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改稿するかもです。
立ち上る青き神気。
神々が帯びる神性は、同一のようでいて決して同じではない。
神本体がいずこの位相に在するかで見え方が変わるという神気の色相……旧世の滅びとともに散逸した古神学で唱えられた色相学では、『青』は識別しうる最高位の色、『聖貴色』と尊ばれていた。
(あやつか)
その色味を持つだけでそれが誰のものかわかってしまう。
それほどその色の持ち主は数が少ない。
この腹の中にある『神石』に封じられたわが神は、土気を帯びた目に鮮やかな黄色をしている。まだ甲羅の大きさばかりに気を取られていた傲慢な若造であったおのれを後継者に選んで、師父はそれを「日差しのように温む光」だと笑っておっしゃった。
色の違いがどのような差異を産むのかは真の意味では定かにはなっていない。自身、色の違いで劣位を感じたこともない。ただ青色に近いほどその力は万象に響くと……より高い改変力を持つものだと伝えられている。
『聖貴色』持ちは『守護者』のなかでは片手で数えるほど、そのひと柱が『谷の守護者』であった。
(ああ……そうか)
棘狸族のくぼ地にまで退いたときに最初に目にした光。
目に染み入るような輝きを帯びた青い神気。どれほど資質に恵まれようと、そのような馬鹿なことはすまいと思えるほどにおびただしい神気の噴出が、くぼ地の底から柱のように天を衝いていた。
谷の国の王。
新参者の『守護者』。
神気の元はあのカイであった。
(儂は尻を拭われたか)
ウルバンは飛び交っている同僚らの念話と彼らの居場所から、いまなにが行われようとしているかを察した。《会》が始まったのだ、ほかの『守護者』らも動き出すに決まっている。
《会》の中心にやられたカイが、仲間たちからどのような役回りを期待されているのかを理解したウルバンは、新参者ごときにそのような大任をと怒りを発し……すぐに自嘲し腑抜けるような脱力に陥った。《会》を招き寄せた最大の戦犯がなにをほざくか。
ほとんど全力でおのれの持ちうる力を吐き出しているのだろう。立ち上る青き神気は恐ろしいまでに不完全だ。神の神力は依り代の肉を通しておおよそが霊力へと置換される。神世の力は下等世界に下されると、その依り代の身体を介して世界に差しさわりのない低位の力へと置き換えられる。それが『霊力』だ。
普通は体内に滞留させた神力が『霊力』として馴染んでようやく十全に威力のある奇跡を起こすことができる。下等な生き物が使いうるのは神力ではなく霊力のみであり、その力に混ざり気が無いほど変換の効率は上がっていく。
それを、あろうことか。
(貰う端からすべて吐き出しおって! …それが未熟者なりの全力か!)
置換を待たずして吐き出される膨大な神力が青く輝いている。
『谷の守護者』の当代であるあの新参者は、驚くべきことに棘狸族のくぼ地とその一帯すべての天を、自らの力のみで支えようとしていた。
それがどのような手管かはウルバンには分かりかねたが、頭上にわずかに見える創世神様の被膜はその高度をまだ保っているのは分かる。
その下を猛風が吹き荒れていた。驚くべきことにカイはそのばかげた神力をほとんど使いこなせぬままに、混ざりあうわずかな霊力への手綱をぎりぎりにまで絞って奇跡的に方向性を与えている。やつはおそらく全身全霊、渾身の力を込めて『呪』を操っているつもりなのだろうが、本来そこにあるべき自在力はほとんどなくなっている。単純な現象とよくわからぬあやつだけの理屈……謎理論をもとに小規模な嵐という《天象》を創り出し操っていたのである。
風を集め掻き回す。言うは易いが、そもそも『風』とはなにか。その根本原理にいまだ理解の及んでいないわれらでは、力を込めても単純な風の強弱を操ることしかできない。目には見えない『風の精霊』のようなもの……その作用こそが風の正体と漠然と信じるわれら『守護者』らはもとより、旧世の優れた学識らも《天象》の本質を完全にはつかみ切れてはいなかった。
不効率極まりないままに天候を揺さぶり続けるあの新参者の底がまた見えなくなった。その額のあたりにひときわ光る青き神気の輝きは、直視すれば目を焼きかねぬ尋常でない強さである。
谷の神の特恵である額の『象形紋』が働いているのか。
(引っ込めジジイ!)
(邪魔、寝テロ!)
(***ッ)
おめおめと出戻ってきたおのれに、同僚らは気遣うふうもなくつけつけと文句する。
《会崩し》はすでに始まっているのだ。遠慮の微塵もなく叩きつけられてくる思惟の光に、ウルバンは不満を漏らしつつあたりを見回した。その視線は自然と愛すべき仔らを探している。
よし、難民のあらかたは逃げ延びたか。くぼ地にとどまっている仔らの数を数えて安堵したのもほんのわずかの間のこと。それ以外の生物たちの怒号が……血で血を洗うすさまじい殺し合いと生臭い鉄の臭いが湿潤と巷に満ちているのを知る。
猿どもめ、どこから湧いた。
長きにわたり豚人族を東で扼し続けた猿どもが……万余を超える灰色猿の軍勢が怒涛の如く新種どもとぶつかり合っている。そしてつい先ほどまでおのれの命を危うくし続けていた新種の王個体が、新たな敵と出会って暴れている。
誰だあの命知らずは。
身の丈30ユルはある巨大な化け物に挑みかかっていたのは、一匹の白い猿だった。
白猿? それではあれもまた灰猿人族の王個体か。
種族と種族。
王と王の殺し合い。
まさに神々に照覧せしむべき大試合が始まっていた。
***
「女王!」
「うるさいぞ谷の守護者!」
打ち捨てるような応え。
そして女王ゼイエナの突き入れた一撃が、藻掻く腹肉の山向こうに沈むようにめり込んでいく。生死のはざまに初めて立った大黒豚の王はぶざまに手足を振り回すが、肝心の羽虫一匹を追い払えない。黒い血しぶきと獣のごとき咆哮……そしていま一度だけ白い切っ先が垣間見え、それが大上段に振り下ろされた女王の次の一撃であったのだろう。
おそらく心臓を破壊しに行った。
首は密具では断ち切れない。頸椎という首骨が邪魔すぎる。
心臓を破壊し、さらに勝利を確たるものにすべくその近くにあるだろう『神石』を破壊もしくは奪取する。得体のしれない化け物対手に、確実に勝ちに行くならば最良の手のうちのひとつである。
と、そのとき。
(…**!)
先達の誰かが間の抜けたような叫びを発した。
姿なき先達らの非難の声だった。
(なにやってんだ!)
頭の中で『爆竹』が次々弾けるような衝撃に、思わず両耳をふさいだ。むろん空気振動の実声ではないからそんなことで歯止めなど掛からない。ニルンとともにナジカジ邑に向かったはずのネヴィンのものらしき『声』も呆れ果てたようであった。
上だ、上!
先達らに促されて見上げた頭上には…。
カイの前髪をひと薙ぎの風がかき乱して散っていく。頭上を覆っていた『竜巻魔法』がその動力たるカイの霊力を失って、すっかりと解かれてしまっていた。
まるで夢から覚めたように、瞬きする。
まさに雲ひとつないとはこのことかとおもうほどに塵一粒ない澄明な空。そこにいままさに垂れ落ちようとしている神々の群れ。魚とも爬虫類ともつかぬあやふやな……生理的嫌悪を掻き立ててやまない異形の神々、その一部がはっきりとした意志を持って動き始めていた。自然降下には任せず率先して降ろうと身を蠕動させている。その最下層の一派がまさしく潜り抜けようと足搔いているのは、カイが最前にひっぱり寄せてぐしゃぐしゃにした守りの被膜……天網の伸びきった網目のいくつかであった。
つい先ほどまで意識の手でじかに触っていたカイには分かる。風をはらんで波打つように広がった不可視の網が、空気を包み込むようにゆっくりと落ち始めている。
新種の王という『余興』への関心は完全に削がれたようだが、もともと神々の目的は地表の生き物たちの魂をほしいままに蹂躙することである。
一匹、また一匹と木っ端神が網の目をくぐって降りてくる。
粗い網目では小さななりの外神までは押しとどめられないらしい。その幸運な『先行組』に刺激されたのか、比較大きななりの神々までもが暴れ出している。そこへと上層から更なる大神が潜り込んできて、《会》の底ははち切れんばかりに獲物を捕らえた漁網のごときだった。
潜り抜けてきた外神一匹一匹が、地表に降りて肉を食らえばやっかいな『悪神』と化す。それだけでも恐ろしいのに、あの明らかに木っ端でない大神が地表へと降り立てばどうなるのか。
そして、外神たちの降臨に耐えていた目には見えない袋の底が、ついに引き裂かれた。一匹の……ひと柱のひときわでかい大神が、端神に混ざって空を降りてくる。破かれたのは網の目のひとマスだとはいえ放っておけば第二第三の大神が潜り込んでくるだろう。
(…もういかぬ!)
先達の誰かが吠えた。
その一声を合図に、各所から練り上げられた神気が立ち上る。
神気を送り込まれたことで大気が再び張り詰めたようにビィィンッと鳴動する。天網の網目が一気に力を取り戻し、外神らをはじき出す。
だがその天網……守りの被膜を中心で支えるべき芯柱……棘狸族の土地神の神気はいまだ地域を支えるほどの強さを取り戻してはいなかった。
いくら守りの被膜が隔ててくれようと、両界が近づきすぎれば外神らの膨大な神気は否応なく地表へと達することだろう。直接触れずとも彼らの神気は彼らの願望を叶えんと作用を始めるに違いない。
土地神の墓所にとりついている棘狸族の長クルルは苦しげに背を丸めている。上空からの圧がクルルひとりの小さな背中に実際にかかっているのか。
そしていままさに大黒豚の王に勝利した女王ゼイエナは、降臨してくるおぞましき大神に王笏を掲げておのが誉れを訴えた。
その叫びに灰猿人族が歓呼する。大黒豚族との戦いはまだ終わってもいないのに、後ろに控えていた荷駄の供物を押し出し始める。彼らのもくろむ祭祀が動き出そうとしていた。
呆然と立ち尽くしているカイ。
その呆けた眼差しが、頬を叩かれたように一瞬見開かれる。
(新参者!)
誰かが叫んだ。
《会》の大穴の底には、神々を惹きつける命の輝きが露呈している。
大黒豚の王が倒れ隠されたいま、地表で最も光り輝く命とは土地神に愛されし加護持ちたちだった。
その中でもひときわ強く輝き続ける存在。
『谷の守護者』カイは、おのれを目指し降り下りてくる異形の神々をその目にとらえたのだった。