26
10万字到達しました。
どんどんと用意した世界観がつながっていくのは気持ちいいですねー(^^)
カイは谷の断崖を吹き上げる風のように昇っていく。
そうしてそのまま小人族がなぶり殺しにされている現場へと割って入った。いままさに命乞いする小人族の女に手斧を叩きつけようとしている豚人が目に入る。
戦士クラスでもない、豚人のなかでも雑兵に位置するようなやつである。
「谷の神様ッ」
かばいだてられる格好となった小人族の女が、喜びに声を弾けさせた。
豚人兵は目の前に突如として立ちはだかったカイに驚きを示したものの、彼がまったくの無手であることにすぐさま気づいて、吠えるように笑った。
そして振りかぶっていた手斧をカイめがけて叩きつけてきた。
(…遅い)
『鉄の牡牛』といわれた武人であるモロク・ヴェジンの武器捌きを目で追うことのできるカイには、それを回避するのはいまや児戯に等しい。
寸前までその軌道を見極めてから最小限の動きでかわすと、地面に当たったその手斧を踏んづけて、めり込ませてしまう。
そうして余裕を持って腰回りを探り、携帯していた切り取り用のナイフを手に取った。
カイの舐め上げるような視線が、おのれの急所を探ってのものだと察知した豚人兵は、とっさに手斧を諦めると後ずさりに逃げを打とうとした。
が、逃がさない。
身体の向きを急いで変えようとしている豚人兵が見せた、首かどうかも定かでない太い延髄に根元まで突き立てた。
豚人兵がその瞬間ぶるりと痙攣して、ナイフの抜きざまに蹴倒した方向へと倒れていく。
致命傷を負わせた感覚はあるものの、いかんせん奴らの皮膚が厚すぎてナイフでは心もとない。
(…これでも使うか)
めり込んだまま放置されていた豚人兵の手斧を手にとって、地面から引っこ抜く。
前にも一度手にしたことがあったから、そこまでの違和感はない。あのときの死体からもぎ取った手斧は、村に帰りついた時に戦利品のひとつとして没収されてしまった。豚人たちがよく持っている鉄製の武器は、質もまずまずで辺土ではかなり重宝されるのだ。
豚人族はそれなりに広大な領域を支配しているらしく、冶金技術も馬鹿に出来ないほどに進んでいる。
「谷の神様が来てくださった!」
「****、****、**ッ!」
人族語と小人語が入り混じる。
雰囲気からして豚人たちをあざけるような威勢のいい言葉を吐いているのだろう。まあかなりの危機的状況であったらしい彼らにとって、気持ちを奮い立たせなければならない場面ではあったので、そのへんは仕方がなかったろう。
見れば小人族の死体がすでに何体も横たわっている。
豚人族は小人族を根絶やしにでもする気なのだろうかと思う。そうして気づいてしまう。
(…土地神に執着しようとする血筋を全滅させるためか)
ラグ村の領主家であるモロクもそうだが、村が絶えてもなお土地神を掴んで離さないその執着の強さは、新しい支配者にとって害でしかないのだろう。永く一族に伝来する土地神を家宝のごとく扱うのは人族でも変わらない。小人族も土地神が奪われれば、その生ある限り執拗に奪い返そうとするだろう。
(…まあいまは、そんなことはどうでもいい)
今はもっと別のことを心配すべきだ。
カイは油断なく敵の姿を探し、手斧を肩に背負うようにした。
問題なのは、他の亜人種族たちが恐れて近付かないようにしていた『調停の神の谷』に簡単に踏み入るようになったことだった。小人族に仮住まいをさせてしまったことは失敗であったのかもしれない。谷の縁で普通に生活を始めてしまった彼らを見て、豚人族も谷を恐れなくなってしまったのだ。
『ならば畏れを与えるがいい』
カイの頭に、何者かがささやいたような気がした。
その瞬間に全身から熱気が滾り始めた。おそらくおのれの顔に『隈』が顕れ始めているのだろうことはカイにも分かった。
『ひとりも生きて帰してはならない』
それが谷の平穏を保つための唯一の手段なのだとすとんと胸落ちした。
そうして前の谷の主人が常に苛烈に他者を排し続けねばならなかった真意を汲み取った。前のやつも、本当に谷を愛していたのだ。
力がみなぎってくるのを感じる。
カイはおのれが『加護持ち』になったことを弁えてはいたが、『谷の神様』の加護がどの程度のものなのかを客観的には把握していない。加護を持たない相手であるならばなんとでもなるという確信のようなものはあるものの、もしもこの戦いに豚人族の『加護持ち』が参加しているとするなら、はたしてそいつを殺すことができるのだろうかと思う。
しかしもはや迷ってなどいる場合ではなかった。
(ひとり残らず殺す)
カイは素早く周囲を見渡して、豚人族の位置関係を頭に叩き込む。そうして最も効率が良いと思われる順に、人並みはずれた身体能力で次々に飛び掛り、一撃のもとに豚人たちを沈めていった。
本来重い手斧を木の枝のようにやすやすと振り回すカイは、豚人たちにとってはっきりと脅威だったろう。3匹、4匹と倒した数を勘定するうちに、カイの前から豚人の姿が消えていることに気付いた。
弱小種族相手と油断しきっていたからだろう、てんでばらばらに動いていた豚人たちも、ようやく隊列を組み始めたことに気付く。
散っている族人たちに盛んに指示を飛ばしている者の姿がその後ろにあった。この場にいる豚人兵の指揮官、紛れもなく彼らの『加護持ち』だった。
「…調停の神よ!」
細身の剣を携えたポレック老が駆け寄ってきた。
その血脂でてらてらと光っている剣は、すでにいくらかの命を奪ってきたのだろう。小人族唯一の『加護持ち』であるポレック老ならば、たしかに豚人の雑兵程度に遅れは取らないだろう。
「助太刀いたしまする」
「…別にオレは助けに来たわけじゃないぞ」
「禁則地である谷への許しなき侵入はお許しになられない。いかにも、それでおよろしいかと」
『許しなき』というところを強調しつつ、ポレック老はにやりと笑った。
小人族は許されて入っている。
豚人族は無法に侵入し、愚かにも谷の神様の怒りに触れて討たれるというだけのこと。構図は単純で、カイにも理屈は通じたのだけれども。
「オレを利用してるのか」
カイは横に立ったポレック老にはっきりと不快感を表した。
それを受けて老人は小さく首を振り、
「たまたまこのような仕儀となった、まさにたまたまの偶然にございます」
と申し訳なさそうに横顔で会釈してくる。
黙したままのカイに、老人の言葉が続いた。
「ここで『威』を示さねば、豚人どもはこれからはばかることなくこの谷に現れ、谷の財産を奪おうと試みることでしょう。やつらの欲は底なしですゆえ」
「……おまえたちも、オレの谷を狙ってるのか」
「まさか。われらはこのように身体も小さな非力な民。身の程はよくわきまえてございます」
「侵さないと誓うか」
「むろんにございます」
「いまは受け入れてやる」
「…ありがとうございます。小人族ハチャル村の民は、今日この時をもって谷の神に帰依いたします」
敵を前にしての、簡単な誓い。
しかしその言葉を受けたときにカイはおのれのなかの『神石』がジンと痺れたように感じた。何かの不可思議な『契約』が成されたのだと、説明をされずとも分かった。
これからはもしかしたら豚人ばかりでなくいろいろな亜人種族が、谷の墓所を奪おうと群がってくるかもしれない。谷には『守り番』が必要なのだという計算も働いた。
「…それじゃ、あいつを殺すぞ」
「どうぞお心のままに」
カイは手斧を下げたまま、ゆっくりと豚人兵の一団に近寄っていった。彼らも自らが掲げた松明で、迫ってくる敵の姿をその目にはっきりと見たであろう。
隈取りを顕した小柄な人族戦士。
その顔に浮かび上がった神紋の緻密さに、豚人たちが動揺し始めた。
「***、*****、*!」
「**、***ッ!」
豚人の言葉はまったくわからないし、興味もなかった。
ただひたすらに、殺意だけが心にあふれた。