2 〈巫女の役割〉
「巫女さま、巫女さま……目をお覚ましください、ユーリさま」
黄金色の髪を揺らして私を見つめる美丈夫。
「あれ……クリス? どうしてここに……」
私、さっきまで神殿にいたはずなのに。クリスは入れないからと入り口で別れたのにどうしてここにいるのか。
「ここはユーリさまのお部屋です。神殿で気を失われたユーリさまをここまでお運びいたしました」
ああ、そうだ。私……あのまま気絶しちゃったんだ。閉じた瞼の内側から焼かれるような光が差して、全身にその感覚が回って……そこから記憶がない。
ああいうのを筆舌に尽くしがたいというのだろうか。神との対話とは、そういうものなんだろうか。
目を覚ました私はあの光の残滓が体に残っているのがありありとわかった。あれは神の声であり、神の力だった。明確な言葉もなく、はっきりとした姿もないのに、私は神の声を聞き神の姿を見た。そして、巫女の力も。
一度覚えれば、久しく乗らなくてもまたすぐに乗れる自転車のように。その力は体に自然と沁み込んで、前から知っていたみたいに私の中に落とし込まれた。
「ユーリさま? まだお加減がよろしくないのですか」
「……ううん、もう平気。ここまで運んでくれてありがとうね」
「いいえ、職務ですから」
職務、か。ま、そりゃそうだ。ちょっとロマンスの匂いがしないかな、なんて夢を見過ぎか。
「そうだ、メイスンさまにも迷惑かけちゃったよね。きっと。お詫びしなくちゃ」
「メイスン殿にですか?」
「うん。だって出口まで運んでくれたんじゃないの?」
クリスはガタイのいい騎士だからまあ、多少は平気だったと思うけどメイスンは華奢な風貌だったからなあ。どんな運ばれ方したかわからないけど気絶した人間を運ぶのは大変だったと思うんだ。
「巫女さまが詫びることなどありませんよ」
部屋の扉あたりから、気を失う前に聞いていた清涼な声がした。
「え?」
「メイスン殿、どうしてここに」
「失礼いたしますね巫女さま。目を覚まされたと聞いたので具合を聞きにやってきました」
クリスの問いかけを、部屋の主である私に断ってから答える。
「そうですか。わざわざすみません。もう大丈夫ですよ」
「それは良かった。……では、神の御意志はお聞きになりましたか?」
本題はそれか。当然っちゃ当然だけど。
「ええ。そっちも重畳ですよ」
──お望みの通りにね。
「では、明日より力をすべて余すところなく使っていただくための巫女修行に入っていただきます」
巫女修行なんてする必要があるのだろうか、力の使い方は神様から体に叩き込まれたのに。と思っていたのは始まるまでのことだった。
私に課せられたのは、巫女の力を使うための前準備。つまり、この異世界の常識であったり、戦うための知識、実践的な戦闘訓練、そして敵対種族である有翼人について。
私が、殺す、相手。
教師役としてやってきたのは、フードを外した状態のメイスンだった。髪と同じ色の瞳は切れ長で笑うと目がなくなるとびっきりの美人。この世界って美形しか存在しちゃいけないのかって言いたくなる。それとも西洋風の顔だからそう見えるだけ?
「風の一族ともいう有翼人たちは姿こそ我々人に似ていますが、その背中には汚らわしい一対の羽根を持っています。その羽根を使い我らを弄び痛めつけるのです。しかしこちらの武器は空までは届きません。その上、やつらは強力な癒しの力を持っているので弓で射る程度では死にません」
「それじゃあ人がいたずらに死ぬだけじゃないですか」
「ええ、だから私たちは空まで届く武器をいくつも作りました。岩を投げつけるものや大きな網を発射するもの、火矢などです。やつらは個体数に劣るので我々は数の力でここまで均等を保ってきました。またやつらには大きな弱点があるのです」
「弱点?」
「“風切り羽”です。それを失った有翼人は飛べなくなります。地に落ちてしまえば無力も同然に」
そこまで聞いて、私はようやく自分に与えられた力の意味を知った。
「風切りの力……風を止める力がなんの役に立つのかわからなかったけれど、そういうことか」
「お早い理解、感謝いたします」
メイスンは慇懃に笑った。
この世界でも風を生まずに空を飛ぶことは出来ない。地を歩くしかない人にとって翼を持つアーラたちは脅威だ。でも神が私にもたらした風切りの力、それがあればその翼を奪うことができるというのだ。優位性を逆転できるのだと。そうなれば数では圧倒的な人が負けることはないとメイスンは言い切った。
この力は本当にただ有翼人を殺すためだけにある力じゃないか。
話だけ聞いてると有翼人とは向こうの世界でいう天使みたいに聞こえるのに、ここでは悪魔みたいな扱い。
人族が崇めるのが天の神で、有翼人が崇めるのが地の神だっていうのもなんだか妙な感じがしてしまう。異世界だから、と言われてしまえばそれまでの話なんだけど。
「巫女さまには風切りの力を使ったあとにトドメを刺すための剣術も身につけていただたきます。やつらは数が多くないので、確実に減らしていけば我らの勝利となるのです」
こんなに綺麗な人なのに目に浮かぶのはギラギラとした憎しみの炎。彼もまた戦争で大事な何かを失ったのだろうか。
そして私も奪うのだろうか、誰かの大事なものを。生きるために。
「……ねえ。一つ気になったんだけど」
「なんでしょう?」
「これまでに巫女って一人もいなかったの?」
敵に対して絶対的な力を持つ巫女が私より先にいれば、私がやる必要なんてないように思えた。
「巫女の神話自体はこの国の建国よりありました。しかし実際に現れたのはこの時が初めてです。どのような力を持ちどのような時にどのような人間かを伝え来ていましたので、巫女さまが現れた時にお迎え出来たのですよ」
「……そうだよね、」
都合よく考えすぎた。そうであればこの戦争はとっくに終わっていてもおかしくない。
「この世界に風切りの巫女は貴方さまだけです。あちらにとっての王がひとりであるように」
軽やかな声に乗せられたその意味は、あまりに重い。