174
《口禍の紫神》
そのとき先達らの想起したイメージ。
それは姿も知らぬ異形の民たちが虫のごとく逃げ惑う姿。避け得ぬ災禍を覚悟してしまった種族指導者たちの抱いた暗澹たる諦念。
散り散りに逃がせば半分ぐらいはどうにか生かせられる。
同胞たちの命を数字のように損切りさせるほどの危機意識だった。
(奴を知ってるのか! …ネヴィン!)
わずかでも知識を得ようとカイは問うた。
ネヴィンのものと思われる意識は伝わってくるもののあまり読み取れない。ニルンの故地へと同行する先達の居場所はどんどんとここから離れつつある。意思の疎通を図るのに適した範囲を超えてしまったのだろう。代わりにいくつかの光が瞬いた。ほかの先達らのいらえだった。
(***!)
(アレ、『不可触の神』)
先達らが心を開き、知識の共有化がさらに進む。
不可触の神。
成らずの神。
神体が過大すぎるゆえに生き物に憑依し得ぬ、『悪神』にも化せぬ大神。
先達らのなかには外神に対して厳然とした区別があった。
《口禍の紫神》とは、不可触とされる最初の線引きをまたいだ先にある神、深層神のひと柱であるらしい。
地表世界に降りて無邪気に『悪神化』したがる下級の神々ならば『守護者』にもある程度の戦いようがある。がそうではない、存在の格が違い過ぎて受肉することもかなわぬ大神であるものたちにはまず抗いようがない。
ゆえに、不可触。
明確な一線。ただ暴れ、その欲求を満たすまで地表を離れないこれらの神は、ひたすらに守りに徹し時が過ぎるのを待つしかない。
そして底知れぬ深層から這い上ってくることのあるさらにおぞましき上位神は、『禁忌の神』といい、『不可触』の神どもをハエのごとく追い散らすほどの強き神で、臨界しただけでまさに世界を震わせるのだという。
その時ちらりと先達のひと柱が空を見上げた。
その気配につられた先にはあの漁網にとらわれたような外神らの大群がおり、群れの濃さのあまり暗がりにしか見えぬその奥にはぞわりと毛穴の開くような禍々しさで何かの存在が感じられる。そのものはいまだ遠く、暗がりの中からこの地表を無機質に見下ろしている。見られているのだけははっきりと分かる。
『禁忌の神』
あれがそうなのか。
空の上であるというのに、まるでそこが底なしの深海か何かのように『守護者』たちは感じている。その発想は、おそらく外神の姿形が水生生物のそれに近いためであったろう。
彼らの心象が脳裏に瞬いた。
光なき底なしの水の中に、ただひとつ浮かぶ泡ぶくのなかにこの世界はあるのではないか……創世神様の守りの被膜という泡に包まれて浮かぶ本当に取るに足らない小さな存在なのではないかと……先達ら旧世界の民たちは疑っている。
泡ぶくの世界は創世神様の恩寵で太陽も月もないくせに昼夜があり、おそらくそのものが光に包まれている。そして彼らは賞賛すべき冷静さでおのれたちの世界を見、《大霊河》に集まる燐光の一つ一つもまた同じように光り輝く別世界なのではないかという着想にもたどり着いていた。
カイの前世知識に照らしてもそれは合理的な考え方だった。無限の宇宙に命を育む地球のような惑星がただひとつという思い込みは傲慢にもほどがある。あの夜空に広がり目に見えて流れゆく不思議な燐光が、はるか遠くに浮かぶ同様の世界泡だとしたほうが得心できる。
(外神は、漁り火に集まる魚みたいなものか)
外界は、もしかしたら本当に無限の水底なのかもしれない。
真空でなくても、無重力でなくても、ここは異世界なのだから受け入れるにやぶさかではない。迫りくる《口禍の紫神》が紫光を強めながら強引な降下に入った。
土地神の屋根がたわむ。クルルの苦鳴が強くなる。
「もたせろ! クルル!」
「御…意!」
棘狸族の長は全身の毛をまさに棘のように逆立てて身を丸くする。それが彼らのもっとも強靭な防御の姿勢なのだろう。その針山のような背中がせわしない筋肉の律動に波打つように震えている。
墓石のまわりでは眷属たちが身を寄せ合いつつも強い視線を向けてくる。その王を信じきった眼差しが熱となってカイに流れ込んでくる。そして仮の子となった周辺諸族の長らがクルルに連動するように霊気を高めだす。棘狸族の土地を守る屋根は《集》によって彼らをも巻き込んでいる。
(屋根、長ク持タナイ)
逃げるなら早くしろと先達のひと柱がカイを叱咤する。
その先達の感覚を介して危機感の程度まで共有される。
長く持たないとはどのくらいか。
神と地表を隔てる最後の砦たる土地神の屋根はいまどの程度の抵抗力があるのか。もはやおのれと他人との境界線があいまいになってくる。
持たせるだけなら四半刻。大神に押されればさらにその四半分。10分程度。
その予測の根拠となるのはクルルたちが支えている現状の屋根の力。
棘狸族の土地神の地力は『二齢』の中位、そこに谷の国の一端となった余禄と今回結ばれた急場の《集》によって『三齢』相当、そして各地に張り付いた『守護者』らの術式が副次的な下駄を履かせてその上位、『四齢未満』相当のものにまで屋根力は高まっているらしい。
だが《口禍の紫神》クラスの大神が相手では、接近を拒むのには足りないみたいだ。最低でも『天紋級』……『六齢』クラスの土地神の屋根が必要で、しかもそれで本願地中心部を守り抜くのでギリギリなのだという。
なら人族の辺土で《会》が起こったのなら、助かる場所は辺土伯のおひざ元である州都しかないことになる。まさに大災厄だ。
(守ル力アル! ダカラ我等『守護者』言ウ!)
意識の共有は同時にカイの悲観までも漏れ出させる。先達らがその勘違いに抗議する。
守る力。外神らからこの世界を守るためにこそ土地神は存在する。そのように創世神様が世界を創り給うたのだ。そして選ばれしその依り代たちは、まさにそのためにこそ加護を授けられているのだ。
頭上からの圧迫をカイはおのれの霊力を爆発的に叩きつけることで跳ね返す。
下位世界の縛りにより上位神たちの神力は生き物の霊力とさほど変わらぬものに堕ちている。故に等量以上を用意できればおそらくは拮抗できる。
取るに足らぬ地表の生物、ちっぽけな人族の抵抗におかしみを覚えたのか《口禍の紫神》はさらに紫光を増していく。膨大なその出力にカイが、谷の神様が同時に「くそったれ」と吐き捨てた。
神々に対抗するためには莫大な霊力の費えを必要とする。常人とは隔絶した霊力を備える加護持ちなればこそ可能な技だが、それだって相手次第。
あくまでも等量の霊力を支払い続けられるのならばと但し書きが必要だ。
(こなくそ!)
土地神の屋根に阻まれて接近できぬ木っ端神らを尻目に、《口禍の紫神》がいよいよ急降下してくる。近づけば近づくほどその正確な量感が知れてくる。
不定形の神体の差し渡しは30ユルほどもある。受肉せぬそれは影を作ることもなく、特別な目を持たぬカイや先達ら以外にはおそらく見えていない。だが発される神気の量が膨大なあまりにそれらが下位世界の大気組成に干渉し、激しい下降気流を生み出している。頭上から吹き付ける風で見えぬ者たちも何かが接近していることだけは理解している。
実体のない神をどうやって押し返す?
等量以上の霊気をぶつければそれなりの効果を期待できるがそれは永続的なものではない。対抗して馬鹿みたいに放出し続ければこちらがすぐにガス欠になる。
上空でほかの神たちを阻んでいる創世神の守りの被膜のようなものは、どういう理屈で成り立っているのだろうか。
理屈。
すぐに突き詰めた考え方に行こうとするのはやはり前世のいまひとりのおのれのそれに引きずられているのだろう。今生の少年たるカイ本来の質とは違う。
だが知恵の少なさは人にとって鋭い爪や牙がないのと同じ、強さが足りないというに等しい。いまこそその知恵が必要とされているのだと分かったカイの主人格はいまひとりのおのれに逍遥と耳を傾けた。
ここは三次元的な世界だ。
物質があり縦横奥行きがあり、不完全ながら時間的要素も混在する。
その下位世界の縛りを甘受しながらヤツは降りてきている。なのにいまのところ実体を伴ってはいない。物質要素がないから縦横奥行きもそこにはない。《口禍の紫神》には三次元として現れるべきものが何もない。ただそこに神体と莫大な神気溜まりがあり、その影響だけが及ぼされている。
なにもないのに、力だけが存在するのだ。
その力とは何だ。
何に由来するエネルギーだ。
物質が物質として存在する以前に世界に満ちていたという、大きさがないのに物質だという謎の素粒子的な何かなのか? いやまがりなりにも『神体』と認識しうる巨大な『個』を持つ存在がそんな微細なもので説明がつくものなのだろうか。高次元にある本体が異質過ぎて三次元に降りてもなおその在り方をこちらが認識できないだけなのか。
では彼らの発する『神気』とはなにか。
それは奇跡を起こすための原資、正体不明の不可思議な力であり、万物のあらゆる状態に置換可能な万能のエネルギーでもある。前世の学究たちがそうあるものと仮定し定義していった素粒子等々の根源的な力でそれは説明可能なのか?
(いや、それは無理だろう)
そんなあまりにも便利すぎる力など聞いたことがない。
断言しつつも前世人格はさらなる可能性を模索する。
そんなものはないと判断するよりも前に、奇跡の力そのものが既に存在しているのだから、それを前提条件として検討の枠組みを再定義するほうが無理がない。そういう不思議な『素粒子』が要素の一つとしてぶち込まれたのだと、ここは新たな仮定を用意すべきだった。
(…いや、そういえばあるじゃないかそんな力)
人という生き物が初めて世界を『意外に不確かなもの』だと知ったあのとき。
光が粒子でもあり波長でもあると、世界のありようが意外とガバガバなものだと知ったあのとき。
原子核の周りを飛び交う電子が確率でしかとらえられずさながら雲のごとく認識されるという電子雲が、観察という人の行為でその位置を特定されたとき、雲など最初からなかったかのように一粒の電子としての姿を晒される。
『2重スリット実験』での光の振る舞いを実際に歪めて見せた人という生き物の観察行為は、ある意味奇跡の力……その一端を示したのだと言えるのではないか。
『観察者効果』
言い換えればそれは『世界を確定させる力』。
そういう作用を持つ『素粒子』的な何かが……事象の決定をつかさどる奇跡の力があるのだとするなら。