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神統記(テオゴニア)  作者: るうるう/谷舞司
冬の宴
102/187

102






 その酒宴の輪は、おそらく辺土領主たちならば一度は同席したい宴の中心、『主賓』たちの集うものであった。

 辺土伯様当人はもとより、来賓の中央貴族たちがその場違いなほどに豪奢で色とりどりな法衣で酒盃をかざし、モロク家の郎党を快く迎えようとしている。そのなかにはあのヴァルマ家当主コルサルージュの姿もあり、その貼り付けたようなにこやかな様子に、前日に対面していたオルハ様と白姫様は一瞬真顔になったのが分かった。

 わずかに身構えそうになったカイを、オルハ様の目が縫いとめる。そうして貴族らしい切り替えの早さでモロク家の兄妹は含むような笑みを作り、型どおりの挨拶を交わして輪のなかへと入っていく。

 特に注意も引いていないカイは、坐り込むモロク家の人々の背中から姿が現れても、特に声を掛けられるわけでもなく、その場に立ち尽くしていた。

 見ればそれぞれの貴族家でも身分の低い従者を連れて来ているようで、彼らは主人の用を果たすべく酒宴の輪から一歩引いた場所に片膝付きに坐って、主人から回されたわずかな酒食に遠慮がちに食らい付いている。

 カイは見られていないことをいいことに、いま一度ゆっくりと、巨大な霊廟の中を見回した。

 ご当主様たちは気付いているのだろうかと少し気がかりになった。かなり多くの目がモロク家の動向を注視しており、主賓の輪に加わったことでその性質が大きくふたつに変質しつつあった。


 (…素直に寿(ことほ)いでくれてる目と、愚か者を蔑むような冷ややかな目…)


 普段なら集まることもない辺土中の領主たちが、こうして一堂に会しているかにこそ見えてくる彼らの『空気感』のようなものが見えた気がした。

 モロク家を呼ぼうとした気心の知れた者たちの輪は、概ね好意的であるのとは対照的に、伯家の輪に近い辺土中央あたりの領主たちからの視線にはどこか厳しいものがあった。

 国の中央から吹く文化の薫風にでも当てられているのか、そうした者ほど礼装が中央のそれに近い瀟洒で色合いの鮮やかなものになっていたりするのは、なかなかに興味深い地域性であるといえた。そこから向けられる温度の低い目は、モロク家だけでなく主賓の輪の中で酔って騒ぐ来賓たち、憧れているはずの中央貴族たちにも向けられているようである。

 カイの良く利く耳に、「聖冠崩れも癒えぬうちに…」だの「自分で土地も守れぬ尾長鳥(パヴァー)どもが」だの、遠慮がちではあるもののいろいろと不満げな声が届いてくる。言っている意味は分からないのだけれども。

 不意にカイのお腹がぐうと鳴った。酒宴の輪の中には大皿でたくさんの料理が並べられている。そこから漂ってくる圧倒的な善き匂いは、充満している香木の匂いに決して負けることなくカイの鼻に届いてくる。


 「…辺土伯様、それではやはり」

 「…くどいぞ。鉄牛(トール)。わしの顔は立てるには足らぬと申すか」


 ご当主様が娘の扱いで辺土伯様に食らいついている。

 が、やはり辺土伯様の決意は固く、それを翻意させることは難しそうであった。その様をねっとりとした眼差しでまわりの中央貴族たちが見つめている。なかでも正妻を出したヴァルマ家は成り行きを熱視しているようだった。

 短いやり取りの果てに屈したのは、やはりというかご当主様のほうであった。その落胆する背中を眺めて、カイは『加護持ち』には選択肢が多いはずじゃなかったのかと、少し腹が立った。

 まあカイが知らないというだけで、モロク家にはその存立に関わるのっぴきならないしがらみといものがあるのかもしれないのだけれども。


 「…それでは約定の件、お忘れなきようお願いいたす」

 「むろん、むろんぞ。必ずよきようにするゆえ……これは改めての固めの杯であるぞ。鉄牛」

 「…謹んでお受けいたします」


 酒盃を何度か返杯し合い、辺土伯様がモロク家の姫との縁談が成ったと楽しげに周囲の中央貴族たちに言って聞かせた。

 返される多くの祝いの言葉の、その笑顔とまったく乖離した計算高い冷ややかな眼差しがなんとも気味悪かった。彼らが本心では辺土の田舎領主の娘など、毛ほどにも関心を抱いていないのは明白だった。

 なかでもふるったのが、もっとも悪感情を抱いているはずのヴァルマ伯候が、自ら立ち上がってその縁談が成ったという慶事を寿ごうと、乾杯の音頭までとったことだ。そのにこやかな眼差しが向けられて、白姫様が声にならない悲鳴をあげた。ヴァルマ伯候の祝いの言葉のすべてが反意となって突き刺さってくるようだった。

 ややしてご当主様が目配せし、オルハ様が白姫様を伴って立ち上がった。どうやら正式なお披露目のためのお色直しをする必要が生じたためらしい。例の村の女が総出で作り上げた晴れ着を、身に着ける瞬間がやってきたのだろう。ふたりが立つと、カイもまた従者として同行を促される。

 カイとしては、どうしても白姫様を辺土伯の馬鹿息子にくれてやるのは惜しいという気がしてならなかった。明らかに縁談に乗り気でない白姫様自身の様子もカイの思いを後押ししている。

 そうしてにわかに思いついた。


 (…この縁談を押してるのがあいつなら、黒幕を捕まえてひっくり返せばご破算になるんじゃないのか)


 きっとあの姿の見えなくなる魔法を使って、この霊廟のどこかで様子を見守っているに違いない白い守護者を何とか翻意させる。ダメなら殴って言うことをきかせる。そういう選択肢がおのれにはあるのだとカイは信じた。

 そうしてカイは見つけた。

 まさに頭上、霊廟の大天井の『祈りの雲』の向うに、ちらりと顔を出したこの地の守護者ののほほんとした姿。

 守護者ネヴィンは、カイの視線を見返して、うっすらと微笑んだのであった。



 ***



 父が無理をして辺土伯さまに食い下がっている姿を見て、万にひとつの可能性を見出していたジョゼであったが、頑なな辺土伯様のいらえがついに変わることがなかったことに落胆を隠せなかった。

 兄の気遣わしげな眼差しが胸に来る。

 辺土の端のいち領主にしか過ぎないモロク家には、広大な辺土をまとめ上げる強大な辺土伯家の意向に逆らうだけの強さはない……いくら独立不羈が辺土領主らの気風であるとはいえ、小領主が単独でその土地を永らえていくのは至難であり、どこかしらで近隣の助けがなければ亜人の害は退けられないし、領民の暮らしで費やされるさまざまな物資を単村で賄える領主家などほとんどありはしないのだ。辺土伯様の機嫌を損ねるまずさは、まつりごとを聞きかじって育つ領主家の子供にはいやでも分かることだった。

 兄に促されて立ち上がったジョゼは、おのれの足が小刻みに震えるのを抑えることができなかった。まともに歩くことさえままならず、前を行く兄の背にすがってしまった。


 「…恐らく、あれがアーシェナ様だ」


 兄が目線で促した先には、こちらを興味深そうに見つめてくる少年の姿があった。まだ成人したばかりの歳であったからこそ、正妻の席が空いていたのだろう。年頃はたぶんカイと同じくらいなのだろうが、ラグ村育ちの純朴さのあるカイと違い、その少年の目には女を物として値踏みするような目があった。歳の早いうちから身の回りに女を侍らせて育ったのかもしれない。経験は豊富なくせにまだ心は成熟していないのか、子供のようにあからさまな、盛った年頃の男らしいぎらぎらした眼差しを向けられて、ジョゼは年上であるにもかかわらず身震いしてしまった。

 その視線にずっと追われているような気がして落ち着かなかった気持ちが、背後に続くカイの息遣いを感じると収まっていった。強くたくましく成長しつつあるカイが、婚礼相手の眼差しを遮ってくれているような気さえして、ジョゼはほっと息をついたのだった。

 まだ訪れる領主たちの礼拝は続いているので、彼女たちの移動はそれほど目立ってはいなかった。いつの間にか兄の前には伯家の見知った侍女が立っており、行き先を先導していた。連れて行かれたのは、立ち働く使用人たちが盛んに出入りする裏口のようなところだった。


 「こちらでお待ちください」


 そういって、案内の侍女は挨拶をしてさっさと行ってしまった。

 代わりに部屋に控えていた数人の女たちが、すでに持ち込まれていた彼女の晴れ着を持って周りを囲んでくる。見れば部屋に残したままであった荷物が、控え室の片隅に固めて置かれている。


 「やっときたのね」

 「…!」


 突然声がかかって、肩がはねるのを隠せなかった。

 部屋にはもうひとつの集団が控えており、女たちに(かしず)かれてひとりの少女がこちらを睨んでいた。

 正妻になる予定のヴァルマ伯候の息女、フローリスだった。村の女たちが精一杯の努力で準備してくれたおのれの晴れ着が大変に野暮ったく見えてしまうほど、彼女の身に着けた晴れ着は華やかなものだった。

 中央の貴族たちが愛してやまないと言う真っ赤な牡丹の花をそのまま服にしたような、光沢のある緋色の布地をたっぷりと使い、きゅっと絞った腰帯から下の長裾がほんとうに花のようにかろく揺れている。

 高い技術と膨大な手間を惜しまず注がれたのだろう、絹糸を使った牡丹の刺繍がフローリスの立ち姿をさらに華やかに飾り立てていた。結った髪からは多くの髪飾りが垂れて、その首の動きに逢わせてしゃらしゃらと音を立てた。


 「それがあなたの『晴れ着』だったの。おばあさまからの形見なのかしら?」


 流行をまったくとらえていない田舎の服だと嫌味を言っているのだろうとは分かっていても、ジョゼは反応しようとはしなかった。この晴れ着を用意するために村中の女が総出で何日も汗をかいたのだ。それに村の女たちは何ね考えずにただ服を仕立てたわけじゃない。モロク・ジョゼという色の薄い存在をよく知ったうえで、それによく似合うようしっかりと考えてくれている。

 辺土で採れる貴重な染料、アオユシゲの花弁から絞った青で染められたジョゼの晴れ着は、まるでよく晴れた日の空色をしていた。綿から織られたやや厚めの布地は寒冷な辺土の気候に即して違和感がなかった。それを伝来の植物紋様の刺繍で飾れ付け、すっきりとした形で腰で絞られ、床に尾を引く古式の長裾へと繋がっている。

 おのれの白い髪が空に刷いた雲のように見えることだろう。ジョゼはおのれの立ち姿がそうなるだろうことを思い描いて、着付けらた後は姿勢良く背筋を伸ばして立った。

 たとえおのれが望まぬ婚礼であったとしても。

 これだけの晴れ着を用意してもらっておいて、馬鹿にされるわけにはいかない。

 ジョゼとフローリス、ふたりの少女の目が不可視の火花を散らしたのだった。


コミカライズ第10話が公開されています(^^)

http://comicpash.jp/teogonia/10/

白姫様がなんとも愛らしくて胸がきゅんきゅんしております(≧▽≦)

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