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神統記(テオゴニア)  作者: るうるう/谷舞司
動乱
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『決定子』


 観察することによる事象の確定、決定要因となる因子。

 そのような根源力。未発見の素粒子的不思議力。


(一寸の虫にも五分の魂)


 ちっぽけな取るに足らない生き物にも……限界ある人の身にもその不思議力を振るう才能がある。現状を追認するのなら疑うべくもない事実。

 そしてその因子こそがイメージの現界化を成す魔法行為、そのものの根源的力なのだと仮定する。

 その力は人間の思考力を形作る脳髄……神経細胞に発するもののはずで、単純に突き詰めれば神経間の電気信号が元となっているとみることができそうだけれども……いやその考え方は間違いに導かれる(・・・・・・・・)。直感が告げる。

 その考え方はどうにも古い。

 脳組織は量子的に働くことで亀のごとき低クロックながらも長らくPCに伍してきたという。生体脳が量子的に動くというのはどう解釈すればいい。電気信号がいわゆる量子もつれ、テレポートして駆け巡っているということか。

 むろん言葉のあやで、電気信号が空間転移しているわけではないのだが、脳神経が単純な01ではない超選択を行いつつ一瞬にして膨大なデータをやり取りしているということである。

 『脳の量子コンピューター』論。

 冗談のように高クロック化していったPCに処理能力で伍しているという事実を現実に落とし込むために持ち出された論だが、広く知れ渡っているくせになにも証明などされていない。学者たちが急に言い出した主張のひとつでしかなかったりする。

 ほんの数十年前まではただの電気信号といわれて誰もが疑いもなくそれを信じていたのだ。時代に沿って移ろっていく相当に胡乱(うろん)な比喩表現のひとつといったほうが間違いも少なかろう。

 ただ動かしがたい事実として、脳神経が単純な電気的信号のみでやり取りしているということはない。比較対象のPC性能が脳組織のそれを超えることを得たためにようやく人間知性の限界値を定義することが可能となった。少なくとも01で単純処理してい(・・・・・・・・・・)るということだけはな(・・・・・・・・・・)()という証明だけはなされてしまったのだ。

 本当は量子的ですらないのかもしれない。

 だが明らかに単純ではない処理は行われている。それは間違いない。


(オレがオレであるという意識……魂的な不思議な情報処理の集合体が、『何かを決める』というプロセスでその『決定子』を発生させている)


 意外にガバガバな世界はその因子によって変化を励起させられる。

 二重スリット実験では観察者が「右に偏れ」と念じると、光がそちらに偏る結果さえも示したという。意志そのものが力として顕れたというのなら、それこそがかつて超能力(ESP)……謎の第六感と騒がれた力の正体だったのではないか。そう断じ得る。

 その作用はひどく微細で個人差が大きく、濃縮され一定の閾値を越えねば人には認知できない。肉眼でとらえられるほど大きく束ねられて、初めてそれは人の目に映る『奇跡』となる。


(そして異世界転生したオレは、いまじゃ『魔法』使いだ)


 土地神という超存在の加護を得て分不相応な霊気を身にまとうようになった『加護持ち』として世界に臨んでいる。

 人の身にありながら神にも等しい存在と化し、百人千人分の謎因子……現実を捻じ曲げうる大量の『決定子』をひとりでひねり出せるようになった。一線をまたぎ越え、オレは実際の『魔法使い』足り得る奇跡に恵まれたのだ。

 ならば『神』とはなんだ。


(莫大な『決定子』を自ら生み出している認識力の怪物。実態は不明だけど人間など足元にも及ばない強烈な自己意識と情報処理能力を有する存在…)


 そこで思い浮かべたのはひたすらに巨大な脳髄だけの生き物。

 そもそも脳などという肉の器官があるのかもわからない。ただ圧倒的な謎因子出力を持っているという事実から、帰納的に『何かを決める』処理回路を直列なのか並列なのかはたまた量子的なのか、とてつもない量で持ち合わせているということが想像できる。そんな能力を備えた生物がいるのだとすればやはりその姿は巨大な脳髄にしかならない。あるいはいま《神眼(デオウル)》にとらえられている巨大イソギンチャクのような……アメーバ的不定形の外皮を持つ姿が、巨大な脳組織を効率的に包む生き物のとり得る姿なのかもしれない。

 ならあのおぞましい不定形の中には、はらわたのように巨大脳組織が詰まっているのか。ナイフを一突きすれば内側から張り裂けるように、あのパンパンの腹から脳みそが飛び出してくるのか。

 おのれの頭に収まっているのだろうつましい脳みそを思う。

 人のそれとあの神のそれは、見たままの質量比で『何かを決める』回路所有量も違うのだろうか。脳みそが『決定子』発生ジェネレーターならば、スクーターと十万トンタンカーのエンジン出力を比べるようなものである。数馬力と数万馬力。差は『万倍』だ。

 人の脳髄が発生させるわずかな『決定子』を基準『1』とするなら、あれらは『10000』以上も発生させ得るのか。

 いや。


(一瞬とはいえオレはヤツに拮抗できる。実際にできた)


 いまもまた幾度となく圧力に抗じている。

 これは揺るがしようのない経験則というやつである。

 それもこれもオレが土地神という大きな下駄を履いているせいだ。その下駄が高いあまりに『加護持ち』たちはおそらく|数千馬力程度の出力ならば持ち得ているということ。ヤツが本気を出さない限りそれなりに対抗できるかもしれないぐらいには力を持っているのだ。

 でもこの世界の『加護持ち』は、常人に比べてそこまでかけ離れた力を持っているわけじゃない。数十人、数百人で一斉に立ち向かえばあるいは殺し得る程度の半神半人に過ぎない。なら『決定子』ジェネレーターも数百倍がせいぜいなのではないか。

 いや、そうじゃない。

 思い出した。


(この世界の人間は……前世と同じ姿かたちのように見える人族であっても、それは似て非なる異種族。だって神さえも宿していなかったときのオレでさえ、命を懸ければ蠟燭の火ぐらいはともすことができたんだから)


 初めて『火魔法』を使った時の記憶。

 二重スリットの微細世界の観測結果をゆがめるどころではない、実際の自然現象までゆがめたあの『奇跡』はすでにして一線を越えていた。紛れもなく魔法と呼んで差し支えないレベルだった。

 この世界に生まれ出でたものたちはすでにして『決定子』を実用レベルで出力しているではないか。その量はすでにして前世世界の人間百人分、いや千人分はあるかもしれない。

 初期値が1000あるなら土地神の下駄でそこから数十倍。

 その出力ならば届くのかもしれない。


(…だからこそこの世界では……種族の妄執が世界を震わせるときがある)


 かつておのれが豚人族の大戦士、《六頭将(リグダロス)》を殺したときに生じた豚人族の哀訴と地揺れ。

 先の辺土伯バルター・アッバスが没したあの時にも、世界が震えたのを感じた。この世界の人々の想いは束ねれば天をも揺さぶる力がある。


(だから、届く)


 そう思い願う。

 そして《口禍の紫神(レブ・デル)》の膨大な神気に圧されつつも、カイは両者間の未確定なさまざまを定義していく。人のありようも、神のありようも、傲慢に過ぎる感覚で自儘に決めていく(・・・・・)

 (ヤツ)はいま下位世界に無理やり入り込んで、自ら縛られに来ている。ここはお前らの世界のほんのわずかな一部かもしれないが、オレらにとっては唯一無二の、勝手を知り尽くしたてめえの庭だ。そのクソみたいな縛りには相当に通じている。

 もっと降りて来い。

 どうしようもなく不自由なこの低位次元におまえらも縛られるがいい。


(なぜ下級の外神は堕天したがるのか。不自由な物質に縛られてもなおここに来たがるのか……その理由はただうまそうな臭いに誘引されただけ。《悪神(ディアボ)》に堕ちねばやつらは生き物に触れられない。自らを堕とさねばやつらはこの地表に近づくことができない)


 だから不自由な『受肉』も受け入れる。

 それができない大神は自ら三次元世界の底へと降りてこなければならない。

 《口禍の紫神(レブ・デル)》の紫光が、蠢く神体がカイを食らうべく下降してくる。カイはその様をひたすらに見据える。

 《神眼》は単純な光学情報だけに縛られてはいない。まるで次元の薄皮を剝ぐように《口禍の紫神(レブ・デル)》の神体が実体感を強めていくのが分かる。

 獲物であるカイに触れるために、奴がその神性を貶めていっているのだ。

 そうして彼我の距離が極端に縮まったころ合いに眷属たちから悲鳴が上がった。彼らの肉眼にようやく《口禍の紫神(レブ・デル)》の実像が映ったのだろう。《口禍の紫神(レブ・デル)》は受肉せずして三次元世界に適応したのだ。

 紫光に姿を歪ませることなく佇むカイに、《口禍の紫神(レブ・デル)》は何の躊躇もなく覆いかぶさるようにした。


(いまだ!)


 全身を『骨質耐性』の鎧で覆った。

 そうして取り込まれた腹中で『不可視の剣』を振るった。


「空振った!?」


 剣は何物にも触れることなく、消費されることもなく手先に残った。分子切り離しの費えがないということは、何も切ることがなかったということ。

 そして食われたという感覚もすぐになくなった。《口禍の紫神(レブ・デル)》の身体がカイを置き去りにして通り過ぎたのだ。

 『骨質耐性』のおかげで霊気の欠損はない。《口禍の紫神(レブ・デル)》も捕食したと思っていたカイから霊気を奪えず、戸惑ったように浮上した先で身もだえしている。


(やっぱ受肉しないと切れないか)


 《口禍の紫神(レブ・デル)》は地上世界に身を沈めたとはいえ完全には同じ次元にはいないのだろう。気を落ち着かせるように息を吐き出しながら、剣を収めていく。

 だが魂の捕食はできる、ということは。


(少なくともその部分だけは重なり合っているのか)


 それをどう解釈する。


(魂は別次元か)


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― 新着の感想 ―
[気になる点] 一生考察してて話が進まん
[一言] よくよく読み返すとここの話は神束ね魔法の根幹な気がする。 人族全員で神を信じることで実際に恵みをもたらすってことなのかな?
[一言] つまり「かくあれかし」ではなく「かくあるべし」が魔法? 科学的思考を備えてソフト面は充実していたところにハード面の出力が追いついたのが今のカイなのか
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