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神統記(テオゴニア)  作者: るうるう/谷舞司
動乱
127/187

127

2021/02/06改稿






 自戒せよ。

 そう押し殺したように囁くおのれの内には、死闘を前にした戦士の狂熱が煮え釜のように暴れ(たぎ)っている。血は沸き立ち肉は(たわ)んで力をこもらせようとする。土地の守り手たる『加護持ち』にとって、その根源的な興奮は生理現象のそれに近く、年輪を刻む老功者であってもたやすく御せるわけではない。

 ヴェジンはおのが神に心のうちで祈りを捧げ続ける。

 祈りが満ちるほどに、失われそうになっていた平常心が五体に甦ってくる。モロク家の代々の当主が愛用した大槍を握る指を、ほぐすように小指から順に力を抜いてゆく。戦う前のおのれに課したささやかな儀式は、ヴェジンの精神を速やかに安定させた。


「調息しろ、オルハ」


 まだ何もせぬうちから呼吸を乱している息子をたしなめ、大盾を構えて過度に緊張する兵士らに叱咤する。森の端に潜んでいた豚人(オーグ)族の軍勢が、染み出すように辺土の草原に広がり出したのは少し前のことだった。

 バーニャ村から森の端までは、依然数ユルドの距離がある。けっして逃げることのないバーニャ村という不動の拠点を前に、豚人(オーグ)族らも陣を崩すことなくゆっくりと進んでくる。その到着までまだいくらかのときが残されていた。

 こちらを見返してきた息子の眼差しには、隠しがたい興奮と、神の恩寵を得てまだ間もない者が見せる過度にすぎる自尊……おのが神あるところに勝利はもたらされると盲信する青々しい熱情がのぞき見えた。『三齢』から『二齢』へ、墓所に呪いを打ち込まれてより翳っていた『エウグシナ』の加護が、にわかにその明るさを増していた。

 わずかなことであっても、息子オルハの隈取が力を取り戻したのは善きことだった。

 そして我が神『ラグダラトゥカ』もまたかつてないほどに力を充足させている。盆の水面に映ったおのれの隈取はいまだに『四齢(クワート)』のものであったが、内なる神は『五齢(シンクエスタ)』への昇華も近いことをささやいてくる。


(…帰依を断たれて土地は痩せたが)


 大樹(マヌ)教の渡り僧は説法する。

 人族を繋ぐ大マヌの大いなるは、大地の力である、と。

 王神のもとに統べられた人族の土地は堅牢にして密なり……いわく、偉大なる王神しろしめす大地は神々の神気をよく含むことのできる豊穣たる土となるのだと、子供の頃から教えられてきた。

 そしてまつろわぬ孤神の地が荒れ果てているのは、神気を保てぬ悪土……砂のごとく恩寵を洩らしてしまう疎なる地に堕ちているからなのだ彼らは言った。

 実際のところどうなっているかなどはヴェジンも知らない。大マヌの教えが真に正しいものなのかどうかを人々が知るのは、まさにこれからの一年となるだろう。

 帰依は断たれたが、その代わりに恩寵を奪われもしなくなった。

 いま感じている力の充実は、『ラグダラトゥカ』が持つ本来の地力が顕れだしたのだと言っていいのだろう。

 帰依の流れに吸い上げられるはずであった恩寵が、単純に手元に残る。この意味を辺土領主らは考えねばならなくなっている。

 東部の境界域にあるモロク家がそうなのであるから、同様に帰依の末端に繋がれていた者たちほど、力の充足を覚えているはずである。現に東部域勢として肩を並べるほかの領主たちは、村の防壁の上でらんらんと輝く目を迫りくる豚人(オーグ)族らに向けている。

 率いる領主の神気が横溢することで土地の恵みを共有する領民兵らもまたわずかばかりに精気が増しているように見える。

 モロク家の足元、ラグ村の兵たちもまた、気のせいとは思えない兆候がそこかしこに現れ始めている。いまも目の前で、普段は3人掛りでも手こずる大弓の弦張りを兵士2人で易々とこなしていたりする。彼らに変化の自覚はおそらくないのだろうと思う。

 一方でうちの隠し球となる例の『成りかけ』は……そのささやかな変化とは一見無関係であるように見て取れる。いや、もはやあやつを『成りかけ』などと認識すべきではないのだろう。

 人族の帰依とは無縁のところにあるのだろう『守護者』殿は、この緊張感の高まるいくさの直前であっても、なんら動じることもなく普段どおりに過ごしているようだ。

 どこで『神』を拾ってきたのか、いつの間にかモロク家の本尊神をも上回る大神の恩寵を身に宿していた子供は、盾と大弓を構える班の仲間から離れて、胸壁の上から暢気に小便を垂れている。豚人(オーグ)の軍勢などまるで見えてもいないようなその様子に、班の仲間たちが指差して笑い合っている。息子のオルハにはない神経の図太さが、まわりの兵士らから要らぬ力を抜いてくれているようであった。

 ヴェジンはその様子を見て口元を緩めてしまう。


(豚人(オーグ)ごときはおそるるに足らず、ということなのだろうな。…はてさて、人族にまつろわぬ化外の神を得た『守護者』とは、いかな強さを秘めたものなのか……いずれ機会あらば確認せねばならぬな)


 村の今年の収穫がひどいことになりそうだというのに、ヴェジンもまた『ラグダラトゥカ』の恩寵が強まっていることに不謹慎にも喜悦していた。いまならば単身であの『悪神』を屠った化外の神……『守護者』に我が神がどこまで食い下がれるのか、研鑽を怠らなかった武技をもってすればあるいは伍すことも可能なのではないかと想像して、ヴェジンはぶるりと武者震いしたのだった。

 まずはお手並み拝見となるか。

 同じバーニャ村に拠点を定めた中央域の兵たちが、頼もしいことに激戦の予想される壁の北面を占めている。最初に敵とぶつかり合うのが彼らであることは明らかだった。


「構え!」


 そう叫んだ領主の顔には見覚えがあった。住人をラグの倍ほども抱える、州都にも近い村の領主だった。亜人の害にさらされることのない安全な土地であるために、兵を鍛えるという習慣もあまりなかったのだろう。領民の数にしては少なすぎる30人ほどの兵士らが、掛け声にあわせて弓の弦を引き絞った。

 持ち運びに便利そうな小ぶりな弓であったが、日の光にちらちらと輝くその矢は鉄の鏃付きなのであろう。溜め込んでいる財の豊かさはモロク家の比ではなさそうだった。

 目測で豚人族の先陣が300ユルほどのところに至ったとき、掛け声とともに第一射が放たれた。それを合図として、豚人どもも行儀よく横並びだった隊列を崩して、投擲を開始した。鉄製の手斧を兵士すべてに行き渡らせるほどの生産力をもった豚人(オーグ)族が、困難な攻城戦にただ肉弾戦を挑むなどということはなかった。彼らにも遠距離攻撃の武器はいくつも存在し、ここで登場したのは人族の間ではあまり使われることのない投槍器(アトゥルカトル)だった。豚人族の巨体と破格の膂力があってこそ、それは人族の大弓に比肩しうるほどの射程を実現していた。

 互いの矢と槍が空中で交錯して、互いの陣へと到達する。

 人族の矢は鉄の鏃付きとはいえやはり豚人族の大きさに対してあまりに小さい。その多くがはずれ、至近のものも盾で無造作に打ち払われた。その一方バーニャ村の防壁北面上では、構えた盾ごと吹き飛ばされた兵士が何人も壁の内側へと落ちた。一瞬にして場の狂気が沸騰した。

 辺土の民に深く刻み込まれてきた生存本能がすべてを突き動かした。中央だの東だのおかしな理屈はみなの頭から吹き飛んでいたことだろう。人という種族が滅ぼされぬためになにをするべきか、自明のことに誰しもがおのれのなすべきところに向かった。

 兵士らとともにヴェジンもまた走り出す。防壁上のほとんどの人族が、続々と攻防の始まった北面へと集結し始めた。


「来るな! 邪魔だ!」


 が、その想いは刻み込まれた危機感に根差すもの。

 駆け寄ろうとする東域の兵士たちに向けられたのは、感謝ではなく怨嗟の叫びだった。豚人族を含めた亜人種とのし烈な生存競争が続く中、血を流す境界域の人々の背中を見ながらぬくぬくと生きてきた中央のものたちは、目の前にしている危機の重大さを理解しえないでいたのだ。

 中央領主のひとりが領兵を走らせ、その武器である槍を敵ではなく味方の人族に向けさせた。大盾が並べられ、壁上に陣形が作られる。始まったのは不毛としか言いようのない押し問答だった。

 行かせろ。

 いいや行かせぬ。

 攻め寄せてくる敵を間近にして同族同士で争う愚かしさに、ヴェジンはぎりりと歯噛みしながら割って入り、その動きを見た中央の領主らも対抗するように表に出てきた。


「ここから先は我らの持ち分! お手出し無用!」

「なにが持ち分だ! 壁が抜かれたらわれらも一蓮托生ではないか!」

「うはは! 田舎者どもはおとなしくそこから眺めていろ!」


 中央領主のひとりが、鼻息も荒く陣の向うからのたまわった。

 田舎者。

 人族の土地を守らんがために日々血を流し続けてきた境界域のものたちを、ただ一言『田舎者』と切って捨てたその言いように、兵士らは怒りにおののきつつ鬼の形相をヴェジンに向けた。頭に血が上りかけたのはヴェジンとて同じことであったが、その時眼前に飛来した投槍に片手が反応して、ぱっと掴み取った。

 その『加護持ち』の膂力をもってしても上体が持っていかれそうになるすさまじい力に、瞬時に頭が冷えた。守備兵が構えた盾ごと持っていかれたのも当然だと、その投槍(アトゥルカトゥル)を見、馬鹿にした中央領主のほうを見た。


「わかった。では存分に力を振るってくれ」


 ヴェジンはその投槍を無造作に投げ返して、接近していた豚人兵の一匹を串刺しにする。『鉄の牡牛(トール)』と恐れられる東域の武人モロク・ヴェジンの武を見て、中央の兵士らが喉を上下させた。その後何かを言われたようだがヴェジンはまったく聞く耳を持たなかった。

 ヴェジンの指示で東域の兵士らは何も言わずに踵を返し、持ち場へと戻っていく。その間にも豚人族の投槍が次々に飛来し、盾で弾かれては矢では起こりえない大きな衝突音を残して村の中に落ちていく。たった一度それを受けただけで手が痺れて、うずくまってしまう兵もいる。

 果たして彼らがどれだけの攻勢に耐えられるのかは見ものであった。


(やりたいというのだ、やらせればいい)


 この戦いで数の減った男手をすり減らしたいと思っている東部領主はいない。

 いまのやり取りでヴェジンも腹が据わった。同じ人族であってもあれらはけっして『友軍』ではない。そう分けて考えるべきだとヴェジンははっきりと理解したのである。


「父上!」


 引き返してゆく兵士らを掻き分けるように、オルハが前に出てきた。

 その目がまっすぐに激戦のさなかにある北面中央をとらえている。

 ヴェジンは止めたがやはり息子の耳には届かなかった。「行ってまいります」と一方的に告げて駆けて行ってしまう。


(オルハ…)


 またいつもの悪い癖が出たようだ。

 困ったことに、あれはおのれの力を過信するあまりに荒事の渦中に近付きたがる。先の辺土伯様がおられたころのバーニャ村での戦いでも、村の兵らそっちのけで辺土伯の帷幕に張り付いていたという。おのれの力を認められたくて仕方のない時期というのはあるのだが、オルハにはその向きがとても強かった。

 北面上ではすでに混乱が広がり出していた。軽量の弓矢で連射は利くものの、敵の前進を押し返すほどの圧力とはなりえない。二射、三射と敵の投槍が飛来して並べた盾があっけなく歯抜けになっていくと、もとから戦いに慣れていない中央域の兵たちは浮き足立った。

 彼らを庇うように中央領主たちが前に出たが、綻び始めた陣形を修復するまでには至らない。その間にも豚人族の先陣が村の足元にまで到達して、兵士らが慌てて弓を棄て槍を構えだした。

だから言わぬことではない。

 次々に梯子がかけられ、豚人(オーグ)兵らがその巨大な筋肉を躍動させて踊り上がってくる。中央領主らが武器を振るい、その先兵らを片端から切り伏せるのだが、一撃では殺しきれない。分厚い肉鎧で一撃死を逃れた豚人兵が血にまみれながら壁上に充満し始める。屈強な亜人種相手によく起こる戦線崩壊の予兆だった。

 春先のまだ色素に乏しい片田舎の景色に、鮮やかな深紅の花が咲き始める。

 先兵が橋頭保を築けば、当然のことながら待ち構えていた敵の『加護持ち』が躍り込んでくるようになる。その段になれば、単純な種族の身体能力差で中央領主らが完全に押し込まれぎみとなり、北面上は乱れ立った。


「ゆくぞ!」


 ヴェジンの命でラグ兵たちが動き出した。

 何も言わずとも彼らは隊伍を組み、一部の隙もなく狭い壁上を歩きだす。おのれたちよりも強い亜人種相手に最適解として人族が編み出した戦術、一の敵に徹底して多数で攻めかかる槍横隊である。

 よく練られたおのれの領兵を見て、ヴェジンは満足する。

 別に辺土中央のものたちを助けるという心の向きはない。村が落ちればそこに依拠した東域勢にも被害が出る……わかりやすい損得勘定から北面の防衛を維持するのだ。

 さて、どいつと死合おうか。

 ヴェジンの目は、『敵手』を漁っている。

 そして見つけたのは『四齢』の豚人(オーグ)族戦士。

 壁上で特に猛威を振るっている一匹だった。

 その一匹が、中央領主のひとりを薙ぎ払った後に、宙に身を躍らせた。その向かったのは壁の内側……防壁の高さなどものともせずに村の中へと飛び降りたのである。


「門だ!」


 ヴェジンは声を張り上げた。

 飛び降りた『加護持ち』に続いて、傷ついた豚人兵士らも続々と身を投じ始める。『加護持ち』でもない彼らがあの高さから落ちれば無事では済むはずもないのだが、彼らは死を恐れていないのか。

 内部に入り込んだ豚人たちが、次になにをしようとするのかは明らかだった。

 門を開け放たれれば一巻の終わり。

 とん、と足音がした。

 石段を降りていたおのれの脇を、軽々と飛び降りた『守護者』の着地の足音だった。なるほど、戦いの急所を嗅ぎ分ける鼻は思った以上に鋭いようだ。

 門前の陣取り合戦は、モロク家が先着となりそうであった。


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