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神統記(テオゴニア) 作者:るうるう

忍び寄る影

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鹿人(ウーゼル)の少女の名を『ナーラ』から『ニルン』に変更いたしました。
鹿だから奈良という発想はなかったのですが、たしかにちょっとなと思いました。ご了承くださいませ。





 帰依されたはいいものの、むろんそのままラグ村に連れて帰るわけにはいかない。
 鹿人(ウーゼル)の少女……ニルンは『加護持ち』であるカイが当然のように群れの長、人族でいう領主的な地位にいるものと早合点してしまっているものの、もちろんそんな事実などはなく、村に帰ればカイはただの下っ端兵士のひとりに過ぎない。亜人種の少女を養うどころか仲間たちの憎悪から庇ってやることさえ難しいだろう。
 だから遠征隊が野営しているだろう場所のすぐ手前で少女との間にひと悶着が起こり、結局小人(コロル)族たちのように谷にいっとき住まわせるところまで折れさせられてしまったのだった。
 寸前までは命を奪ってその加護付きの『神石』を食らってやろうとさえ思ったというのに、おのれの急な心情の変化にわれながら驚いてしまう。
 ニルンが帰依を誓う言葉を発した瞬間にまたカイの『神石』が熱を持ち、それ以後はなぜか彼女を遠い身内を見るような生暖かい感覚に陥ってしまったのだ。谷の神様がニルンの土地神を受け入れてしまったためなのだろうとすんなりと理解もしてしまった。
 ニルンの生まれた鹿人(ウーゼル)のあの集落はナジカジ村といい、土地神の名は『ナゼルカゼェル』というらしい。
 カイは谷の位置をニルンに教え、彼女も内なる神様から何らかの啓示を受けたのだろう、すぐに理解したような顔になって頷いた。ニルンはいまならば豚人(オーグ)族も灰猿(マカク)人族も逃げ散っているので、村の生き残りを少しの間探して、それから谷に行くと言った。
 別れ際にぱっと抱きつかれて、服の胸元にぐりぐりと頭をこすり付けられたときは何事だと思ったが、「匂いをつけた」とあっけらかんと言われた。彼女はそうして故郷を失った悲壮感も感じさせずに手を振って朝の日差しに輝く森の中に消えていった。
 それを見送った後、カイはなんとなく頭をこすり付けられた胸元の服に鼻を近づけて、くんくんと嗅いでみた。なんとなく甘ったるいにおいと、そういう季節であるのか鹿の毛と思われるものが大量にへばりついているのを発見して、いらつきながらそれを払った。

 (いくか)

 最低限の身だしなみを整えて、カイは野営地へと向かって歩き出した。
 坊さんとラグ村の居残り兵士たちがまだそこにいることは、風に乗って届いてくる匂いで分かっていた。
 カイが鎧武者をひきつけていたおかげで、先に逃げた二人も無事に野営地に戻り着いたようである。なんとなく尋ねられたときの答え方を思案して、鎧武者を食ったとはいえないので、ふたりとは反対方向に逃げて道に迷ったから遅くなったことにしようと決めた。
 豚人(オーグ)族の強力な『加護持ち』が追ってくる可能性もあったというのに、場所を移すこともなくその場でカイの帰りを待ち続けている仲間たちに対しての疑問にまでは思いが至らない。
 ちょうどそのとき煮炊きする朝餉の匂いが漂ってきて、カイは無邪気に足を速めさえしたのだった。


***


 遠征隊が村へと戻ったのはその日の夕刻頃だった。
 護衛の兵士がひと班分少なくなったものの、亜人種との遭遇もなかったことでカイたちは無事にラグ村の門を潜ることができたのだった。
 出迎えてくれた村人たちは出発時と比べて人数が減っていることに明らかに気付いていたが、誰も何も言わずにただ「よく帰ったな」と労いの声をいくつも掛けられた。
 城館まできたときに坊さんが遠征隊のみなを集め、調査に命を張ってくれたことへの礼を言い、亜人からの呪い避けの真言をひとりひとりに唱えてくれた。そうして遠征隊はその場で解散となったわけなのだが……くたびれた身体を休めようと兵舎へと散っていくみなを見送っていた坊さんが、「カイは少しよろしいですか」と声をかけてきて、カイを少し驚かせた。
 坊さんが顔を隠す頭巾を指で上げて、まっすぐにカイを見つめてきた。

 「…少し伺いたいことがあります。わたしの部屋でお話をいたしましょう」
 「…坊さま?」
 「そう時間は取らせません。少し確認したいことがあるだけですので」

 めんどくささが顔に出てしまったのか、少しだけ苦笑されて「秘蔵の甘い菓子でも進呈いたしましょう」と言ってきた。
 国の中央にある大僧院から来た坊さんであるから、たしかに保存の利く飴や練り菓子を持っている可能性はあった。むろん辺土育ちのカイにとって、それは大いなる釣り餌となった。
 客間のある城館へと足を踏み入れると、そこで目に入った人々の様子がおかしいことはすぐに分かった。遠征から帰ってきた坊さんとカイが並んで歩いているというのに、すぐには気付かずにやたらと難しい顔をしてみな不機嫌そうに目先の仕事に没頭している。
 兵舎には男の兵士たちが溢れているが、城館のほうは逆に下働きの女たちが多い。そんななかに、カイの顔を見て激しく反応を見せる若い女の姿があった。

 「カイさん!」

 坊さんと連れ立っているので、カイが何かの用でそこにいることは明らかであるというのに、そんな配慮も忘れて話しかけてきた少女がいた。
 出発前の晩、エルサとともに食料庫にいた顔だと気付いた。手を取られて引っ張りかけられたが、相手もさすがにそのあたりで坊さんの姿に気付いたらしく、慌てて手を離した。

 「カイはこれからわたしとお話があるのですが、何かおありでしたか?」

 いちおう聞いてやってくれているあたり坊さんは気遣いをしてくれているのだが、そもそも僧侶というのはご当主様やあの巡察使様が一定以上の敬意をもって接しているのを見ても分かる通り、おろそかにしていい相手ではなかった。
 しどろもどろになる少女であったが、それでも彼女を突き動かす『事情』が勝ったのか、迷いを振り払うようにこくりと頷いて、カイに用向きを伝えたのだった。

 「あの子が……エルサが大変なことになって」

 どくり、とカイの心臓が震えた。
 村を不在にした数日間に、何かが起こっていたらしい。
 すぐにでも確認に行きたいカイであったが、坊さんの手前それもできない。ちらりとそちらの方を見て、視線を下げた。

 「…なにかあったようですね」

 坊さんもただならぬ雰囲気を酌んでくれたのか、少し思案するふうになってから、「そういうことでしたら」と、カイがそちらへ向うことを了承してくれたのだった。

 「坊さま、ありがとう」
 「いえいえ、お話は後ほどで構いません。…何かわたしの助けが必要なときは、何なりとおっしゃってください。わたしもいろいろとカイには助けられました(・・・・・・・)ので」

 坊さまに頭を下げると、少女のほうも合わせて頭を下げた。
 そして彼女の背中を押すようにエルサのもとへと急かし、駆け出したのだった。
 おのれの背中をずっと見送っている坊さんの姿に、そのときのカイままだ気付いてはいなかった。



 少女の先導で向かったのは、城館で下働きする女たちの寝床のほうだった。
 基本男は立ち入り禁止の、城館の裏手に塀で囲まれた区画の中にその宿舎はあった。
 少女が案内に立っていることもあり、カイに何かを言ってくる女はいなかった。それどころか事情をみなが知っているふうで、「早く行ってやって」と口をそろえて急かしさえした。
 男どもの巣窟である兵舎とはまた違う、ふくらかな匂いの立ちこめる女宿舎の雰囲気に気圧されながらも、カイはその中へと入っていった。宿舎の中は一部の個室住まいを許された《女会》の顔役の部屋と、それ以外の者たちが雑魚寝するいくつかの同居部屋に分かれている。
 連れてこられたのは、そのもっとも奥まったところにある、怪我や病気で療養の必要のある者たちが寝かされる一室だった。その四つほどの寝床が並んでいる部屋の一番隅に、人が集まっていた。いま現在人が寝ているのもその寝床だけだった。
 嫌な予感がどんどんと膨れ上がっていく。
 目的の場所まで案内し終えたために箍がはずれたのか、先導の少女が震え出す声で事情を説明し出した。

 「…大丈夫だとみんな思ってたのに……『生娘』じゃないって、何度も言ってもらったのに」

 ぼろぼろと泣き出した少女の様子に、カイは沸き上がってくる激情に歯をぎりぎりと噛み締めていた。
 そうしてたどり着いた寝床には、包帯で体中を巻かれた痛々しいエルサの姿があった。魂が抜けたように天井を見上げている少女。その目がわずかに動いて、近づいたカイのほうへと向けられた。
 一瞬だけ大きく見開いた後、ぽたぽたと涙をこぼし始めたエルサ。
 すがるような色が強まった一瞬のあとに、その顔が反対の壁の方へと逸らされてしまう。
 エルサの心情を思いやってか、見舞っていたなかのひとりが、カイの目を見据えながらゆっくりと事の顛末を語り出した。
 いわく、巡察使様の勘気に触れて、エルサはひどい罰を受けさせられた、と。

 「《女会》は白姫様を通して何度もお断りを入れたの。なのにあの方は一向に聞く耳を持たれなくて、そんなはずはない、この目が節穴だとでもいうつもりかと逆にご立腹されてしまって…」

 あの蛙男は加護によるものなのか、女に対する鑑定眼にひどく自信があったようである。そしてエルサを強引に部屋へと来させて、自らの手で確認したのだという。
 そのときの巡察使の怒り狂いようは、ご当主様をも血の気を失わせるようなひどいものであったらしい。怒りにまかせて護身用の懐剣を抜き放ち、恐怖に身をすくませているエルサをめった切りにし、ご当主様が間に入るまでのわずかな間に居合わせた女ふたりが殺されてしまった。
 気に入りであったエルサには未練を残していたのか命までは取らなかったものの、いたぶって悲鳴を上げさせることに執心を見せて、不幸な少女は激痛のあまり最後はひどい有様になっていたという。
 そして巡察使は、おのれをバカにしたラグ村に対しておおいに憤りを表明して、根も葉もない調査結果を王都に送る、モロク家は最悪断絶させられるだろうと言い出し、いま領主家総出の必死の接待の最中であるという。
 なんだ、それは。
 言葉がカイの頭にはあまり入ってこなかった。
 ただひたすらに怒りだけがあふれ出てくる。
 顔をそらしたまま震えているエルサの姿を見下ろしながら、カイは「蛙野郎」と押しつぶしたような呟きを漏らしていた。
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