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神統記(テオゴニア)  作者: るうるう/谷舞司
冬の宴
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 この世界にいったいどれだけの種族がいて、どれだけの土地がその領分として分かたれているのか、その全貌をカイは知らない。辺土育ちの無知な子供にとって、知りうることはつねにとても限られていた。大森林以北の亜人種世界をたまたま知ったことで、人族がほとんど分不相応なくらいに広大な土地を持っている『異常』には気付いていた。

 意識などほとんどしたこともない事柄であったが、おそらく人族はこの世界に冠たる強大な『支配種』のひとつであったのだろう。

 何代も前の父祖たちの時代、その輝かしい栄光と勝利によって膨張した人族の王国は、その勢いの衰えとともに長い退嬰(たいえい)の時代を迎え、他種族の台頭を許して国境を脅かされるようになった。辺土の渡り僧は、麻のごとく乱れた末法の時代だと言った。

 人族が滅びる……本当にそのようなことが起こり得るのかはわからないのだけれども、昔話では人族もその拡張期に多くの種族を逐い、たくさんの土地を奪ったわけであるから、その攻守が逆転したからとて受け入れないというのはあまりに身勝手な考えではあったろう。

 ゆえに、種の優勝劣敗は仕方がない。致し方ないのだが、それでもその勝敗の判定は、少なくとも直接の対決においてのみ決められるべきだとも思っていた。


 (…それが違うっていうのか)


 カイは呆然と天上で観覧している神々を見た。

 超越存在であるがためにどこまでも無邪気に『下界』を見下ろす神々の眼差しは、まるで世の不条理を知らぬ子供のそれのように純粋で、そして傲慢だった。

 ネヴィンは無自覚に滅びの道へと踏み込もうとしていた人族を叱咤した。

 衆目におのれの異形をさらした先達守護者は、まるで『悪神(ディアボ)』など狩るばかりの木偶の坊だと言わんばかりにその頭を素足の底で蹴りつけ、ぐずぐずするなと煽り立てた。


 「王に立つとぶち上げた勢いはどーした! 立て! バルターの後衛!」


 ネヴィンの異形は、ひと目で人族とはかけ離れた亜人種だと分かるものだ。それも見かけられた例などほとんどない有翼種であったから、初見の者たちは新たな『悪神(ディアボ)』の一体と見て武器を構え出す向きもあった。その叱咤に応えるように塞市領主らが居住まいを正し、宗主たる辺土伯が手振りせねば、あるいは何人かが挑みかかっていたかもしれない。


 「…戦え! てめーのいさおしを証し立てるのは、結局てめーしかいねえだろーが!」


 同時に、カイの脳裡にはネヴィンの心話が届いてくる。

 いいから黙ってそこで見てろ。吐き捨てるようなその声に、ネヴィンの絶望の深さを垣間見たような気がした。


 (…谷のよ、おいらたちの種族は、戦いから尻尾巻いて逃げ出して……それがたぶん神様たちから愛想を尽かされちまった。種族同士の殺し合いに負け続けるのもそりゃよくはねーけど、弱小の種族だって狭い土地にしがみついて小さいなりにちゃんと暮らしてるだろ。普通に負け続けたって、おいらたちみたいに……孵化して外の世界に出ることの意味すらわかんなくなるほど馬鹿にはなってねー)

 (………)


 カイの脳裡にすぐに浮かんだのは、谷に身を寄せて種の延命を図った小人族や鹿人(ウーゼル)族たちであり、灰猿人族の隷属化にあった穴熊族などの種族であった。

 たしかに彼らは土地と神をいくつも奪われたであろうに、いまなおしっかりとした知恵を失ってはいない。


 (おいらたちは、たぶんやっちゃなんねー禁忌(・・)を犯しちまったんじゃねーかと思う。おいらたちの種族の劣化はあんまりにもひどすぎる。実際には誰にも負けてさえいないのに……おいらたちに与えられた『敗者の罰』は苛烈すぎると思わねーか)


 ネヴィンは手に持った同胞たちの亡骸を抱き寄せるようにしたが、こっちには目もくれなかった。ただ自嘲するようなかすかな笑みがこぼれただけ。


 (現実に向き合わねーやつは、きっと神々に失望されるぞ(・・・・・・))


 その横顔が、苦々しげに目を細めた。

 示唆された何かに触発されたのか、カイの脳裏にはいくつかの馴染みのない単語が浮かび上がり、そして消えた。

 ただひとつ、わずかにひっかかる言葉があった。


 『観測者効果』


 言葉とともにその意味合いも理解して、そんな程度のものではないだろうと否定しようとして……カイははっとしたようにまた天上の神々を見、そして囲みを作っている辺土領主や城勤めの者たちの熱心な眼差しを見返した。

 おのれの手の中だけで見える、小さな炎を『魔法』で発してみて、握りつぶす。カイはこの世界がどのような仕様によって創り出されているのかをいまさらに思い出した。


 (…『魔法』だって、やる本人の意思が反映されてるだけじゃないか)


 おのれが『霊力』と呼んでいる力が、意志の力によって現象へと変換される。

 『加護持ち』はむろん、そうでない普通の人々でも小なりとはいえ霊力そのものは持っている。『加護持ち』になる前のおのれでも蝋燭の火ぐらいのものはつけられた。その程度の事象の改変は許されているのだ。

 ならばこの世界は。

 全身の毛が逆立った。この世界に生まれたカイは、この世界のありようを何の疑いも抱かず絶対視していた。根拠など誰も示していないのに、固くそう信じてしまっていたのだ。


 (この世界がもしも……神様たちがかくあれ(・・・・)と、思い描いただけの『夢』みたいなものなのだとしたら)


 もしもこの世界そのものが、そうあって欲しいと願った超越者たちの願望……その強い想念の影響下にとらわれたものであったとしたならば。

 昨今の人族勢力の退潮が目立つようになっているのが、例えばそれが人族に対する愛着の減少、腐敗しているらしい中央の様子に愛想をつかされ(・・・・・・・)つつある……そんな雰囲気みたいなものが影響しただけなのだと仮定したならばどうなのだろう。

 そうした可能性があるのだとしたら、外側の神様たちだけじゃない、きっとここに居合わせる人族自身の思い込み(・・・・)も世界を変えうる『魔法』となっている可能性があった。頼りない辺土伯を見るネヴィンの目に、哀れみの色があるのに気付いて胸がざわめいた。

 この『祭祀』を行った辺土伯は、ここでの人族の代表ということになる。神々の力を掠め盗ってまでおのれの力を高めたのだ、『悪神(ディアボ)』討伐の儀式ぐらいは乗り越えて見せなくてはきっと人族の沽券に関わる(・・・・・・・・・)ことになる。

 カイが見るに、辺土伯は『悪神(ディアボ)』のバッドステータスにより自身の霊力が衰え、取り込みきれていなかった神々の過大な霊力を統御できなくなっているように見える。まるで毒物でも取り込んでしまったようなその苦しみように、カイはなんとなく髄中毒になったエルサの姿を思い起こしていた。

 神様の座所たる『神石』の中身、あのゼリー状の髄質は同族のものだけなぜか猛毒化する。触れただけでもたらされる『悪神(ディアボ)』のバッドステータスといい、実は『神石』の中身となるあの髄質は、『神気』のうちにあるなんらかの毒性を煮凝らせたようなものであるのかもしれないと思った。

 過剰な神気が毒素となって辺土伯の肉体を蝕みつつある。そう見て取ったカイは、借り物の戦鎚を肩に担ぎながらそちらへと近付いていった。


 (手出しするなっつってるだろ)

 (オレが戦うのは止める。…でも少しぐらいは手助けさせろ)


 カイは立ちふさがろうとする塞市領主らを目だけで「どけ」と促した。おとなしく退く者もあれば、立ちふさがろうとするやつもいる。辺土領主の中でもかなりの実力者が揃っているに違いない、古来より『北方の聖冠』と讃えられてきた辺土伯家譜代の列神の加護者たちである。

 その面に現れた隈取は『五齢』か『六齢』か……並べばただ神紋を比べる程度のものであるのだが、貴族社会において『五齢』と『六齢』の間には相当に隔絶した実力差があることになっている。カイはむろん知らねども、数千の民が暮らす大街を領するような『六齢』には、《六騎天紋(セイスカバレス)》とやや格式ばった公称が王国では定められている。

 目の前で門番のように武器を交差させたふたりの塞市領主は、その《六騎天紋(セイスカバレス)》に属するだろう隈取を示している。「これ以上は行くな」との制止の構えであったのだが、カイは時間があまりないと見てそのまま押し通ろうとした。

 両方の槍に手をかけて、無造作に押しのける。隈取をひた隠しにしているときのカイであれば、『五齢』ひとりと押し合うぐらいが関の山であったろう。が、このときのカイは力を隠すつもりがなかった。帽子とぼろきれで顔を隠しているためその隈取も目の周りにしか見えてはいない。辺土人に『六齢』までの高みに至るものなどそうはいないとたかをくくっていたのだろう、ぐいと押し込まれてふたりは目を剥いた。

 呆然と見送ってくるふたりを無視して、カイは何とか起き上がろうともがいている辺土伯の傍らに膝を突いた。正体不明の強者に見下ろされて、抗うように胸倉を掴んできた辺土伯の手を無碍に払いのける。異常なまでに筋肉隆々たるその姿を見て敬老精神はまったく刺激されなかった。


 (胸のあたりの霊気がいやに薄い。だいぶもってかれたな(・・・・・・・))


 血まみれの胸に手をあてがい、カイは麻痺状態に陥っていた『神石』に霊力を送り込んだ。その力に呼び込まれるように辺土伯の『神石』に熱が満ちはじめ、盛大に血を吐きは出してから一気にその呼吸が正常化した。

 間近に足音を聞いてそちらを見ると、いつの間に地面に下りたのかネヴィンの細い素足がそこにあった。


 「それ以上の手助けはゆるさねーぞ。谷の」

 「ああ、もう助けない」

 「さあこれからが『祭祀』の本番だ! 最初のバルターと交わした契約に沿って、おいらが最後まで『祭祀』を導いてやる。立て、当代バルターよ」


 そう言い放ったネヴィンの傍らに、静かに並んで立ったカイの姿は、人族たちにとって別種の生き物として映ったに違いない。


 「おまえは覚悟したと誓った。だから戦え!」


 愛らしいとさえいえるその姿からは無形の威が放たれる。


 「負けるのなら、戦って死ね」


改稿するかもです。書き直しすぎて頭がうだっております。


神統記(テオゴニア)』コミック第1巻がとうとう発売されます。

書影のほうを活動報告にてアップいたしましたので、ご興味ありましたら一度ご覧になってくださいませ。画像が大きいのでご注意ください。

https://mypage.syosetu.com/mypageblog/view/userid/349613/blogkey/2173928/


あと、本作の第3巻もどうにか出していただけることになりました。

どうかご支援いただけますようよろしくお願い申し上げます。

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[気になる点] >おいらたちみたいに……孵化して外の世界に出る 繭から出てきたのだから「羽化」が正しいかと。 「孵化」は卵から孵ることなので。
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