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2021/04/11改稿
三神寄らば小鼎をなす。
『集』の原理を『守護者』たちはそのように表現する。三つ足の神器はたしかに『集』のそれによく似てはいる。小鼎があるように大鼎という表現もあり、これはより大規模な『群』……『集』の集まりを指している。この大鼎を持つことを得て種族は晴れてひとかどの大族であると認められるのだそうだ。
谷の国がこの『集』を得た原因である女が目の前にいる。
「…むう、こうやって林檎を焼くのは知りませんでした」
「…はむ、なかなかやるです!」
「……ど、どうも」
先住の娘ふたりの圧に押されて、身を竦ませているのはピニェロイ・サリエ。
バーニャ村領主家の当主を継いだ娘だった。
最初に彼女が谷へと駆け込んできたとき、出迎えたポレックはカイの縁者だと勘違いしてすぐに報せを寄越してきた。まったくの見ず知らずだと分かったのがカイとの対面の瞬間であったのだから、サリエは相当に幸運であったといえる。
経営の行き詰ったどん底の村の領主である。交渉の札のようなものは何ひとつ持ち合わせておらず、彼女ははなから年頃の娘であるおのれの身を差し出すことで谷の王の庇護を得ようと決意していた。ゆえにその行動には迷いがなかった。
サリエは特段に美しいという娘ではなかった。
日頃からの窮乏によって頬の肉は削げ、うっすらと頬骨が浮き出てしまっている。そばかすも目立つし肌の血色も悪く、髪も潤いを失ってぱさついている。明らかに女性として厳しい状況にあったサリエであったが、アルゥエたちと同じく妾になると必死で訴えた彼女に対して、カイは割合にあっさりとその提案を受け入れたのだった。むろん先住の亜人娘たちが騒いだことはいうまでもない。あくまでも情欲の対象は同族の女性のみというカイの守備範囲の狭さが、彼女らの不運であったろう。
物馴れぬ年若な男の初々しさのようなものは、緊張の中にあったサリエにもかろうじて気づくことができたようである。彼女は本来慎み深く人前に出ることもあまりしない控えめな娘であったが、相手の男に生殖本能の『魔法』がかかったと理解した後はしたたかに交渉を進めた。4人目の妻として谷にその居場所を確保するのにそう時間はかからなかった。
谷の有り余る食料は、サリエが本来持つ年齢相応の愛らしさをすぐに取り戻させた。そして長年の嫁入り修行で高められていた彼女の家事能力はアルゥエをして脅威となさしめたのであった。
同じ家事でも人族ならではという部分は多々あって、谷で過ごした時間というアルゥエの有利を容易く覆しかねなかったのだ。
サリエのちょっとした振る舞いにいとも簡単に反応してしまうちょろい神様に、第2第3夫人を自認するアルゥエとニルンは、以前にも増してかしましい。2人に手をつける前にサリエに手を出すのはあまりに人でなしすぎると釘を刺すだけでなく、谷に滞在するあいだ常にひとりはカイに粘着するという涙ぐましい努力が続いていた。
「お前もいろいろと大変だなー」
「あんまり後ろのほうは気にしないでくれ」
「雌に求められるのは強い戦士の証しだしなー。勤めだと思って子作りしたらいーじゃねーか」
「こ……変なこと言うな。すぐに調子に乗るから」
「んっ!」
後ろに座って服の裾を掴んでいるアルゥエが、いいこと言った!みたいに頷きつつくいっと服を引っ張った。常に薬を盛られ続けているのか、鬱陶しいのに好ましいという二律背反にもどかしげに身震いしてしまうカイである。
もっとも、薬も常用させられればさすがに耐性もつく。カイは嘆息ひとつですぐに表情を改めた。
谷ですっかりと相談役のような扱いとなったネヴィンが、現状の豚人族の動向を地図の上に配したいくつかの石ころで表していく。
「畑を耕すのに忙しそうにしてるんだけど、油断はしてねーな。人族との国境に結構な数の兵士を伏せてる」
「人族の有力領主が濃い土地に進出したんだ、囲まれて警戒はするだろ」
「予定よりも東に新領が作られちまったからな。まさかあの頑固じじいも、小娘に地団太を踏まされるとは露にも思ってなかったんだろうなー。目の前の獲物をおまえに掻っ攫われて、ははっ、あいつキューって、変な声で鳴いてたな!」
「オレは別にそんなつもりはなかったんだぞ」
「分かってるって。そのへんはあの娘の決断力がたいしたもんだったってことだろー」
『守護者』たちが集まった輪談の夜。
『守護者』ウルバンはひとつの決を迫り、おのれの庇護する豚人族の一派が、辺土を占める人族の領土を自侭に切り取る自由を獲得した。票は同数であったのに、年長者意見を優遇するというルールがウルバンの意見を押し通してしまったのだ。
輪談で取られた決議に『守護者』は反することができない。
かくしてウルバンは陥落寸前にまで追いやっていたバーニャ村を、夜明けとともに占拠する腹積もりでいた。すでにバーニャ村からは人族の軍勢も撤退し、残ったのは村にしがみついて生きていくしかない村の者たちだけだった。
友軍にも見捨てられたバーニャ村は、もはや豚人族の蹂躙を待つだけであるようにも見えたが……あるひとりの娘が、人族千年に喃々とする歴史においてすら前代未聞の行動に出たことで、奇跡的にも救われることとなる。
『守護者』たちの不思議な会が解散すると、ウルバンを除くほかの『守護者』たちは、根城へと戻る前にカイの谷の国を見たいとぞろぞろとついて来た。思念で共有した善き景色をこの目にしたいと彼らは所望し、ネヴィンの勧めもあってカイは彼らの歓迎会を開くこととなった。
その慌しい準備のさなかに、ピニェロイ・サリエは現れたのだった。
「…誰だこいつ」
客人と聞いていろいろな顔を思い浮かべていたカイは、ややしてバーニャ村で見たことのある顔だと気付いた。が、個人的に言葉もかわしたことのない相手をカイは知人であるとは思わなかった。
王の面前であると膝をついている娘が、どこの馬の骨とも知れぬものだと知って、珍しくうろたえたポレックが腰の短剣に手を掛けた。カイがとっさに制さなければ、あるいは娘の首が飛んでいたかもしれない。
「バーニャ村の長をしていますピニェロイ家が当主、サリエと申します」
カイが人族の言葉を使ったことで、会話が可能と踏んだのだろう。
無言のままのカイを見て、彼女は迷うことなくピニェロイ家の谷の国への参入を願い出たのであった。
「お前は人族だろう? 種族を裏切るのか」
「…裏切られたのは我が家のほうでございます。先代の父は殺され、いままた村は人族のほかのものたちから勝手に贄に差し出されようとしています。父が死んでからの半年近く、王の助けがあるのではと待ち続けることもしました。村人たちが飢えてばたばたと死んでいくなかひたすらに待ち続けました。そしてそれがあまりにもおろかな、考えなしの愚者の思い込みであるのだと気付いてしまったのです」
カイはそのとき小人族の仮面を被っていた。
バーニャ村での処置について思うところがあったのはカイとて同じであり、自分を見つめながら静かに涙を溢れさせたサリエを見て、同族に売られた者たちの絶望と怒りのほどを理解した。
サリエは待つことをやめた。
あるかなきかも分からない救済に期待することをやめて、自ら考え、行動を起こしたのだ。
「わが村には、時折猫人族がやって参ります。その者からこの谷の国のことを聞き及びました。そして大いなる谷におわします心優しき王があることを知りました」
父の跡を継いだだけのか弱き娘が、こんな真夜中の大森林を命懸けで分け入ってきたのだ。
いろいろな種族が集住を始め、森にいくつもの道ができつつあるいま、谷にたどり着くことはそれほど難しいことではなかったろう。が、それでもこの娘の決意の強さを疑う理由にはならない。
「わかった」
カイはピニェロイ家の参入を許した。
とたんにサリエから暖かな何かが通ってくるのを感じた。『帰依』が寄越されたことで、ますますサリエの言葉に信を置いた。
谷の国はバーニャ村の領有を宣した。その事実はたまたま同行した複数の『守護者』らによっても追認され、彼らのために用意された宴は、そのまま新たな神を受け入れる祝いの祭りとされたのだった。
明朝には豚人族が動き出してしまう。ささやかな宴が尽きるやカイは号令を発し、谷の庇護下にまとまりつつある諸族から戦士を募り、森を南下した。小人族、鹿人族ともに30余、掌馬族20、汗馬族40、猪人族50余の総勢170あまりの雑多な戦士たちが、先頭を行くカイに付き従った。
汗馬族の長レイメイは種族の誉れであると主張し、ポレックがこれに賛同したために、先頭を行くカイはレイメイの背にまたがる格好となっている。
亜人種には強きものは大なり、という根強い価値観があり、人族の少年にしか過ぎないカイはその価値観とは遠い姿形をしていた。大型の部類に入る汗馬族と一体となることで、亜人種の王たるにふさわしい威容を得ることとなった。
その腕のうちにはサリエが抱えられ、バーニャ村への道案内となっていた。彼女はその扱いを固辞しようとしたものの、カイが許さなかった。宴の席でサリエがカイの妾となることを願い出て、多くの祝福とともにそれが受け入れられたうえは、つがいの男として守ってやらねばならない。カイは多くの辺土男と同じく、女は守るものと固く信じているのである。
そうしてカイと谷の国の軍勢170が、日の出を待たずしてバーニャ村への移動を完了してのである。
「なんだ! こんなバカな!」
予告どおりにあくる日大挙してやってきた豚人族は、バーニャ村の防壁のうえに並び立つ、見慣れない軍旗を見ることとなった。その明らかに急造の旗……白地に丸い赤が描かれたそれは、カイに非常な既視感をもたらすものだったが、赤い丸が谷と命を表しているのだと集まった族長らに言われてすでに納得している。
『日の丸』との食い違いは丸の径が小さいことと、旗の縁に各種族の紋が小さく配されていることであるだろう。旗の意味するものは、『日の丸』よりもむしろ『星条旗』の精神に近い。
壁の上に居並んだ雑多な亜人種たちを見て、毒気を抜かれた豚人族が戸惑って立ち往生するのを、ウルバンが発破をかけるように前に進み出て来た。
その白濁した目は防壁のうえで腕組みしているカイをとらえており、とたんに思念による猛烈な抗議が行われたのは言うまでもなかった。
輪談で採られた決を、『守護者』は遵守しなくてはならない。つまりは『守護者』同士がまず争ってはならないと言うことである。そしていくら決議に不服だろうと、同じ『守護者』であるカイがなんのいわれもなくバーニャ村の件に首を突っ込むのは明らかな決議違反だった。
膨大な魔力による思念波は、カイをして思わず耳をふさがせてしまうに足る猛抗議だったが、ただ現実を覆すには力が足りなかった。
つい数刻前、昨晩に発生したカイとバーニャ村の主従関係。
すでにして、カイはこの件でのまごうことなき当事者そのものであったのだ。
「…ここさ、もうオレの村」
「……はぁ?」
齢千年越えの怪異の口から漏れた間の抜けた声に、カイはにんまりと笑ったのであった。




