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神統記(テオゴニア)  作者: るうるう/谷舞司
動乱
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「…よもや、よもや!」

「見てはならん! 目が潰れるッ…」


 顔を覆ったホズル坊は、ひきつけを起こしたように震えながら身を丸くした。

 降臨する無数の外神たちを目の当たりにした人族僧らは顔色を失って、見てはならぬもの、禁忌に触れるものから首を垂れるように目をそらした。そうしてぶつぶつと厄払いの聖句を唱え始める。


「空に何かあるですか」

「ご夫人! 見てはなりませぬ! 魅入られまする!」


 聞かん気の強いニルンは止める声を無視して霧のあわいに空を見上げ、はてと首を傾げる。素養のない彼女の目にはなにも映らない。

 しかしただならぬ気配がこの地を覆いつつあることへの本能的な共感はある。

 見れば森の中に潜む他族らも、みな棘狸(イスパニ)族の邑を見ているようで、その実なにもない宙を見上げて(みは)っているものたちが多くある。そのものたちはまるで魂を抜かれたようになっている。


「話が違う……まだ10年は先と」


 ホズル坊が喘ぐように吐きだした言葉に、「それは滅びの日のことですか」とニルンは訊いた。反応したのはニルンばかりではない。気配がして、近くに潜む他族らの少なくない数の視線がこちらを向いた。

 この世界の成り立ちを知らぬまま生きるものはない。生まれながらに一定以上の知性を持ち合わせていることの多いこの世界の種族であればなおさら、種の興廃にかかわるような大事は、幼子の頃から昔語りに刷り込まれているだろう。


 千年期。


 死んだものたちの霊が還るという大霊河(イスピ・リオ)が、世界に近付く魔が刻。生きとしいけるものすべてが等しく攪拌され、原初の乳海へと戻される。

 が、その長大な周期を正確に刻み続けられる種族はごく少ない。始まりの時にすでにこの世界にあり、かつ他種による排斥を千年にわたり免れたものたちにしかそれはなしえぬ(わざ)である。

 人族はその知識を伝えるに足る長足の種族であると亜人らも知っている。


「先達が星読みを違えたのやもしれん…」

「まずいぞ、早濫が起こる。はやく荒神を勧進せねば」

「僧正様にお知らせせねば」

「ご夫人様!」


 身を潜めた草むらからニルンは立ち上がっていた。

 そして身をかがめたまま下り傾斜した森のなかを走り出す。周囲をすばやく見回したふたりの僧は、舌打ちしつつそのあとを追った。駆け下る彼らに驚いた別の亜人種らが、隠れ潜んでいた草叢から逃げていく。想像以上にその場に多くの種族がひきつけられているらしい。

 棘狸(イスパニ)族の邑は袋状にくぼんだ盆地の底にあった。

 地形的にはもっとも霧が吹きだまりそうな場所であるのに、なぜか全体に白く輝いている。より多くの光が土地に注いでいるのである。周囲に比べて格段に霧が薄いのだ。

 その邑の中心部付近で、緋色に輝く炎が激しく立ち上がった。

 そのもとにはニルンの夫が……谷の国の王カイが、得体の知れぬ巨大な種族を踏みつけるようにして傲然と立っていた。


「カイ!」


 ニルンは邑中の累々たる死体に臆することなく、一心不乱に駆けて振り返った夫の胸に飛び込んだ。普通に愛しい妻を抱きとめたような格好になったカイであったが、武器で片手がふさがっていたこともあり、そのあまりの勢いに半回転して踏みとどまるのがやっとであった。

 服の背中を掴むようにしてニルンを引き剥がしたカイは、「ちょっと待ってろ」と武器を足元の死体に突き刺し、「どうしてここへきた」と問うた。すでに息絶えているとはいえ倒された大黒豚も、おのれの背中が男女の生ぬるい逢瀬場にされるなどとは思いもしなかったろう。

 その答えを聞く前に、カイは彼女を後方へと放り投げた。素早く取り戻した鉄棍を一閃し、不意討ちしてきた大黒豚をかち上げるように雑把に打ち払う。吹き飛んだ大黒豚も痛かったろうが、数千パイントはあろう肉の小山をぶっ叩いたカイもしかめっ面である。

 投げ出された夫人を受け止めようと慌てる猪人(シャガ)族を尻目に、くるりと回転して見事着地したニルンは、薄情な夫に熱烈に待遇改善を訴えつつ、おのれの来た方を見て手招きした。

 いま一体の大黒豚を『火魔法』で焼き殺したカイは、大黒豚どもの後続を目線で威嚇しつつ、近寄ってきたふたつの禿げ頭を眺めていた。

 渡り僧姿のふたりは、谷の王と対峙しているあまりに巨大すぎる大黒豚たちにぎょっとしつつも、十歩ほどの距離をおいて高貴なものに対する礼容を示した。

 下級の渡り僧といえど、辺土では人と神の間に立つ存在として下にも置かぬ遇され方をする。カイもほぼ無意識に居住まいを正していたのだが、それよりも先に彼らがへりくだってみせたことで瞬きする。「谷の王陛下におかれましては」と始められて、ようやくカイはおのれが『王』であるという事実を思い出していた。

 暢気に『謁見』などしている場合ではなかったのだが、大黒豚たちのほうは寸前の力比べが功奏していたようで、警戒するように距離をとり始めている。

 面白いことに、後ろのほうの大黒豚が、カイの真似をして手を前に伸ばし、新しい遊びを思いついた子供のように『火魔法』を使おうとしている。彼らが手を伸ばし吠え始めたときにはひやりともしたが、なにも起こらないと分かったあとはそりゃそうだと完全放置である。

 カイは再びふたりの僧らに目を合わせた。地面に視線を落としたままの彼らに、顔を上げていいと許可を出した。

 カイは仮面で顔半分を覆っているし、身に着けているものも小人族のいまはなき大戦士の装束である。当然そのようなものであるとしてふたりに臨んだのであるが……小柄なほうの僧、ノール坊が「王陛下。いえ、ラグ村のカイ殿とお呼びしたほうがよいでしょうか」と口にして、正体がすっかりとばれてしまっていることに愕然とする。

 すぐに言葉を発さなかったカイの様子に、勘気に触れたかと慌てたノール坊が言葉を重ねた。


「愚僧らはラグ村領主ヴェジン様のご夫人、カロリナ様から、バーニャ村に居残った村の兵士、『成りかけ』のカイ殿にある言伝を依頼されました。そのカイ殿がなぜかくだんの村には不在で、バーニャ村のご領主であるピニェロイ家のご当主も森に入ったまま帰らぬとのこと。いぶかしく思った我らは森へと分け入り、作られて間のない多くの踏み分け路を見つけました。その路を辿り我らは『谷の国』という寡聞にして聞き覚えのない国へとたどり着いたのです」


 すらすらと語るノール坊の能弁に感心しつつ、おのれの身バレを確信したカイは、仮面を外した。それを外したところで小人族と人族はその体格が違うだけで顔の造作にはほとんど差はない。だがカイの抱いた『気分』は相手にも伝わったようだった。


「そこで思いがけずピニェロイ家当主サリエ様、そして正夫人のエルサ様ともお会いいたしました。谷の国の王、カイ王陛下が愚僧らの探している方と同一人物であるということを確信し、恐れ多くも言伝をお渡しすべくここまでまかりこしました次第」

「そうか。手間を取らせたな」

「…カロリナ様よりのお言伝です。『式の準備は滞りなく進んでおります。わが娘ジョゼともども千秋の想いでお待ちいたしております。一日も早く村に戻られんことを願います』」

「………」

「…以上が言伝でございます」


 なんとも形容のしがたい表情をみせたカイであったが、顔を何度か拭ってそれらをなかったものにする。やや物騒な色を浮かべているニルンの視線に眼を合わせず、カイはそっけなく「分かった」と言った。

 ポレックが進み出てふたりの僧の前に、縒り紐でからげられた葉包みを置いた。王の客を手ぶらで帰すわけにはいくまいと、亜人種族のなかでもわずかながらに流通する些少の銅銭と、小人族特製の手間のかかる木の実餅を礼物に差し出したのだ。

 だが僧らは立ち上がろうとはしなかった。


「そしてここからは我等からの願い事でございます…」


 ただ膝をついて目を伏せるだけの簡易礼ではなく、今度こそ僧らは地に這いつくばるように額を地面にこすりつけた。

 予感がしていたカイは、「そういうのはやめろ!」と叫んだが、僧らは顔を上げようとはしない。かつて谷でカイを襲い、神様の宿る『神石』を奪おうとした僧院派遣の真理探究官……おのれを死のふちまで追い詰めた青年僧の顔を思い出し、足場にしていた大黒豚の死体から飛び降りざま怒りを示すように鉄棍を地面に叩きつけた。

 すごい音にも、飛んで来た飛礫にも、僧らは身じろぎもしない。


「…辺地にまつろわぬ荒御霊一柱目覚めたり。

その力、高きにある鳥の如く天元に通ず。

その性は陽であり陰、善にしてして悪なり。畏れ、かつ敬うべし。

そは神変の神なり」


 伏したまま、ノールは念仏のように唱え続ける。

 それは例の『預言』だった。

 だがその内容を知るものは限られ、いっかいの村人にしか過ぎなかったカイもまた一度も耳にしたことがないものだった。

 が、なんとはなしの脈絡はすぐに通じる。ナーダというあの怪しげな青年僧もまたその『預言』に現れた神を探していた。そして目をつけられたのがカイであった。

 「辺地にまつろわぬ荒御霊一柱目覚めたり」の一文は、谷の神様を宿すことになったおのれのことなのだろうとカイも思う。

 そして誘いに応じなかったカイから、真理探究官は谷の神様を奪おうとした。

 おのれの胸から突き出された白い呪具の切っ先が、痛みとともにありありと脳裡に甦った。


「なにゆえに人とは似ても似つかぬ異形のものどもの王となられたかは分かりませぬ! 愚僧には分かりかねまするが、その御歳まで守り育まれてきたラグ村への、ひいては領主家への、種族をまとめたる人族国への情はおありになるはず! どこまで行こうとも、どのようになられようとあなたさまの御身に流れる血は人族のもの。得られた神は正しきは人族の社稷に……その興りより千の年輪をかさねた大樹の枝ひと振りに加えられるべきものでございまする!」

「…どうか、どうか! ご同道いただきたく!」


 この者たちも、カイが誘いを断れば、容赦なく襲い掛かってくるのだろうか。

 いやそもそも人族として生れ落ちたカイという存在は、本来ならば得た神を人族の神群に捧げるのが本道であるのか。

 前世の記憶が甦ることによってそのあたりの意識が希薄になってしまったという自覚はたしかにカイのなかにはあった。

 ふたりの人族僧がなにを言上しているのかを知った眷属の長たちは、にわかに気色ばんで詰め寄ろうとする。それをポレックが止めた。本来ならば土地を追われるまま衰亡し死に絶えていてもおかしくはなかった小族たちが……強きものしか生き残れぬ峻烈な世界で、けっして相容れることのない姿形の違う異種族たちが、ひと柱の力ある大神が示した稀有なる博愛によってひとつに束ねられ、国を成した。《谷の神》を宿したカイ王の心ひとつで、おのれたちがここにいるのだとただその眼差しだけでポレックは皆を諌めて見せた。

 そしてその眼差しのまま、カイ王の言葉を待った。

 おのれの生も死も、委ねきった覚悟がそこにはあった。


「預言の荒神よその身に宿す大神のお力もて、どうか人族をお救い下され!」

「どうか! どうか!」


 生まれ故郷のラグ村の人々への思い入れは深いものの、種族への帰属意識は希薄なままのカイに彼らの言葉は響かない。その心の動きを理解してしまったことで、前世の記憶とごちゃ混ぜになったおのれが、まったく別の存在になっているのだと分かってしまった。

 血は、DNAは同じだろうに、何かが決定的にはずれてしまっているのだ。


「オレはこのものたちの王だ」


 前世とは理屈の通じていない異世界である。

 そもそも種の決定因子にDNAがあるのかどうかすらも定かではない。

 彼らの言う仲間への情、それだけで種が決定されていたってなにも驚かない。想いがそのまま形として生み出される『魔法』だってある世界なのだから。


「それ以外は知らない」


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― 新着の感想 ―
人族って結局やってること豚族と大差ないからな。 カイに従ってる亜人種族を木に取り込んで差別しないくらいの度量見せられないなら無理よ。
[一言] 助けて欲しいならカイの下に付けばいい。断ったら襲うというのは結局は下にみてるよね。
[気になる点] 誤字です。 善にしてして悪なり。 →して、が重複しています。
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