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神統記(テオゴニア)  作者: るうるう/谷舞司
動乱
164/187

164

12/2改稿

手直しだけでえらい時間をかけてます(すいません)。難所続きです。






 同じころ、『守護者』ウルバンもまた苦鳴していた。

 甲羅(ゴラ)族の筆頭戦士たる彼はその強大な武をもってほとんどの敵をひと払いで屠り続けてきた。手向かい傷を受けることだけでも同じ『守護者』相手でなければ数百年来のことだったろう。

 肉を裂く痛みが灼熱となって神経を焼いた。

 空気に飢えて首を振っただけで、滝の如く血しぶきが舞った。

 鉄に等しい硬さであるはずの加護持ちの皮膚がずたずたに切り裂かれ、修復も追いつかぬままに致命的な血を垂れ流し続けている。


(仔らを死なせぬ)


 もはやおのれの生死など慮外だった。

 ただその思いのみで折れかけた脚を突っ張る。視界を揺らしながらも立ちはだかる『死』そのものに抗い向かう。せわしない呼吸に喉が古いふいごのように異音を上げる。


(儂が死なせぬ)


 眼前に彼を睥睨するその敵手は、いまだかつて見たことがないほどの強者だった。

 旧世を含めてさえおのれよりも巨大な体を持つものを知らぬウルバンであったが、乳のように深い白濁した森の深部で出会ったそれは、我が目を疑うほどに圧倒的だった。

 まるでおのれが小さな甲羅であった幼き日に、首が痛くなるほど伸ばして見上げた大甲羅の戦士らを見上げたときのように。身の丈30ユルはあるに違いないその敵手は、大きすぎて半ばが霧に紛れてしまっている。

 緊張を緩める間もない。

 その霧の中から大岩のごときこぶしが爆圧とともに飛び出して、ウルバンの大甲羅を金鎚のように打った。甲羅族が最後の頼みとする強固な外殻が、隠されていた継ぎ目をあらわすようにあっさりと割れ砕けて、中のやわな組織をむき出しにされる。加えられた衝撃を脚で吸収しきれずに、ウルバンの巨体は一瞬地面に押し付けられ、そして跳ねた。


(これが『新種(きゃつら)』の王個体か)


 新種。

 そうだ、新種だ。

 先ごろ、大族たる豚人(オーグ)族の鉄の守りが崩れて、版図の四半が這い寄るものたちに侵された。

 無為の塵芥から血肉という有為を手に入れたそのものたちは、命の証たる産声を上げながら……生まれて初めての虐殺に奔走した。

 生まれ出でたばかりの新種には特例的な不触期間がある。無力な赤子を守るために創世神が与えた揺り籠の時(メイロータン)……はっきりとした命の形が決まるまで、曖昧模糊としたそのものたちは叩いても焼いても死なない不死性を備えるようになる。いかな精強な豚人族といえどもいったん侵入された新種らを駆逐することはかなわず、むしろ多くが狩られ血肉を貪られた。

 豚人族の王、英雄(ビビ)ブガルは判断を誤った。新種に土地を侵された時点ですぐに未練を断ち、撤退をすべきであった。形なきものたちは、無知であるがゆえに初めてその目に映った世界から生きるすべを学ぼうとする。無駄に抗おうとした豚人族は、彼らが培ってきた生物的な優位性、その知識と、餌となる大量の血肉を相手に与えてしまったのだ。

 まさに悪夢だった。

 豚人族は編み出した種族魔法、『優性魔法』で数世代をかけて祖種たる猪人(シャガ)族を超克し、土地から駆逐した。姿を見つけられるたびに害虫の如く狩り立てられる絶望の日々を耐えしのび、百年をかけてより大きく強きものとして進化を果たした。

 その泥をすすって耐えた百年の進化が、自身らの愚かしさによってあっけなく模倣され、種の超克がわずかの時のなかで早手回しに進んでいった。豚人族は自らの手で『天敵』を創り出してしまったのだ。

 生まれたものたちはその姿形のおおよそを豚人族から盗み取った。優れた体躯、頑強な四肢、獲物を逃さぬ優れた嗅覚に……腐り物さえ平然と糧にする悪食の胃袋。それらを豚人族を軽く上回る程度に獲得(・・・・・・・・・・)した。

 ただ餌たる豚人族を丸呑みにするための大口だけは独自のものだ。恐るべき顎の力で豚人を噛み千切る大口は、狩る側の必要性に駆られて特質化されたものだったろう。豚人に負けぬだけの性能を得て生れ落ちた幸運な新種らは、その優位性を遺憾なく発揮してまたたくまに祖種を蹂躙した。

 先住者のフォス支族は総崩れとなり、住み慣れた土地を駆逐された。


(もはや儂には『守護者』たるの資格などないな)


 血の泡を吐きながら、ウルバンは自嘲した。

 この世界での諸種族の角逐は創造神様の思し召し。同族でもない限りは『守護者』自らがそれにかかわるなどありえぬのに、彼は禁忌の一線を躊躇することなく跨ぎ越えた。

 幾百年もの前のこと、強猛たる猪人族の憎悪から逃げ隠れ、糞溜めを這い回るしか生きる術のなかった仔豚らを、通りすがった根無し者が気まぐれに掬い上げた。それが豚人族とのかかわりの始まりだった。

 同じ『守護者』である百牙(モガリ)族のドープは、おのれの姿を写し取った蜥蜴人(ラガート)たちと湖沼で暮らしている。大狗(ローグ)族の老戦士ヴァハリもまた、小犬らに懐かれるままに北の岩山に棲み付いたという。

 そんな彼らの不覚悟を責めていたはずの固陋(ころう)なおのれが、盛大に同じ轍を踏んだのだ。仲間達からは大いに笑われたが不思議と悪い気はしなかった。


(いとし子たちよ)


 ああ。

 そうだ、思い出したのだ。

 (めぐ)る世界の理を。

 千年の時の果てに顕れるいきとしいけるものたちの屍の海を。


(逃げよ)


 血反吐を吐きながら、ただただ願った。

 奪った土地にこだわることなくすぐさまに内地へ……霧の届かぬ明るい場所へはやく逃げるのだ。

 興ったばかりのフォス支国は……流浪のフォス支族は土地の守りも弱い上に、あまりに霧の海に、乳海(クシィラ)の岸辺に近すぎる。

 もはや国造りなどと暢気なことを言っている場合ではない。

 逃げ遅れたフォスの仔らを掻き集めればあるいはと皮算用したが、どうやらその考えは甘かったようだ。


(この化物め!)


 おのれのたくらみをご破算にしたそれは、深部の白い闇の中に潜んでいた。

 新種らの、おそらくは王個体。

 やつもまた逃げ散るフォスの仔らを追い立てるうちに、この深部にまで紛れ込んできたのだろう。はなはだしく知恵がなかったが、その巨体の発する暴力は時を追うごとに手に負えないものとなっていった。

 ああ、くそ。

 はなから叩き潰す勢いで攻め切れば済んでいたのに。

 『守護者』の中でも指折りの大戦士としての驕りが、必要な殺意を緩ませてしまった。

 最初は容易く退けていたのだ。跳ね除けてそのまま抜き去ろうとまでもくろんだのだ。

 それが、いまやどうだ。しぶとく絡まれては押し返すうちに、いつしか力では完全に超克されてしまっていた。


(英雄(ビビ)ブガルを笑えぬ)


 はなから何かがおかしかったのだ。

 ぶつかり合った瞬間からいまこのときまで、やつと交えた一打一打がそら恐ろしいほどに重さを増し続けている。豚人族を模倣したその巨体が……数刻前までは見下ろすほどだった身体が、いまやウルバンをして仰ぎ見ねばならぬほどの大きさとなっている。

 儂が育ててしまったのか。

 流れる霧のあわいから束の間現れるそそり立つ肉塊にウルバンは瞠目する。ぶくぶくと膨れ上がった醜い黒い肉は、荷重に耐えうる内部骨格を創造し得ずに上下左右の均整を失っていた。

 すでに骨という内部構造で支えられる物理限界を超えていたのかもしれない。ただ闘争本能の赴くままに無茶苦茶にただ大きくなった腕を、こぶしを撃ち下ろしてくる。白濁した霧の底がその身動きによって掻き乱される。

 強烈に過ぎる一撃は単調の一言であるのに、身動きの衰えたウルバンはそれを避けることができない。

 甲羅への当たり角度のせいで瀕死のウルバンは身体ごと弾き飛ばされる。戦っているというよりはもはやただ遊ばれているのかもしれない。蹴られ、叩かれ、もう何百ユルも来た路を押し返されてきた。

 そしてこのときの『後退』は存外に大きくなった。バレン杉をなぎ倒し転がった先には、傾斜地が広がっていたのだ。足掻いても止まらず、ずるずると下草を削るように滑っていく。

 ウルバンは混濁する意識のなかで、ぼんやりと考えていた。

 弾き飛ばした彼を追うように、バレン杉の巨大な梢を鬱陶しそうに掻き分けて、うっそりと王個体が顕れる。大きいもので50ユルはあるバレン杉の樹高を越えるほどではないものの、とんでもなくでかくなったものだ。

 その太い枝を無造作に押しやりながら、折った枝葉を雨のように落としている漆黒の化物を、おのれは果たして止められるのか。


(霧が……晴れているのか)


 ふと気付いて、ウルバンの白濁した眼が素早く見渡した。

 太古から森の深部を繋いでいる古道……その路を突き進み、豚人族の本願地を目指していたはずのおのれが、王個体に阻まれて小突き回されるように後退を余儀なくされた。順当に考えるのならば、その入口にまで戻ってしまったのだとだろう。

 ならばここはフォスの新地……棘狸(イスパニ)族から奪った北端の土地なのか。ウルバンの思考が混乱したのは、次々に投げつけられてくるお仲間達からの念話のせいでもあった。


(***ッ)

(くは、イイ格好)

(罰、当ッタ)


 結構な大怪我だというのに心配してくれる声が少ない。

 思い遣りの足らないヤツラだ。

 まあ千年期を生き残った『守護者』が簡単にくたばることはないとたかをくくってのことだろう。たしかに必要な分だけ時間が与えられたならば、この程度の怪我など我が神がさっと癒してくれるだろう。

 外の神々が地表を蹂躙した千年前の暗黒期、『守護者』たちは死んだほうがましだと叫びたくなるぐらいには生死の境をさ迷った。在りようの違いすぎる高次存在相手では抗うことすらできなかったのだ。歯向かう無駄を悟ってからは無様を晒して逃げ続けた。

 頭上から押し付けるような圧を感じて、上を見た。目に入る光景に、嫌な場面をいくつも思い出した。

 外神の群れ。《()》がすでに始まっていたことに衝撃を受けながらも、頭上に広がる空が思った以上に澄明であることにも気づいた。


(屋根が……高い)


 彼が本願地への古道に飛び込んだときには、仔らの支配するこの土地はうすらぼけた白光が射すだけのとても低い屋根しかなかった。

 それが嘘のように開けている。

 気配を感じて振り返った。

 土地の中心、墓所のある泉のそばに立ち上る強い神気。

 ウルバンはカイを見た。


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― 新着の感想 ―
[一言] 久々に読みたくなって一気に読み切ってしまった。 面白い!独特の世界観に惹きつけられる! 早く続きが読みたい!!待ってます!!
[一言] >大狗ローグ族の老戦士ヴァハリは、小犬らに懐かれるままに北の岩山に棲み付いた。 ほう…
[一言] 結局のところ、亀爺さんはごちゃごちゃと建前だけ組み立てて、中身は自分のお気に入り種族に肩入れしてただけなんだなぁ。”守護者”って名前からもっと全体的な視野を持つ者達の呼称と思ってたけど、なん…
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