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完成形のイメージは『ドーム天井』。
支柱のない外殻だけの構造物に、強化した布製の屋根を立ち上げる。それは構造物の密閉性から可能となった、気圧差を用いた支持法。
棘狸族の土地はくぼ地というだけで、厳密には密閉性などは皆無である。ゆえにカイは邑の上空に空気を掻き集めさせる現象を強引に生み出した。大気の大規模な円運動。つまりは竜巻、小型台風のようなもの。
(吹き上げろ!)
『魔法』による捏造された現象であるために、台風のように自然に上昇気流が生まれたりはしない。そこに方向性が与えられたのは単純にカイの都合……意思の力とも言い換えられるものである。
だぶつき垂れ堕ちていた守りの皮膜が、激烈な突風に煽られて空高く舞い上がった。渦の中心付近から雲が生じたのは空気中の水蒸気の密度が高まったためか。まさに『竜巻』の様相を呈し始めた。
降臨しつつあった外神の群れが、皮膜を隔てた光の屈曲でその像を揺らめかせる。
何かを成しえている気はするものの、屋根を支えられているのかどうかを客観的には判断できない。『魔法』の規模が大きくなりすぎて、霊力の枯渇が早い。『神石』から湧いてくるそれが、即座に引き抜かれていく感覚。
谷の神様とは言えやはりもたらす力には限界がある。身体に満ちる前に引き出されてしまう霊力のせいで、手足に急速に冷感が広がっていく。
効率的に現象を仕立て上げたつもりなのだが、一個の『加護持ち』にこの規模の『魔法』維持は荷が勝ちすぎているらしい。
カイは先達たちに切迫気味に意思を飛ばした。
どうだ、なんとかなりそうか!?
(……ナニ、シタ)
(………)
(…天象ガ!)
なんだか様子がおかしい。
こっちも余裕がないのだ。効果のあるなしをさっさと判断してくれ!
(…その呪を、おまえはいつまで持たせられるんだ!?)
ネヴィンらしき声色。
カイは持たせられてもぎりぎり半刻ぐらいだと告げると、なぜか舌打ちされたような感覚が返ってくる。なんでそんな不服気なのか。
(…まあ少しは足しになるのかー。驚かせついでにせいぜい持たせてみせろー。くはっ、創世神様の守りを、呪で持ち上げようとする馬鹿を初めて見たぞー)
(ネヴィン!?)
結局この『魔法』の効果について言及を得られないまま、先達たちの交信は途切れてしまう。呆れられていたようなのが少々解せなかったが、雰囲気的には効果がまったくないという感じではなかったと結論をつけてみる。
その後はもう全力の綱渡りで、悠長に考えをめぐらせている余裕はなかった。
にわかに押しつぶすような重圧を覚えて振り仰ぐと、外神たちの姿が水面の波紋越しのように揺れながら密集の度を増している。カイの支える守りの皮膜がついに接触したか、激しく震えた。
その瞬間。
みしり、と大荷物を背負ったような重圧に、よろめきそうになる。目に見えぬ何かに頭を押さえつけられ、お辞儀を強制されたような不愉快さ苛立つも、半歩左足を出して、歯をきしらせて耐え忍ぶ。
見れば周囲もほとんどが地に伏せていた。少しでも抗おうとしているのはやはり加護を持つものたちだ。おのが土地を守らんと悲壮な決意に燃える棘狸族の長クルルが、墓所の上に這い上がり歯を剥きながら頭上を睨んでいる。
組み上げた『竜巻魔法』ごと押し付けてくるような圧力は、やはり外神らから発せられているようだ。カイは負けじと更なる霊力を全身から搾り出すように『魔法』に注ぎ込む。谷の神様が吠え、おのれの力の源泉である『神石』がきしむように痛んだ。
風がさらに勢いを増して渦巻いていく。
圧には圧で。気流の上昇圧を高めて屋根を押し上げる。
美味なる餌を前に接近を拒まれた外神たちが、怨嗟の声を上げた。風鳴りのような、大気の軋みのような巨大な波動が、地表の儚い生き物たちの肉をぶるぶると震わせる。ただ生きることを許されるのみのいじましい生き物たちにとって、それはあまりにも桁違いな……別次元の力であった。弱きものはただ畏怖するしかない、あるだけで他者をひしゃげさせる存在圧。
(…あと、どのくらいかかる)
カイの苦鳴混じりの問いに、複数の『守護者』らが返す。
(分カラズ屋、多イ)
(従ウ者達、先、行カセタ)
(親、ナレ)
彼らの言葉を証明するように、棘狸族の窪地に他種族が姿を現し始めている。
カイは知らねど、それらの多くは斜面を吹き降ろす突風に追われて飛び出した、日和見していた種族たちだった。
姿を晒しても近寄ってこようとはしない彼らのなかに、わずかながらにそうではないものたちが異なる動きを示していた。まるで隠れ潜んでいたのを見つけ出された子供のように、おっかなびっくり歩み寄ってくる。
どれも共通して小さい亜人種らだ。この地の棘狸族にも近しいその小族ならではの姿かたちは、おそらくここいらの森の深部をねぐらとするものたちなのだろう。
それぞれに数匹から十数匹。なかでも神紋を浮かべているものは種族の長と思われた。
「…砂カブリ、…枝渡リ」
クルルの知る近隣のものたちなのだろう。カイは集まってきたものたちの正体をそれで察して、彼らがじろじろとぶしつけな視線を向けてくるのに耐えた。
5種ほどの小族らが眼前へと集い、そして膨大な霊気を迸らせているカイの威に自然と身を投げ出した。
「…谷ノ王様ニ従エ、言ワレタ」
彼らをここに向わせた先達『守護者』らの意図を汲んだカイは、即座にこれを受け入れた。
その帰依はむろん心の底からのものではない。いわば『仮親』のようなものなのだろうが、彼らの土地神が、谷の国の神群に束ねられることは非常に意味あることであった。
谷の国の版図の突き出た隘路のようであったこの地が、一気にその横幅を広げたのである。仮にとはいえ土地神の連環に3頂点の面、《集》が生まれ、土地の特恵が新たに創出される。
先達らの言う《会崩し》なる技の概要がこれで察せられる。
外神らの降臨する守りの皮膜の弱まったスポット、天の穴に仮設の大屋根を作り出すこと……土地神らを束ねて神群となし、悪しき神々らの降臨に対抗するのだろう。
その圧倒的高次存在の接近を阻んでいる当の本人たるカイだからこそ分かる……それだけでは到底足りないという確信から、それだけではむろんないのだろうと分かるのだけれど。
「谷ノ神、従ウ」
「助ケテ」
「言イツケ、守ル」
帰依が寄越され、その熱が谷の神様の座する『神石』へとくべ入れられる。とたんに湧出量の増した霊力が、『竜巻魔法』に吸い出されていく。肩にかかる重圧がわずかに減ぜられる。
先達らから、なにやらざわざわと話しかけられたが、カイは聞こえないというふうにそれらをスルーした。どうやらカイの『竜巻魔法』が強まれば神々を跳ね返せるのではないか……そんなふうに先達らは期待したようだ。
むろん新参者でしかないカイにはこの外神らの降臨、《会》がどのような過程を経て、どんな終息の仕方をするのかを知らない。闇雲に楽観して、破滅するわけにはいかないので、ここは諸先輩方の実績あるやり方で凌いでもらいたい。
支配地の拡大で、ここいらに伸びた谷の国の屋根力も拡大している。裾が広がったおかげで『竜巻魔法』で持ち上げられる皮膜の広さも増した。いよいよ頭上の霧が晴れて、不吉な濃い藍色の空がにじむように広がっていく。
そして。
(…なんだあれは)
額の辺りがかっと熱を帯びた。
不可視の神々を映していた霊眼が、白熱して焼き切れた。
いや、それは一瞬のことで、魔法的作用でしかない機能は即座に回復する。
目ヤニで目蓋が張り付いているような抵抗感と、それがバリバリと割け広がる感覚。あるとも思っていなかった目蓋が、ぱちりと瞬きしたように。
きん、と。
いっときに注ぎ込まれた閃光があまりにすさまじく、眼球にナイフを突き立てられたような痛みを覚えて苦鳴した。
「か、みさま」
「ソレ…」
アラライが、ポレックが絶え絶えに叫んだ。
眉間の辺りを熱いものが滴った。
汗かとも思ったそれが口の端をつたって地面へと滴り落ちた。ぱたぱたと跡を作っていくそれは、暗褐色の……おのれの血だった。
「は…?」
痛みの生まれた中心を思わず手で覆うと、脳裡に開かれていた景色が暗闇に覆われる。また手を離すと、手のひらを透かした光がおのれの血を映して赤く輝いた。
そして光は、像を結ぶ。
「神眼…」
誰がつぶやいたのかは分からない。
カイの額にあった異形の紋……《象形紋》が具象化したように、そこには人のものとは思えないおぞましい《目》が開かれていたのである。
そしてその異常事態も頭には入らぬげに、カイは天空を凝視し続ける。
無数の群体となって円状に回遊する外神たちのさらに上……遠近さえも狂ったかと思える薄白い巨体が群れ成すそのさらなる奥に、何かがいた。
像が定まらない。
白昼の月のように薄っすらと白いあばたを晒した何かが、蠢いていた。