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2021/02/05改稿
野戦となるのを恐れて、東部域勢は急ぎバーニャ村を目指した。
早くから行動開始していた中央域勢はすでに先着していたようで、村外にそれぞれの領主家の紋章旗を掲げて居並んでいた。その彼らを見下ろすようになかの村人たちが防壁の上に顔を出しており、厳しい面持ちで村を囲むものたちを睨みつけていた。
村の門前には出で立ちからして領主らしき者たちが、楼の上にいるものと何やら言葉を交わしている。すでに入村の交渉も開始しているようだった。
東部域勢は中央域勢から一定の距離を置いて陣をまとめ、ボフォイ家の血縁であるテペ侯がバーニャ村への使者となった。分家となるアクテペという支村の長も同行した。
カイは小休止に入った班員たちの点呼を取りながら、交渉の成り行きを見守っていた。東部域の1800はそれなりにたいした軍勢であるのだが、それに数倍する精強な豚人兵と真っ向ぶつかるにはなんとも心許ない数でしかない。ゆえにバーニャ村に受け入れられるかどうかで、その作戦行動は大きく変わらざるを得ない。
最悪拒絶されれば、野戦を避けるために別の村まで移動せねばならなくなる。侵入した豚人勢を至近に臨んでいるバーニャ村が最前線となるのは明らかなのに、わざわざ数十ユルドも自ら後退せねばならないのだ。ぜひとも交渉は成功させてほしかった。
(まるで種が試されているみたいだ)
違うとは分かっていても、カイは神々の作為を疑ってしまう。
まとまりを失った人族が今後どのように亜人種とのせめぎ合いに対処していくのか、この最初の戦いが占っている。どのような思惑が働こうと、ここで手を取り合うことが出来ないようであれば、早晩人族は四分五裂し、その抱え込む広大な土地ははらわたを食い破られるように他種族に荒らされるだろう。
そのバーニャ村の門前で行われていた交渉であったが…。
(…だめか)
カイと同じく成り行きを見守っていた班員たちの口から、嘆声が漏れた。
意外にも危機にさらされているはずのバーニャ村側が強硬な態度を示して、両連合軍の使者らが慌て出した。
バーニャ村側の交渉に立っているのは数人で、その中心には明らかに若いと分かる女がいた。
「先代の娘だな」
カイだけでなく班の者たちも、先の豚人族との血みどろの戦いを潜り抜けてきている。バーニャ村の先代が村人の裏切りを責められ、領主裁判で殺されたことも知っている。先代が倒れたのならば、あとを継ぐのはその子等である。その先代ピニェロイにはひとり娘がいた。
「だいぶ苦労してそうだな。男手もなくて護衛も女ばっかだ」
「刈り入れ前に畑が荒らされちまったからな、冬越しも相当きつかったはずだぜ」
門の上に弓を構えている兵士らも、その多くは女のようであった。彼女らの霜焼けしたような浅黒い顔は、すっかりと肉も削げ落ちて、この冬越しまでの村の経営がいかに厳しいものだったかを容易に想起させた。
バーニャ村から距離があり、人の行き来がほとんどないラグ村の人間は事情を知らなかったが、あのひどいいくさのあと、困窮したバーニャ村は近隣の付き合いのあった村々に地に頭をこすり付けるように再三援助を乞うたのだが、裏切りを憎まれ、まったく救いの手も差し伸べられなかったという事情がその裏にはあった。
貴族たる矜持もかなぐり捨てて、伏し拝んで回ったあの跡取り姫から見れば、近隣の領主たちは半ば仇のようなものでしかなかったであろう。今回押しかけている領主らの中にも、おそらくその冷ややかな対応を取った当事者もいたに違いない。バーニャ村側が受け入れを嫌がるのもゆえなきことではなかった。
「お、なんか始まったぞ」
むろん交渉に及んだ使者らも必死である。
怒号が飛び交い出すや、門をわずかしか開けていなかったバーニャ村側は、さっと奥に引っ込んで門を閉じようとした。領主らが慌てて押し寄せて、奇特な領主が我が身を隙間に挟むという捨て身の抵抗が始まった。
よほど嫌だったのだろう、村人総出で内側から抗われたときには、挟まった領主がぺしゃんこになるぞとラグ村の者たちも騒然とした。こうなってくると、正直誰が誰の敵なのか非常に分かりづらくなってくる。
結局はその後強引に押し込んだ中央域勢が門を占拠して、その騒動に半ば便乗する形で東部域勢も村になだれ込んでしまった。まさに力ずくの押し込み強盗のようなものだった。
むろんのこと、これはバーニャ村、ピニェロイ家の封建領主としての権利を著しく侵害している。烈火のごとく怒ったピニェロイ家の姫の抗議が当然のごとく行われたが、押し入った領主らの中で最高位にあった塞市ロダニアの領主ローダ・モルグは、これを大義の名のもとにあっさりと一蹴した。豚人族の侵攻はここバーニャ村の危機というだけでなく、混乱の渦中にある大辺土そのものの安全を危うくする一大事なのだから、一個の村の都合などこの際は知ったことではないと臆面もなく言い放ったのである。
領主としての当然の主張を撥ね退けられ、悔しげにおのれの城館へと引き返していく当代領主のサリエは、人目もはばからずぼたぼたと涙を流した。形ばかりは取り成そうと話しかける領主らもあったが、姫にきっと睨みつけられて伸ばしかけた手を止めた。そうしてほとんどが無言で道を空けたのだった。
厚かましい領主らの中には、ピニェロイ家の城館まで接収しようと言い出す者まで現れたが、これには黙っていたモロク侯ヴェジンほか幾人かが「本尊の墓所まで侵すのか」と不満を表明してそこまでとなった。村々の中心に必ずある領主館は、ラグ村もそうだがたいていはそこの土地神の墓所が隠されている。土地神を宿すことが領主らの権威を成り立たせているのは皆同じ。他者の神域を軽率に侵す者は、おのれが同じ目にあっても誰からも擁護されることがなくなるだろう。持ちつ持たれつの厳しい土地で、その不文律を破ることの恐ろしさは誰もがわきまえている。
中央域連合軍大将ローダ・モルグは、山稜のごとき雄大な鼻を持つ男だった。辺土伯家に近しい塞市領主として立ち回る知恵もあり、バーニャ村に同時に入り込んだ東部域連合軍に隔意はあれど、無理をして追い出そうと騒ぎ出したりもしなかった。さっそく東部域の大将たるボフォイ侯クワイナゼと交渉を持ち、それなりに激しい論戦が繰り広げられた後に、融和的不干渉というよく分からない原則が取り決められ、両軍の陣取りも南北半々に線引きすることが約された。
中央域は北側の望楼に本陣を、東部域は南側の粉挽き小屋を本陣とした。
(同じ人族で、何で手を取り合えないんだろう)
無言で荷解きを始める班員たちに混ざって、カイもまたかさばる革鎧を脱いで日陰に干していく。
ラグ村勢は粉挽き小屋の近くにあった厩舎を中心に陣取った。冬のうちに死んだのか、食料として潰したのかはわからねども、家畜の姿はなかった。くたびれた古い飼い葉がほったらかしになっていて、なんともわびしい景色であった。
居場所を定めてそこを掃き清めつつ、カイは遠くで同じように居座る準備をしている中央域の連中を眺めやった。
中央域の連中と勝手に言葉を交わしてはならないと命じられた。きっと戦いが起こっても、あちらと共闘ということにはけっしてならないのだろうと思う。
上に立つ者たちは、いったい何を考えているのか。
それぞれに抱える民人があり、土地があり、思惑もむろんあることだろう。中央の大将も、こっちの大将のボフォイ侯も、率いる領主たちに神経質なまでに交流することを禁じ、小集団であることになぜかこだわっている。
人族は大きくまとまってこそ他族に勝る力を発揮してきたというのに、これではなにをやっているのか分からない。理屈ではすぐにでも帰依を結び直し、辺土伯家を要とした大きな繋がりを回復させたほうがよいに決まっている。
それが分かっていて、なぜ牽制し合うのか。
(…これはもう、『加護持ち』の本能なのかな)
カイもまた、理屈ではないところでこの角突き合いの原因を察している。
(奉納試合と同じだ。力比べをして、納得できなければ『加護持ち』は人の下についたりしない。みんな脳みそまで筋肉の馬鹿ばっか……てことでいいのかな)
『帰依』という神々の連環は、極小の単位のみを取り出せば、弱者が強者に従う、『隷属』的な関係である。そして上に立つ神は、下位の神からなにがしかの神気……恩寵の上納のような利得を得ることになる。谷の神として『帰依』を受けたおのれが力を得た経験から、カイはそれを断ずることができる。
その神々の隷属関係が、系統樹のごとき巨大な支配の連環となり、集められた膨大な恩寵は根幹にある『王神』に吸い上げられることとなる。ゆえに『王神』は種族の版図すべてに行き渡るほどの力を振るい得るようになる。
辺土支配がはじまる前の、大昔の北伐の時代ならばそれも通った。責め殺した在地旧種から奪った土地神を、王が論功行賞として家臣へと下賜しただけだからだ。その時の功の序列によって帰依の順が定められたであろうから、当事者たちは納得ずくであったろう。
詳しい理屈を知るわけでもないカイが、州都への旅を経験しただけで薄々と察してしまったぐらいである。無学な辺土領主らであっても、『帰依』というものがすでに既得権化してしまっている不条理には気づいている。
(…辺土領主たちの『帰依』は、中央へ向うほど太くなる。大昔の人族が、北伐で土地神を奪いながら広げたのが辺土なのだから、辺土の端が『帰依』の末端になるのは仕方がなかった)
辺土の土地は中央にいくほど肥えていく。土地神の神格もなぜか中央へいくほど高くなる傾向がある。
中央の領主らは特に苦労もなく肥えた土地と神を手に入れ、領民を多く抱えることで自然と土地神の格も高まった。
ヴェジンもそうだが、その不満を言葉にして出すことはない。
東部域の大将に収まったボフォイ侯もはっきりとは言わない。
王を批判することでその不興を買うことを……土地が痩せ枯れてしまうのをひたすらに恐れているのだ。だがその王との封建的繋がりもいまは断たれてしまった。
この辺土を揺るがした連環の喪失は、結果的に辺土領主たちに物言う機会を与えることになったのだ。痩せた土地にしがみついてきた境界地帯の領主ならばなおさらのこと、叶うならばおのが土地に『ご利益』を導きたい。より多くの恩寵を引っ張り込み、土地を肥やしたい。
そして何より、正当な評価をしてもらいたい。辺土の末端にあるからと当たり前のように貶められたくはない。
現実には外界の亜人種らから死に物狂いで国を守り、命を削っているのはその末端の小領主たちであり、むしろいままでよりも多くの見返りを得られてしかるべきだとさえ彼らは考えていた。
(混乱して当然か…)
革鎧をすべて脱いだカイがふと視線をめぐらすと、遠くからこちらを見ている視線に気づいた。
『加護持ち』たちは目がいい。かなり離れているというのに壁の上で兵を動かしていた中央域勢の領主らしき男が、カイをみて驚いたような顔をしていた。
あ、そういうことか。
カイは兜の下で頭に巻いていた手巾を解いて、顔の半分を隠すマフラーのように首に回した。班員から「かっこつけか」とからかわれて、カイは少しだけ顔を赤くしたのだった。