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改稿するかもです。
力の限り突いた。
そして切り裂いた。
ねじ切り抉り取る。
その動作一つ一つがおのれのあらん限りの力を要求する。力が……霊力が吸い上げられていく。でもやめられない。いまここでやめたらきっと取り逃がす。仕留めきれない。
だから力の限り殺しに行く。
その終わりはおそらくおのれの命が尽きる時。もしくはやつが死んだとき。
さあ力を火にくべ入れろ神様! いまがその力の使い時だぞ!
坩堝の鉄を鋳溶かすがごとき猛火が胸の内で燃え盛る。谷の神様の狂奔があふれ出てくる神力の馬鹿げた量で分かる。そのいくばくかがおのれの中で自然と生物の力……霊力へと置き換わっていく感覚も分かる。おのれを支えてくれている力が途方もないのは分かっているのに、それでも足らない。それはきっと変換効率の悪さ。地表にあるおのれの肉体が霊力であふれても、この上位世界にまでそれは十全に届かない。
よくわからないが理由には思い当っている。
肉のある下位世界とここを繋ぐのはおのれの脳みそでしかない。オレのひととしての脳みそが……摩訶不思議な神経回路の処理が……量子テレポート的な間接連絡でかろうじてここまで繋がっているのだ。
か細い魂の尾のみが供給線。
タンカーが10万トンの石油を積んでいても、その取り出し口が水道の蛇口ひとつでは出し切るだけで途方もない時間がかかる。取り出し口の口径が……水量が問題なのだ。
薄れていく意識が盛んに警鐘を鳴らしている。
脳みそが悲鳴を上げている。
ああもうだめか。
ほとんど思考らしきものもなくそう頭が判断しようとした時。
(……ぁあ)
急に何かが上がってくる。
そのなにかは『熱気』だった。
危うかった手元の心もとなさが突然に薄れていく。
手に力が戻っていく様はまるで採血の時の止血バンドを解かれたときのよう。
広がる熱感はめぐり行こうとするおのれの血潮か。
それと合わせておのれの意思が確実に手指の支配を取り戻していくのが分かる。いや取り戻したのではない。ようやく十分以上に四肢に意思が通るようになっただけなのだ。
その内圧の高まりの原因は、たぶんおのれの霊力の高まりなのだと思う。そいつは何度も経験してきた。帰依を寄せられるたびに上がっていく霊気圧と全能感。
帰依は土地神の神力が連環したもの。主と従。下位者が上位者と認めたものに力の一部を上納するこの世界のシステムのようなもの。
ならばそれはカイを主として支えようとする者の増加を意味した。
(…まさか)
他人事のように遥か地表の、肉の目が何かを捉えていた。
《神眼》がその感覚を送り込んでくる。何者かがおのれを見つめている。
異形のめしいが、まっすぐにこちらを射ている。
大先達、甲羅族守護者ウルバンのまなざしが、現世で奇態な動作を続けているカイの肉体を食い入るように追っている。その目にちらちらと光るものは流れる体液か。
その千年以上を生きてきた大戦士こそが、おそらくは力を寄越してくるものの正体。
なぜだと疑問しかない。だがいまこの時その助勢がありがたい。
(上の世界は空気が薄い)
ウルバンの一押しが過給機のようにカイのガス欠を補ってくれる。
『不可視の剣』が《口禍の紫神》をさらに切り裂いていく。剣身の喪失を補う力が強まって、やつの整復が間に合わない。悲鳴のような咆哮が繰り返し上がっている。やはりそれは仲間を呼ぶものであったのか入り込んでいたほかの木っ端神が近づいてくる。
群がり寄ってくる低級なそれらをカイに噛みつかせ、その隙に逃げようと大神が身を震わせる。捕食者の咢から逃れようとする魚のようだ。
あいにくとその身を掴んでなどいなかったために大神の神体がするりと舞い上がる。その大神ほどに身動きの自由が利かぬカイは、じゃれついてくる木っ端神を振り払うだけで精一杯になる。
あれほど警戒し恐れていた外神らを……木っ端神とはいえまがりなりにも神たるものたちを、邪魔だとばかりになで斬りにする。比較神体の小さな木っ端神にとってその一撃は致命傷にも届き得たようだ。受けた裂傷からずるりと大量の内容物が飛び出してけたたましい悲鳴が鳴り響く。一瞬にしてはらわたのほとんどを露出させられた木っ端神らは本能的な防衛行動に移るものの身体の整復が遅い。カイの斬撃で脳みそという決定子の産生力を毀損して……一気に神性を失ってしまったのだ。
はらわたを引きずりながら死に体で漂い出した木っ端神を押しのけ、カイは逃がした大神を探すが、もうその姿はかなりの上空へと移っている。危険な低層からなりふり構わず逃げようとしているのだ。
そのあとに航跡のように残るもやもやとした光の濁りは、回収しきれない大神の体液であったのか。
(ゆけ! 殺せッ)
胸の内で谷の神様が吼える。
その激しい戦意に突き動かされカイもまだ追おうとするものの、《神眼》の高さは変わらない。肉体はすでに限界が近いのか、魂の帰還を渇望している。
(追え! 殺せェ!)
待ってくれ神様。
さすがにもう無理だ。
『不可視の剣』を持ち上げて上に移動しようとしても、やはりブレまくっておぼつかない。壊れたコントローラーで操作するにも限界がある。
それに……なんだか眠い。
睡魔というか意識の混濁というか。血が足りないというか。
一瞬の浮遊感がそのまま落下のそれへと変わっていく。
落ち始めたらもうこらえられない。遠ざかっていく《口禍の紫神》の姿をうすぼんやりと見送りりつつ、カイの意識はそこで途切れたのだった。
「…神様ァ!」
ボレックが走り出した。
常に冷静で主の近侍たるを任ずる小人族の老長が、何を差し置いてもと駆けだした。その視線の先で、王が倒れたのだ。
眼には見えぬ階段を上っていたカイ王が、糸が切れたように倒れ落ちていく。その身体を受け取るものはいない。幸いにしてすぐ下には灰猿人族の肉の山がある。十ユルほどの高みから落ちたカイ王は肉の山に受け止められ、それを崩すように滑り落ちていく。
「王様!」
「王ッ」
ボレックにやや遅れてほかの眷属たちも土地神の墓のまわりから走り出す。墓石の上にいたクルルはそれを追おうとして転げ落ち、水柱を立てた。
「待て! 屋根から出てはならぬ!」
後ろから叫んでいた人族の坊主が、頭上と倒れたカイ王を交互に見やって、悪態をつきながらやはり走り出す。
「神様! お気をたしかに!」
種として比較強者にある灰猿人族の兵士らが、谷の国の民らの集団に気押されて道を開ける。生き物としての優劣の差など、外神との邂逅場であるこの地ではほとんど気のせいのレベル……誤差でしかない。すでに灰猿人らもそんなつましい矜持など破壊されてしまっている。
ボレックがやや先行したことで、近くにいた灰猿人族の女王がカイ王に真っ先に接触することは避けられた。
好奇心のままに手を伸ばそうとしていた女王ゼイエナは、小人族の老長にぎりぎりで阻まれて、しかめ面を作った。小人族唯一の加護持ちであるボレックと女王では、負った神の重さに相当の格差がある。感情のままに苛立った女王がボレックを排除しようとして思いとどまったのは、その後に続いた谷の眷属たちの集団が押し寄せたためだ。それらを安易に蹴散らそうとしなかったのは、彼女もまた神々の前では塵芥に等しいおのれを痛感していたからだろう。
加護持ちとしていかに優れようと、それ以上の存在を前にしてはいじましい生物としての優劣などなきにも等しい。
ボレックに続いて眷属たちが王へと群がった。
そして自然と抱え上げられた王身は、まるで神輿のように彼らの頭上へと掲げられる。大量の鼻血を噴いたカイ王の様子はおかしくはあったものの触れるべからざる神聖さをたしかに宿していた。
気づけばすぐそばに大きな影が落ちかかってくる。
気配もなく接近した守護者ウルバンが首をたたむようにカイ王をのぞき込んでいる。白濁したその眼からは涙が滴り続けている。
「***! **ッ」
しゃがれたその鳴き声は今世のものたちに意味を解されなかったが、なにがしか話しかけているのだけは理解された。その語らいが届いたのか、気を失っていたカイにわずかな身動きが生じる。
異形の守護者の巨体にひるまない女王ゼイエナが、眷属らを掻き分けるように近づいていく。
「起きよ調停神ッ」
うっすらと目を開けたカイ王は、つかの間呆然と空を見上げていた。
そうして眷属たちの千の手の上で半身を起こし、ほとんど無意識のように口元を拭った。血糊のべたつきが気持ち悪かったのだろう。
瞬きしたカイ王は視界のほとんどをふさぐように見下ろしているウルバンに目を丸くして、「なんだ、ジジイか」と言った。そしてうっとうしそうに頭を抱えて、姿なきなにものかたちに文句を垂れるように「あんたらもうるさいぞ!」と叫んだ。
「おおきみおおきみ、なんだそれは!」
さらに間近に寄せられたウルバンの鼻先を「臭いぞ」と邪険に手で押しのけて、そのまま立ち上がる。そこが眷属たちの無数の手に上であることにようやく気付くが、寸刻を惜しむように空を見上げ、現刻の状況を読み取ろうとする。
逃げた《口禍の紫神》の姿はなくなっている。
代わりに守りの被膜にとらえられている外神の群れがいよいよ迫ってきているのが見えた。
先行で潜り込んできたやつらは駆逐したが、《会》自体は終わってなどいない。
『禁忌の神』の眼差しはいまなおカイに向けられている。
歓呼する眷属らの声を背に、カイはそれをねめつけ返したのだった。