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神統記(テオゴニア)  作者: るうるう/谷舞司
冬の宴
110/187

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 血を分けた妹が、急に結婚すると聞いたときには、ああそうなのかとあっけらかんとしたものだった。

 その妹が、目の前から忽然と姿を消したとき、オルハは声にもならない小さな嘆声……割合に良く起こるこの世の不条理に、こらえ性のない子供が発するような、「はぁ?」という小さな怒気を声にしたのだった。


 「なんなんだ」


 妹の晴れがましい日となるはずだった。

 ほとんど無意識に駆け出したオルハの脳裡には、ことがここに至るまでの行き掛かりが早映しに浮かんでいた。父とともに州都の有力者たちを詣で、何度も礼の言葉を繰り返したおのれが搔いた汗を思い出していた。


 (わが家はたばかられたのか)


 村に滞在していた巡察使、土侯(セベロ)ガンダール様の、亜人の夜襲があった夜の不可解な死。

 その責めを向けられる前にと父とおのれが州都バルタヴィアへと赴き、少なくない金銭を投げ打って根回しを行ったときに、妹ジョゼの婚約云々が降って沸いたように持ち上がった。

 まるで物をやり取りするような軽々しさで決まった縁談であったが、希望されたのが辺土伯様ご当人であったこともあり、成り行きに当惑しつつも父ヴェジンはその申し出を受けることにした。火消しを望むモロク家にとって、それはもはや断れる筋の話などではなかったのだ。

 辺土のいち小領主の娘にしか過ぎないジョゼにとって、それはまたとない『玉の輿』でもあったが、正直なところ父上は苦りきった顔をしていたし、オルハの目から見てもその縁談が妹を幸せにするなどとは思えなかった。

 妹ジョゼは、なぜか州都の社交界で『辺土一の美姫』などと噂されていた。そのきっかけは、どうも亡くなった巡察使が滞在するラグ村から、『匂い立つように美しい白銀の姫』を見出したと、辺土伯宛ての時候の文に書き添えていたことであったらしい。意外に筆まめであったあの色狂いの巡察使が、両家の仲を取り持ったかのようなまことに皮肉な格好だった。

 そのあとラグ村は亜人の大侵攻を受け、それを見事跳ね返したことで大いに面目を施した。今度は恩賞までいただけるという話にもなり、迷惑料のように扱われていた妹ジョゼの縁談も、いきおい伯家挙げての本腰を入れたものへと変わっていった。

 父はその後の辺土伯様との話し合いで、いろいろと内密に家族にも知らせぬように立ち回っていたようだが、辺土領主とおのれの子を娶わせるというこの縁談は、辺土伯様にとって『辺土領主たちとともに生きていく』という伯家の姿を示すまたとない機会であったらしく、両家の密約も人の口に戸は立てられぬていでわざと洩らされ、かなりの領主たちの知るところとなっていたようである。州都でであったほかの領主たちからそのようなことを囁かれて、当事者の兄であるおのれが当惑させられたのはなんとも間抜けな話であった。

 モロク家は自慢の美姫を伯家に輿入れさせる代わりに、亜人の害で捨てざるを得なかった廃村を、兵を借りて再興するという約束が交わされたのだという。

 なかにはモロク家があらたな大領を得て土侯に陞爵(しょうしゃく)されるなどと言いふらしている者までいて、そのときはさすがに泡を食った。

 むろんジョゼが持つ『エイダレン』の御霊は……わが家に伝わる大切な御霊は、伯家に一時預かりとなり、その死後(・・・・)にモロク家へと返される仕切りもなされ、領主としての父の交渉術はそつがなかった。

 土地が減り人が減り続ける辺土において、それはまことに羨むべき手厚い『恩賞』であったといえる。

 それが、なぜこうなってしまった。

 見送ったばかりの妹の晴れ姿が、いまはもうどこにもない。


 「ジョゼ!」


 人を掻き分け走り出したオルハにやや遅れて、慌てふためいたヴァルマ家の家人たちも控えの間からあふれ出した。用意されていた酒食の類が蹴飛ばされて激しく散乱した。

 宴の会場であった大霊廟は怒号のような騒ぎに包まれていた。立ち上がった領主たちが皆一様に面に隈取を浮かび上がらせ、『バアルリトリガ』の祭壇へと群がり寄ろうとしている。その客たちの最前列には家臣たちに介助される苦しむ辺土伯様の姿があり、その口から発される矢継ぎ早な指示で、込められていた伯家の衛兵たちがなだれ込んできている。

 オルハのいた控えの間はそんな人混みよりもより祭壇に近いところにあり、結果さほどの障害にも合わず祭壇の下にまでたどり着くことができた。そこにはやはり当事者の家族として事態に素早く対応したのだろう父が顔を朱に染めていて、その猛進を食い止めようと頭ひとつ小さい赤髪の女傑が腰を低くして組み付いているのが見えた。父ヴェジンと奉納試合を行った『五齢(シンクエスタ)』の塞市領主、『紅玉剣』ルフト・ガラであった。

 なぜ父上が止められねばならない……娘の危機に駆けつけようというその親を邪魔する理由がまるで分からず、オルハは一瞬にして怒り心頭に発した。

 血相を変えて駆け寄ってきたオルハの姿を認めた父ヴェジンは、血管が浮き出すほどに紅潮した顔を振って、助けはいらぬ、ただ「行け」と促した。

 そしてオルハは祭壇へと取り付こうとしたのだが……比較的祭壇に近い場所にいたとはいえ、それよりもさらに近い場所にすでに陣取っていた者たちが人垣を作っており、勤行していた僧侶の集団がオルハを近付けまいと行く手を阻んだ。


 「どけぇぇぃ!」

 「ならぬ!」

 「行かすな!」

 「権僧都様の妨げぞ!」


 無意識に腰の辺りを探って、おのれが無手であることを思い出す。舌打ちしつつもオルハは『加護持ち』たる力を解放し、力任せに押し通ろうとする。それを数人掛りで取り押さえようとする僧侶たちの手が、四方からオルハの衣服を掴んだ。

 無紋ごときが……力任せにひとりの手をもぎ取ったオルハであったが、『僧院』で鍛錬に余念のない僧侶たちの力は侮りがたいものがあり、鋭く足を払われた後はおのれのふがいなさを嘆きたくなるほどあっさりと、人数に勝る彼らに押さえ込まれてしまったのだった。

 わが神、『三齢(トレス)』を示していたエルグ村の土地神『エウグシナ』は、あの灰猿人(マカク)らの『呪い』を受けて以来、神格を落としてしまっていた。おのれの隈取がその形を変え、紋数を減らしたことをむろんオルハは自覚していた。州城の『試しの門』でも梃子摺ったのだ、嫌でも認めぬわけにはいかなかった。

 頭では理解していても、こうして実際に振るいうる暴力の量が明らかに減ってしまったことを実感するのはまことに恐ろしいことだった。

 『三齢(トレス)』のときであれば、人のひとりやふたり片手で楽々と持ち上げられたというのに、なんという体たらくであったろう。そうして手もなく押さえ込まれてしまったおのれを見て、父ヴェジンの顔になんとも形容のしがたい苦りきったものが浮かび、その眼差しはジョゼの姿が失われた祭壇のほうへと向けられた。

 オルハはその眼差しがなにを言わんとしているのかを察して、なおも死力を尽くして僧侶らに抵抗したが、武術に練達した彼らは人の身体がいかにして力を発揮し得るのかをわきまえていて、巧みに力を散らしてしまう。

 背筋がぞわぞわと震えた。

 父に失望されてしまった。

 オルハは、ぎりぎりと歯をきしませた。

 父の目はいまなにを……いったい誰の活躍を当て(・・・・・・・)にしているというのか。妹のあとから飛び込んでいった馬鹿がひとりいたのはたしかに間違いなかったのだが。

 しょせんあいつは……殻付き(・・・)は、まだ隈取も顕すことのできない半端ものでしかないのに。なぜ父上は、期待してしまっているのだ。

 身動きできぬまま首をめぐらせれば、おのれを取り押さえている僧侶たちが頭上で盛んに言葉を交わしている。彼らはこの事態にそれほど慌てている様子にも見えず、なにやら難しい宗旨問答のようなことを言い合っている。その言い合いを止めさせたのは、そこから少し高い場所にある、祭壇の縁にかがんで中を覗きこんでいる頭巾姿の高僧だった。

 その指示と手振りで、僧侶の幾人かが駆け出している。高僧のわずかに見える頭巾の目元には、はっきりと隈取が浮かんでいた。

 権僧都(ごんのそうず)

 宴の勤行を執り行うために、伯家の招請を受けて《大僧院》が派遣した高僧であった。おそらくこの場で辺土伯様当人に、形だけでも対等に物申すことのできるだろう人物は、先日村を訪れていた真理探究官殿が得意としていた『百眼』をやはり操れるのだろう、祭壇にうがたれた穴を凝視しつつ術に力を割いているようであった。

 遣いに走った僧侶が持ち帰った長い縄が手早く穴へと落とされ、手元側が連携作業で神像のひとつに結わえ付けられる。権僧都が穴の中へと潜ろうとしているのを知って、オルハは声を上げた。穴の中にはなにが待っているのか知れない。供を連れて行くのなら力ある『加護持ち』が同行すべきだと何度も何度も声の限りに叫んだ。

 ちらりとこちらを見た権僧都に、オルハはかすかな希望を見出したのだが……折悪しくその前に崩れ立つように押しやられてきた大勢の衛兵たちが、オルハの限られた視界を奪ってしまった。いくつもの足が彼の身体を踏みつけ、そして倒れ込んでくる。

 押し寄せる辺土領主たちに抗うこともできず、衛兵たちの壁が突き崩されたのだ。領主ら『加護持ち』たちの怒号が大波のように近付いてくる。

 僧侶らが余裕を失ったことで戒めが解け、なんとか人々の足元から抜け出すことのできたオルハは、邪魔な人混みを掻き分けながら、祭壇へと取り付いて必死に這い上がった。おのれがけっして無能などではないことを証明すべく、無我夢中だった。

 そうしてようやく、5ユルほどの高みにある祭壇の縁に上半身を乗り出したまさにそのとき、無秩序の坩堝(るつぼ)であった大霊廟のざわめきの中に、はっきりと聞き取れる声が上がり出した。何人もの口から同じような言葉が同時に吐き出されたために起こった奇跡だった。


 「辺土伯!」

 「伯候様ッ!」


 オルハは祭壇にしがみつきながら、傍らを風が吹きぬけるのを感じた。

 軽く素足の立てる音がして、何者かがおのれの脇を上へと登ったのだと気づいた。つられるように上を見たオルハは、そこにあっけに取られたように上を振り仰いでいる権僧都の姿を見、さらのその上……祭壇のさらに段上にある『バアルリトリガ』の巨像の足元にいままさに立った、ひとりの男を見た。

 その人物は、全身からあふれ出してくる何かに酔ったように、ゆっくりと両手を上へと掲げた。

 その人物とは、バルター辺土伯その人であった。

 その身体はなにか神々しい神気に包まれたようにうっすらと輝き、老齢に差し掛かりつつあったはずの枯れ枝のような手足が、めきめきと膨れ上がるように太くなっていくのを見た。それが鋼のような筋肉であるのが知れると、オルハもまた多くの『加護持ち』たちと同じように言葉を失った。

 急速に騒ぎが収まりつつある大霊廟に、バルター辺土伯の発した哄笑がこだました。心底からおかしくてたまらないというような、その狂気と紙一重の笑い声に、オルハは身震いを抑えられなかった。


 「祖霊よ! 後裔(こうえい)の取り戻せし光、ご照覧あれ!」


 頬に、ピシャリと何かが当たった。

 熱く、そしてとろりと垂れたそれが、辺土伯様の鼻からあふれ出している鼻血の雫だと気づいた。


 「大辺土に安寧を! わがバルターの威光あまねく北辺に降り注ぎたるなり!」


 どお、と人々が沸き立った。

 最前の妹の消失などすでに忘れ去ったかのように、領主らが、衛兵らが、辺土伯様の名を連呼した。狂躁があっというまに人々を飲み込んでいく。

 辺土伯様の面に浮かんだ神紋……戦役の折に幾度か見る機会のあった伯家当主の神紋は、オルハの記憶にもあった。

 見覚えがあったからこそ、オルハはいままさに目にしている辺土伯様のそれに、心を大きく揺さぶられていた。

 その驚くほどの稠密さを見せる紋様は、まったく記憶になかった。

 あれではまるで。


 (王紋…)


 寝物語にしか聞いたことのない至尊の紋……まるで『王紋(ウーレイ)』のようではないかと思った。

 人族百万のなかに、その神紋を持つ『加護持ち』はたったひとりしかいない。


 「わがバルターは、ここに天元(てんげん)に達さん!」


 オルハはその光景を、仰ぐように見つめ続けるしかなかった。

 それはまさに、世界が変わろうという大きな節目となる出来事だった。


書き直しどんだけ。

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