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改稿するかもです。
過剰に注がれる力をカイは怖れた。
わずか前に力を吸い過ぎたおのれは生ける松明と化した。人族という種族の限界。生きた肉が含有できる力にはあまりにも低いリミットがあった。
(それ以上は…)
拒絶しようとも容赦なく注ぎ込まれ続ける。
核心地の土地神を集め強固な屋根を立ち上げた先達守護者たちは、さらなる古き呪を次段に編み上げた。
その呪には……魔法には覚えがあった。
魔法による神格の強制踏み上げ。
彼らの言う『大王化』。
カイのなかの神様が力を注がれてその輝きを増していく。カイが『守護者』として受け入れられたあの時、ネヴィンによって行われた『大王化』の呪を単なる魔法のひとつとしかとらえていなかった。
いまならば分かる。注がれているのは霊気ではない……呪を作用させている燃料、それは紛れもなく神気だった。
『大王化魔法』の基底を成す論理はおそらく『帰依』の作用を利用するもの。次々に渡されてくる先達らの『帰依』が土地神の連環を生み、一方への神気の『上納』が発生する。その『上納』作用を魔法で編み上げ過加給するのが『大王化』の核心なのだろう。
急激に熱気が膨らんでくるもののおのれの身を焼く青い火は現れない。『帰依』という世界の仕様……謎結合によって神気が送り込まれるがゆえに、それは人の肉体に触れることがないのかもしれない。
(もう一仕事だ、大王様!)
(鼎持ツ、任セル)
任せるって。
鼎って、なんだ!
先達の誰かが出した言葉に、記憶が刺激される。
『鼎の守護者』
カイのなかで紐づけられた知識が泡ぶくのように浮かび上がる。
『鼎』とは古代に用いられた三つ足の祭器。
物を支えるのに最も安定する脚の数は三つであるという。
そして先達らの旧世では、『鼎』とは『王器』を支える支脚を意味していたようだ。
どこかで先達らが謡っている。
朴訥としたその調べは村人たちが口ずさむ種蒔きの労働歌のように穏やかに聞こえるが、その実苦鳴を押し殺している。意識が繋がっているから分かってしまう。体が芯から凍ってしまいそうなほどの霊気の枯渇に先達守護者らは耐えている。加護持ちの力の元となる土地神の神気をすべて惜しげもなくカイにそそいでいるのだ。
(オレは何をすれば)
その命を顧みぬ神気貢納によって、谷の神様の神威が格段に増していく。
それに合わせて足元の土地神も、王神たるカイの大王化を受けて神格がじりじりと踏み上がっていく。その効用で一帯の屋根がさらに押し上がり、灰猿人族に襲い掛かっていた木っ端神らが領域ごと切り分けられるように上空へと押しのけられる。
その効果に目を見開きつついらえを待つカイに、「お手を」とウルバンが促した。なんとなく理解して、カイは両手を天に捧げ上げるようにした。
ちっぽけなカイが手を伸ばしたところで、墓石の高さにおのれの身長を足した程度にしか届かない。だがそんな目に見えるだけの理屈は蹴り飛ばされる。
(指先に…)
何かが触る。
地上からわずか5ユルほどの宙をなぞって何に触るというのか。
つかの間の後にその感触が例のアレだと気づいた。
それはさっきまで、あくまで何となくのレベルで……魔法に触る抵抗として間接的に存在を察していたアレだった。
(守りの被膜)
実際に指先に触れて、それが太く荒縄のように硬くしなりのあるものだと分かった。おのれの指先はたった5ユルほどの高みを撫でているだけなのに、たしかにそれはあったのだ。
目に見える現実とは位相を異にした存在。次元の壁を逸脱しているがゆえに下等生物の感覚を騙しに来る。
これも《会崩し》のまじないのうちなのか。かつていたという大王がカイと同じく見えざるきざはしを登った事跡を、疑似的に『魔法』で編んだのか。
カイはなんとなくその荒縄を掴んで、やるべきことを察した。
カイは胸の内の『神石』を思念の手でノックする。膨大な神気に白熱している谷の神様がすぐには気づかないので、切り替えて容赦なくどやしつけた。
おい、くそ神!
こっち向け!
ややして谷の神様が反応した。
(なあ神様、やれるか)
(………)
(カ・ミ・サ・マ)
(…応サ)
会話しているつもりなのだが相変わらず微妙に噛み合っている気がしない。
だがたしかに神様が応えをした。もうそれで満足する。
頼んだぞ神様。
谷の神様が神気を吐き出し始めた。その膨大な力のほとばしりをカイは歯ぎしりしながらおのれの指先へと収斂していく。そして守りの被膜……天網へと。
不可視の網目は、一瞬ビンと波打った。
網を伝って力感のさざ波が瞬く間に視界一杯に広がっていく。張りを取り戻した網目は生きた筋線維のようにきゅうっと収縮反応を示し、カイの振れた場所から同心円状に賦活化の傾向を示した。
雪崩打つように網目がふさがれていく。
それを知った木っ端神どもが、獲物を放り出して慌てて退路を探し始める。極上の餌を前にしても、下等世界に閉じ込められる恐れのほうが上回るらしい。ここで逃げ遅れたやつらがおそらく千年後には半実体の地付き神、『穢神』となるのだろう。
が、それは奴らにとって歓迎すべからざる未来なのだろう。
(大丈夫か神様)
吐き出しても吐き出しても、なお足らない。
本来ならばこの世を生み出したという最上位神、『創世神』様が振るわれる守りの魔法を、下級のいち土地神に過ぎない谷の神様が扱おうというのだ。出力が追い付かないのは目に見えて分かった。
分不相応。
格違い。
定格に満たない弱った『バッテリー』で『車のエンジン』を回そうとしているようなものか。動きはするがあきらかに十全には程遠い。注ぎ込んだ神気に反応した網目はさほどにも広がらず、せいぜい半径100ユルほど、この小さな盆地を覆う程度のものでしかない。
少し離れれば網目は弛緩し広がったままであるし、またぞろ外神らが突破を試みてもおかしくはなかった。
何が正しくてどう振舞うべきかが分からないカイの目線を受けて、拝跪していたウルバンが「大事なし」と首を振った。あくまで限界ある生物の分際が振るう技である。それは錯覚、まやかしにも近い技であるらしい。
「これで世界は隠されまする」
守りの被膜が落ちて、地表世界と外側の隔たりが失われたのがこの《会》の原因である。ゆえに外神らは地表の命の輝きを追ってここまで下ってきた。
その原因を排除する。
捕食者たちの目から地表の『餌』を隠すこと。天の網目を詰ませることで敵の目を遮ることがおそらくは真の目的であったのだ。
下等な生き物たちが編み出したなけなしの対抗手段。
死んだ天網を疑似復活させて穴を隠す。
それが《会崩し》だった。
(…それでも、見ている)
唾を飲み込みながらもカイは見上げ続ける。
群れる外神たちの動きの先を。
天網が弛みをなくした分だけ彼らを捕らえている網の底は引き上げられている。地表から引き離されたオタマジャクシの群体のような外神らが、てんでに暴れ泳ぎながら地表から離れていく。最低辺にいた木っ端神らの層が逃げ散ると、より上位の大神らの群れる腹が見えてくる。その『不可触の神』らもまた同じく上昇へと転じると、さらにその奥に隠されていたものたちが見え始める。
急に暗がりが深まった。
相対距離が開いたというだけではない真っ黒な靄がそこにはあり、水底の泥の淀みのように彼らの姿を容易に紛れさせてしまう。ときおり『不可触の神』の腹が白く光る。
その奥底に。
(まだ見ているのか)
じっと見下ろしているなにか。
闇そのものの塊のような何かが、明確な意思のもとこちらを見続けている。
いやその眼差しの向かう先はオレか。
『禁忌の神』
大神のさらに上。深層深淵の神。
あの森のなかで初めて参加した『守護者』の輪談のさなかに、全天を覆うように横切った途方もない闇の神……それにも等しいだろう超神がそこに潜んでいる。
見ている。
ただ見ている。
目が合っているだけなのに身体が凍えたように震え出してくる。歯の根が合わないほどに震え出したカイに気づいて、ウルバンがおのれの首で視界を遮った。
「見てはなりませぬ」
降ってきた声にカイは荒げた息を吐いて、悔し気に吐き捨てた。
「アレに勝てないのかオレは」
「相手してはなりませぬ」
「駄目なのか」
「なりませぬ」
さえぎられたまま四半刻もそのままでいただろうか。
『禁忌の神』の気配はいつしか消えていた。