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神統記(テオゴニア)  作者: るうるう/谷舞司
動乱
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156

2021/07/09改稿






 切る魔法…。

 カイはおのれで答えておいて、改めて考える。

 分子同士の電気的結合を切り離すイメージで造り出したその魔法は、単純に木こりが木を切り倒したり、料理人がまな板の上で肉を捌いたりする類の……ものを『切る』という行為に属するものである。

 人類史上、おそらくは石器に始まり、剣などの武器類、包丁やハサミなど多種多様な道具がその『切る』を満たしてきた。人類が文化的生活を送るためには必須の基本技術であり、人の知性が高まると行為そのものへの理解は急速に深度を増していった。

 いつしか人は、鉄で鉄を削ったり、水で石をスライスしたり……果てには肉眼では見えない分子原子までもを自在に切り離すにまで至ってしまう。前世知識を体系的に持ち合わせていなければ、カイにはとうてい理解不能であったろう。

 物体を構成する極小の単位、分子なるものの電気的結合を奪うことでも『切る』行為は成立する。カイの『剣魔法』は、純粋な概念ゆえに分子間に滑り込み物を断つ。

 『守護者』たちが何に驚いているかを理解する。

 おそらく彼らの知る『切る』と、カイの『切る』は、理解の深度が恐ろしく違うのだ。


(****)

(**概念ニ**)

(正ニ、概念魔法ナレバ…)


 わずかに交わされた議論だけで、彼らは核心に迫りつつある。

 『守護者』たちの知性は驚くほどの高みに達している。だがその千年を(けみ)した賢者たちの知性をもってしても、この問題に確たる答えを見出すことはたぶん不可能である。立証を伴わない仮説は、どこまでいっても空理空論の域を出られないからだ。

 頭を内側から小突かれた。


(あとで教えろー)


 ネヴィンの釘刺しだった。

 そうして目には見えなくとも、方々に散っている『守護者』たちが、それぞれに何かをし始める気配を感じる。《会崩し》といったか。外神たちの降臨を阻むなにがしかの手管があるのだろうと予想する。


「行くぞ!」


 『穢神(エボ)』の襲撃を排除できたことで、カイは警戒しつつも前進を開始する。

 その先は進むほどに霧が濃くなっていく。棘狸(イスパニ)族の邑はさらに深部に近い北にあり、世界の皮膜の落ち込み具合が激しい。頭上数ユルほどだった霧の厚みが、すぐに10ユルを越え日差しを遮るようになっていく。

 遠浅の海の底を、ゆっくりと深みに潜って行くようだ。

 その間も豚人族の難民たちが次々に飛び込んでくる。いったいどれほどの数がこちらへと逃げて来ているのか。

 しばらくもすると、日差しもほとんど届かなくなり、薄暮のような暗がりが地表に満ちるようになる。カイの屋根があるためにぽつんとその周りだけが『街灯』に照らされたように明るいが、そのほかはもう伸ばした手の指先が見えないほどのうすら寒い闇に沈んでいる。

 先ほどまで威嚇すれば逃げていった難民たちも、この暗さになると恐ろしいのかほとんどのものがその場に竦んで動けなくなる。まだ歩ける元気のあるものの中には、明るさの元となっているカイたちに付いてき始めるものたちまでいる。豚人族を憎む猪人(シャガ)族の長ドレンガが、後ろをついてくる彼らを嫌気して、カイに何度も追い払う許しを求めに来た。だが先を急ぐカイは許可しなかった。

 その頃になると、深部からやってきた『穢神(エボ)』たちの動きが、頭上の明るさの揺らぎで分かるようになった。明るさが増すと、それが『穢神(エボ)』接近の先触れである。おそらくは巨体でとび跳ねるため、霧の層を揺るがすほどに波立たせてしまうのだろう。

 何度かの襲撃を受けつつも、その都度カイが追い払った。

 巨体の豚人族さえ逃げるだけの亜神どもを、こともなげに追い払う主人の背中はさぞや頼りがいがあったのだろう。眷属たちがきらきらしい眼差しで熱視している。

 いつしかカイの発する屋根も分厚い霧の海に飲み込まれ、足元もおぼつかない暗さが軍勢を包んだ。

 カイは、ひとつの魔法を編んだ。


『火魔法』


 単純だが怖い魔法。

 ただの子供であったときには、ろうそくの火ほどの灯をつけただけで命を落としそうになった。いまでは谷の神様からの潤沢な霊力供給で、危うげもなく使うことができる。

 松明のようにそれを行先に掲げて、全員の目指す標とした。

 カイの脇に侍る族長たちもそれに倣おうとしたようだが、『火魔法』を普通に現出させられたのは小人族のポレックのみだった。人族でもそうだが、『(しゅ)』が得意なものは二足歩行……手足の分業化の進んだ種族たちであるらしい。

 手を巧みに使うことでものを造り出せるそれらの種族は、仮想上の設計、イメージ力に長じているのかもしれない。


(…それよりも、土地を統べるのはいいけど、なんで外神たちはこの地を目指して降りてくるんだ)


 『火魔法』を掲げたために、霧の中で立ち往生していた豚たちが、誘蛾灯に引き寄せられるように集まってくる。あまり良い気はしないのだけれども、夜の焚火に虫が集まってくるのは仕方のないことだった。

 明るい灯は生き物たちを惹き付ける。世の理というものだ。

 そして外神たちもまた、何かにつられなければこの地に降りてきはしなかったに違いないとも思うのだ。だって人族の版図は途方もなく広く、屋根が落ちた土地はその分だけ世界中に生まれているのだから。

 なぜ、よりにもよってこの土地に《()》が発生した?

 なにかそれを誘発するような、やばい『イベント』でもあったのかと頭をひねる。

 周りに集まった豚たちの、ぶひぶひが煩い。行く手をふさがれそうになって、カイは得物を振り上げる。


「どけぇッ!」


 一喝して、得物の鉄棍を地面に叩き付ける。

 わあっと豚たちが左右に割れて逃げ出した。

 そのとき思いついて、左右の後方にも『火魔法』で明かりを灯した。カイの考えを察して、ポレックも魔法を後ろへと移動させた。明るい場所が後方に移ったことで、豚人たちがそちらへと動き出す。単純な話だった。


(なにかの光ものが、外神たちを惹き付けてるのか)


 彼らを招き寄せている、光源のようなもの。


(オレたち生き物が『餌』だってのは分かる。普段は手を出せない深みにいる魚が、皮膜が落ちて手の届く浅瀬にいるみたいに見えている。その『餌』に引き寄せられたってのは分かる……分かるんだけど、動機が弱い)


 ただそれだけならば、世界のほかの低き地と変わらない。この世界には多くの種族が均等に配されたような土地神に縛られて生きている。皮膜の落ちた場所には必ずなにがしかのものたちがいて、無防備な背中をさらしているのに違いないのだ。

 外神たちがここを目指す理由としては弱い気がした。


(…誘蛾灯……神々が引き寄せられる光)


 すぐさまカイが想起したのは、あの冬至の宴の光景……大霊廟の霊的装置が働いて、訪問客らから集めた霊気が天へと捧げられていた光景。

 光となって立ち上る辺土二百余柱の諸侯らの霊気が、外神を猛らせ地上へと招き寄せた。つまり外神を引き寄せる原因となるのは生き物の霊気。

 それがこの一帯からいま大量に上がっている。


(どこかの馬鹿が祭祀を行っているのか? もしもそうでない限り、この世でもっとも霊気をだだ漏らせてるのはやっぱり『加護持ち』……それも『(しゅ)』に興味のない体力任せの脳筋領主ども。きっと空の上からでも、霊気をだだ漏らせている彼らは輝く星を見つけるみたいに簡単に見分けられるだろう。…いやもしかしたら深部を渡って逃げてくる豚の難民たちも、人族に比べれば多分に大きい、強族ならではの霊気を蓄えている……それらが小さな星の群れ……流星群みたいに見えているのか?)


 『神石』を多食する個体が『成りかけ』になるように、他種に優越する種族は他者の経験値を取り込む機会に恵まれる。ならばそうした強い種族は……豚人族みたいな優越種族は、『成りかけ』みたいな個体が多いんじゃなかろうか?

 カイは近くにいる豚人族の難民たちを見渡した。

 なるほど、土地を失い流浪していると言えども、やはり強者たる彼らは他種を無意識に侮っている。武器を構える大勢の谷の眷属たちがいるにもかかわらず、恐れるでなく付いてくる彼らの眼差しには、紛れもない弱者への侮りがある。武器を振られても殺されはしない……いつでも反撃できると高をくくっている空気がある。むろんここにいる難民たちは谷の国など知らない。フォス支国との行きがかりを知らない以上、彼らが信じるのは経験で培われた種の上下関係のみであろう。

 カイは目を凝らす。

 この傲慢、不遜きわまる豚たちの体表から立ち上っている精気……赤みがかったかぎろいは、個々では弱くとも集まれば無視しえぬ強い光となるだろう。

 豚人族が通したこの道……それが高空からは、さながら大霊河(イスピ・リオ)のように光の帯となっているのではないか。


(皮膜が落ちた地域の住人は、もともと屋根を支える力に乏しい小族たちだ。そんな地域に本来ならば『強族』はいない……ここいら一帯にだけ、例外的に豚人族の難民が溢れてる以外は…)


 「ジジイがやらかした」とネヴィンは言った。

 人族の大屋根が落ちた最悪のタイミングに、『守護者』ウルバンはフォス支族の哀れな生き残りたちをかき集めに動いた。その数千の難民たちが深部を渡ることで、この最悪の時期に彼らの放つ光がこの地に集められてしまった。


(かっこうの『餌』たちが大挙して渡ってるんだ、そりゃあ外神どもも集まってくるか)


 ようやくおのれの理解の水位が、他の『守護者』たちのそれに達した気がする。オレに期待されているのはこの地を統べること。谷の国に帰依させて、その大屋根の下に目立つ者たちを隠すことだ。

 そんな状況下で、いまだに目立つ豚たちを送り付けてくるウルバンには苛立ちを覚える。

 クソじじいめ、豚への贔屓を引き倒して目までくらんだか。

 高ぶりを必死に散らすしかないカイであったが、ややして世界が明るさを取り戻し始めると、足を速めた。

 頭上の霧が薄らいでいる。

 案内人である棘狸(イスパニ)族の長クルルが、全身の棘を逆立てて走り出した。その先に現れたのは、彼ら棘狸族の本願地、その中心たる邑だった。


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― 新着の感想 ―
[良い点] めちゃくちゃ面白い!!
[一言] 改訂後久しぶりに読んだら面白くて困っちゃいました。早く続きが読みたくなりました
[良い点] 面白い!!一気に読んでしまった!!!世界観がとても良き!!!!
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