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神統記(テオゴニア)  作者: るうるう/谷舞司
谷の神様
33/187

33






 行く手に立ちはだかった鎧武者を、カイは呆然と眺めていた。

 身の丈はゆうに3ユルはある。普通の豚人(オーグ)よりもさらに頭ひとつ以上上背があった。

 そして横幅もまた尋常ではない。筋肉質に締まった豚人(オーグ)など見たこともなかったが、それでもその鎧武者のずんぐりとした太い胴は、脂肪の塊というよりはたるんだ皮膚にたっぷりとした筋肉が隠されているといった印象が強い。

 その証拠に、その鎧武者が歩くたびに、むき出しの手足の分厚い皮膚が揺れて、その奥にある太い(つた)をよじったような筋肉が透かすようにちらちらと見えている。

 豚人(オーグ)の鎧武者は木に突き立った手斧を軽々と引き抜くと、それをこちらに向ってかざしてきた。

 ほかの個体よりもだいぶんと低い、引き攣るような鳴き声を出す。豚人(オーグ)語であろうが。むろんカイたちにそれを知りようもない。


 (…こいつも人族語が使えるんだろうか)


 カイはふと思う。

 亜人種たちは想像以上に知能が高い。他種族の言語を理解できるというだけで、いっそ人族よりも頭がいいのではないかとまで思う。

 が、鎧武者は人族語で話しかけてくることはなかった。そんな必要も感じられぬほどに、こちらを取るに足らない雑兵扱いしているのだと分かった。

 まるで森に分け入って、たまたま遭遇した弱い獣を肩慣らしに殺す……そんな雰囲気だった。なので鎧武者の最初の一撃は、こちらの反応を様子見するような、ただまっすぐな振り下ろしだった。


 「散れッ」


 『加護持ち』の本気の一撃であったならば、かわすことは至難だったろう。赤黒くただれたような肌色の鎧武者は、まだ隈取りを見せてはいない。明らかに本気でないことだけは分かった。

 狙われたのは先頭を走っていたチトという男だった。機転が利き、長槍よりも短槍やナイフの取り回しがたくみな男であった。ほとんど反射であったのだろう、こういうときばかりは訓練でご当主様が『加護持ち』の闘いようをいちいち見せてくれていたことが役に立った。

 とっさに構えた短槍の柄が手斧の刃を滑らせて、恐るべき一撃を辛うじてしのがせる。それでも鎧武者の怪力を逃がし切れずに、チトの槍を掴む手首が嫌な方向にねじれた。

 チトは一瞬でおのれの継戦能力が失われたことを悟ったのだろう、よろけるままに転がって、鎧武者の正面からおのれを逃れさせた。いまひとりのネイルはもう脱兎のごとく退却を始めている。草むらの向こうにその上下する背中が見えていた。

 カイもむろんすぐに逃げ出したいのはやまやまであったのだが、このまま逃げても鎧武者が本気を出せばすぐに捕捉されるだろうことは明白であったので、少しでも生存率を上げるために思案する必要があった。


 (…全員ばらばらに、いつものように『散る』にしても、それでも少しは時間を稼がないと距離が稼げない)


 人族の兵士は、かなわぬ相手に遭遇したときに必ず取る逃げ方というものがあった。そこにいる人数が最大数生き残るために、全員が逃げる方向を示し合わせて、まるで火花がはじけるように360度全方位に散り散りになる。

 どれだけ足の早い相手だろうと、ふたりが散れば捕捉するのに3倍以上の時間がかかり、3人いれば全員を捕まえるのに10倍ぐらいの時間がかかると教えられている。

 ここにはその3人がいる。

 ネイルはもう逃げ出している。

 チトもその逃げた方向を見定めて、違う方向へと走り出している。

 ならばカイもそれにならって逃げ出せば、運がよければ最初のやつが捕まる時間の10倍ぐらいの長さを駆け続けることが出来る。その距離を稼ぐことに費やせる時間は、この命の瀬戸際にあってまさに黄金に値する時間だった。

 が、それは抵抗する手段を持ち得ない圧倒的強者に直面したときの敗者の知恵である。


 (逃げたくない…)


 胸のうちから湧き上がって来る感情がある。

 カイは豚人(オーグ)の鎧武者を見、付近の状況を見る。カイはいま鎧武者に通せんぼされている状況であるのだが、その敵の背後には蜥蜴人(ラガート)族の縄張りである低湿地帯が広がっている。

 こいつさえ何とか乗り越えれば、安全な逃走経路がその背後には控えているのだ。チトとネイルが逃げた方向は鎧武者に対しての左右であり、森を脱出するという目的に対してはあまり合致してはいなかった。


 (…こいつはまだ油断してる)


 ゆえに初撃でやつの身体をある程度破壊したい。

 カイがそのとき手にしているのは、チトと同じ村の兵士に貸与されている短槍である。ひとり残されて恐れおののくていを作って、震える穂先を相手に向けたままじりじりと後ずさる。

 鎧武者のその防具は、近くで見ると返り血で赤黒く染まっている。鉄から打ち出したような胸当てと胴当てがなめした皮の紐で結わえ付けられているふうなものである。腰には何かの獣の毛皮を巻いているが、そちらはもう固まった血糊でごわごわになっているようだった。

 鎧武者が舌打ちをした。その目が逃げ散ったチトとネイルを追っている。

 カイは相手の注意が散漫になっていることに気付いて、すぐにおのれも逃げを打つぞと背中を見せた。盛大な誘いである。

 そうして鎧武者はほとんど手拍子で手斧を叩きつけてきた。当たったら頭蓋骨ごと粉々に吹っ飛びそうな一撃であったが、あまりにもバカ正直すぎて隙だらけだった。


 (いく!)


 カイは背中を向ける動きをさらに大きくして、一瞬後にはくるりと一回転してすでに正面を向けている。『加護持ち』とはいえ本気でない攻撃など、同じ『加護持ち』には見切れて当然なものだった。

 カイは(まなこ)を見開いて、その恐るべき動体視力で襲い来る手斧の軌道を見据えて、短槍を繰り出しつつ半身を押し出している。単純に短槍の殺傷圏が小さいがために彼我の距離を詰めたのだ。振り下ろされていく手斧を横に眺めるようにぬるりとかわし、刹那の間に冷静に算段する。

 なめし皮は意外と防御力が高いので、つなぎ目は却下……地肌がむき出しの場所を狙ったほうがよさそうだ。顔、顎下、脇の下、太もも、手首……欲を掻けば顔面か顎下を狙いたいのだが、鎧武者の回避能力を過小評価して失敗したくはなかった。

 神経が研ぎ澄まされるほどに間延びしていく刹那の時間に。

 突然懐に飛び込んできたカイの挙動に、鎧武者がぎょっとしたのが分かった。


 (もらった)


 頭への攻撃はすんでで丸太のような左腕が防御するように押し出されてきたために即座に却下した。十分な確信とともに、肉がむき出しであった太ももの内側へと短槍を突き入れ……カイは成功を確信したままいきなり横合いへと殴り飛ばされていた。

 意識が横へと暴力的にぶれる。

 草むらの中に転がりながらひっくり返る天地に目を回す。鼻の奥から溢れた血が熱感を伴って喉の奥に広がった。

 瞬間、カイはおのれに何が起こったのか分からなかった。

 視界の隅にあらぬ方向へと飛んでいく手斧が見え、空になった鎧武者の右手がごつい握りこぶしを作っているのを目に止める。

 ああ、動作の止められない手斧を空中で手放し、空いた右手での咄嗟に殴ってきたのだと分かった。どんな反射神経だよと突っ込みたくなった。


 (ハンシャシンケイ?)


 分からずともその単語の使用方法的には誤っていないということだけは分かる。カイの精神にはまだ余裕が残っていた。

 鎧武者のきいきいと鳴く声が響く。意味は分からずとも悪態をついているのだろうなという雰囲気的なものは伝わってきた。カイが『加護持ち』だということもこれでばれただろう。

 草むらから手をついて立ち上がり、身体に付いた汚れを払った。カイの身体にも鼻血以外傷らしい傷はほとんどない。

 頑健さで言えばカイも人のことなど言えない身体の持ち主となっていた。


 「おまえ、かなり強いな」


 手鼻で血を飛ばす。


 「***ッ」

 「おまえらの言葉はわかんないけど、オレもたぶん強い」


 カイの初撃は鎧武者の身体を傷つけることは出来なかったが、その代わりに手斧という大事な武器を奪うことには成功した。

 『加護持ち』とはいえ、無手ではその攻撃力も大いに減退する。『加護持ち』同士の闘いでは、互いの体皮が丈夫過ぎて相手を徒手のみで屈服させるのは難しくなる。

 カイはその顔に隈取を浮かべさせ始める。

 その特徴的な神紋を見て、鎧武者が一瞬黙り込んだ。

 この赤黒い巨大な豚人(オーグ)が『谷の神様』を知っているのだということがなんとなくだが分かった。その鼻面に真っ黒な神紋が浮かび始める。

 その紋様はカイが見たなかでもかなり複雑で緻密に見えた。ラグ村領主家の当主であるモロク・ヴェジンの顕した神紋と比べてもこちらのほうが明らかに細かい。

 ご当主様が《四齢神紋(クワート)》なのだから、いきおいこの鎧武者は、五齢か、あるいはそれ以上とみなさねばならないだろう。


 「おまえが六頭将(リグダロス)とかいうやつか」


 カイの問いに、鎧武者ははっきりと反応した。

 認めるべき相手に敬意を払うべく、居住まいを正すようなそぶりを見せたのだ。大きな鼻の下にある口が、大きくぱっくりと、心の底から湧いてくる愉悦を示すように笑みの形に開いた。恐ろしく発達した犬歯がまるで肉食獣のようであった。


 「調停ノ神ハ……『奴』ハ死ンダカ」


 地に響くような大笑いが起こった。

 ひとしきり笑った後に、鎧武者の目がカイをまじまじと見据えた。


 「衰エタナ、谷ノ神」


 奴はそう言った。


気合が入りすぎて書き直しばかりでした。

応援ありがとうございます。

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