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『神統記』コミック第1巻間もなく発売です。
表紙カバー裏に断片的ではありますがカイの幼少期がおまけssとして載っております。
どうかご支援のほどよろしくお願いいたします。
体調が回復し、起き上がることができるようになった辺土伯は、やや呆然としたようにおのれを治したのであろうカイを見上げ、その横に立っているネヴィンを見た。
ネヴィンがその異形を衆目に晒していることに遅まきながら気付いたのか、少し目を見開いて慌てたように周りに目をやった。
「…もう気にするなー。おいらはもう終わりにする」
「……ッ」
「…心配すんな、封じてた卵は残らず全部孵した。そっちは『余禄』のおかげでなんとかなったぞ。悲願だとかいって、結果は散々だったけどなー」
ネヴィンの手にある屍骸を見て、辺土伯が瞑目したのはわずかの間のことだった。介助の手を押し返し、まっすぐに立ち上がった。
「…あとは、おまえのほうだけだぞ」
「…そうか。そうだな」
「最後までおいらが見届けてやるから、ぞんぶんに戦え」
「…だめだったときは、…そのときは尻拭いを頼む。守護者殿」
ふたりの会話には、幼いころからの馴染みのような、そんな気のおけない雰囲気のようなものがあった。
ネヴィンが辺土伯家の興りから、ずっとバルターの一族と共生の関係にあったのかもしれないという想像はあった。人族の侵攻から逃れ、地下に身を潜めたというその臆病な種族が、どのような成り行きでそんな関係を築き上げたのかはわからない。
在来の旧種が地下に逃げ隠れ、地表を占めた辺土伯家がそれを執拗に『刈り取り』続けただろうことは想像に易い。その後に生まれたいまの共生関係が、人族を上位として結ばれたものなのだとしたら、ネヴィンはもしかしたらおのれ自身をバルター一族に差し出したのではないかとなんとなく思い至った。
(終わりって、まさか)
辺土伯を見るネヴィンの眼差しが、どこか安らいでいるように見えるのが痛々しかった。
「そうか、子種はもうだめだったか」
辺土伯はそうつぶやいて、例の巨獣の下顎のような大剣を引き摺るようにして持ち上げた。
その視線がちらりとカイのほうを見て、同じ守護者と見て取ったか目礼のみが為された。ラグ村という辺土の寒村で生まれた子供にとって、辺土伯家当主とはほとんど雲の上の存在だった。それがいまは逆に敬意を払われるべき立場にある世の不思議。言葉もなしに「見届けられよ」と言われたように感じて、カイは辺土伯の背を見送っていた。
カイが『悪神』との戦いの場を譲ったことで、囲みの者たちもこれが人族の力を試す戦いであると分かったのだろう、しわぶきすら起こらぬ沈黙に包まれたあと、とくにためらうこともなく何気に始まった辺土伯の再戦……その初撃が『悪神』を刻んだのをきっかけに、さまざまな歓声がはじけるようにして起こった。
「…辺土伯様ァ!」
「いけぇぇ! やれぇぇ!」
「人族に栄光あれ!」
「バルター様ァァ」
「辺土伯家万歳ッ」
「人族万歳ッ」
それはまさしく『祭祀』だった。
辺土領主たちが、城勤めの者たちが、伯家の係累と思われる老若が、喉よ張り裂けよとばかりに声を枯らして叫んだ。その声援に応えるように辺土伯は大剣を叩きつける。
先ほどのような雑な大振りはなくなった。まるで果物を切り分けるように『悪神』の身に刃を入れ、二太刀で大きく肉片をそぎ落とす。弾み落ちた肉塊を脇の塞市領主たちが得物で遠くへと叩き退ける。その繰り返しで『悪神』はその受肉体を確実に削られていった。
『神石』の場所が分からねども、身体を削っていけばいずれそれも見えてくる。辺土伯の恐るべき肉体は疲れなどまるで知らぬように押して押して押しまくる。すぐに広場は『悪神』の肉片だらけになった。
意気揚がる人族側がこのままあっさりと押し切るか……そんなふうに見えたのは、まあ実のところ最初の短い間のみのことだった。
やはり『骨質耐性』についてネヴィンは教えていないのだろう。接近戦で飛び散る『悪神』の体液を浴びざるを得ない辺土伯が、またぞろ動きを鈍くしだした。
対『悪神』戦において必須であるに違いないその知識を、なぜネヴィンは教えなかったのか。
耐性など、それ自体は神様が憑代を護るために常時展開している『魔法』のようなものなので、発動はただ神様にそうお願いするだけ……その発動キーは非常に敷居の低いものとなっている。ただ教えればよいだけなのにと頭にのぼせて、すぐにちらりと頭を過ぎったものがある。
(辺土伯家への……復讐なのか)
一瞬だけ、ネヴィンへの疑いを抱き、いやいやと振り払う。
人族の側にあるカイが居合わせているのだ、そのような程度の低い仕返しなど、すぐにばれることは分かっているはずだ。
(簡単に考えてたんだけど、違うのか? 『耐性』なんて、神様にお願いするだけで発動するものなんじゃ…)
肉体を純粋に強化するものではないために、そういう特性を本人が理解したうえでその内容を神様に伝え、それで初めて実現されるのが『骨質耐性』である。
神をうちに降ろした『加護持ち』は、霊力の増大と肉体改変……神がおのれの座所を守るために与える、防御力強化という特恵をその身に受ける。そして『ただ硬い』という初期の単純な剛性から、魔法攻撃を受けるなど外部刺激を受けることで、神様は『火耐性』などの特殊耐性を付与したりするようになる。
『骨質耐性』も、それが憑代を護るために必要なことだと神様が認識すれば、あっさりと発動するだろう。『悪神』相手にこれほど有用な耐性なのだ、後は神様が『神石の殻』が持つ特性に気付くだけのことなのだ。
ただ神様と、会話して伝えるだけのこと…。
(会話……そういうことか)
そこでようやくカイも理解する。
守護者たるカイでさえ、おのれのうちなる神様、谷の神様との会話にはほとほと難儀しているのだ。もしかしたら、辺土伯もいまだに神との対話を実現していないということなのだろうか。
会話できなければこちらの要望も伝えられない。単純な話だ。
「バルター! 臆する心がお前を殺すぞー!」
「…ッ」
ネヴィンが動きの鈍った辺土伯を非情にも叱咤した。
『悪神』の体液を浴びるほどに苦しみが増しているだろう辺土伯の心に、死への恐怖が積もっていくのだろうことは分かる。だが手を休めて逃げを打てばその分『悪神』は切り離された肉片を回収し、復活してしまうだろう。そして対する辺土伯は、内なる神気の毒に侵されてますます弱っていく。状況は悪くなるしかなかった。
ネヴィンの叱咤に応ずるように、辺土伯がまた攻勢を強めた。大量の汗をかき、息を荒げるその隆々たる背中が躍動する。
カイは手を出さぬと約束した。
が、口を出さないとは言ってない。
「伯! 『神石』はいま少し左だ!」
闇雲に武器を振るうだけでは厳しいと思った、ゆえに『神石』のある場所へと誘導する。
ネヴィンはもう何も言わなかった。ひそりと、「おまえ、眼が良いのなー」とつぶやいただけだった。
こちらを見ずとも、辺土伯はカイの声に応じた。塞市領主たちが気勢を上げて『悪神』のあがく触手を打ち据えた。もう出ている触手は数本もない。
「逃げた! もっと左!」
『悪神』の体内はただ黒い肉と体液で満たされているのみである。ゆえにその意思で『神石』の位置を自在にできる。それがおのれの究極的な弱点だと分かっていれば、当然強敵を前にしてそれをずらしてくる。
追い詰められた辺土伯と『悪神』の我慢比べだった。
「伯ッ」
「辺土伯様!」
接戦の雰囲気に沸き立つ囲みのなかから、異質な気配が静かに割って出てくるのを感じて、カイはそちらへと目を向ける。
見ればそこには権僧都と従僧の一団が錫杖を手に現れたところだった。
周囲の騒ぎでその声は聞こえないものの、権僧都の手振りで従僧たちが広場の周囲へと散っていくのが見えて、何か手出しするつもりであることだけは分かった。
ネヴィンが身じろぎするのを「待ってくれ」と言葉で抑えて、カイが動いた。
軽い足取りで広場を横切り、おのれもまた前へと踏み出そうとしていた権僧都の前に立った。あまりに突然のことであったようで、権僧都だけでなく付近の領主たちまでが驚いたように身を引いた。
「『祭祀』の途中だ。控えろ」
目の前に立ちはだかった者が、地下へと飛び込んだラグ村の少年であると察しているのだろう権僧都の目は、顔を隠しているカイをほとんどその人物と同定しているように、居住まいを正しつつわずかに目を細めた。
「…これは大マヌの教えに背く邪法です。人族は王の束ねたる栄光ある神群に連なることで大いなる力を得、繁栄したのです。その社稷を破壊する者は背教者として罰されねばなりません」
「知らん。だからなんだ」
「……人族が得た最大の英知は、大王を立て小王の群立を抑える、その統治の知恵にありました。統合王国の社稷はたったひとつであらねばなりません。束ねられた巨大な神群にこそ大マヌ……おおいなる《大樹神》が宿るのです」
辺土の渡り僧が、馬鹿な民人相手に教え説くのはしっかりと働き、よく領主に仕えるということだった。そのためにわきまえねばならない生活上の『美徳』を並べ立てていたのを覚えている。
それはとどのつまり、いまの中央の王が束ねる神群の支配が緩まぬための『教え』であったということなのだろう。
現実に神々が存在するこの世界で、神群という概念にこそ不可蝕の神を見出したというのはなんとも皮肉なものであった。神がありふれすぎて、敬う対象を求めた人々は、目に見えぬものにこそ高次の神性を見出したのだろう。
カイの無形の圧力に対抗しようとする権僧都であったが、カイの続けた言葉に二の句を継げなくなった。
「守護者として命じる。黙れ」
「……ッ」
権僧都の背後には、遅れて一ノ宮から出てきた者たちが顔をそろえつつあった。中央の上位貴族たちにモロク家の面々。当主であるヴェジンと息子のオルハは権僧都に対しているカイの姿に目を剥き、白姫様はなぜかほっとしたように目元を緩めた。
並ぶ中央の姫も食い入るようにカイを見つめてくる。
「黙って見ていろ」
それらを受け止めつつ、カイは自らも見守る者のひとりとして再び『祭祀』へと向き直ったのであった。
なかなか納得できず、更新が遅れました。
圧倒的筆力不足。ほんとうに腹が立ってきます。
感想よろしくお願いいたします。