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神統記(テオゴニア)  作者: るうるう/谷舞司
動乱
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137

2021/03/01改稿






 冬篭りの明けた辺土は、東からの強い風にさらされる。

 その東風が運んでくるのは春の温みではなく空をけぶらせるような砂塵である。風月(かぜつき)と呼ばれる短い乾季は辺土の大地から雪を引き剥がして、辺土の民たちに農作業の始まる頃合いを教えてくれる。

 ラグ村でも農地の土起こしが始まっている。雪解け水を含んだ耕地が硬く締まってしまわないうちに鋤入れするのが先人の知恵であった。

 今年の働き手はほとんどが女であった。先の豚人族の侵入騒ぎで、男たちのほとんどが戦地へと駆り出されてしまっていたからである。

 女は男よりも力に劣ったが、粘り強く我慢強かった。頼りになる男手をとられてしまったことにぶつくさ言いつつも、みな懸命に土にまみれて作業した。

 通年であれば、雪の下で冬越しした野草をそのまま鋤き込んで土の養分にするのだが、今年はなぜか新しい芽吹きも少なく、わずかな草も見るからに黄ばんで腐っていた。

 土に栄養が足りていないことは誰の目にも明らかだった。


「帰ってきたよ!」


 そのとき叫んだ娘がいた。

 セーナという名の娘だった。鋤を振り回しているあたり相当に喜んでいるのだろうけれども、その男勝りを見て相手が何を感じるかは別の話であったろう。

 戦地に出ていた男たちが帰って来たのだ。

 農具を放り出して大勢の女たちがそちらへと駆け寄った。たくさんの人死が出るのではと言われていた男たちであったが、そのほとんどが無事に帰還を果たしたようであった。女たちの黄色い歓声に、男たちが無邪気に槍を掲げて応えてくる。


「姫様」

「やっと戻ってきたのね」


 額の汗を拭ったジョゼは、前掛けで泥まみれの手を拭い、お付きの者に手を引かれながら畦の土手を登った。領主の娘が来たことでほかの女たちが場所を空けた。

 男たちの先頭を進む人馬は、彼女の兄であるオルハだった。

 馬上で背筋を伸ばす黒髪の貴公子を見て、未婚の娘たちがわぁっと声を上げた。

 男たちが村に戻ったのはひと月ぶりほどのことである。オルハの後ろには、村を目前にして前へと上がってきたヴェジンの巨躯も見えている。


「…姫様、早くお伝えしたほうが」

「慌てる必要はありません。列がほどけてからにしましょう」


 血の気の薄い白いかんばせに苦味を含みながら、ジョゼは無意識に人の姿を探していた。オルハの眼差しに応えて笑顔を見せつつ、その目は後続の男たちを追っている。

 大勢と言っても、ラグ村の男手は100にも満たない。探し人がひとり紛れていても、見逃すことなどあろうはずもなかった。


(…いない)


 嫌な予感に胸の奥がわずかに震える。

 家のお古を下賜されたはずの赤毛の少年を見つけられず、彼女は戸惑いながら家族との再会を果たしたのだった。




「…それではバーニャ村の守りはかなわなかったのですか」


 出戦となっていた男たちを迎え、村はにわかに活気づいていた。

 先じて合流した農作業組に加えて、村の門のあたりで居残り組も合流して、軍勢が解散される城館前広場までぞろぞろと続いた。

 ジョゼは父と兄に挟まれるようにしてその中段を歩く。


「敵方に異形の『守護者』がついていた」

「…『守護者』!?」


 ジョゼが驚いたのも無理はない。

 その目が再び軍勢の中に泳いで、あの少年の姿を探してしまう。

 『守護者』と名乗る者に彼女も面識があったのだ。


「ところでカイは?」

「…あやつは村を出がけに分かれた。その敵方の『守護者』と接触していることだろう」


 ヴェジンの応えに、ジョゼがまた言葉を詰まらせる。気にしている少年の帰還がなされないことがこれで確定したからだ。


「あやつのいう『谷』とやらは森の奥にあるようだ。もしも豚どもが害をなしそうならば土地民を守るためにそちらに残るかもしれぬな」

「カイはもう帰らぬかもしれないと」

「心配か? ならば帰ってきてくれとおまえから文を出してみるがいい」

「えっ、ふ、文ですか」

「州都から戻ってこっち、なんだかよく気にしているようではないか。あやつを…」

「お、お父様!」


 侍女のアクイに出迎えられて顔を緩めていたオルハが、小さく舌打ちした。

 カイに対して温度差のある態度を示す父兄に、ジョゼは肩身を狭そうにする。彼女はそのたびに否定してみせるのだが、ふたりはまるで取り合ってくれないのだ。ゆえにジョゼもため息をつくしかない。地下に落とされ、化物の生贄にされるところを救い出してくれた相手なのだ。少しばかり気にしても仕方がないではないかと思うのだ。

 揺らされた心を落ち着けるように深く息を吸い、ジョゼは城館の入り口をくぐると手を叩いて女たちを呼び集めた。

 すでに万端準備していた侍女らは総出で、遠出帰りのふたりに取り掛かった。足を洗う者、身体を濡れ布で拭く者、着替えをさせる者……そうした世話が焼かれている間に、荷の解体整理が手早く行われる。

 その一連の作業が終わるのを待って、ジョゼは父兄の背を押すように奥の廊下へと向かった。あらかじめ人払いがされていたのだろう、人気のない廊下をモロク家の3人は歩きだす。

 向かったのは城館の地下だった。

 おのれたちが案内されたのがどこかを知って、オルハが声にならない呪詛を吐いた。

 食糧庫とされているその階層の一角には、ときおり罪人の留置場として使われる部屋がある。そのなかでも長らく使われていない部屋のひとつだった。

 薬師のおばばが近寄ったヴェジンを顧みて、ぶつくさと何かを言った。ひとつの寝床を囲んで幾人もの女たちがいて、そこには正夫人である母カロリナの姿もあった。


「破水したのは3日前でした」


 そこに母までいた理由は、《女会》の上位者たちが集められていたためであった。出産にかかわる事々は、女性の秘事として《女会》の管理すべきもののひとつであるからだ。

 寝床で静かに横たわる女は、かろうじて生きているのか弱々しい呼吸に胸を上下させている。僧院に移されていることから《女会》がどのような判断をしたのかはうかがい知れる。

 ヴェジンが身をかがめたのは、その横たわる女の枕元……帯にくるまれた小さな赤子を見るためだった。まるで死者にするようにかぶせられていた布を剥ぎ取ると、そこにいた赤子が目を覚ましたのか、弱々しい泣き声が発せられた。


「…忌み子か」

「…本当に人族の子か」


 すぐにまた布をかぶせられ、赤子の泣き声は遠ざかる。が、その命の熱は紛れもなくすぐそこにある。

 ヴェジンとオルハは、魔除けの聖印を切った。


「不作の年には、よく兆しが現れると言いますが……わたくしにはどのように解すべきかが分かりませぬ」


 母が沈痛な面持ちでつぶやいた。

 土地の主である『加護持ち』は、ときに祭司であり判官でもある。ラグ村で起こった物事に最終的な判断を下すのは、現当主であるヴェジンにほかならなかった。

 獣腹(けものばら)、多産として現れたのならまだ分かる。

 多少の奇形として現れたのならば受け入れることもできる。

 ヴェジンは両手で顔をなするように瞑目した。


「…死産とせよ」


 赤子は生まれなかった。

 最初からいなかったことにするのだと、現当主は決断した。カロリナがはらりとこぼれた涙を拭い、頷いた。《女会》もまたその判断を受け入れた。

 母親はいま薬師のおばばが作った鎮静薬で眠っている。おのれが地下に移されたことで、運命を悟ったのだろう。難産で母体もかなり傷付いたらしく、子とともに死を受け入れる覚悟であるという。


「…厳しい年になるぞ」


 ヴェジンはつぶやいた。

 土地神の化身である父の言葉は、この村では神託にも等しい。

 傍に立つ兄がおののいている。

 ジョゼは取りすがる寄る辺もなく拳を握ると、わなわなと身を振るわせたのだった。


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― 新着の感想 ―
[一言] 神の力が無いとちゃんと産まれることも出来ない 神の力があってもなくても最早呪いだな
[気になる点] この世界の人は伯のような上位者が下級貴族の娘を生贄に捧げても、土地が荒廃する懸念から何もいえず唯々諾々と従うしかない関係なのでしょうか
[良い点] このままでいいと思います。簡単に進む難題ならここまでコメントもされませんし、正直面白くない。 閉塞感が強い物語は読むのは確かに疲れますが、いつか来る逆転劇に向け期待感できて、読者にとって…
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