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侮られている、と感じた。
それはカイの心のうちに熱を発した。
「オレは未熟者だ」
そんなことは分かっている。
こうしている間も谷から神様に見られているような気がする。侮られたままここを去るのは許されない。
「そういうおまえはオレよりも強いのか」
相手の出方を見守りながら、カイはめまぐるしく勝利へと至る道筋を考え続けている。
『加護持ち』としての力量は、冷静に見てたしかに経験の浅いカイのほうが不利なのかもしれない。鎧武者に顕れた神紋の姿を見て、相手がかなりの上位者であることはもう分かっている。ご当主様よりも強い相手に、はたしておのれが勝てるのかと心の隅では思うのだが、むろんカイもご当主様相手に本気など出したことはないからそこのあたりの『線引き』はあてにはならない。
現状唯一カイのほうが有利なものは、手にしている武器の有無ぐらいだろうか。
短槍を握りしめ、そのたしかな存在に考えを巡らせる。
槍の武器としての強さを確かなものにしているのは、鉄から打ち出した鋭い穂先にあるだろう。
鉄は硬い。
そして生き物の肉は柔らかい。
そういう分かり切った条理に従って、鉄は肉を割くことができる。
はたして、『加護持ち』の肉は鉄よりも柔らかいのだろうか。硬いのだろうか。
こればっかりは実際に試してみないと何とも言えることではない。自分で自分の体を触る限りにおいて、感触は普通の人間と変わらない。ゆえに『加護持ち』の身体が何故に常軌を逸して頑丈なのか理由は分からない。
鎧武者は無手であるために、ただ待ち構える。カイはズーラ流の『円の歩法』の足繰りで鎧武者の周りを移動し始める。相対するカイが立ち位置をずらしていくことで、鎧武者も構え直しのために落ち着くことができない。その足が浮いた一瞬を狙うのも『円の歩法』の基本的な崩しの一手である。
カイの鋭い突きが鎧武者の顎先を狙う。
それで上体を後ろに逃れさせれば、重心の移動に失敗してとたんに構えがぐらついたことだろう。
しかし鎧武者は鉄の手甲で槍の穂先をあっさりと払いのけ、どっしりと置いた重心を小揺るぎもさせない。
何度か試して小手先では崩せないとあきらめる。
そうして円の動きを続けて小競り合いを続けつつ、突如として直線の動きに切り替える。流派の祖が傭兵であるズーラ流ならではの目くらましの一撃だ。目の動きだけは『円の歩法』を続けて相手を釣り込み、実際にはそこから唐突に攻撃へと移る。
いきなり身体ごと急接近してきたカイに、鎧武者は惑わされることなく自らも踏み込んできた。体ごとぶつかってくるカイの突きを憎らしいほどの巧みさで右の手甲で打ち払い、それと同時に固めた左拳がうなりを上げて襲い掛かってくる。
その拳に秘められた『死』の接近に、本能が怯えた。
それでも『加護持ち』の丈夫な身体がただ振るわれただけの拳に致命傷を負わせられるという想像には至らない。相打ちを覚悟しでも、まずは鉄の武器を持つことで本当に『加護持ち』相手に有利なのかどうかを検証することが優先だった。
それでも殺到してくる拳はカイの目がしっかりと捉えている。『加護持ち』の身体能力はたしかに驚くほど底上げされるものなのだが、こと『眼』の良さについては、カイに与えられた恩寵は驚嘆すべき水準にあった。むろんこのときカイにそれを他と引き比べられるような知識は皆無である。
踏み出した足に力を込める。
そうして地をえぐるようにカイは身体をさらに前方へと押し出した。
速度の向上と前傾が強まったことで、カイの横っ面を狙った拳が髪の毛をかすめて後頭部へとそれていく。
狙いは一番大きな的である腹。
鉄の胴当てに守られていないつなぎの部分だ。血に染められたその皮が何の生き物から採取されたのか、唐突に想像する。人族の皮を剥いで使っているのではないかとなぜだか思った。
槍の穂先がつなぎ目に食い込んだ。
そして予想通りにこれだけの捨て身の突進を上乗せしても、槍が抵抗を受ける。鎧武者の体皮に阻まれているのだと分かった。
(諦めるもんか!)
カイは右の拳を固めて短槍の尻、石突の金具を後追いで殴りつけた。
その衝撃が槍の柄を伝わって穂先へと送り込まれた。その瞬間、槍がまるで硬い殻を突き破ったように、急に抵抗感のない柔い感覚の中に押し込まれていった。
『加護持ち』の身体は、鉄よりは柔らかい。
ひとつの解答だった。
「****ッッ!」
鎧武者が吠えた。
カイの手を離れた短槍が、鎧武者の腹に突き立っている。確実に内臓を傷つけた、と確信した。そしてカイは油断した。
カイの腹で火が爆発した。痛みよりも前に灼熱が広がった。
鎧武者がおのれの手傷になどまったく動じずに、カイを蹴り離すように足裏で前蹴りしてきたのだ。鉄を仕込んであるらしい編み上げ靴のつま先が、カイの肋骨を下からえぐるように突き刺さった。
鎧武者はけっして『無手』などではなかったのだ。
束の間宙を舞って、もんどりうちながらカイは草の中を転がってバレン杉のごつごつした根に背中を強打してようやく止まる。すべての空気を吐き出し切った肺が咄嗟には動かない。空気を吸う前に口から吐瀉物と血が噴き出した。
痛いッ!
痛い痛いッ!!
吐き出しきった後になってようやく肺に空気が送り込まれる。
内臓がむちゃくちゃになったような気がする。脈打つような鈍痛にお腹を抱えて転がるカイを睥睨しながら、鎧武者が近付いてくる。腹に刺さった槍など気にも留めていない。
あいつは不死身なのか。
いや待て、痛くないはずなんてない。やつだってカイと同じ、ただの『加護持ち』に過ぎないのだから。鉄に比するほど丈夫なのは身体を覆う体皮一枚だけなのだ。
土地神の神意が生き物の部品の中で、骨の次に丈夫な『皮』を尋常でないまでに強化しているというのが『加護持ち』の頑健さの理由のひとつだった。皮の下の血肉はそこまで硬くはない。
そして類推されるのは、皮よりも硬い『骨』は、おそらく鉄よりももっと硬いだろうということ。『加護持ち』はたぶん、そう簡単に骨折などしない。
近付いてくる足音から逃れるように転がって、歯を食いしばりながら身を起こす。その頃には鈍痛が間遠になっている。
硬くはないものの、『加護持ち』の内臓もやはり常識外に丈夫ではあるらしい。痛みが麻痺したわけではなく、治り始めている。元の状態に戻ろうとする力が尋常ではないのだ。
『加護持ち』の身体についての疑問は、大体分かった。
相手を確実に殺すためには、回復が追いつかないほどの致命傷を迅速に与える必要がある。例えば先日に、カイが豚人族の『加護持ち』を屠ったときのように。
土地神の恩寵の根幹組織である『神石』を強奪するのは、『加護持ち』の殺し方としてもっとも効率的なやり方のひとつであったのだ。
鎧武者がようやくカイの短槍を腹から引き抜いて、忌々しそうに放り捨てた。
すぐに引き抜かなかったのは、『加護持ち』の超回復が内臓の傷を小さくしてくれるのを待ったのかもしれない。
カイは何とか立ち上がりながら、おのれの回復が追いついてくることをひたすらに願った。
そして鎧武者も、『加護持ち』同士の戦い方を言われずとも分かっていた。
つまりは相手をただ回復などさせてはならない。
カイが引き抜いた最後の命綱である切り取り用のナイフを、鎧武者の連打があっさりと弾き飛ばした。そうしたがら空きになったカイを倒れる暇も与えない攻撃で棒立ちにさせつつ、ついにその首に巨大な手を掛ける。
鉄よりも硬い『加護持ち』の首の骨を、鎧武者は握力だけでふたつに折る自信があるのだろうか。いや、それとも単純に窒息させる気か。
どれだけ強化されていようとも、『加護持ち』であっても呼吸は原初的な生命維持活動であった。
めりめりと、おのれの首組織が破壊されていく。
いま少しの時間でおのれが殺されることを、カイは確信した。
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