128
2021/02/06改稿
検討した結果、もともとの128話は必要がないと判断、削除いたしました。
書籍版との整合を図るうえでの大改稿ですので、ご容赦くださいませ。
中央勢は防壁上に半分、その下に残り半分が後詰として陣取っていた。それらを率いる『加護持ち』らも同様の配分で待機していたことだろう。
中央勢の大将たるローダ侯は北面の両隅にあった望楼の一方で指揮を取っていたが、味方の不利を見てすぐに飛び出して来た。
驚くべき脚力で胸壁を数段飛ばししたローダ侯は、その勢いのままに豚人戦士目掛けて渾身の突きを繰り出した。振り回すのではなく突くような動きとなったのは確実に相手に手傷を負わせるためであったのだろう。鉄のごとき体皮は斬るよりも突いたほうが一点集中して防御を抜きやすい。
が、豚人戦士も手練である。瞬時に対応して、手首をこねるように大斧の腹を剣先に合わせ、弾いた。そして行く手を阻まれ浮き上がったその剣を、斧の柄で押しのけるように前進する。
ローダ侯もさるもので、剣の取り回しを妨害しようという敵の動きに無理に逆らわず、空中で身体を捻りつつたくみに次撃へと繋げようとする。陽光を跳ね返して輝く大剣が1回転して、豚人戦士の右半身に襲い掛かる。
分厚い鉄の刃先は、しかし空を切った。
「飛んだ!」
誰かが叫んだ。
村の防壁は堅牢ではあるものの、厚みなどはせいぜい3ユルもあるかないか。
豚人戦士はローダ侯との雌雄には目もくれず、おのれの身を防壁内へと躍らせたのだった。
雄たけびを上げながら、配下の豚人兵らもその動きに続いた。殺気立つ人族の巣に果敢に飛び込んでいく彼らは、もはや自らの死を顧みていない。
とたんに壁下は大混乱となった。頭上から人に数倍する豚人族の巨体が降りかかったのである。
肉に巻き込まれ圧死する者。
半端に逃れて壁に叩きつけられる者。
豚人兵の手放した斧で頭を潰された者。
ほとんど須臾の間に壮絶な不運が量産されまき散らされた。
むろん被害は人族の側だけではない。おのれの体重で足の骨を粉砕した豚人兵が、次々とやってくる仲間たちの下敷きとなった。
頭から落ちて即死するものや、人族の構えていた槍に自ら串刺しになるものまで現れた。
そんな肉だまりの山から這いずり出た無事な豚人兵が、のそり、と歩み始める。満足に動けなくなったものも死にあがいて、ぐずな人族兵を捕まえると引き摺り倒して撲殺する。
死兵と化した彼らの目にははっきりと鬼気がある。人族の知るところではない彼らの事情……伝来の土地を奪われた大フォス6氏族の民は、3000のはらからが生きていくための新たな土地を血眼になって求めている。彼らもまた引き下がることを許されぬ、踏み外せばただ死あるのみの断崖の縁に片足をかけてしまっているのだ。
「嫌だ! 死にたくねぇ!」
「助けてくれぇ!」
中央勢ももはやここに至っては体面もなにもなかった。
このとき村内に侵入を果たした豚人兵は、おそらく30ほどの数でしかなかったろう。その数はわずかであったが、対応を誤ればそのまま敗北へとつながりかねない致死の毒虫であった。
「穴をふさげ!」
亜人種とのせめぎあいを生き残ってきた東部勢は、誰ひとりとして諦めてはいなかった。先走った領主たちが北面に空いた穴……豚人兵の鉄張りの陣列を蹴散らし、遅れて殺到した兵士の伍隊が数人がかりで豚人兵を狩り取った。掛けられていた三本の梯子が蹴倒され、北面上の混乱は見る間に鎮火されていった。
「鉄牛!」
東部領主のひとりが、侵入した豚人戦士を追うモロク・ヴェジンとその手勢に「壁は任せろ」と手振りする。東部勢が強い連帯をもって行動を開始する中、中央勢は壁上でかろうじて統制を取り戻しつつも、村内の後詰部隊が収拾不能の大混乱に陥っていた。
後詰の兵士らを従えていた『加護持ち』領主らはどうしていたのか……そんな疑問は壁上で奮戦するローダ侯のまわりに嬉々として集っている脳筋領主どもの姿を見れば一発解消である。目先の血の臭いにホイホイと吸い出されてしまったのである。
残されていた不幸な兵士らは、指揮官不在のまま蹴散らされて命からがら逃げ惑うしかなかった。無人の長屋に隠れようとする者、木に登ろうとする者、なかには井戸に飛び込む豪の者もあったが、豚人兵相手に安全そうな隠れ家など早々あるものではなかった。
その他の迷えるものたちを最終的に誘蛾灯のごとく吸い寄せたのは、やはり村最大の建造物だった。
バーニャ村領主ピニェロイ家の城館前は、阿鼻叫喚のるつぼとなった。
そこに立て籠もっているバーニャ村の人々は頑として彼らを受け入れなかった。哀訴する兵士らが打ち殺される間、彼らを囮として館の窓という窓から矢が射掛けられ、少なくない豚人兵が討ち取られたことで村の防衛に貢献することのなったのは皮肉であった。
一方で、この混乱の引き金となった敵戦士……『四齢』の豚人戦士は村の正門広場に立ち往生していた。怒りの咆哮を上げて脚を掻き、ひときわ大きな手斧を大地に叩きつけた豚人戦士は、目の前に立ちはだかるふたりの人族戦士に血走った黒い目を向けた。
そのふたりとはむろん先回りしたモロク侯ヴェジンと、小柄な革鎧の戦士である。
「ここはわしからいかせてもらうぞ」
大槍を訓練棒のようにくるりと振り回して、モロク侯ヴェジンが先に前へと出た。薄笑いのヴェジンはすでに戦意をみなぎらせており、なに隠すことなく隈取を顕わにしている。年輪を重ねてなお血の気の抜けない姿に、革鎧の戦士は否応なく、「どうぞ」と手振りしただけである。
突進力があまりにも突き抜けすぎて、門前ではすっかりと取り巻きたちを失っていた豚人戦士は、そこで雄叫びした。
豚人語を聞き分けられるカイにしかその意味は伝わらなかったが、ネフェリ氏族のエゲリなる戦士であるという名乗りであった。
叩きつけられる大斧を、ヴェジンが受け流す。
どちらも『加護持ち』を壊し得る鉄の得物での打ち合いとなったが、膂力において優勢を示したのは豚人戦士エゲリだった。
ラグ村では並ぶ者がないほど大柄なヴェジンであったが、ここで打ち合いとなった豚人族戦士エゲリとの比較となると、上背で頭ひとつ以上、横幅では倍近く敵のほうが体格がよい。これはもうその種族として生まれてしまった宿命ともいえる差異であったろう。
あまり見慣れない光景ではあったが、守勢となったからこそヴェジンの槍さばき……練達した武技の幅広さがよく分かった。
豚人戦士の一撃一撃が身を浮かせるほどの豪打であるために、まともに受けるのではなく受け流しているのだが、斧が鉄槍に擦れるたびに火花が飛び散った。
防御に徹し隙をうかがうヴェジンであったが、その身の底から湧き上がってくる喜びに耐えかねて、口の形がいよいよ笑みに歪んでいく。まるで歯をむき出しにして笑っているようだった。
呼気が弾け、筋肉が躍動する。
一合、二合、互いの力量を見極めるような攻撃がぶつかり合い、超常の戦士たちの死闘が繰り広げられる。どれほど硬い鉄塊であろうとそのしのぎ合いでは容赦なくその質量を削られたであろう。飛び散る火花は紛れもなく多量の鉄粉の発火したものだ。
身体能力においては、豚人戦士エゲリがはっきりと上回った。
対するヴェジンはその差を人族が磨き上げてきた武技によって埋めた。ヴェジンは苦しいながらも致命打を浴びることなく、傭兵王ズーラから連綿と伝えられてきた生き残るための武技をその身に体現していく。歩法は緩やかに円を描き、巧みに打角をずらしつつ位置取りの優位を掴もうとする。
しかし敵もさるもの、人族に知性で引けを取るものではない豚人族にも、独特の武技が伝えられているものと見える。観戦者となった革鎧の戦士は、豚人族戦士がときおり見せる、武器に頼らない足払いや肘打ちなどを見て、何度も声を発した。その注意にヴェジンは幾度も救われた。豚人戦士の手癖足癖の悪さに、ヴェジンの笑みがさらに深くなる。
(やつと同じ流派だ)
カイは確信する。
被り物の限られた視界の中で、何度も目を見張っては独り言ちた。
圧倒的な膂力で自在に操られる片手使いの大斧。一瞬にして握りの位置が刃元にまでずれて、斧が分厚い盾のように使われたその瞬間に、体当たり気味に強引に前進し、鎌首をもたげるいま一方の手。
大蛇のごとく隙間から差し伸ばされる凶手。
鳥の嘴のように畳まれた指先が、モロク侯ヴェジンの鍛え上げられた鋼鉄のごとき体皮をつまみ、瞬時に千切り裂いた。
(豚人族の徒手拳法…!)
その流派の名は知らない。
が、その繰り出される突きが、谷の守護者たるカイの頑強な体皮をただの肉のように千切り取ったのは記憶に刻み付けられている。あの豚人族最大戦力の一角となる六頭将がひとり、森の深部で相見え雌雄を決した鎧武者が使ってみせた拳法だった。
『加護持ち』の皮膚は不思議な性質を持ち、普段何気のない接触をしているときは常人のそれと変わらぬ柔らかさを示す。が、いったん命を懸けた戦闘状態となれば、それは鉄の鋭鋒さえも易々とは受け付けぬ鋼鉄の硬さになる。
おそらくはそれも神意によって為される『防御魔法』のようなものなのだろう。
『加護持ち』の体皮が魔法によって、驚異的な『靭性』を与えられているのだろう印象ではあった。想いが具現化するこの世界の『魔法』は、たやすく条理の壁を乗り越えてしまうものであり、分子構造云々の難しい理屈はおそらくそこにはないのだろうとも思う。
ゆえに危機的でない緩やかさで敵の肌に触れ、摘むという行為に至る間、『加護持ち』の体皮は依然として柔らかいままなのかも知れない。
豚人族の徒手拳法は、摘んでから引き千切るという動作の刹那で、神の加護を上回る速度を得る武技なのだろう。
そのときカイの背後、東面の防壁の上があわただしくなった。聞き覚えのある声がいくつも飛び交った。
「突っ込んできたぞ!」
危機を知らせる叫びと、矢を射掛けている風切り音。
マンソが叱咤して、北面寄りに散っていた仲間たちが駆けつけてくる。
「何だあの屋根みたいな盾は! 矢があたらねえ!」
「水路の窪地だ! 回りこまれた!」
豚人族の別働隊がやってきたのか。
バーニャ村の正門は、貴重なコーク材を鉄枠で張り合わせた門扉で、厚みもあり恐ろしく頑丈にできている。そのうえ突破されるのを恐れて内側に盛り土さえされていた。
その分厚い門扉が、激しく揺すられ鉄鋲がきしみだした。壁上からは、「でけえ突き棒だ!」と伝わってくる。森で調達したのだろうバレン杉から切り出された巨大な丸太が、破城槌として振るわれているのだとしたらかなり危うい。
そのとき門前の攻防に、人族の一団が駆け付けてきた。
大将として粉ひき小屋に陣取っていたボフォイ候クワイナゼと、縁戚のテペ候らだった。
「鉄牛! 加勢はいるか!」
問いかけにちらりと太い笑みを向けて、「無用」と言い切ったヴェジンに、クワイナゼは苦笑いした。
すでに体中のいたるところから出血しているヴェジンは、間断ない痛みに内心で苦笑いしつつ半歩前へ、同時に鋭く突きを放った。それを大斧で弾いた豚人戦士であったが、得意の豚人拳法に移る出鼻をヴェジンが制した。盾代わりの大斧に自ら体当たりし、そのまま斧を挟んだ押し合いを強要したのだ。そして手元に戻した大槍は素早く豚人戦士の足の間に差し込まれ、梃子を押すように片足を刈り取りにいった。
豚人戦士の体勢が崩れるや、ヴェジンは大槍を手放して腰に吊るした短剣を手に取った。
大斧はヴェジンがその体重で押さえ込んでいる。豚人戦士が武器を手放して両手でヴェジンの顎を引き剥がそうとしたが、太く鍛え上げられたヴェジンの首は豚人の怪力に抵抗した。
そして閃いた短剣が下から豚人戦士の腹をえぐった。むろん剣だとて簡単には体皮を貫けない。切っ先が少しばかり埋まったところに万力を込めてこじ入れ、そこにさらに膝蹴りして剣を埋め込んでいく。
息遣いのような短い悲鳴が豚面から漏れた。
同時にヴェジンの首筋からも、みちみちと肉の筋が千切れていく音が続く。
短剣のすべてを埋め込んだ後は、刃先を大きくこじり、傷口を広げていく。あふれはじめた血がびしゃびしゃとバーニャ村の乾いた地面に降り注いだ。
そのままヴェジンが戦いを押し切るように見えたそのとき。
敵の獣面から引き裂くような叫びが発された。吐き出された大量の呼気がヴェジンの顔に吹き付ける。その分厚い脂肪によろわれた四肢に隠されていた筋肉が盛り上がり、恐るべきことに崩されかけた体勢がありえない強引さで復元されていく。
覆いかぶさるようにしていたヴェジンの巨体さえも持ち上げられていく。豚人族の持つ底知れぬ身体能力は、純粋な戦闘能力において人族よりも神に愛されていた。
ヴェジンの顎を捉えていた手が、そのまま首を絞めた。
加護を受けてどれほど強靭な身体を手に入れようと、『加護持ち』とて呼吸を奪われれば窒息死する。あるいは窒息を待つほどのこともなく、豚人の怪力がヴェジンの頚椎を折り砕くのかもしれない。
ヴェジンもまた諦めてはいない。腹に刺し込まれた短剣が、急所である心臓めがけてねじ込まれていく。
(ご当主様)
カイの背後で、戦士の危機を感じたか門扉がいよいよ激しく叩かれだした。かんぬきを支えていた金具が折れ、空いた隙間から外部の殺気が流れ込んでくる。
たとえ豚人戦士エゲリをここで倒そうと、門が破られれば戦いそのものはおそらく人族の敗北となる。壁上から必死に矢を放つ仲間たちの姿が見えたが、1本2本で致命傷とはならない豚人相手にその抵抗はあまりに力が足りなかった。
門はもう盛り土の重みでのみ保っているだけとなった。
(ご当主様、信じたぞ)
カイは兜を邪魔に感じながら、傍観者たることをやめた。
踵を返すや辺りを見回し、手近に石段がないと分かるや助走もなしに飛び上がり、途中で一度だけ指をかけて身をひねるように防壁上へと飛び乗った。
そのカイの姿を見つけたマンソが何かを叫んだようだが、確認しているようなゆとりはなかった。
防壁の外へ……仲間たちが放つ矢の雨の中にカイは身を躍らせた。味方の『成りかけ』に当てたらまずいとその斉射が止んだ。
「無茶だ!」
怒鳴られてもそれを聞いている場合などではなかった。
カイはカイで、なすべきことをなさねばならない。
谷の守護者である前に、彼はラグ村のカイであるのだ。