143
2021/04/26改稿
統合作業のためいよいよ分岐します。
整合性のなさが目に余るようになったら改稿前部分は削除するかもです。
ご了承くださいませ。
「おめでとうございます、姫様!」
掛けられた言葉に驚いたように振り返った長い髪が、日差しを浴びた冬の樹氷のようにきらきらと輝いた。
「ようございました」
「白姫様」
騒がれている理由に思い至ってモロク家の一の姫、ジョゼは少しだけ目を見張った後、はにかんだように頬を朱色に染めた。
領主モロク・ヴェジンの一存で決まったのだという縁組み……成長著しい『成りかけ』、《百人力》のカイを一門にからめとるための相手に、ジョゼが指名されたという噂は瞬く間に広がっていた。
おそらくは《女会》、その長である正夫人カロリナと幹部連の指図があったのだろう。先にあった辺土伯家との縁談が不調に終わってからというもの、ふさぎ込みがちであった姫がようやく見せるようになった笑みに、村中が色めいた。
「あんまりからかわないで、もう!」
元から見目の整った姫であったが、近頃ではその美しさはほころぶ花のように匂い立っている。姫が歩くだけで自然と人が群がり、周囲は騒がしくなった。
長廊下ですれ違う城勤めの女たちも、晴れやかな空気に愛想よく笑顔を返す。
ぬぐったようにつつましやかな笑顔を作る彼女たちであったが、なかには行き遅れに類する年長の者もけっこういて、内心穏やかではなさそうな堅い笑顔も混ざっている。
ただでさえ男が少なくなっている時勢に、ほとんど女ばかりの難民たちがどっと流入したのだ。甲斐性のある男ならば重婚も許可するとのお達しは出ていたが、音頭を取られてはいそうですかと身軽に動き出せる者などほんとうにわずかなものである。お幸せな姫様が通り過ぎた後には、重苦しいため息がいくつも聞かれた。
そんな年長者たちの中に、ぽやっといつまでも姫様を見送っている年若の娘がいる。
その娘は、廊下の曲がり角で相手の姿が見えなくなってからようやく肺の中の空気を吐き出した。
「なんだいリリサ、いっぱしに羨ましかったのかい」
「ちょっ、ニネさん」
軽く頭を小突かれて、少女はうっとうしげに身をすくませる。不服そうに頬を膨らました少女の名はリリサという。
「まだ生きてたら、《百人力》と結ばれてたのはお姉だったのに、ってか。…ああそうだね、《百人力》もエルサにべた惚れだったものねぇ」
やや年かさの女はニネ。
亜人種とのいくさで夫を亡くした寡婦のクチだ。城働きし始めたばかりの新人であるリリサを教育する係を受け持っていた。
「…そんなに仲がよかったの? お姉と」
「そりゃあエルサは器量もよかったし、一等早くぶつかってく勇気もあったからね、うぶな男の気持ちを掴んだらあとはもう手のひらでコロコロさ」
「コロコロ…」
リリサは、ニネの手のひらを回すようなしぐさを食い入るように見てしまう。年上の経験を過大評価してしまいがちな微妙な年頃の少女ならではの反応に、ニネは言葉の穂を継いだ。
「…まあ、その《百人力》がまだいくさ場から帰ってこないんだけどねえ。本人も村に帰ってきたらびっくりするんじゃないの。まさかあの白姫様が自分の嫁になるなんて」
「…なんで? 知らないの?」
「急に決まった話だからさ、そう思っただけ。まあ男にとっちゃまたとない良縁だから、《百人力》も嫌とは言わないだろうけど。…ここだけの話、《百人力》はまだあんたのお姉のこと引きずってて、森に墓作ってひとりで弔ってるらしいよ」
「…それは、聞いてる」
巡察使の行き過ぎた戯れで死ぬことになったエルサは、村挙げての葬儀で集団墓地に弔われている。そのとき埋めるはずの亡骸がなかった経緯をリリサは伝え聞いており、長らく彼女はその男の身勝手を恨んでいた。
が、時がたてばそれについての感じ方にも変化はあった。若い男の中でも優良株と注目されていた《百人力》……カイの動向は割と細かく女たちに共有されている。よく村を出て単独行動するカイがどこでなにをしているのか、いろいろな噂もあった。そのなかには、足しげくエルサの墓に参っているんじゃないかというものもあった。
そしていまもまた、カイは村を空けて帰ってきていない。
まかり間違えばおのれの『兄』になっていたかもしれない男だ。歳もリリサのひとつ上でしかない。会ったこともないのによくわからない親近感もあり、今回の降ってわいたような男の縁談話を耳にしたリリサは、よくわからないままにもやもやした気持ちを持て余していたのである。
「いくよ、リリ」
「はーい」
先輩のニネとリリサは一組になって働いている。
成人したばかりの新人を教育するための見習い期間である。
ふたりはその後城館のなかで通り一遍の日課をこなし、小休憩の後に外へと出る。向かったのは村の拝所にある宿坊だった。村を訪れた渡り僧が、雨風をしのぐ宿舎として使うもので、そこの維持管理がリリサたちの受け持ち仕事のひとつだったのである。
そこで思いもかけぬ人の姿を見つけて、おやっと瞬きする。
さきほどすれ違った後ろ姿がそこにはあった。
モロク・ジョゼ。
ご領主様モロク・ヴェジンの長女で、村人には《白姫様》と呼ばれる美しい姫様だった。彼女は後から来た感じなのだろう、先乗りしていたふうの大人な女性が幾人か、胡坐をかくふたりの渡り僧相手に話し込んでいる。
「…それでは我らに言伝を頼もうと」
「その村はすでに人族の地ではないと聞いたが…」
ご領主様の正夫人、カロリナ様と庫裡の顔役であるアデリア様が椅子に座っている。渡り僧たちが寝床の木板に胡坐をかいているのは、行儀が悪いというよりも単に椅子が足りないだけなのだろう。
大人たちのやり取りを見守る白姫様は、宿坊の入り口を入ったすぐのあたりに立ち尽くしている。
一目で入れる空気ではないことを察して、ニネと頷き合う。とりあえず宿坊の外側の掃除から手を付けようという無言のやり取りである。そうして明り取りの窓の外側から、やはり中を見てしまう。
「そのバーニャ村が保たれているというのか」
静かな驚きの声と、にわかに起こったガシャガシャという物音。渡り僧らが急に立ち上がって身の回りの荷物を集め出したようだ。普段は取り澄ましたふうのある彼らが慌てるのはめずらしい。よくわからないが話に上った村の様子に、聞き逃せないなにかがあったのだろうか。
「さる伝手からの知らせで分かりました。この『書状』をその村へ届けていただければ」
「そのカイとかいう『成りかけ』が、くだんの村に居るわけか」
「…見つかればその者に、見つからねばピニェロイ家の当代様にお渡し願えれば、問題ないとのことです」
「拙僧らに白羽の矢が立った理由は」
「詳しい行きがかりは存じませぬが、どうやら劣勢になった領主軍に一度見捨てられたようで、いまは恨んで人を寄せ付けぬようです」
「見捨てられてか……なるほどの」
カロリナ様が差し出した『書状』がテーブルの上にある。それを手にとって、小柄な僧が封蝋を確かめる。
「モロク侯はいまいずこに」
「ボフォイ家のクワイナゼ様の集められた合同軍に参加しております。いまはテペ村に兵士たちと一緒に詰めているはずです」
豚人族が人族領に侵入して大騒ぎになっているのはだれもが知っている。
その敵の大群を押しとどめるべく最前線のテペ村に東域領主たちの多くが集まった。一部参加しなかった領主もあるようで、足並みがそろわないままそれでも1000人以上の兵士が村に籠って守りを固めているという。
むろん長子であるオルハも同行している。
「ならば人解して力を持つ我らしか適任はおらぬか」
「村で豚どもに待ち伏せされても、我らならば逃げ帰ることもできよう」
「それで、少ないですが『喜捨』をお納めしていただきたく…」
姿勢よく座るからか余計にその大柄が分かるアデリアが、静かに何かの詰められた麻袋をテーブルに乗せた。ごとりと音がしたので、何か硬いものなのだろうと分かる。
袋は大柄な方の僧がつまみ上げるようにして、懐のあわせの中にしまい込んだ。結構大きそうな袋だったので、邪魔ではないのかとつい心配してしまう。
あれはたぶん『神石』だよ、とニネがつぶやいた。
「その男がそこの姫君の入り婿になるわけですな。果報者だ」
「…早く戻るよう伝えてください」
カロリナ様が、アデリア様が一斉に頭を下げた。その後ろで白姫様も同じく頭を下げている。僧侶相手に敬意を示すことは当たり前であっても、貴族の子女がそうすることはあまりあることではない。よほど頼る気持ちが強いのだろう。
「裏切った同胞を恨んでいようとも、お坊様方ならば彼らの堅く閉められた門もたやすく開かれるでしょう」
「そうであればよいのですがの」
「なに、開かないのであれば村程度の壁など越えてしまえばいいさ」
堂々と不法侵入を言い出した大きい方が、がさつに笑って宿坊を出てきた。やり取りが終わって、渡り僧らは旅立つようだ。
昨日まで口酸っぱく辻説法していたのに、今日からはもういいのだろうかとふと思う。王様の偉業を思い出せ、帰依する心が神のお力になるのだという彼らのなじみの説法は、正直いまの村人たちにはあまり伝わってはいなかったと思う。みな明日の食い扶持の心配ばかりで、遠い先のことなんかには興味もなかった。むしろ東域で一番力のあるボフォイ家の縁戚だから、村の実りがまだまともな水準を保っているのだと、モロク家の繋いできた血盟が実を結んだことを称賛する声が多かった。年寄り連中はボフォイ侯様やご領主のヴェジン様のお力などを知ったふうに論じ合っている。
《百人力》のカイはいまバーニャ村にいるのか。
リリサは物思いにふけっていてまたニネに頭を小突かれた。
「ほら、中が空いたよ」
渡り僧らが出ていくと、長居は無用とカロリナ様たちも帰っていく。横を通り過ぎた白姫様の残り香を嗅いで、またもやもやしたものを覚えたリリサは、なんとはなしに嫌気して門へと向かう渡り僧らの背中に目をやった。
あの人たちがカイの元へ行く。
もしもカイがこっそりと姉の墓に参っているというのなら、あの人たちはわざわざ出向いたのに行き違いになってしまうことになる。なぜかリリサのなかでは『行き違い』が当たり前のような気持になってしまっていたので、かわいそうだなと思わず後を追ってしまう。
「こら、リリッ」
ニネが怒ってしまったがもう後の祭りだ。
リリサは走って渡り僧たちに追いつくと、村の門を出るまでの間、おのれと姉エルサのこと、カイが森の中に姉の墓を突くていることなどを思いつくままに語り続けた。不思議なことに僧侶らも嫌な顔をせず、とても聞き上手に彼女の話に耳を傾けたのだった。