谷の神様が見当違いな叫びを上げた。
 カイはその身に湧き上がった激情を押さえ切れず、神様の見当違いなそそのかしに衝動的に乗ってしまいそうになる。
 おのれの身を案じて止めてくれている小人(コロル)たちを思いに任せて切り裂きたくなる。狂っていると分かっているのにその思いがとまらない。
 ちらりと足元に寝かされたまま放置されているエルサの姿が目に入った。おのれの指から飛び散った血が彼女の頬にかかって、ついに彼はそこにとどまっていられなくなった。

 「主様ッ」

 ポレック老が叫んだ。
 カイはそのまま谷底へと身を投じていた。
 何かを考えてのものではない。ただ闇雲に、誰もいない谷底に行くことで、心の中の煮えたぎる思いをぶちまけられると思ったのだ。
 カイは谷底の森をなぎ倒して暴れた。

 (殺せ!)

 谷の神様もなぜか怒り狂っていた。そうして当たり前のように谷の中心部にある墓所のあたりにまで出て、おのれがのんきに建てた『谷の別荘』が目に入った。
 すべてを叩き壊したくなったカイはそちらへと近づき、中にいるだろうアルゥエを放り出して、跡形なくぶち壊してやろうと思った。
 そうして踏み入った小屋の中で発見する。
 血まみれで横たわる小人(コロル)族の少女の姿を。カイの気配に気づいて身じろぎして、血をごぼりと吐き出したアルゥエ。
 なんだ。
 何がどうなった。
 何でこんなことになっている。
 頭が真っ白になった。カイはよろよろと血だまりに沈む少女のもとへと近づいていこうとして…。
 胸の辺りに灼熱を覚えて、呼吸が止まった。

 「…ようやく警戒心を解いてくれましたね」

 おのれの胸から突き抜けている細身の剣。
 倒れこみそうになったカイの首を、後ろからわしづかみにした存在。

 「…やっと目的を果たせます」

 真理探究官。
 辺土へ何かの調査にやってきて、そして帰ったはずの僧侶。
 カイはその姿を凝視して、叫ぼうとした。
 そうしてただ大量の血しぶきを吐き出したのだった。
さあ、章末です。
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