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そもそも、なんでおのれがこの世界に生まれ変わったのかすら分かってはいない。預言にまで現れた何か大きな理由があるのならば、教えて欲しいぐらいだった。
「それ以外は知らない」
なにかの使命があったのかもしれない。
でもそれをカイは知らない。神様的な何かからの示唆があったわけでもない。
前世の記憶を甦らせたことは奇跡みたいだと思うけれども、この神々の実験室のような生き物の興廃が繰り返される世界になら……大霊河を通して輪廻転生すると固く信じられているこの世界でなら、同じようにまったく別の異世界から、偶然に紛れ込んでくる魂がいたとしても不思議ではないと思う。谷の神様を宿すことになった出会いだって、導かれたからとかそんな運命的なものはなかった。死に掛けて谷に迷い込んだだけだった。
ああいや。
導きらしきものはもしかしたらあったのかもしれない。
電波が繋がらないような不確かさがあったものの、谷の神様は意思を発して続けてはいた。伝わったのはとても端的な、感情的な一部分のみであったけれども、それ以外のノイズのような部分……文字化けしたような不分明なところにこそ伝えられるべき何かがあったのだとしたら、生まれ変わらせたどこかの神様にはご愁傷様というしかない。たぶん魂の仕様的なもの……対応する『OS』が致命的に食い違ったんだろう。
伝わらなかったんだから仕方がないではないか。
(……$&*せよ! …をなせ!)
なんとなく胸の奥に気持ちを向けてみると、どこの誰に向って言っているのかもわからない神様の呟きがかすかに聞こえてくる。
なんとなく思い出したのは、ラジオの周波数をいじることを覚えて、たわむれに謎放送を探した前世の幼き日の記憶。おそらく神様が興奮したときだけその出力が上がって、送受信がかみ合うかしていたのだろう。むろん想像でしかないのだけれども。
「…言伝は聞いた。夫人様にはいましばらく待てと伝えてくれ」
さほど心を動かされた様子もなく、踵を返そうとしたカイに、狼狽したノール坊が食い下がる。
「お待ちを! 陛下!」
「オレにはいまやることがある。忙しいんだ」
《会崩し》なる技を使うために先達『守護者』たちが散っている。カイもまたその動きの中で行動を求められている。まずは眷属となった大耳族、棘狸族の土地と神の回復。
そして先達たちから送られてくる意思の光に……在地種族の『王』としての主体的行動をせよと……わけが分からないままに促されている。胸のざわめきも……谷の神様の繰り言もまた、災禍の中心へと赴けと言っている気がする。
不用意に間を詰めようとした僧らに、素早く割り込んだポレックが立ちはだかる。神紋をあらわにしたポレックに、僧らもまた紋をあらわした。
小人族ポレックも、ふたりの人族僧も、ともに『二齢』。ポレックは捨ててきた本願地に眠る土地の神を宿したものだが、僧らのそれは、伝聞を信じれば厳しい修行の果てに顕すことのかなった奇跡……人の身のままに神の位へと登った証であるという。
それだけで彼らがいわゆる『高僧』だという証明だった。『人解僧』という。土地神なくして神の力を得た彼らは、土地の呪いもなく広く人族国の各地をめぐっている。
ふと思う。
土地神も宿していないのに、なんで加護のごとき恩寵が与えられるのだろうか。彼らが神を宿さぬままに特別な力にあやかっているのなら、それは仕様の破れではないのか。そもそも土地神とはなんなのだ。
カイが動き出すと、谷の国の軍勢もまた一個の生き物のように蠢き出す。眷属たちも比較小さいが、先頭のカイもまた大きくはない。見たままならばそれほどの脅威とは見做せない。
だがその群体の武威は地を払い、大黒豚たちを後ずさらせる。まるで海を割るように開かれていく道を進み、カイは窪地の中心にある棘狸族の土地神、その墓所を前にした。
「王様」
「行け、クルル」
待ちかねたように棘狸族の長クルルが飛び出して、窪地の最低部にたまった池のほとりで、種族にあるのだろう教えにしたがって慌しく拝礼をした。後から追ってきた一族のものだろう同じ棘狸たちが、隠し持っていた糧食……干し肉や木の実などを敷いた葉の上に捧げ出した。
好奇心を刺激されて近付こうとする大黒豚らを、カイは鉄棍を叩きつける音で居竦ませる。
そして長クルルが入水した。頭を出したまま泳ぎ出し、池の中心に顔を出した石……半ば沈んでいる土地神の墓石にひたとしがみついた。
とたんにぽうっと石が淡い光を帯び、土地神がクルルを憑代として受け入れたのを感じた。ややして頭上の霧が薄まっていく。邑の守りの屋根が高さを増したのだ。
不安げに空を見上げているクルルと一族たちの様子に、カイは何も言わず歩き出す。池のほとりで少しだけ助走をつけて、墓石まで10ユルはあるだろう水面をあっさりと飛び越える。
大切な墓所に土足で乗ったカイに棘狸たちは騒ぐものの、王が手を触れたとたんに墓所に力が戻り、一気に空が開けたのには声もなかった。谷の神への帰依が実際の形となり、《集》の力が通ったのだろう。
「おおっ」
「明るい!」
頭上に現れた深い藍を含んだ空は、まばゆいほどの多量の光を地表へとこぼしている。
それは通常に見る色ではなく、おそろしいほどの高みにある大気圏上層のそれに近い不吉な色合いであるのだが、眷属らは無邪気に喜んだ。
(『紫外線』が強いのか)
高空にあって光を妨げる大気層が薄いのならばありうるだろうことを思う。だがこの世界に大気圏などというものは存在しないだろう。おそらくは降臨しつつある無数の外神らが放つ神気が強すぎて、それが肌を刺すように感じられているとかのほうがしっくりとくる。
そのとき空に、霞の如く薄白い輪が現れて、数瞬広がるようにして消えた。
そしてびぃん、と。
張り詰めたような大気の震えが、しじまに轟いた。
事態が何かの一線を越えた……理屈ではなくそう感じて全身の毛穴がさあっと開いた。興奮する外神たちの発する何かが、地表にまで届き出したのだ。
カイの脳裡に、馴染みつつある先達からの意思の光が瞬いた。
(クる!)
(支えろ、谷のッ!)
カイはわけも分からぬまま、垂れ堕ちてくる天を支えるイメージをした。
おのれの手が届くわけでもない。その届かぬ先にまで伸びていく不可視の『手』を思い浮かべて、上へと向かって差し上げた。
この世界を守る創世神の作った皮膜は、支える柱を失えばへたれ落ちてくるほどに物質的で、押せば押し返せるのではないか……なんとはなしにそう思える。
伸ばしたイメージ上の『手』が、何かひらひらとした布状のものにかすかに触れた気がした。手ごたえを感じていよいよ力を込めて押し上げようとしたのだが、そのままずるりと手だけがめり込む感覚がある。
まるで薄い『カーテン』でも持ち上げているような、手ごたえの軽さ。カイの手という一点だけではその下に空間など作れないとすぐに知れた。
支えろって、どうやったらいい。
(気合を入れるとかか)
呼吸を緩やかに、深くする。
『加護持ち』たるの源泉、おのれの霊力の湧出点、『神石』に意識を這わせる。そのうちなる神の座におわす御霊……契約を交わした土地神から神格に相応した力が全身に流れ込んできているのが分かる。谷の神様の下される力はまるで岩の割れ目から噴き出してくる大量の湧き水のようだ。その湧き出した水が血と混ざり合うように全身へと広がりおのれを満たしている。
気合だ。
最初にイメージしたのは、『漫画』などによく出てくる全身からオーラ的なものを迸らせている絵だった。
要はこの世界で言う脳筋どものように霊力を垂れ流した状態。日常的に霊力をプールすることに慣れてしまったカイにとって、背徳感さえある無駄遣いモードである。
ポレックがぎょっとしたようにこちらを見たのは、カイの霊気が極端に高まったからだろう。霊的なものに鈍感なほかの長らもなにがしか気づいた様子で戸惑った視線を向けてくる。
いきなり栓を緩めたせいで暴れ出す水道ホースのように、魔力を通している導線がビリビリと暴れ出す。胸の鼓動が、発する体温が急上昇して行く。
力を完全解放したことで、自然カイの面には神紋が浮かび上がっている。
(…解き放ってみたけど、どうだ)
変化をうかがい見る。
カイの浮かべた隈取を見たのだろう、ノール坊らが騒いでいる。象形紋だ、細密紋だと興奮しているようだが、やつらにはあまり見せないほうが良かったのだろうか。
感覚的にはさほどのものは感じられない。気合だけで屋根が立ち上がる、というような簡単な話ではやはりないらしい。『谷の国』の王神が必死にいきんでいるというのに、なんらの効果も現れないと言うのは少しばかり意外であったが、おのれがここまで来た理由……谷の国に組み入れられたこの土地が版図上のどの位置にあるのか、考えればおのずとその理由も察せられた。
大耳族の土地も、棘狸族の土地も、谷の国に属したばかりの新領である。それも細長く伸びた隘路のような土地……豚人族の新道建設のあおりから所属を変えただけの土地であり、『古代中国の西域領』のようにそこは細長く飛び出している。
国の中央の王柱がいくら高くなろうとも、服の袖のようなその場所は膨らませるにもその余地があまりない。《集》だの《群》だの土地の特恵を十全に呼び込め切れていないというのも一因かと思う。
(屋根力は及んでいないのに、守りの皮膜はだぶついて余ってる。もともとそれだけの張りがあって支えられてた世界なんだ……関係のない小族の屋根まで引き上げてたとか、ほんと人族の種族力半端ねえな)
妙な感心の仕方をしながら、カイは切り替える。
前世のもうひとりのおのれが、いろいろと可能性を提示してくる。
屋根の支え方。
柱で支え立ち上げるのが普通の屋根だが、人類はその結果を効率的に得るためにそれこそ無数の工夫を重ね、知恵を絞ってきた。
最悪柱などなくたって屋根は支え得る。
ここは窪地だ、眷属どもに膜の端を四方に引っ張らせたら?
高さが欲しいのなら自身の立っている土地を『土魔法』でかさ上げしたら?
下からがダメなら上から吊るか? あるいは浮かせるか?
つらつらと並べ立てられる数多くある可能性のひとつを、カイはなんとなく手に取った。生まれて千年ぽっちの世界じゃ、こういう発想にたどり着くには時間が足らないのかもしれない。
(『風魔法』? とりあえずは)
どばどばと溢れさせるばかりであった霊力に、カイはイメージを這わせた。
この世界の『魔法』という奇跡は、即座に拡散しつつあった霊力にひとつの方向性を与えた。
ごう、と風が吹いた。
地に凝っていた霧を吹き飛ばし、バレン杉の枝葉を激しく揺する突風がくぼ地を駆け下りた。隠れ潜んでいたあまたの亜人種らがまろび出すほどの風が四方からカイ目掛けて吹き降ろし、そして中心で渦巻いた。
大規模な『風魔法』と呼ぶべきものは、しかして風を操って生み出したわけではない。カイはただおのれの頭上に、作りうる限りの『真空』を穿ったのである。突如としてなにもない空間が生み出され、その異質な虚ろを万象が埋め合わせるべく自然な働きを始める。いったん渦巻き出した暴風はそこから初めて『風魔法』として取り扱われ始める。大気の円運動という単純化された魔法は、その後も力を加えられ続けて強さを増していく。
イメージは柔らかい布でできた大天蓋。
渦の吸引力で空気を掻き集めて村の空気の絶対量を増大させる。空気がたまれば風船は膨らんでいく。持ち上げられた皮膜は屋根として広げられていく。
(…結構きついぞ! これ!)
術者本人の感想はどうあれ。
第三者の目にはそれは天候さえも操るとてつもない魔法に他ならなかったのであった。