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神統記(テオゴニア)  作者: るうるう/谷舞司
冬の宴
113/187

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 また盛大な歓呼が起こった。

 武器を叩きつけていた者たちが振り仰ぎ、駆け回っていた者が足を止めた。

 一様に見たのは辺土伯らが陣取る辺り。


 「オオッ!」


 一斉に意気を上げようとする野太い声。

 いつまでも圧力の減らない『悪神(ディアボ)』に業を煮やしたのだろう、周りを固めていた塞市領主たちが前進し、自ら積極的に触手を叩き落しにかかったのだ。

 その背後に一人残った辺土伯が、おのれの武器である大剣を後ろに、身体を腰溜めに大きくねじるようにしている。それは重量のある武器を渾身の力で振り回すときに見せる馴染みの構えであり、察した囲み領主たちが次の瞬間に起こるであろう一撃に固唾を呑んだのが見えた。

 おのれもまた挑みかかろうとしていたカイは、機先を制される形で一歩を踏み出しかねた。その一撃、見届けてやろうじゃないか。

 辺土伯の持つ剣はよほどの業物なのか、切れ味のすさまじさには感心をしていたところだ。いくら超絶した力を以って振るったとしても、得物がただの鉄製ならばあそこまで易々と『悪神(ディアボ)』の身体を切り刻むことはできなかったに違いない。辺土伯の手にある『大剣』を見たカイは、その異形ともいうべき剣のありようにそのとき遅まきながら気付いた。


 (…なんだ、あの顎の骨(・・・)みたいな剣は)


 辺土伯の大剣には、乱杭歯のような無数の牙が刃面に埋め込まれていた。その白い牙が『密具』であることはすぐに分かった。『加護持ち』の強靭な体皮をいとも易々と貫いたあの真理探究官の隠し武器も異質だった。骨のような白さと形のいびつさ。まるで天然素材をあるがままに仕立てたとでもいうようなその荒々しい造形に、なんとなく忌避感を覚えてしまうのはそれで殺され掛けたことが心の傷になっているのか。

 呪わしく思うとともに、『密具』の成り立ちにカイはその経験則から思い至った。


 (あの材料はいわくある『加護持ち』の骨……それか『神石』の骨殻)


 いままさにカイ自身が、おのれの身体にそれと同質の護りの加護を帯びさせている。『悪神(ディアボ)』のバッドステ―タスを寄せ付けない『神石』の特質は、神々の及ぼす神力を受け付けぬこと。ゆえにそれを研ぎ澄ませて武器たらしめれば、それは護りの加護を無効化する『密具』ともなりうる。

 まさに『悪神(ディアボ)』退治には特効を示すだろううってつけの武器であるということだ。ただの鉄製の武器で先ほどの一方的な攻撃を実現していたわけではなかったのだ。

 そして思う。

 辺土領主すべての寄り親である大貴族、辺土伯家とはその興りよりこの地に起こったであろうさまざまな『災厄』に対処してきた一族であるのだと。その家に『悪神(ディアボ)』退治の専用武器があったとしてもまったくおかしなことではないのだ。

 そして同時にあの武器は、伯家に反抗する同じ人族の領主らにも振るわれてきただろうことも確信する。『加護持ち』たちの反乱に対するにもそれはきっと切り札足りえるのだ。

 その大剣を寝かせるようにして放たれた辺土伯渾身の一撃は、全体に扁平な形をしている『悪神(ディアボ)』を上下に二枚に切り分け、上半分を爆ぜさせるように舞い上げた。降り注いできた黒い体液の雨を浴びながら、さすがのカイも瞠目した。秘伝の武器であるとはいえ、たったの一撃で『悪神(ディアボ)』の巨体の四半ほどがめくれ上がったに相違ない。


 (『神石』はたぶん身体のもっとも深いところにある。たしかに上下半分に切っていけば、どこかで当たる可能性が高い)


 灰猿人の主邑で対峙した『山椒魚(ディアボ)』程度の大きさであったなら、あるいはこの一撃で上下泣き別れにできたのかもしれない。が、目の前の『悪神(ディアボ)』は、純粋に神格が高いのか、あるいは複数の神様が座所を共有しているからなのか、質量があまりにも大き過ぎた。

 力を尽くしたためか振り抜いた構えでよろめく辺土伯の真上に、いままさにめくれ上がっていた『悪神(ディアボ)』の上半分が広げたマントのように落ちかかってくる。

 愕然と上を見上げる辺土伯。そしてそれを援護しようと武器を掲げた塞市領主たち。鉄の得物に支えられる形で上半分は直接の落下を阻まれたものの、その下から這い出てきた辺土伯はそのまま広場の隅にまで逃れて、立つこともできずに丸まった。たぶん少なからず『悪神(ディアボ)』の体液に触れて、バッドステータスをこうむったのだろう。そして胸を押さえて苦しみだした。


 「伯ッ」

 「閣下!」


 『悪神(ディアボ)』に触れると、まるでこれまでの『経験値』を奪われるような喪失感がある。武器と同じく防御対策も伝わっていると思っていた辺土伯であったが、もろに悪影響を受けたように盛大に血を吐き出し始めた。駆け寄る塞市領主たちがその身体を引きずるように物陰へと引きずっていく。もしかしたら掠め盗っていた膨大な神の力が、統御する『バアルリトリガ』の弱体化で暴走し始めたのだろうか。

 辺土伯らを守る形となったのは広場の神像群だった。辺土二百余柱の像が密集して立つことによって生まれた隙間には他にも幾人かの領主らが避難している。そこはたしかにいままでは安全地帯であったようだが、標的となった辺土伯らが逃げ込んだことでけっしてそうだとはいえなくなりそうだった。

辺土伯はまだ戦えるのか?

 カイは他の領主たちが命がけで立っている戦場で、あまりにも無防備を晒して辺土伯らの様子を眺めていたが、「あぶねえ!」という危険を報せる声に、飛来した触手を見もせずに気配だけで避けた。地下世界からすでにして『悪神(ディアボ)』との戦いを続けているカイに油断などあるはずもなく、避けたことでずれそうになった帽子を手で直すぐらいのものだった。

 そうして辺土伯にかかりきりになろうとした『悪神(ディアボ)』も、ようやくカイの存在に気付いたようで、試すように数本の触手が襲い掛かってきた後……ほんのわずかだが相対距離を開けたように見えた。


 「さあ、さっきの続きをやるぞ」


 カイは構わず一歩前に出る。

 『悪神(ディアボ)』はさらに引き下がるように不定形の身を持ち上げた。知能をあまり持ち合わせていなさそうであった『悪神(ディアボ)』も、直接手を合わせたばかりのカイが強敵たりえることを理解しているのだろう。

 カイは意識を切り替えて、『悪神(ディアボ)』の全体を覆っている霊気の様子を観察する。完全にそことは断定できなくとも、『神石』のおおよそのありかを把握しようと思ったからだ。

 そこでカイは、おや、と首をかしげた。『悪神(ディアボ)』の霊気がその形や色、ありようをめまぐるしく変え続けているのが見えたのだ。それはカイが先ほど見せた高電圧による神経麻痺……鉄製の武器で体皮を貫かれれば実質防ぎようのないその攻撃にどのように対すべきか、『悪神(ディアボ)』が混乱を示している証であったのだが、カイはそれを『悪神(ディアボ)』の取って置き(・・・・・)が繰り出される前兆(きざし)であると見てしまった。その勘違いは両者の攻防をつかの間引き伸ばすこととなったのだが、カイの優勢を覆すようなものとはならなかった。

 触手攻撃に槍を合わせることでカイは他律的におのれのなかの迷いを振り払うこととなる。恐れ気もなく突進してくるカイを『悪神(ディアボ)』は触手で捕まえようとするのだが、触れても弱る気配すら見せない不可思議な敵に、身震いするようにその身体を蠕動させた。

 まためまぐるしく『悪神(ディアボ)』の霊気が明滅を繰り返す。そしていままさに最初の一撃を繰り出そうとしていたカイの目の前に、竜のあぎとのごとく真っ黒な虚が現れ、急激にその霊気が高められた。


 (『ドラゴンブレス』!)


 その単語を唐突と感じたのは、カイが属する世界に炎を吐くドラゴンなどという生き物が存在したことがない証であったのだろう。その激しい火柱からとっさに逃れたカイは、火傷のせいで体皮の恩寵が『火耐性』に切り替わりそうになるのを押さえつけねばならなかった。神様が憑代を護ろうとする反射的反応がここでは命取りになりかねない。

 それよりも。


 (まさか……『火魔法』か)


 やや唖然としたままカイは『悪神(ディアボ)』を見た。

 『悪神(ディアボ)』が『御技使い』のごとく魔法を使う……そんなことを想像しえた者はやはり誰もいなかったに違いなかった。神像の中に逃げ込んでいる辺土伯らも、戦う手を止めていた有力領主らも、これ以上はないくらいに大きく目を見開いていた。

 カイをはじめとした人族たちのその驚きは、神々に対して恐ろしく不遜な感情であったかもしれない。そもそも知恵をつけただけで地上をはいずりまわるしかない人族など、高次存在である神々に比べたら塵芥にも等しい下等な存在なのだから。

 おのれの憑代に護りの耐性を付与できるぐらいに神様にも知恵があることを弁えるべきであった。そしてカイは思い出した。


 (そうか、さっきオレもやったのか)


 初戦時にカイも触手を『火魔法』で焼いたのだった。あれを覚えていたからこそ、霊力の魔法的変換術がこの世界で有用であることを察してしまったのだろう。

 カイに痛手を与えたと理解して、『悪神(ディアボ)』はバッドステータス頼みだった触手攻撃を変化させた。伸ばした触手は燃え盛る炎をまとい、それをかわして本体に近づいても、今度は火炎放射のごときブレスが襲い掛かる。

 『悪神(ディアボ)』の身に触れれば『経験値』を持っていかれるバッドステータスはそのままに、『火魔法』という第2の属性攻撃が追加された形である。それはカイが編み出した『神石防御』……単一の属性にしか効力のない護りをを意図せずやぶることとなった。

 むろんやぶられたからとて、対『悪神(ディアボ)』戦で必須となるその耐性を捨ててはほかの領主たちと同じになってしまう。つまりは『悪神(ディアボ)』の繰り出す魔法に対しては、神様の耐性なしで挑まねばならないということだった。

 近付くだけで灼熱を感じる触手を、ただの鉄の槍でいなし続ける心もとなさはぬぐいがたかった。もしも鍔迫り合いのような膠着が始まったら、鉄などすぐに赤熱して飴のように柔らかくなってしまうに違いない。

 間近に死を感じながらも、それでも勝利を信じて動き続けられるおのれの楽観に、カイは次第に笑いをこらえられなくなった。まったく譲る気にも負ける気にもならないおのれの自信過剰が、馬鹿みたいでおかしくてならなかった。


 (『悪神(ディアボ)』を殺せ!)


 谷の神様もそうご所望だ。

 『悪神(ディアボ)』にはほかの領主たちが突き刺したのだろう鉄の武器がちらほらと刺さったままになっている。耐性を持ち得ない身体の内側にまで通ってしまった鉄をそのままにしている時点で、『悪神(ディアボ)』は致命的な弱点を晒し続けているに等しい。

 それに『電魔法』に頼らなくても、『魔法』の手数で『悪神(ディアボ)』に負けるカイではない。『火魔法』に対する防御をおのれの『魔法』として編み出して、少しの間に易々と対応するようになった。低温を形成するよりも空気の膜を創り出すことで断熱するのが簡易であると試行錯誤する間はわずかなものだった。

 次第に『悪神(ディアボ)』の攻撃を寄せ付けなくなったカイは、またぞろ恐れ気もなく『悪神(ディアボ)』に歩み寄り始めた。そのカイから『悪神(ディアボ)』は逃げようとする。

 辺土領主たちが束になっても圧倒されていた強大な敵が、たったひとりの小柄な少年相手に怯えたように後ずさっていく。なんとも奇異な光景に、人々は魅入られたように押し黙った。

 さあどうしようか。

 どのようにして型をつけようか。

 伸びてきた触手をわしづかみにした。そしてそれを手綱のようにして引っ張り、『悪神(ディアボ)』を逃げられなくする。手のひらが熱くなったので、『低温魔法』で冷やし固めてやった。

 狂ったように炎を吐きつけてくる『悪神(ディアボ)』に、無造作に槍を叩きつけた。その一撃で槍が使い物にならなくなって、カイはあっさりとそれを放り出した。

 まあ武器などなくても十分。『悪神(ディアボ)』の体皮など手刀で貫ける。無意識に『雷魔法』を使いそうになって、自重する。そんなのはつまらないだろうに。

 『悪神(ディアボ)』の肉をうがった指先で鷲掴む。片足で押さえながらその肉塊をひねるようにして引きちぎった。『悪神(ディアボ)』に痛覚などなさそうであるのに、なぜか身をよじってけたたましくいなないた。その咆哮のごとき鳴き声に、全身の毛が逆立った。

 むしりとった肉穴の奥に、体皮に護られていない『悪神(ディアボ)』の内容物から噴出した真っ黒な体液が溢れてくる。それを見ていてカイは思いついた。


 (『土魔法』で自分以外の無機質にも作用を及ぼせた。…ならこいつの『血』はどうなんだろう)


 無防備に晒された『悪神(ディアボ)』の体内へと手を突き入れて、その内奥へとおのれの意識を広げていく。『土魔法』のときに得た知見で、それはおのれの支配領域を広げるイメージで行われた。

 意識の届く範囲に『悪神(ディアボ)』の『神石』は見当たらなかった。あるいはカイという脅威を前に、そこから最も遠い場所におのれの核を移動させたのかもしれなかった。

 まあいい。とりあえず支配した『悪神(ディアボ)』の体内物質を、『土魔法』の要領で変質させてみた。体内での還流を阻害する意図で、結晶化を試みた。

 それによってもたらされたのは結果にはやった本人さえも驚いてしまった。

 体内から伸びた無数の黒い結晶に串刺しにされた『悪神(ディアボ)』が、跳ね上がるように地上から掲げ上げられた姿だった。下側に飛び出した結晶がその巨体を持ち上げてしまったのだ。


 「……うわ、痛そう」


 勢いで抜けてしまったおのれの手から体液を振り払いながら、カイはそうつぶやいたのだった。


たくさんの感想、ありがとうございます。

大変励みになっております。

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― 新着の感想 ―
[一言] うわ、痛そう……じゃないねんwww
[一言] 竜の背と称される地名(悪神討伐にマカクの村に行くときに通った道)があるのにドラゴンブレスが唐突な言葉と表現されるのは違和感がありますがどうでしょう?竜はいるがドラゴンはいないということでしょ…
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