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2021/03/06改稿
2021/03/16大改稿
「個々の土地神の力なんて、しょせんはその程度ってことだ」
森の端に程近いバレン杉の上で、行儀悪く寝転がっているネヴィンがつぶやいた。樹高50ユルはありそうな大木の高みで、平然と寝転がれるのはやはりその翅のせいなのかもしれない。
カイもまた『加護持ち』の傲慢さ……こちらは落ちても掠り傷程度で済んでしまう身体性能のおかげだ……で恐れ気もなくしなる枝先に立って見晴るかせている。
「もともと土地神がもたらす恩寵なんてもんは、定めた『防人』とその郎党が、喰うに困らない程度に下されるもんなんだ。一族を超えてその数が増えれば、土地が支えきれなくなって当たり前」
樹上からの景色。
カイの見る景色の左方にはいくつかの村が見える。そちらはいわゆる辺土東域方面であり、ラグ村を含めたなじみの深い人族の村が多く点在している。
それぞれの村も、そこを支配する領主家の名もそれなりにそらんずることができる。だからそれに紐づく知識……それぞれの領主が何齢の加護を得ているのかも把握できている。
遠目にも土色の『二齢』領主の村。
わずかばかり緑に色づいた『三齢』領主の村。
そしてはっきりと実りの濃い『四齢』領主の村。
神々の連環が砕けて恩恵が届かなくなった辺土の土地それぞれの、『自力』というものがとてもよくわかる光景だった。
そして目を右方に転じれば、そちらははるか彼方に州都バルタヴィアをのぞむ辺土中央域の方面となる。
千ユルドも離れた州都はともかく、数十ユルド内外に収まる村々が……『谷』から最も近いバーニャ村を筆頭にまぶしたように点在するのが見える。とくに近傍のバーニャ村は、カイの視力ならば隣家を見るがごとくよく見える。
崩された防壁はいまだに手付かずだが、がれきには緑の蔦が這い、村内の木々にはようやく芽吹きだしたのか若葉の新緑が色づきだしているのが見える。
(…本当に真っ平らだな)
前世の記憶が告げるような、『丸い地平線』のようなものは見当たらない。
それはこの世界が『球体』でないことの現れであるのかもしれなかったが、その気付きをカイは口にはしなかった。
「人はそもそも増えすぎてたってことか」
「まーなー。普通の種族ならとっくに限界で頭打ちになっていただろーなー」
「本来はどのくらいが適正なんだ?」
「人族は身体も小柄だし、さして大食いってわけでもねーから、そうだな……二百柱の土地神を押さえてんなら、《群》の特効を加味してもひと村300ぐらいがせいぜいってとこかなー」
聞きなれない単語が出てきたが、それを聞き流して余りある衝撃がカイの脳髄を震わせていた。
土地神ひとつで養える平均が、普通なら300人!?
辺土諸侯がだいたい200柱と少しだから、領民の最大数は6万。つまり現行の10万から差し引き、4万の人々がこれから飢えて死んでいくかもしれないという推測ができる。
餓死者4万!?
いや、備蓄もあるだろうし、すぐにどうこうということはないだろう。
それに各領主が非公認に増やしている草神の土地もある。それらで仮に3割り増しぐらいに扶養できるようになれば……ああ、それでも単純計算で2万人以上が過剰な人口として浮いてしまう。
「おまえは知らねーだろうから、わかりやすいたとえ話をしとこうか。…たとえばだけと、この人族が『辺土』と呼んでいる土地とどっこいの広さの国がある。北の狂い牛ども……『白牛人』の支配する『七つ大牧』合わせればたぶんそんくらいにはなるだろ。そしてお前ら人族が十万以上暮らしているのに対して、草喰いの狂い牛どもはせいぜい2、3万、てとこだ」
「………」
「…いままではよかったのに、急になんでそんな苦しくなるのかって顔だな。まあこの辺土全体で起こり始めてる『飢饉』のきっかけにはお前も関わってたんだから、わりあい納得はしやすいだろ? 直接の原因は辺土の領主たちのつながりが断ち切れたから。そして根本的な理由は、人族固有の種族魔法、『神統ね魔法』が一緒に砕けちまったからだ」
「みたばね魔法? 人族の種族魔法のことか」
カイの問いに、ネヴィンは居住まいを正すように、枝の付け根に胡坐をかきなおした。
「そうだ。人族の編み出した魔法だ」
「どういう魔法なんだ?」
「魔法みたいな魔法」
そうネヴィンは答えたのだった。
種族魔法。
『神統ね』と呼ばれるそれは、人族が業として抱える慢性的な食糧不足に何らかの効果を及ぼしていたものであるらしい。その効用については実際にいま目にしている辺土の飢饉が証明となるだろう。
そしてネヴィンの語る言葉はそこでは止まらなかった。
流行り病を寄せ付けない魔法。
子が早死にしない魔法。
旱魃除けの魔法。
まるで目録でも読むような列挙が続き、カイは戸惑ったように「ネヴィン」と呼ばわった。
それを見返して、先達『守護者』は最後に一つ。
「神変魔法」
ネヴィンはまじめ腐った顔で、そう口にした。
各地に散る『守護者』たちが長く人族に注目し、観察し続けた末に分かったのだという。人族王家の編み出した秘蹟。
神変、とは神が何か別の神に成り代わることを言う。
人央の学者たちがまとめる神学論の上では、あの『悪神』もその『神変』のうちに入る。神々の神性が変化することを指し、『鼎魔法』による特定個人の神を昇位させる『大王化』も同じ『神変』である。
人央上流の限られた者たちが口にするその『神変魔法』を、『守護者』たちは『神統ね魔法』の根幹となるものだと確信し、注視しているという。
それって。
「うん、バルターの王神化もその手管を利用してた」
取るに足らぬことのように、ネヴィンは首肯した。
「正確には王へと捧げられる力の流れを断ち切って、《バアルリトリガ》を連環の終点地としただけだけどなー。言ってて自分でも馬鹿らしくなるけど、『神統ね魔法』ってのは、辺土だけ切り取っても……大ぶりな枝ひとつを切り取っただけでも、いっぱしの『王様』を仕立て上げられるぐらいに大量の帰依を取り出せる。恐ろしいくらいに効率的に、どこから持ってきてるのかもわからねーぐらいの量の帰依をかき集めて運用する……そういううそみてーな魔法なんだ」
だから、『魔法みたいな魔法』。
生き字引のような『守護者』たちですらいまだに解析できない大魔法……それが人族の『神統ね魔法』なのだ。
「もちろんさっき言った全部の効用をいちどきに発揮してるわけじゃないのは観測で分かってる。でもそのうちの二つ三つを日常的に展開してるってのは間違いない。辺土の人族を余計に食わせていた『豊穣魔法』と、人族の高い空を支えてる大御柱、王神の大王化……くだんの『神変魔法』は、必要がある以上常に働きを失うことはない」
「…ありえねな」
「まあ、そうだなー」
「ネヴィンたちの『鼎魔法』だって、平然と一日中使い続けられるような代物でもないんだろ」
「脚となり支えられる支王の数がもっと多くて、輪番で回せればあるいはってとこかなー。最大3カ月間捧げ続けたっていう記録はあるぞー」
「…全力でそんくらい、てことだろ。魔法は何でもありだけど『燃費』が悪すぎるんだ。国家規模の常時魔法を四六時中維持するんだろ? 人族王に連なる諸侯がいくら多いからって、その帰依の力を合わせたって無理だろ絶対。…勘定が合わねーよ」
「…だから言ったろ。『魔法みたいな魔法』だって」
「その『みたばね魔法』って、ほんとうに帰依の力だけで賄ってるのか? 坊さんの説法じゃねえけど、大樹神様の衆生合一とかいう自然と一体みたいな超理論でもねーと納得できねえよ」
「マヌ? あのよくうろついてるうさん臭い禿げ頭たちのことか」
千年を生きる『守護者』たちの目には、ありがたい高僧もうさんくさい浮浪者と変わりがないらしい。そういえば州城にもその手合いがいっぱいいたな。
まあ、それよりも、だ。
「…そろそろ受け入れられねーか」
「………」
「たく、往生際が悪いなー」
「…ああ、くそっ、やっぱ納得できねー! やっぱそうなのか。そういうことなのか!?」
「まあ見たまんまだろー」
「あの女の村が、『二齢』のくせになんであんなに緑が濃くなった。みたばねとかいう魔法は消えたんだろ」
そうしてカイの眼差しは、ここに来たきっかけとなった本来の目的を思い出したようにひとつの村に向けられた。
実は人族魔法の講釈を聞くために来たわけではない。カイはこの森のきわの大木まで、確認すべきことがあって出向いてきたのだ。
噂の真偽を確かめるためだった。
「ほかの村と比べてもありえないだろこれ」
「そりゃあおまえの恩寵が潤沢に分け与えられてるんだ。そのぐらいの恩恵は生じるだろうさー」
いまいましげにカイが目を向けたのはバーニャ村。
人族が捨て、豚人族が最初の根拠地としたはずのその村は、ほかの同齢帯の村と比べてかなり豊かな緑に覆われて、遠目にも村が活気付いているのが分かる。荒れ果てていた麦畑にはわずかだが豊かな緑が風に漣立ち、果樹は新しい芽吹きで新緑に覆われつつある。立ち働く村人たちの明るい声がここまで届いてきそうだった。
それは不作にあえぐほかの人族の村々にとって、羨望を集めずにはおかない光景であったろう。
またぞろ起こりそうな揉め事の予感に、カイはくしゃくしゃと頭を掻いたのであった。
多くの民人が暮らすようになった谷の国は、その様相を大きく変えようとしていた。
まず小人族や鹿人族、その他少しずつ合流しつつある弱き種族たちが、谷の近辺に根付き集落を形成し始めていた。
住人が増えればその胃袋を支えるための開拓が行われるわけで、カイの許可のもと森の木々が切り倒され、木造の住居の増加にあわせてかなりの農地が拓かれつつあった。
もともと森の腐葉土の効用もあったのだろう、すでにかなりの作物が実りつつあり、強き神のもとで安心して農地を守りできる諸族はいっそう谷の神に感謝を捧げた。小ぶりな体躯の『馬』に似た掌馬族、それよりも大型の汗馬族、ともに草食の彼らは家畜まがいに狩られ、大森林に隠れるようにして暮らしていたらしい。豚人族の苗床となったと言う古い猪人族の一派も、豚人族の迫害を受けて谷に身を寄せるようになっていた。
ポレックのとりなしで谷の近くで機会を待っていた彼らは、カイが居を谷に据えたことで手続きが進み、一気に領民化へと雪崩込んだ。
とにもかくにも彼らが精力的に定住化を進めたことで、谷の国は一気にその形を世に現すこととなったのだった。
中心となる谷は、溢れるような神気で常に緑が生い茂っている。その周囲1.5ユルドまでは谷の神の恩寵によって一定以上の収穫が得られる土地であることが分かって来た。その境界線を境に緑の厚みがなくなることから、領民たちもそこから外を外地、豊かな内側を内地と呼ぶようになった。
むろん土地の豊かさは谷に近づくほど目に見えて増し、半ユルド圏内はなにを植えても豊作間違いない土地として『一等地』扱い、その分配は眷属たち各種族の間で慎重に取り決めがなされたらしい。
その谷の国の領域なのだが、不思議なことに現状きれいな円状とはなっていない。土地神の墓所という本願地を捨てた種族ばかりではなかったために、土地神の従属……谷の神様を王と戴く帰依の連環が発生し、薄く広く特効の顕れた土地が誕生したのだ。
ネヴィンいわく、国とは『面』なのだという。
谷の神の土地を中心に、小人族ハチャル村の土地、鹿人族のナジカジ村などの土地神が帰依で結ばれ、その国の基礎となる『面』が水面下ではすでに形成されていたらしい。
すでに土地を追われている彼らの神との帰依はそこまでの力を持たなかったが、土地の実効支配が続いていた西10ユルドの位置に掌馬族の小村コロン村、そしていまひとつの参加種族の村が成した3頂点の『面』が、はっきりと力強く特効を顕したのだ。
「最小単位を『集』という。土地の疎は密となり、恩寵たる神気を洩らさず良く含むようになる」
土地神から注がれる恩寵は水のように土地に吸い込まれ、そして使われなかった分は大方が散ってしまっているのだという。それが『集』の特効によって散りにくくなり、土地によく滞留するようになる。つまりは土地の実りのよさに繋がるというわけらしい。
その住み良くなった土地はまさに国土と言って過言ではない。だから谷の周りの一等地も、西側に向けて広がりを見せる。
そして谷の国の一等地は、いまひとつの実効支配の続く村……バーニャ村のある南西にもわずかではあるが広がりを見せていた。
「まあそれは、利害も一致したんだろー」
カイがすぐにはラグ村に帰れなくなった原因……『守護者』の輪談での言い争いがそもそもの発端だった。
カイは肩をすくめて嘆息したのだった。