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2021/03/01改稿
輪談。
それは『守護者』たちの合議の場であった。
カイにネヴィン、ウルバンに続いてドープが歩み寄った。そしてその他の『守護者』たちが森の暗がりから姿を現した。
ゆったりと進み出てきた白い大犬が草叢から出るやぶるりと毛を震わせた。見上げるような巨体はやはり古き種族の傾向でもあるのか。顔つきも微妙によく知る犬のそれとは異なり、よく発達した顎と鬣のような体毛が首筋に沿って逆立っている。
そして体表を草木で覆われた緑の固まり……蟲らしき多脚を繰っている異形が音もなく現れたときには、豚人族さえもが怯えるように後ずさった。
まだ森のなかに気配があるものの、新たに現れたのはドープを入れて3人の『守護者』たちであった。隠れているその他の気配は彼らに同行する眷属たちであったのかもしれない。
ネヴィンが森の下生えの中から若木の枝を折り取り、広場の真ん中に刺して立てた。そしてそのまわりを、言葉を唱えながらひとめぐりする。
刺された若木に水を注ぐように霊力が捧げられ、その根付きが促されたことをカイは感じた。『守護者』たちのなにがしかの儀礼であるようだった。
「…いいぞ」
「すまんな、八翅の。では同胞たちよ、輪談といこうぞ」
「いや、待て待て」
ドープの声がけに、ウルバンがいささか慌てたように口を挟んだ。
甲羅族の大戦士は足を踏み鳴らし、カイへと白濁した目を投げた。
「谷の神を継いだとて、そのことをもって『守護者』となるわけではない。『守護者』は鼎の誓いを結んだ善き種族……その大戦士だけが名乗りを許されるもの。卑しい人族であるこやつの参加をわれは認めぬぞ」
強力な力を持つウルバンが難色を示すほどに、この輪談は『守護者』への強制力を持っているのか。当人であるカイが戸惑っている間にも、ウルバンの主張はひとつの『談義』となって『守護者』のあいだに口伝にされていく。ウルバンの背後でその主張を支持する豚人族が声を上げている。
人族、という言葉が呪詛のように広がっていく。
「そもそも多くの種族を根絶やした悪しき人族などに、『善き種族』たる資格などあるものか!」
脳髄に響くようなウルバンの訴えにわずかに居竦んだカイであったが、すっと舞い降りてきたネヴィンが寄り添った。「…カイ」と耳元で名を呼ばれ、はっとしたように瞬きする。
「…改めて聞くぞ。…おまえはどっちなんだ?」
「ネヴィ…」
「谷の国の王様か、それともいまだ人族の仔か」
突きつけられる問い。
いきなりなにをと戸惑いはしたものの、ネヴィンがそれを糾そうとした理由はなんとなく理解できた。
あの州都での『悪神』騒ぎ……そのときに辺土領主たちに向ってカイは『守護者』を名乗った。そうして人族という種族の枠を自らはみ出したくせに、いまだにずるずると生地であるラグ村に入り浸り、人族の仔であることをやめようとしないおのれを、この小さな『守護者』は谷から見守ってきたのだ。
いまもまた、じいっと見られている。
いわれずともそのことについてはずっと悩み続けてきた。冬至の宴から帰り、兵舎の一室で仲間たちと過ごしているときも、ご当主様に呼ばれて連れまわされているときも、以前には感じることのなかった、想像もしたことがなかった居心地の悪さがカイを息苦しくさせていた。
食堂に行ったときも、領主専用テーブルの末席に座るよう言われて、好悪入り乱れた視線を浴びたときも止めてくれと叫びたくなった。カイというめきめきと頭角を現しつつある『成りかけ』は、いまやただの痩せっぽちの新米兵士などではなくなっていたのだ。
(…オレは)
カイは谷の神様と結ばれてその土地を得た。
土地神を得るということは土地の防人となることであり、人族の国では領主と同義であった。
本来であれば人族の一員として、人族の国という巨大な炎に、『谷』という新たな土地(火)をくべ入れることが正しいのかもしれない。だが、カイの心はそれを拒絶していた。
最初はちっぽけな、子供の独占欲であった。手に入れた秘密の場所をほかに知られたくない、独り占めしたい。そんな程度の心の動きだったと思う。
だがいまは、違う。
「…主様」
おのれの主が異形の者たちに取り囲まれているのを守らんと、険しい様子で警戒しているポレックの体温を間近に感じる。その息遣いは守るべき眷族の命の証であった。
縋られた結果とはいえいくつもの種族を仲間として迎え入れ、谷はもはや一個の国として息づき始めている。いまさら眷属たちを切り捨てて人族国に合流するなどとうてい考えられない。
アルゥエの顔が。
ニルンの顔が。
憎めない猫商人の顔が。
異種混交の国。
その国の、おのれは王であるのだ。
「オレは……谷の国の王だ」
「…なら、問題はねーな」
含むように笑ったネヴィンは、ぽんと肩をひと叩きして、『守護者』たちの中心までふわりと飛び上がった。そして、巨大な『同胞』たちと目線の高さを同じくしてから、「おいらは認めるぞ!」と子供のように高い声で宣言した。
ほかの『守護者』たちに言葉を挟むゆとりを与えず、ウルバンの主張が的を外したものであること……カイが人族ではなく、谷の国という一個の国の王であることや、民たる眷属が多種多様な種族で構成されていること、争うことも知らぬ善良な種族ばかりを束ねたその国が、『善き種族』として認められないはずはないと、すべらかにその主張を述べ立てた。
「…だからおいらは、カイを『守護者』として受け入れようと思う」
『守護者』たちの会話は、まるで雨の日の水面のように頭の中に無数の波紋を生み出してくる。心を定めなければただ騒がしいだけで何ひとつ情報を拾い上げられない。
心を落ち着かせて、ネヴィンの導きに身をゆだねる。外から見れば水面の波紋でも、その意識野に同化してしまえば……水中に潜ってしまえばそればただの『音』に置換される。
その『音』には実音声だけでなく、相手が伝えようとしている心象風景までもが含まれている。驚くほど高度に圧縮された情報のやり取りだった。
その見たこともないような景色が次々フラッシュバックする中に、ごくたまに……谷の国のものと思しきイメージが混ざってくる。それは谷縁で眷属たちが行ったのであろう村づくりの様子や、にぎやかな宴の様子だった。小人族に鹿人族、猫人族に見たこともないような姿かたちをした種族までもが交じり合い、酒を片手に歓談しているさまに、口元が緩みそうになる。
それはネヴィンが見た谷の国の風景なのだと分かった。
そのイメージはほかの『守護者』らにも共有されているのだろう。
(鼎ダ)
(…善キ景色)
(おいらの見た谷の国だ。嘘はない)
なぜかそんな谷の様子が『守護者』たちの関心を集めているようだった。あのウルバンですらいっときネヴィンの言葉を吟味するかのように押し黙った。種族同士が手を取り合ったというかつての世界では、ありふれた景色であったのかもしれない。
「谷の国のカイを、『守護者』として受け入れるか否か。おいらは問おう」
意識の中とは別の、実際の空気を震わせるネヴィンの実音声。
ネヴィンは問いつつ、ささげた手のひらからほのかな白光を生み出した。
ふわりと浮かび上がったそれは、『光魔法』とでも呼ぶべきものだった。
灰猿人たちの焚いた篝火の赤ではない、静かな白色が夜の森を照らした。
「八翅の『守護者』は賛成する」
『白票』。
そんな単語がカイの中に浮かんだ。
こぶしほどの白色光が、ひとつまたひとつと上げられる。
ネヴィンのそれをあわせて4つの光が上がり、カイが『守護者』であることについての決が採られた。白4つに赤ひとつ。
ウルバンが盛大に舌打ちを洩らした。
「谷の国のカイを、『守護者』として受け入れることが決まった」
とたんにさまざまな思念がカイの頭で炸裂した。
あまりに強い念であったために脳髄が割れ鐘のように揺す振られ、激しい頭痛と吐き気で腰砕けに坐り込んでしまう。フィルターをかませるイメージで感度を意図的に下げて、ぎりぎり気絶するような醜態だけは回避する。
異形の先達たちが、新たな『守護者』の誕生を寿いでくれていたらしい。
そしてなんとなく予感していた成り行きが、ウルバンの踏み出した一歩で始まったのも分かった。
「『守護者』は種族一等の大戦士でなければならぬ! それにふさわしき武を、きさまは証明せねばならぬ!」
その主張には一定の理があったのか、止めようとする『守護者』はいない。『加護持ち』が腕力で語り合うのは、ここでも変わらぬことであるらしい。
素直に構えを取ろうとするカイに、ネヴィンが助言を与えようとして、突如横殴りの突風に吹き飛ばされた。ウルバンの『念動魔法』による妨害だった。
よほどオレのことがお気に召さないらしい。
甲羅族の大戦士ウルバンは、『守護者』たちの中にあってもよほどに強い戦士なのだろう。
抗いがたい強者を前にして、カイは恐れとともに沸き上がるような興奮に体温を急上昇させていた。汗ばんだ手を何度も握ったりはなしたりした。
制止の声が届かないカイを諦めて、ネヴィンがそのまま後ろへと下がった。同じような距離感で、ほかの『守護者』たちもふたりの力比べを見守っている。
「まずは身の程を知れい!」
瞬間に、迸るような霊力がカイへとたたきつけられた。
その『念動魔法』は先のそれなどとは比べるべくもない圧力で、カイを呪縛した。縛り上げるというよりも、それは生き物の血を生きながらに圧搾するかのようなおそるべき呪縛だった。なにをする暇もなくがんじがらめにされた上に、呼吸どころかそのまま全身の骨を砕かれかねない状況に陥ってしまった。
肌身に直接触れることのない遠隔魔法は、霊力の無駄が大きいというのに。ウルバンはそれでもあっさりと霊力量でカイを上回った。
カイは必死におのれのなかの霊力を練り上げて、ウルバンの魔法をおのれの身から剥がそうとする。集中が難しかったとはいえ全力を絞ってようやく呼吸が出来る程度に抗うのが精一杯だった。
そこへ接近してきたウルバンの脚が、カイを踏み潰すべく踏み下されてくる。身を投げて避けようとしても、身体は固定されたままだった。これにはさすがのカイも息を飲むしかなかった。
なんという格差。
これが大昔から生き伸びてきた古つわもの……生粋の『守護者』の力だというのか。
なんとか上に向けることが出来た両手で殺到する重量を受け止めて、あらん限りの力を身体能力の向上に注ぎ込む。とたんに窒息したが構ってはいられない。
どんっ、と衝撃が全身を貫き、硬い大地を踏みしめていた足が、ぬかるみででもあったかのように脛の半ばまで埋まっていた。
不意に上からの重圧がなくなり、瞬きしたカイに再びウルバンのスタンプが叩きつけられる。カイの抵抗など委細気にすることもなく、杭のように叩き込むつもりのようだった。
(カイ)
小さく声がした。
ネヴィンのものであったが、それが耳に届いたのは、実声ではなく念話であったからだろう。
(これからおまえに『鼎の魔法』をかける)
すぐには理解できなかった。
旧世界で諸種族をまとめることで生まれたらしいその魔法を、カイは『民主主義』的な社会体制、争いをなくして生産性を高めるなにがしかの技ではないかと勝手に理解したつもりになっていたのだ。
その瞬間、奪われていた呼吸が復活した。
いや、それは端的な事象のひとつでしかなかった。
カイが必死に紡いでいたウルバンに対する抵抗の意思が、極度に膨れ上がったのだ。圧倒的な『念動魔法』が押しやられ、肺の呼吸動作の支障が取り除かれていた。
カイは存分に豊かな酸素を堪能した。
ウルバンの脚を押し返して、腰の辺りまで埋まっていた地面から、腕の力のみで苦もなく脱出する。
そうして改めて、ウルバンの力に抗い得たおのれの両手を見下ろした。
あまりの霊気にまばゆく輝くのはその両手だけではなかった。おのれの全身が分厚い霊気をまとっていた。
「覚えとけー。それが『鼎の魔法』だ」
彼らの言う『鼎』とは、思想ではなく本当にそういう『魔法』であったのだ。
『鼎』。
それは前世の記憶にも触れるものがあった。
古代の王権を象徴する三つ脚の神器。
「こいつで王は『大王』になるんだ」