6 〈追憶〉
共有スペースに設けられたローテーブルに二人で向かい合って座る。そばの窓からは月明かりが差し込んで、お互いの顔を見られるくらいには明るかった。
クリスはポツリポツリと語り始める。私はその必要もないのに耳を澄まして聞く。一言も聴き漏らしたくなかったのだ。
「私は子爵家の三男として生まれました。自然が豊かな田舎町でしたが私はこじんまりとしながらも優しいあの町が大好きで、いつも駆け回っていました。家を継ぐことのない私はそうそうに騎士を目指し、十になると王都へとやってきました」
「それで近衛に?」
「……結果から言えばそうです」
「家を出るのは寂しくなかった?」
「まだ子供でしたからね、寂しくなかったというのは嘘になります。でも憧れの騎士になることを思えば我慢も出来ました」
「そっか、すごいね」
現代でいえば義務教育期間の歳で軍隊に入るみたいなものだ。親元から離れて、そういう訓練を受けながらする生活は一体どんなものなのか。私は素直にすごいと思った。
「周りには同じような子供ばかりでしたから、自分ではあまりそうは思いませんが……」
「でもすごいと思うよ。私が同じ歳の頃はまだまだ将来のことなんて考えたこともなかった。目先のことばっかり捉えて」
「私も同じようなものですよ。夢といえば聞こえはいいですが、現実なんてちゃんと見えてませんでしたから」
先ほどまで穏やかだったクリスの横顔がさっと色を変えた。
「十七になる歳のことです。当時国内のあちこちが有翼人にゲリラ的に襲われることが続発していました。やつらには羽根がありますから、そういうことがこれまでもなかったわけではないのですが、このときのものは大規模かつ広範囲に渡りました」
そこでクリスは一度言葉を切って、月を見た。この世界の月は私のいた世界のものよりも近くを浮かんでいる。満ち欠けも早い。今日は満月だった。
「私の町も標的になりました」
予想出来た言葉だった。そしておそらくその先の言葉も。
「小さい町は焼け、ほとんどの住民は死に、父と兄二人、それから妹が死にました。かろうじて生き残った母も、大怪我をして、永くは持ちませんでした」
──ああ。やっぱり。淡々と語るクリスに私は同情の言葉も慰めも掛けることが出来ない。突然家族を失ったのは私も同じだ。けれど、私は家族の死に様を見てはいないから。
「商人をしていた幼馴染の一家と町から離れたところに農地を持っていた農夫の一家だけがその戦火を逃れました。私は領主の生き残りとして、町を納めなくてはなりませんでした。……守るものなどほとんど失われた町を」
遠くを見つめるクリスの瞳には何が映っていたのだろう。それは今となってもわからない。月の光のもと映し出される、深くて重い、けれどどこか澄んだ彼の瞳は、とても美しかった。
悲壮感と何かしらの決意を滲んだ彼の覚悟がそこにはあった。
「私は幼馴染と婚姻し、納めるべく領地は王家の庇護に入り、王都で再び暮らすことになりました。焼けた農地を戻したいと言った生き残りの農夫一家はそのまま領に残り、今は彼らが中心となってかつての町を取り戻そうとしてくれています」
──クリスには帰るべきところがある。その事実がやけにショックで。すべてを失った彼と帰る場所を失った私は同じ状態だと思った。けれど彼は違う。結婚しているということよりも、私はそのほうがショックだった。愚かなことに。
「なら、クリスはこんなところにいるべきじゃないよ」
いつ死んでもおかしくないこんな場所。私のように帰るアテもない人間とは違うのに。待っている人がいるのに。
クリスのような人が他にもいることはわかっている。けれど私は薄情にもクリスだけにはここにいてほしくない。……好きになった欲目だと言われても構わない。その通りだ。
だというのに彼は首を横に振る。
「私は、父や兄たち、母と妹の命を背負っています。やつらに仇なすためにはここしかありません。いつかはここに来るべきだと思っていたのです。それが務めだと」
「そんな……」
「それに私は幸運です。なにせ──『神より遣わされし風切りの巫女』のお傍にいられるのですから」
その儚げな笑顔と、裏腹に強い瞳の色を、私は一生忘れることはないだろう。それと共に切り裂かれるような胸の痛みも。
「…………明日も早いし、もう寝ようか」
私は二の句が継げなくて、誤魔化すように言った。
「はい……つまらないことをお聞かせしました。申し訳ありません」
「……聞けて、よかったよ。クリスのこと」
その言葉は本心だった。知らなければショックを受けることもなかったはずだけど、知らなかったらこんな気持ちにはならなかっただろうから。
この人を守ろう。待つべき人の元へ返すために。
私は明日も空を斬ろう。
帰る場所を、帰るべき場所であらんとするために。
私はこの思いを斬ろう。
後ろに進むことは出来ないから。前に進むしかないのだと私は自分に言い聞かせた。