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2021/03/01改稿
3000の顔が上げられた。
そして6000の目が突然の来訪者3人へと投げられた。
ざわめくようであった歓談の声が途絶えた。
「…この数相手はさすがにきついぞ」
「まともに相手するならなー」
『加護持ち』だとてけっして体力が無限なわけでも、不死であるわけでもない。個人が対し得る少数制限下でならば無双もできようが、10方向から同時に武器で打ちかかられればその中の半数以上は身体に受けてしまうだろうし、回復力を上回る頻度で傷を与えられ続ければいずれ戦闘不能に陥り死ぬこととなるだろう。
常人と『加護持ち』との戦いは一方に偏りすぎているだけで、成り立っていないわけではないのだ。
ましてや、種族間の身体能力の格差もある。豚人族のそれは紛れもなく当世最優良の候補筆頭に挙げられるべきものだった。
あのバーニャ村の防壁を崩落させて『魔法』だろう。
『重力』というよりも、物体移動……『念動』のような概念によるものなのか。
『念動魔法』によって揺さぶられたバレン杉の大木が、針のように細い葉を舞い落ちさせてくる。人族の土地と違い、蜥蜴人族のものとして安定を得ているここいらの木は、しっかりと根が張っている。倒すまでには至らなかったが、樹上の3人を振り落とすのにはあっさりと成功した。
そして視界から消えうせていた『守護者』ウルバンの巨体が、突如として間近に現れた。
何もない闇に霧が湧いたと見えたその一瞬後に巨大な脚が天の蓋のように唸りを上げて迫ってきた。
カイ、ネヴィン、ポレック三者ともに素早く飛び退こうとして、そこで再びあの『念動魔法』が身体を締め付けてきた。
動きは鈍い代わりに攻めの一撃は巨体ゆえにとほうもなく強力。旧種の偉大な戦士であったのだろうウルバンはおのれの戦い方を熟知していた。動きが鈍くて当てられないのならば、獲物を逃げらないようにすればいい。
ネヴィンは苦もなく『念動魔法』のくびきから逃れて、死のスタンプから軽く後退した。カイもまたおのれを締め付ける『見えない手』を魔法であると感知して、ウルバンから伸びる霊力の流れをかき乱すイメージで霧散させた。ふたりの守護者は難なく対処してのけたが、ウルバンの魔法を成り立たせている霊力の流れは噴流の圧力がある。おそらくは霊眼を持つポレックにもそれは見えていたことであろうが、『三齢』にも届かぬ小人族戦士には、抗うだけの自力が備わってはいなかった。
「じいさんッ」
動けぬままに上を見上げたポレックの異常に、カイが気付いた。
カイの霊気が爆発する。
「しゅ、主様!」
「…い、いから、逃、げろ」
人外の怪力ならばカイにも備わっている。
樽よりも太いウルバンの脚をぎりぎりで受け止めたカイが、ずんと半ば地にめり込んだ足からゆっくりと金剛力を振り絞っていく。いったいどれほどの重量があるのか分からないウルバンの巨体である。四肢でそれらが分散していたのだとしても、いまカイの身体にかかっている圧力は数千パイントでは到底収まらないだろう。
霊力を継ぎ足し身体能力を上積みしていく。
圧力に抗しているだけであったカイの身体が、筋肉を膨れ上がらせてゆっくりと伸び上がっていく。ポレックが退避したのを見計らって、カイはウルバンの一本足を捨てるように放擲した。
わずかによろけたウルバンの巨体が、揺り戻してずしんと四肢を着く。その見上げるような巨体を睨みつけて、カイは肺に溜め込んでいた空気を一気に吐き出した。
「…問答無用かよ、クソじじい」
不満の声を上げたのはネヴィンだった。同じ『守護者』の誼はないのかよと文句を垂れて、その鼻先へと羽ばたいた。
「***、**」
ウルバンの声を聞き取れなかったのは、どうやらネヴィン相手に八翅族の言葉を話していたらしい。ネヴィンが気を回して、言語を人族のそれへと合わせてくれる。
「消えい、羽虫め」
「羽虫いうな」
「わしは忙しい。去ね去ね」
「そういうわけにもいかねーんだよ」
ネヴィンが腹立ち紛れに鼻先を殴っても、痛痒も感じぬのか白濁した眼をさ迷わせて、ゆっくりと地上に待つカイたちを見た。
「聖貴色……貴様の連れか」
「『谷の神』の次代だ。先代はくたばったらしい」
ウルバンの顔が近付いてきて、腐った水の臭いがふっと漂った。
目はすでに光を失っているのか、こちらを見てはいなかった。
「…臭いは、人族、か」
「そういうことだ」
谷の神の後継は人族の子供。
それを理解すれば、ここにカイが乗り込んできた理由も容易く察しがついたであろう。ウルバンの後ろには、武器を手に取り集まってきた豚人族たちが何事かとやり取りを眺めている。相手がたった3人であったために、そのおとないを敵対的なものとは見做さなかったのだろう。さらには『守護者』たるウルバンが相手をしている。
明らかに古き民だと知れるネヴィンと、小人族の年寄り、そして全身革鎧のままのカイ。おかしな取り合わせであったことも危機感を薄れさせた。
「儂は退かんぞ。人族の土地を切り取って、ここに豚人の国を広げるのだ。フォス・アドゥーラの善き血統を細らせはせぬ」
「土地を侵すのなら、オレは戦う」
カイは決然とそう宣言する。
その強い言葉に不満を覚えたのだろう、ウルバンが洩らした鼻息がカイの顔面をなでた。
「もはや人族に守ってやる価値などない。覇族よと見守った『守護者』らは馬鹿を見た。そうであろ、***、****!」
語尾にまた昔の言葉が混じって、カイはついとネヴィンの方を見た。眼差しを受けて小さく笑った八翅の『守護者』は、「そうだなー」とつぶやいた。
人族の支配が強い州都の城の地下で、残された種族の卵を後生大事に守り続けていたネヴィンは、その地で一体何を『守護』していたというのか。まわりの土地はすべて奪いつくされて、もはや人族しかいない土地であったというのに。
「かつての賢王たちは、『鼎』という融和の知恵に夢を見た。弱き生き物でしかなかったみすぼらしい人族は、『神統ね』という小知恵をもって土地神を狩り尽くし、覇族へと駆け上った」
身中に沸きあがった熱を持て余すように、ウルバンの声が激しさを増した。
神にも等しい異形の苛立ちに臆するように、豚人たちがわずかに後ずさる。
「土地神を欲して濁流となった人族の群れを、新しき試しともてはやして傍観した『守護者』どもは、いまなにを考えておるのだろうのう」
「人族の王のなかには、かつてないほどに高みに上ったやつも出た」
「それでも、結局は誰もアレには届かなんだ」
「………」
ウルバンはふと何かに気付いたように、星空を切り取る森の木々の闇を見た。そうしてゆっくりと首をめぐらすようにする。
「…聞こえてはおったが、耳ざといのがまだおったのか」
「ためしに吹いてみるもんだなー」
ネヴィンが手にとって見せたのは、カイが貰い受けたあと小屋に置きっぱなしにしていた例の笛だった。『守護者』たちを呼び集めるという不思議な笛。
カイもそのときには気付いてまわりを見回していた。思わず毛穴の開きそうな尋常でない気配が、視界を埋める闇のなかにいくつかある。
ひたり、ひたり。
そのなかのひとつが地面を這い寄ってきた。
「『鼎』の知恵では足りなんだ。われらは新たな『寄る辺』を見つけねばならなんだのだ」
そのものは、ウルバンにも劣らず巨大であった。
蜥蜴人族に近しいものの身体の半ばにまで届きそうな巨大な顎が、著しく発達した牙を上向きにはみ出させている。身体の半分が頭のような、歪な爬虫類。目が模様のように縦に四つずつ、鈍く光っている。
蜥蜴人族たちが息を潜めている湿地帯のほうからのそりと巨大な頭をもたげてきた。姿かたちが似ているのだ、生態も近いものがあるのだろう。その後ろから静かに蜥蜴人族たちも追随し始めており、次第にその一画が息遣いに埋められていく。
「ドープ!」
「相変わらずちいさいの、八翅の」
「おまえらが大きすぎるんだろ」
顎の怪物は百牙族の守護者ドープであった。
蜥蜴人族の領域の、他族がけっして足を踏み入れぬ峡谷の深みに棲まっていた怪異。ある意味ご近所であったのに、その存在に気付いていなかったカイは、首を横に振ったポレックの反応を見て、なんとなくではあるが少しだけ胸をなでおろした。カイが鈍かったのではなくこの異形の守護者が巧妙であったのだ。
「守るべき同胞たちを失って、われらは一個の生き物であるだけの存在に堕ちた。残された時をいかように使うかをそれぞれがそれぞれに求めた結果よ」
「怠惰な蜥蜴どもと居眠りを続けておればよいものを」
「覚ましたのは誰じゃ。騒々しゅうしおって」
守護者ドープ以外にも、森の闇の中にはまだいくつかの気配が潜んでいる。
彼らもまた亜人世界に潜んでいた守護者たちなのだろうか。闇の中でも目立つ白い毛並みの大犬が、金色の眼を光らせてこちらを見ていた。
「…それなりに集まった。意見が割れるのならば『輪談』するかの」
守護者ドープは先ほどまでウルバンが占めていた草地に身を落ち着かせると、喉を鳴らすような低い声でそう宣したのだった。