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神統記(テオゴニア)  作者: るうるう/谷舞司
冬の宴
120/187

120

遅くなりましたが、

あけましておめでとうございます。

本年も引き続きお付き合いくださいますよう、お願い申し上げます。






 凍てついた冬のしじまに、張り詰めたなにかが(いん)と広がった。

 弓の弦を爪弾いたような、びいんと震えるような音のさざなみが、波紋のように広がっていく。得体の知れぬ何かを本能が恐れて、カイの全身の筋肉が力を溜めた。

 やや遅れて、辺土の地が横に揺すられた。

 そのとき起こった人々の悲鳴は、果たして辺土伯の死に向けられたものなのか、はたまた地揺れに驚いたものなのか。

 その因果は明白だった。王かどうかの如何に関わらず、その地の支配者たる者がいままさしく没したのである。その瞬間、広大な辺土は統率者を失って、数百余の個別の土地神というピースに砕かれたに等しかった。

 『神群』という連なりを失った人族は、この地に対する支配力を大きく後退させてしまったのだ。


 (抗ぜよ!)


 谷の神様が叫んだ。

 何に抗えと言ったのかはすぐに判じた。

 天上から急激に膨れ上がった無形の圧力に、頭を押さえ込まれるかのような圧迫を受けたためだ。その感覚はすぐに失せたものの、遥か高空にあった神々の姿がにわかに近付いたように感じたのはけっして気のせいではなかったろう。

 神々が近寄ったのではなく、世界の境界が縮んだ(・・・・・・・・・)のだと認めたくもないことを察してしまった。


 (この世界は、泡なのか)


 薄ら寒いものを覚えて、いやいやと考えを振り払った。

 泡ではなく、この世界を定義する『境界』が縮んだのだと……谷の神様の想いが共有されたことで、カイは自然と正しい現状認識へと導かれた。

 ぶるりと身震いして、辺土伯が斃れた場所を見た。辺土伯の死はもはや確定されたものだとカイは分かっていたが、それでもその安否を案じる者たちの悲痛な思いは共感することができた。何度もその名を叫ぶ者たちがいるなか、白く輝く塊を掴みあげて、ことさらおのれの勝利を喧伝し続ける愚か者がカイを苛立たせた。

 第一公子アドル。

 その声に追従する数人の郎党が武器を掲げて主の名を叫び、やや遅れてその勝利を賛美する中央貴族たちの歓声と、それらを塗りつぶすような辺土領主たちの怒号が地を揺らした。


 「人族百万の『王神』はただ一柱なり!」


 『先代』辺土伯を支持していた者たちが押し寄せようとするのを止めるべく、権僧都がよく鍛えられた声でそのように宣し、従僧たちが続いた。


 「人族の社稷は唯一なり」

 「神樹(マヌ)の戴きし王は聖クシャルの器のみ」

 「悪しき枝は払われた」

 「大マヌは善き若枝を寿ぎ、伸ばしあそばしたもう!」


 気勢をそがれた領主らが戸惑ったように鎮まるなか、慶忌(けいき)典礼(てんれい)に明るい中央貴族らは僧侶らの造った流れに声を揃える。


 「神を()べよ!」

 「辺土伯家の後継を決するが先である!」


 辺土を人族のものとする強力な神群が失われた。

 その確たる主のなくなった土地がいかに危うい状況にあるのか、当事者であるからこそ辺土領主たちは即座に理解した。


 「後継は『御霊』を得しこのアドルが継ぐものなり!」


 アドルは父殺しという忌むべき悪業を働いたというのに、委細気にしたふうもなくおのれの正当性を主張し続ける。それに対して異議を唱える者たちが次々に湧いて現れる。

 王都での官途につくほかの公子らの夫人とその郎党らが、主の不在という不運を押してそれぞれの『正当性』を主張する。その武技、その力、なにより閨閥として固められた中央との係わり合いのよさを叫んだ。

 下の公子ほど年が若く郎党も貧弱となったが、遊学中の第四公子の母親は居合わせた実家の者たちと集まって、息子の優秀性を恥ずかしげもなく主張した。

 そしてこたびの『宴』にて婚約し、辺土領主との紐帯の象徴として称揚されるはずであった第六公子アーシェナが、人垣を割って現れて長子アドルの父殺しを人でなしと叫び、偉大であった父を卑怯にも背後から刺したやり口を口汚くあげつらった。

 身内に秘められていた醜い家督争いが一気に表出した形であったが、当主の持っていたその家最大の御柱の相続をめぐって、肉親が相争うのはどこの家にも起こりうることであったので、辺土領主らは苦い顔をしつつも成り行きを見守っている。

 もっとも、辺土伯家の後継問題などカイの知ったことではなかった。ただおのれの目論見がならなかったことを残念に思いつつ、辺土伯の没した人混みへと近づいて、強引に人を掻き分けた。

 そしてようやくその目に入った辺土伯の亡骸を見て、だいぶ縮んじまったなじいさん、とつぶやいた。『王神』を名乗ったときのあの隆々たる体躯が、別人のようにしぼんでしまっていた。

 『神石』を引き抜いた穴は背中側にあるのだろう。その亡骸は思っていたほどに無残なものではなかった。

 突然姿を現した謎の『守護者』に、囲んでいた伯家の郎党たちは不気味なものを見るように距離を置き、「まつろわぬ荒神が」と吐き捨てる者や、「主をお許しください」と勘違いしたように懇願する者もあった。死体をどうにかされるものと思ったのかもしれなかった。


 「おい」


 カイは言った。

 声を掛けられたと察したに違いない相手は、幾分低きにあるカイの目をみて、つばを飲み込むように喉仏を上下させた。

 覆面するカイの正体に気づいてはいないのだろうが、本能的に一度痛い目に合わされた相手であるとは分かっているのだろう。冷や汗を浮かべて少しずつ後ずさっていく。


 「…なんか、おまえは気に入らない」

 「…ッ」


 いつの間にかこの場にいる大勢の『加護持ち』たちから一種の『権威』として見られ始めている『守護者』なるものが、おのれを「嫌い」だという。

 その口から出た言葉が及ぼすだろう負の反応に思い至ったか、アドルは慌てたように反論した。嫌いと言われた原因を、先ほどの不意討ち行為にあると思ったのか、その弁明はあさっての方向に始まった。


 「…あれはたまたま背後になってしまっただけで、わたしは正々堂々と父の行いを正さんと…」

 「……?」

 「辺土を独立させるなど、けっして認めるわけには、その、いかなかったのだ。…しゅ、守護者殿におかれては違う見方もあるのだろうが…」

 「…何のことだ? まあ、よく分からないが、『継ぎ』たいのなら好きにすればいい」

 「……は、え?」

 「継いだ後は、たぶん大変なことになるけどな」


 カイはなんとなく察した『家督相続』の本来あるべき姿を思い、それが大きく間違ったものではないだろうと心しながらそういった。

 辺土伯のような神群の要にあるような重要人物の生き死には、世界に対する負荷があまりにも大きすぎる。ゆえに、本来ならばもっと慎重に手順を踏む必要があるのだ。

 例えば生前に信頼する『加護持ち』を代理に立てて、代替わりに必要な日数の間、背負った帰依をいったんそちらに移し代えておくなどが穏当なのではないかと思う。帰依の移動はぶら下がった直下の『加護持ち』たちに、そうせよと直接命じれば容易に実行できるのではと想像する。家督を継いだ後に、その帰依を返させる。そんな手順を踏むのではなかろうかと思う。

 まあそんなことはさておき、今回のように事前の準備もなく本人を殺してしまうなどというのは、土地神の連環を強みとする人族のあり方に明らかに反しており、辺土伯家には相当の困難が待ち構えていることだろう。

 跡を継ぎたいのなら継げばいい。

 ただし、辺土領主らの帰依をまた最初からひとつひとつ拾い集めてゆかねばならないというだけのことである。

 父殺しの後継に、いったいどれほどの支持が集まるものか、おおいに興味あるところだった。おそらくかなり難航するのではないかと予想できる。

 見上げてきたカイに、「早く喰わないのか?」と促されて、アドルはおのれが後継争いでいま優位に立てている理由を思い出したのか、手の中の父の『神石』を見て少しだけ苦い顔をした。

 まあすぐには食えるはずもなかった。同族食に対する中毒対策をせねばそんなことは出来ないのだ。


 「人族は父殺しのお前の手によって(・・・・・・・・)さらに力を弱められてしまった。春になれば『亜人種』たちがこの地に押し寄せるてくるだろう。跡を継ぐのなら相応の覚悟をしておくんだな」


 この厳しい世界に生きる人々は、自然と強者たるを願わずにはいられない。『加護持ち』ならば、切磋琢磨もするし、より力ある神様に空きがあるのならその恩寵を欲っするだろう。

 加護の二重取りは出来ないといわれているのだけれども、領主一族の子弟に加護がばら撒かれている現状を見れば、おそらく二重取りは出来なくとも付け替え(・・・・)は可能なのだろうとは推測できる。アドルもまた、父が絶大な力を振るう根源力となっていた『バアルリトリガ』をきっとおのがものとするだろう。

 亜人種たちの侵攻をほのめかされても、わずかに考えるようにしただけのアドルに焦りは浮かばなかった。身に差し迫った危機を覚えなかったということであり、数百年にわたって磐石であり続けた人族の辺土支配を信じているのだろうと思う。そこにアドルという人物を見た気がして、カイはもはやこの場に居続けるだけの関心を失ってしまった。


 「…その『侵攻』を唆しにゆくか、亜人の神よ」


 伸びた錫丈がしゃらりと鳴った。立ちふさがったのはやはり権僧都だった。

 見上げるカイの眼差しを受け止める権僧都の瞳孔の開いた瞳は、満々たる狂気を孕んでいた。その面に浮かぶ隈取も驚くべきことに神の恩寵なくして《四齢(クワート)》に至っており、最前の戦いで口にしていた秘薬の効果かと思われた。

 権僧都は、カイを『亜人の神』と言った。

 ラグ村のとるにたらないいち住人に過ぎないと知っているくせに、そのようにわざわざ言い切った。それをカイは『言霊(ことだま)』だと思った。


 (…排斥に来たか(・・・・・・))


 谷の神様がそう言ったのか、おのれがそう思ったのか。

 おのれの中に潜むいまひとりのおのれが、共通の外敵が欲しい(・・・・・・・・・)のだろうと権僧都の狙いを予想した。

 ばらばらになった者たちを手っ取り早くまとめ上げるには、彼等に共通した憎むべき『外敵』があれば手っ取り早い。『マッチポンプ』という言葉が思い浮かんで、そのまま消えた。


 「させぬぞ! この身に代えても行かせぬ!」

 「……ッ」


 権僧都はカイの行く手を遮るように移動して、敵対するかのように両手を広げて立った。これから殺しあうのであればあまりに無防備なその立ち姿に、この男がおのれを人身御供に、カイを人族の敵に仕立てようとしているのだと分かった。

 そんな手に乗るものか。思案をめぐらせたのはわずかの間のことだった。


 (『風魔法』)


 目には見えぬ風が弾けて、権僧都がよろめいた。

 そのわずかな隙さえあれば十分だった。カイは素早く、そして堂々とその場を立ち去ったのであった。


 (…ネヴィン)


 カイの目は、姿を消した先達守護者を探していた。

 その雪のように白い小さな姿は、広場のどこにも見当らなかった。

 嫌な予感がした。気を掛けていた辺土伯はもはやこの世にはいない。その最後を見届けたネヴィンが、そのとき何を思いどのように後始末をつけようとするのか。あのすべてを諦めたような眼差しが、カイの胸に刺すような痛みを残していた。

 死なせたくない、と思った。


次でこの章は終ります。

辺土伯の悪神化というトリ予定でしたが、WEB版は畳むことを優先しました。

すでにパラレル化している書籍版は当然ながらそのあたりも含み別物になるかもです。


感想よろしくお願いいたします。

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