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11/19 一部改稿しました。
カイの圧倒的優勢を見て、囲みの領主たちが解けるように『悪神』へと近付き始める。死に体の『悪神』に一太刀でも入れておのれの誉れとしようと欲を覚えたのか。おかげで、ただでさえ『悪神』の巨体で狭くなっている広場は、身動きの余地を大幅に減らしてしまった。
まだ『悪神』は戦意を失っていないというのに。
「…兄弟! すげえじゃねーか!」
そんななかにいたらしいヨンナが、覆面のおのれを『ラグ村のカイ』だと完全に見破っていたようだ。もっとも、それを素直に認める必要はないのだけれども。
それよりも……邪魔だな。
ヨンナ以外にも、カイの周りに大勢の領主たちが群がり寄っている。伝承にしか聞こえない災厄神を相手に、辺土領主がこぞって繰り出しても苦戦を余儀なくされていたところを、たったひとりの謎の子供が戦況をひっくり返してしまったのである。人様の姿形はしていても、その頭の中身はほとんど筋肉でできている人々である。時も場所もわきまえず挑みかかられるんじゃなかろうかと、気持ちにわずかばかりの萎えを覚えた。
知り合いらに「オレの兄弟なんだ」と自慢しいしいのヨンナが意味もなくわき腹の辺りを小突いてきたので、軽やかにそれらを避けると、自称兄弟は笑みを凍りつかせた。そうして懲りもせず首に回されそうになった腕を情け容赦なくパリングのように打ち払った。
「…兄弟」
「知らん」
おのれの体液に串刺しにされて身動きのままならぬ『悪神』は、群がる領主たちの攻撃など意にも介さぬようにまたしても全身から発する霊気を瞬かせた。それが『悪神』の試行錯誤……知的行為の証なのだと知っているカイは、「退けぇ!」と周りに向かって叫んだ。
言っても聞かぬ馬鹿は殴りつけ、肩を掴んで押しのけた。むろんカイの気遣いなどとても追いつかず、大半の者はそのあとにきた触手になぎ払われて、肉達磨どもの雪崩が発生する。本当に何がしたかったのか。幸いにして昏倒した者はすぐ近くの者に回収され、一ノ宮の奥へと運ばれていったので、無用な障害物が残されるということはあまりなかった。見ていて参考になったのは、動体視力的に『悪神』の触手に反応できていた領主が多かった一方、自身の武器による単独の迎撃に成功した者はほとんどいなかったことだった。二齢三齢の『加護持ち』だと『悪神』相手では完全に力負けしているのだろう。ただ触手を払いのけるにしても、相応の膂力が必要であるのだ。
そのときひときわはっきりと『悪神』が霊気を高めた。
おのれを苛んでいる体液結晶化という状況に対する『解』を得たものか。
次の瞬間には串刺しにしていた鋭利な結晶が飴のように柔らかくなって、それさえも解けるとついには元の液体へと戻ってしまった。身体を穴だらけにしつつも、『悪神』がべちゃりと地面に垂れ落ちて自由を回復した。
『悪神』が『土魔法』を理解したようだ。
液状化したおのれの体液をその巨体で周りに飛び散らせながら、『悪神』はカイめがけて突進し始めた。
興奮のあまりもはやカイしか目に入っていないのだろう。カイが素早く避けると、そのまま不定形の巨体は一ノ宮の入り口付近、囲みの領主らに突っ込んでいく。驚愕した彼らは蜘蛛の子を散らすように左右へと逃げ散ったが、幾人かはそのまま『悪神』の巨体にひき潰されたようだった。
最後にどすんと壁面にぶつかって、『悪神』の巨体の衝突力は州城そのものを激しく揺り動かした。面した窓のほとんどが爆ぜるように割れ砕け、化粧石がばらばらと剥がれ落ちてくる。
『悪神』は再びカイめがけて突進してくる。おのれの質量に物を言わせて、分厚い肉で憎い敵を丸呑みにしてしまおうとしているのだ。その小山のごとき軟体の身体が波頭のように躍動する。
カイはその動きを見極めつつ、とどめを刺すべく身構える。
すでに頭の中には『悪神』を倒すための手順がいく通りも組み立てられている。『悪神』の『神石』のひとつはあそこ、右寄りに奥まった肉のこぶのなかにある。
『不可視の剣』の一撃では届かない。そう目算して自らその距離を縮めるべく走り出す。左右から折り重なるように触手が襲い掛かってくる。それらを素早いステップでかわしつつ、そのなかの一本をていよくバネ代わりにして宙を舞った。どよめく領主たちの声が耳に届く。さっきから『悪神』に何度も触れているのに、一向にバッドステータスをこうむらないカイに驚いているふうである。本当にどこの領主家にも、『悪神耐性』とも言うべき『骨質体皮』は伝わっていないらしい。『密具』があったぐらいなのだからその理屈は知っていてしかるべきなのに、不自然に無知すぎる。
『悪神』だけでなく『加護持ち』領主らにも特効のあるこの知識は、もしかしたら一部の上位貴族たちに意図的に伏せられているのかもしれないと思いつく。
土地神の加護の強さで序列が形成されているこの世界で、それを打ち破る『裏技』というのはたしかに扱いの難しい知識ではあるのかもしれない。
青い熾き火が燃え続ける『悪神』の身体の上を、カイは着地からのたたら数歩で目的の場所へと達する。カイが何を狙っているのか気付いた『悪神』であったが、すべてが遅かった。
(…移動し始めてるな。けど、これでおしまいだ)
谷の神様の目の良さは、あるいは『悪神』にとって天敵に入るのではなかろうか。霊気を読み解く『霊眼』に長けるほどに、おのれの目が良くなっているという感覚はあった。
『不可視の剣』を使おうかと思ったところで、目の端に突き立っている鉄の剣が目に入った。目に見えない剣でやるよりは、こいつで倒したほうが分かりやすかろう。身体の縁で刺された剣が、こんなあたりにまで移動しているということは、『悪神』の身体には天地も前後左右もないのだろう。
剣を引き抜き、一度思い切り突き刺してみる。
なまくらの剣であったが、カイの剛力によってその切っ先が『悪神』の頑強な体皮層を貫いた。そうして剣をこじって逃げようとする『神石』をとらえ、いま一度深々と押し込んだ。先のほうでこつりと硬質な感触があり、カイは『悪神』の命をいままさにおのれに手に握ったことを確信した。
(もといたところへ還れ)
剣の長さがわずかに足りない。が、そんなことはもはや些細なこと。
カイの手の延長上にある剣の、さらに延長線に霊力を注いだ。概念の剣先がまるで泡を貫くように『神石』を両断した。
『悪神』をこの世に顕現させていた理が破壊されたことで、その存在が一気にはじけ飛んだ。『神石』があったその一点に向かって『悪神』を構成していた黒い物質が恐るべき勢いで吸い込まれていき、その半瞬後にはおびただしいこの世のものであったころの肉片となって撒き散らされた。白い肉と半透明の体液が降り注いだのは、それがネヴィンの眷属たちのなれ果てであったためか。
どおっと、歓声が上がった。
囲みの領主たちが。
その連れてきた従卒たちが。
割れた窓から眺め降ろしていた城勤めの女たちが。
恐るべき巨大な化生が打ち滅ぼされたことに喜悦した。その尋常ではない喜びように、カイもさすがに周りを見回してしまった。
さっきもそれでやらかしたというのに、懲りもせず駆け出してこようとする馬鹿たちに、カイは「止まれェ!」と出しうる限りの大音声を上げた。『悪神』はまだ一体残ってるってのに。
体中についたいろいろなものでべとべとになった腕を払い、カイは身体を向ける。そこには依然としてまだ一体の『悪神』が居残っていた。
呼び込まれた外側の神様は3柱。ゆえに『神石』も3つ存在するのだ。
身体の量感はもう半分以下というところであった。たったいま退治した神様よりも、残ったほうは神格で劣るのだろう。カイが近づくほどに、恐れをなしたようにその身体がずるずると下がっていく。カイはまた足元に落ちていた剣を拾った。手に取ってみたものの、あまりよい出来のものではなく、刃渡りも短いために『神石』を潰すには足りないなと、すぐに放り投げた。
ざっと見回しても適当な武器がない。
すると広場の端のほうから声がかかった。
「こいつならどうだ」
さっきまで臆せず戦い続けていた禿頭の領主だった。
『四齢』領主、『尖石頭』エンテス侯が、その武器である巨大な戦鎚を投げて寄越したのだ。
ごつんと石畳を割りながら転がってきたそれを拾い上げたカイに、エンテス侯はにやりと歯を見せて笑った。おそらく普通の人間ならばひとりで持ち上げることも出来なかろう大物であったが、カイの剛力にかかれば切り取りナイフ程度のものだった。
その様子を見ていたほかの領主たちも、ならばオレのも使ってくれと次々に武器を投げて寄越した。一度に何十も武器を投げられて、ほんとうにこいつらは馬鹿なんだなと思った。ただし気持ちのよい馬鹿野郎たちだった。
巨大な戦鎚を肩に担ぎながら、カイはおかしくなって笑い出した。つられるように、その場に居合わせた者たちまでもが笑い出した。
まあこのあとはどんな武器だろうが勝ちは揺るがない。カイは拾い上げた剣を2本ほど腰帯に差して、気持ちは受けたというていで『悪神』に向かって歩き出した。
両者の距離はもうたいしたものではない。一ノ宮前の広場自体がそれほどのものではないからだ。カイの刻む一歩が、『悪神』のこの世にあることを許された時間の減少を意味していた。誰もがその瞬間を待ち受けて、固唾を呑んだ。
が、そのとき。
(待て! やるな!)
突如脳天を叩くように声が響いた。
それが誰のものであるのかを理解したカイは、抗議するようにその眼差しを上空へと向けて……そしてしばし言葉を失った。
見つけた白い姿は、生き残りの『悪神』の頭を踏みつけるようにして姿を衆目に晒したのだった。この守護者もまた、カイと同じく対『悪神』の耐性を身にまとっているようだった。
両手に同胞たちの亡骸を壊れた玩具のようにぶら下げながら、泣き腫らした目でカイを見、そして広場に集まる大勢の人族を見渡した。
「これはあいつの『祭祀』だ。あいつに倒させてやってくれ」
「あいつって…」
ネヴィンの言う『あいつ』が誰なのかは明白だった。
カイが神像群の奥で家臣らに介抱されている辺土伯を見たことで、居合わせた人々も理解したことだろう。しかし辺土伯は『悪神』に触れて苦しんでいる。まともに立つこともままならない老人に、『悪神』退治を無理強いするのはやはりどうかと思った。
「ネヴィン」
カイの抗議に、ネヴィンは首を小さく横に振った。
そして、無言のまま上を見るように促された。
示されたはるか頭上の雪雲……そのわずかなあわいに見えたそれに、ややしてカイは慄然と目を見開いたのだった。
最初はそれを、雲間から見えた朝焼けの光がちらついているのだと思った。が、動きの早い雲が行き過ぎていくうちに、そうではないのだと気付いてしまった。
(目…)
全身に鳥肌が立った。
本能的な惧れがカイを凍りつかせた。
そこにあったものは、ただひたすらにこちらを眺めてくる目、目、目。矮小な地表の生き物などとは比べることもできない巨大な存在の『目』が、びっしりとそこにはあったのだ。
無知な人々に語るべきでないとしたのか、そこからは心の声となった。
(おいらたちは外から神様を招き入れた。外側の神様たちにとって、この世界はとても特別な場所なんだ。だからああして、運よく入り込んだ神様たちをとても羨んで、ずっとその成り行きを見守っている)
(……あ、あ)
(谷の。おまえは人族の代表か)
そう問われて、カイは言葉を失った。
カイという人族の子供は、モロク家領ラグ村に所属している。その生まれも育ちもまぎれもなくその村人としてのものであったが、谷で神様の加護を貰った瞬間から、おのれがまったく別種の存在になってしまったことをカイは十分にわきまえていた。谷は人族の巨大な神群には所属していない。さらには他の亜人種族を何の抵抗もなく受け入れ、その民人として今日に至っている。
おのれは人族としてここにいるのか……そう問われると、否というしかない。
(そうじゃないのなら、あいつに任せてやってくれ)
(…でも!)
(あいつは選んだんだ。土地の王たるにふさわしい力をあいつは証明しなくちゃなんねー。崩れかけた人族の世の親柱になるとやつは言ったんだ、ここで男を見せねーとさすがにかっこがつかねーだろ)
(あんなていたらくで、もしも勝てなかったら…)
(そんときは、おまえらみんな一緒に堕ちるだけさ。やつの束ねる神群もろとも、世界に見限られて堕ちてけばいい)
(従ってるだけのほかの神様たちも弱るのか!?)
(あったりまえだろー。神群に連なるってのはそういうもんだ。引っ張りあげられもするし、引きずり込まれることだってある)
ネヴィンの目はまるでガラス玉のように澄んでいた。
いっそ命のない人形のようだといったほうがしっくり来るくらい、生気に欠けていた。怖いほどに透き通った目で、ネヴィンは人族が選び取ろうとしている運命の成り行きを見守っているのだ。
「バルターの後裔よ。戦え」
ネヴィンは、そう突き放すように言ったのだった。
逡巡しつつもかろうじて話をつむいでいくこの感覚。もっとお気軽に書けたらよいのに。
感想お待ちしてます。