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2021/05/11改稿
「聞け諸卿!」
王太子レムルスは大霊廟の暗がりの中にある人々を睥睨した。
目算で200人以上、お飾りの兵士らを除く都落ちの貴族らとその係累、そして辺土伯家に声掛けされ集まった州都近辺の辺土諸侯らが半々ほどであったろうか。
いまとなっては貴重な『戦力』である神憑き、土地神の御霊を抱えた『加護持ち』のみを数えたならば、おそらくは100柱になるかならぬか。
玉石混交なれども、人族の手に残ったそれらの戦士らは、束ねるを得ればまぎれもなく戦局を左右する一大戦力となりうるものである。
「われ聖王家の長王子、レムルスが宣す! ここに天上太祖の座もて雲上聖廟となし、王地千年の礎とせん!」
抜き放たれた剣が濡れ石のように光り、立ち尽くす諸卿に突き付けられる。
王太子の声に合わせて、居並んだ憑神兵の列が一歩前に出て、鈍色の鋼の輝きを振りかざす。
背後で入り口の鉄扉が締め切られる音を聞き、顔色を変えた者も多かった。
まさに袋の鼠であった。
「拝跪せよ!」
別の胴間声が発せられ、雪崩打つようにすべての者たちが膝をつき平伏した。
憑神兵の中でもひときわ大きな上背を揺らすその人物は、名のある将軍のひとりのようであった。
そして立つ者がいなくなった頃合いを見計らって、将軍はまた声を張り上げた。
「王の御前である。直臣たる真貴族のみ面を上げることを許す!」
真貴族。
それは尊きを、至高の神より授けられた者たち。王から直接身分を下賜された直系領主たちのことである。
王太子レムルスの面には隈取が顕れている。その線形の密たるや明らかな高位神のもの。
その威に打たれて即座に面を上げる者、周囲を伺いつつうろたえるように合わせる者、動きはそこここに起こった。しかしその場に居合わせた『加護持ち』らすべてが同調したわけではなかった。
王太子は揺るがない。その強い意志を示さんがために憑神兵が足並みをそろえてどんっと、石床を踏み叩いた。高位貴族の子弟を集めた禁裏の精鋭らはそのすべてが『二齢』以上の加護を持っている。
おのが土地を捨て王太子に従ってきたこの者たちはすでに運命に殉じている。次代の王が種族の力を掌握し、すみやかに彼らの本願地を取り戻すと信じて疑わない。
「神を讃えよ!」
「王神の庭に集え!」
唱えるたびに足を踏み鳴らす。
それは人族に古来より伝わる聖句だった。
神を讃えよ。
王神の庭に集え。
百戦して百勝したという人族勃興の英雄、始祖王ヤシャダラは、征旅へと赴くまえに必ず諸将を王墓の宮に集め、戦勝を祈願させたという。その故事を知らぬ貴族などいない。
慎重であった者たちもゆっくりと顔を上げ始める。仮にも王に封ぜられた直系領主たる自覚があるならば、その呼びかけには応じねばならない。
それは中央貴族だろうと辺土諸侯だろうと変わらない。次々と顔を上げていく『加護持ち』たちに、うろたえたように声を上げたのは辺土伯家の長子アドルだった。
「無体な! お待ちを王太子殿下!」
顔色の失せたアドルは、何が行われようとしているのかを察したようだった。
浮かせかけた腰を押しとどめつつ、背後にいる辺土諸侯らに無言の圧をかける。ここに集まっている辺土の領主らは州都近辺の伯家譜代の領主たちであり、そのほとんどが血縁で結ばれていた。
人族の北伐より数百年にもわたってバルター辺土伯家が積み上げてきた力の源泉、聖冠をなした塞市領主たちまでもが同調しようとしているのをアドルは看過しえなかった。
「神を讃えよ!」
応じた『加護持ち』らからけぶり立った神気は、引き寄せられるように王太子らのもとへ、その頭上に安置された石櫃へと集まっていく。
その石櫃の側では顔を頭巾で隠した僧侶たちが、ひそひそと言い交しつつ何かを書き留めている。高僧の白衣とも違う生成りの僧衣は薄汚れているものの、それは粗末であるというよりは汚れ仕事をもっぱらとする者の作業着のようでもあった。その彼らが指折り何かを数え、筆を走らせる。
「殿下ッ!」怒りをはらんだアドルの叫びが、唱和によって上塗りされる。
「神を讃えよ!」
飛び出したアドルが憑神兵らに遮られるのを見た伯家の兵士らが、ようやくおのれたちに課せられた仕事を思い出したかのように動き出した。それからは一気に人々が入り乱れた。
祭壇側に陣取る王太子たちと、そこになだれ込もうとする辺土伯家の側が激しく押し合いになるなか、王太子の傍にいた高僧が叫び、権僧都セルーガをはじめとした僧侶らが祭壇へと駆け上がる。
用意してあったのだろう黒紗をふたり掛かりで広げて石櫃を衆目から隠した。
「最初からそれが目当てか! 許せぬ!」
「…控えよ下郎」
伯家長子アドルと、王太子レムルスが至近で睨み合った。
辺土伯家第1公子アドルは『四齢』紋を顕し、『二齢』でしかない憑神兵らをものともせずに掻き分けてそこへと至った。いくたびか剣も振るわれたが、そのほとんども衣服を割いただけで、アドルにはかすり傷程度しか与えられてはいなかった。
そのアドルと睨み合った王太子レムルスも隈取を顕している。
その齢数はアドルにやや勝る『五齢』であった。
王家と辺土伯家。
どちらもその家格にふさわしい次期当主の神紋であったが、差が一齢程度であれば個人の素養次第でその差を埋めることもかなうとされており、アドルは怒りのままに王太子につかみかかった。
胸ぐらをつかみ、引き寄せる。王太子は手にした宝剣もだらりと下げたまま、無抵抗だった。
「返せ」
「返さぬ」
無用の宝剣を手近の者に渡し、王太子は空いた手をそっとアドルの腕に掛けた。その指先に力が籠められ、とてつもない剛力がみちみちと骨肉を破壊していく。
『五齢』の剛力が、鉄にも等しいアドルの肉体を万力のごとくひしゃげさせていく。
アドルは苦痛に顔をしかめつつも、なおも王太子を締め上げる。荒くれた辺土諸侯を束ねる辺土伯家の長子として、それなりに鍛錬を欠かしてこなかった自信が、アドルを突き動かしていた。
だが、その顔がややして驚きに染まった。
「…返すわけがなかろう」
手首をつかんだ王太子の手が、ゆっくりとアドルの戒めを解いたのだ。
まるでしがみつく子供の腕を引き剥がす大人のように。
「…そ、の、紋は」
「うん、どうやら昇ったようだ」
王太子レムルスの顔に現れた隈取が、その形を変えていた。
その眉間を通る紋数は『六』。
まさしくそれは『六騎天紋』。人族の国、統合王国でも上位とされる貴族家、列神級の神を宿さねば顕れない紋だった。
そしてその額には、不思議な形をした紋がわだかまっていた。
まるで削った木から黒ずんだ節が顕れるように、左右にふたつ。渦型の紋がある。
「『象形紋』…」
「ああ、やっと顕れたか」
ゆっくりと戒めを剥がした後に、手を離した。
そして乱れた襟を整えつつ、今度は王太子の方からにじり寄った。その耳元で何かをささやかれたアドルは、顔色を失ってへなへなと坐り込んでしまう。
「僧正」
王太子に呼ばれ、進み出てきた白衣の高僧は、その形を変えた隈取と『象形紋』をつぶさに見てとり、「お昇りあそばされました」と恭しく礼を取った。
「数は」
「まずまずでございます」
そうか、と応ずると、王太子は自らに浮かんだ隈取を見せつけるようにさらに一歩進み出て、深く息を継いだ。
多くの眼差しが自らに突き刺さってくるのを、笑って受け入れた。
「まだまだ足りぬ」
「足りませぬな」
「…あのばけものどもを討つにはまだ足りぬ」
王太子と辺土伯家。
その家中の者たちが殺気をみなぎらせて睨み合うのを、まるで他人事のように王太子は眺め、喉を鳴らすように笑った。
「よい廟だ。バルターめ、わが王室の廟を真似たのだろう。あれを据え置くには都合がよい。ここを仮宮となすぞ」
「御意に」
「辺土の兵どもをかき集めて万軍を興す。準備せよ」
場の空気さえも読まず、僧侶たちの勤行が始まった。
楽器が打ち鳴らされ、鼻を抜けるような朗々たる読経が大霊廟を揺らし始める。それぞれに武器を取り睨み合っていた多くの者たちが、戸惑ったように僧侶らを見、体から力を抜いた。
「太祖は人央より万軍を発し異形どもを平らげた。余は北より万軍を興こし、故事に倣うとしようぞ」
北方万軍、その命が発された最初だった。