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2021/04/22改稿
『守護者』とはかくあるもの。
戦士アダルをただ愚直な力戦のみで退けた谷の国の王、『守護者』カイは紛れもなく強かった。アダルを打ち負かして鉄棒を地に突き立てた子供のごとき小兵の戦士に、豚人族は隈れをあらわにして武器を構えることも忘れたようだった。
敵陣が静まり返るのとは対照的に、村の防壁上に居並んだ眷属たちは大いに意気を上げた。北の大族たる豚人族に圧迫され続けた猪人族などは、熱狂のままに王のいさおしを讃えて足を踏み鳴らし敗者へのあるべき死を叫んだ。
土地を逐われ尊厳を奪われ、谷の国へと漂泊した零落種族たちの多くは、残酷に犠牲を強いてきたこの世界の不文律が、強者たる豚人族の身にも降りかかるべきであると考えていた。豚人族はこの村の土地を求め戦い、そして敗れた。他者の土地を奪おうとしたのであるから、敗北の後はその求めたものと等価の何がしかを失うべきであると。
この場合、それは『神』を奪うということ。
下した戦士に鉄矛を突きつけていたカイは、自然とその『神石』を奪う動きに出た。勝者の権利を行使しようとしたカイのそぶりに、立ち尽くしていた豚人族らが一斉に耳障りな悲鳴を上げた。
「神奪ウ、ダメ」
「大切ナ神様」
「フォス、滅ブ!」
鎧武者の石を奪ったときもそうだった。
土地に根付き営みを続けてきた種族は、土地そのものたる土地神への妄執を棄てられない。
カイはウルバンを見た。互いの勢力の最大といっていい力を持つ筆頭戦士がぶつかったわけだが、老怪異には最初から結果は見えていたはずだ。
その灰色に濁った目がカイを捉え、フシュッと鼻息を洩らした。それがウルバンの嘆息だとわかったのはずいぶんと後のことであった。
「いまその神を還御させるわけにはいかん。墓所を侵されたまま神を還されては、御霊が『新種』どもに奪われてしまう」
「それはそっちの都合だろ。神を戻すのがまずいってんなら、オレの眷属にこの神を下賜すればいいだけだ」
「土地なきまま神を継げば呪いを受けるやも知れぬぞ? その危うさを覚悟なく受け入れられるのか」
御霊盗っ人に対する対抗手段。
墓所へ呪詛を掛けられる恐ろしさはカイも知っている。
故に思案する。神髄の甘美を諦めるにふさわしい別の何か……価値あるもの。谷の国の王たるカイにはすぐにいくつかの対案が思い浮かんだ。
谷の国にとって、あって一番嫌なもの。
なかでも一等嫌なものを思いついて、わずかだが表情が緩んでしまった。
「なら、代わりに手を引け」
「…なにを」
「ジイさんが手を引け。ならば納得する。こいつらを捨てて、巣に帰れ」
カイの言わんとすることをウルバンも理解したのだろう、濁った眼をわずかに開いた。
フォス支族という集団にとって、おそらくは本尊神であろう戦士アダルの神とその命は、失ってはならぬ最たるものであったろう。祖国と切り離され異郷の地をさすらわねばならぬ彼らの定めを思えばなおさらのことである。
そして流浪する彼らに親のごとく手を差し伸べ、その自立を促そうとしている『守護者』ウルバンの存在もまた、それに比するほど重い。
少しぐらいは迷うだろうと予想していたカイであったが、ウルバンの決断は驚くほどに早かった。
「…飲めぬな」
ウルバンは小揺るぎもせずに答えた。
即答かよとカイが苛立ちをにじませると、ウルバンがまたため息をつくようにフスッと息を漏らした。
「勘違いをするな。この儂とこれらフォス支族は利益を共にする一体のものではない。儂の手助けは儂個人の発するところによる、勝手なものに過ぎぬ。戦士アダルの敗北は支族の瑕疵であって儂とは関係がない。ゆえにおまえの要求は筋を外している」
「…ならこのアダルとかいうやつの神をオレがどうこうするのに意見なんか言うな。部外者め」
「儂はただ利益調整のための『助言』をしているだけに過ぎん。これにはお前たち谷の国の得るだろう『利益』も含まれている」
「…利益?」
「ここでこの仔らの神を食ろうて糧とするのもよかろう。するならばすればよい。残されたフォスの民3000を根付かせる程度のこと、ひと柱欠けたぐらいでさほどの難事にもならぬ。儂はおまえたちの得る『小利』とフォス支族の被る『大損』の帳尻が合わぬことを危ぶんだだけのこと。目先の『小利』にすぐに手を出す浅慮者ほど、のちの『大損』にみっともなく騒ぎおるでな」
「…オレがその『浅慮者』だってか。…のちの『大損』? それはさっきあんたの言っていた、『新種』とやらが台頭して災いになるってことか」
「ほう、ちゃんと聞く耳は持っていたか。ならば重畳」
「ちっ」
舌打ちしつつも、内心では聞き逃さなかったことにほっとしていたりする。
新たな『種』というのだから、文字通り新来の種族なのだろう。
奴の言いようから、この豚人たちが『新種』とかいう輩に土地を追われたのがそもそもの南進の発端であったらしきことが推測される。さっそくネヴィンに問いたいところだが、あいつも少し前まで州都に張り付いていただけだから望みは薄いように思う。ほかの『守護者』たちもまだ谷に残っているかもしれないし、これはもう後で確認するしかないだろう。
思案気に押し黙ったカイを見て好機と踏んだのか、残されたフォス支族の中から戦士アダルの命と引き換えにする代案が叫ばれ出した。
「支族ノ年寄リ100人。戦士アダル、代ワリ」
声とともに集団の後方から進み出てきたものたちが、カイを前に伏し拝むように身を投げ出した。それらが代わりに差し出す失っても惜しくないものたち……支族の足手まといなのだろう老齢のものたちだった。
老いたりとてその『神石』が100もあれば、筆頭戦士のそれに等しいほどの価値があるに違いない、きっとそうであるから本尊神を返してくれ、と彼らは請うのである。
生きた『神石』がカイの目の前に100個並べられたに等しい。
思わず損得を比べてしまったが、まてまて、そんな恨みがましい目で見られても、土地神付きのアダルの『神石』の方がよほど価値があると思う。
(…クソじじいはアダルの『神石』を食らうことを『小利』とほざきやがった。ならばこの年寄りどもの『神石』100個なら、さらに小っせえ『小利』だろ。もっと得になりそうな『大利』ってなんだ)
目まぐるしく思案する。
今回は寄り子たるサリエとその土地を守るという強い理由があった。
運よく一騎打ちで済んだからよかったものの、このバーニャ村は豚人どもにとっても本国との連絡が可能な『要所』であるらしいから、いつまた再戦を仕掛けられるかもしれない。次こそは相応の代償……谷の国のものたちの血を盛大に大地にぶちまけることを強いられるやも知れない。
ともかく3000匹というのは物量としてやっかいだ。
眼前に居並ぶ豚人たちを見る。
ちらりと視線を転ずれば、こちらを見下ろしている先達『守護者』、ウルバンの姿。
こいつの知恵も……底の分からなさもやっかい以外の何ものでもない。
胸の奥で、もぞりと神様が動いたような気がした。
カイは考えを吟味した後に息を整える。最善だと信じられる選択肢に手を伸ばす。それが正解でも不正解でも、カイは決断する者の責任としてその結果を引き受けるしかなかった。
「くたばりぞこないの『神石』なんかいらない。代わりに、おまえたち、フォス支族がこの村を二度と襲わないということを誓え! この地に二度と足を踏み入れるな!」
バーニャ村を含むピニェロイ家の領地、およそ等間隔にある辺土の村々を拠点とする辺土諸侯の領地は、支配する村の数に比すれどだいたいが本村を中心とした半径10ユルドほど。境界域ともいえるバーニャ村は大森林にも近しく、領の北部は森の一部を暫定的に含んでいる。
ならば四の五の言わさず、二度とその領地を侵さないと誓わせる。おそらくこれが彼らの本尊神と引き換えに得られる『大利』のひとつとなるだろう。
言い放った後に、ウルバンを睨みつける。おのれは集団と無関係なのだとかほざきやがったのだ、おかしな知恵を注入されたりしたらたまらない。
少しの間睨み合った後、ウルバンは何も言うつもりはないというように瞑目した。
「…コノ土地。モウ侵サナイ。誓ウ」
やはり本尊神を失うことを何より忌避したのだろう、フォス支族の長老のひとりが悔しげにそう宣誓した。
それは『守護者』ふたりを立ち合いとした、ふたつの国のたがえることのできぬ契約となった。
バーニャ村はこの日、名実ともに谷の国の一部となったのだった。
***
渇望したバーニャ村が手に入らなかった。
ゆえに豚人族3000は、踵を返すがごとく東へと転進した。
そして彼らが西ではなく東へ向かったのは、東域領主らを与し易い相手と判断したからでは無論なく、単純にそれ以外の選択を取り得なかったからに他ならない。
豚人族本国との連絡を取りうる東回りを彼らは押さえねばならなかったのである。
森の深部を行き来するために使われる亜人種らの『古路』……カイが灰猿人族の主邑へと向かうのに使った『竜の背骨』、危険の少ない谷底道を繋げた『くちなわの寝床』などの主要な路は知られているものの、豚人族が人族の地へと抜けるのに使う路はあまり知られているものではないようであった。
その秘密の抜け道の出口が、谷の国から数十ユルドの北西にあるらしい。
その出口からまっすぐに南下できれば話も簡単なのだが、大森林の中には当然のように先住種族が根を張り、その縄張りを守っていた。豚人族たちの南下を阻んでいたのは、彼らのずば抜けた戦闘能力をもってしても互角には対応しえない大敵……蜥蜴人族の支配する大湖沼地帯であった。
その支配領域を西側に迂回するものが最短路であったらしいのだが、そこを期せずして『谷の国』がふさぐところとなった。
必然的に、彼らは湖沼地帯の東側を攻め取るしかなくなった。結果としてバーニャ村から東に隣接していた人族領が侵され、ふたつの『二齢』村、さらに東のテペ村の支村、アクテペ村までの3村が豚人族の手によって電撃的に蹂躙されることとなる。そしてしぶとく抵抗を続けようとする人族を前線にくぎ付けにしたまま、豚人族は戦力の半分を一気に北上させたのである。むろんそれは湖沼地帯の東側を押さえるためである。
彼らの凶手にかかった最初の犠牲者は、穴熊族であった。人族領での騒ぎにうかうかと巣から這い出してきた彼らを、豚人族は死の大津波となって蹂躙した。
逃げた穴熊族とその族長一族は、隷従する東の大族、灰猿人族に救援を求め、いったんは逆襲を企てたものの……その灰猿人の一派クルパ氏族ごと豚人族にすり潰されることとなる。
生存競争の厳しいこの世界で、住む土地を奪われた小族の転落は実にあっけない。小人族などと比べたらそれなりに大きい体格である穴熊族は、土地に固執するあまりに半端に抵抗を続け、返って豚人族に『食肉』扱いされて追い回されることとなる。そしてそのほとんどが数日の間に殺された。周辺に潜んでいた近傍の他種族も、同様に根切りするように虐殺された。
豚人族は人族の3柱のほかにも、族滅した小族らの土地神5柱を平らげ、この時点で8柱の神を有する勢力へと成り上がっていた。これは広さだけなら辺土東域のボフォイ、モロク、テペの有力諸侯3氏の領地を合わせたものに等しいものである。豚人族はさらに森の中を北上し、『古路』に接続する大湖沼地帯東岸の一帯を支配するに至る。
都合8柱の土地神を束ねることで産声を上げたその小国を、『フォス支国』という。