1 〈神との邂逅〉
「今日はこちらでおやすみください」
この世界で一番初めに会った白馬の人は、クリスと名乗り私を部屋に通した。案内された部屋は王城の一室で、私の第一印象は「高級なラブホテル」だった。本物の白亜の城にある部屋に抱いた印象としてはたぶん百パーセント間違っているんだろうけど本物の城なんて見たこともない私にはそう表現するしかなかった。だって天蓋付きのベッドとか木目調の三面鏡とか、そこでしか見たことなかったし……。
「これより私が貴女さまの専属護衛になります。わからないことがあれば何でもお尋ねください」
「はあ……よろしくお願いします」
頭を下げられたからつられて下げ返す。日本人特有のさがだ。
「あ、頭をお上げください!」
慌てた様子でクリスは声を上げる。もしかして、とは思っていたけど、このヨーロッパっぽい雰囲気的にこの国には頭を下げ合う文化、ないのかな。
「貴女さまは神に選ばれし巫女なのです。一介の兵士ごときに頭を下げてはなりません。それから敬語も私には必要ありません」
なるほど。私は騎士さんよりも格上だったりするのか。金髪イケメンに傅かれるってのはちょっと楽しい。……三日で飽きそうだけど。
「……そっか、私のいた世界とは違うんだもんね。そういうのまだわからないことばっかりだから、気づいたときに教えてくれるかな」
「はい。そのために私がいますから」
「じゃあ改めてよろしく。私のことは気軽にユーリって呼んでくれていいから」
「いや。しかし……」
「堅苦しいのは嫌なんだ。それに貴女さまとか巫女さまとか慣れない単語で呼ばれても反応出来なくて困る」
「……はあ。では、ユーリさまと」
「うーん、まあそこが妥協点か。じゃあ、私もう寝るよ」
「畏まりました。御前失礼いたします。明朝、またお迎えに参りますので」
「わかった。おやすみ」
「ごゆっくりおやすみくださいませ」
静かに扉が閉められるのを見送って天蓋付きのお姫様ベッドになだれ込む。
仕事帰りに穴に落ちたらそこは知らない世界でした。なんて。嘘みたいな話だ。ましてやそこは戦争をしていて私はそのキーマンであると。本当に漫画とかの世界に迷い込んできたみたい。どうせだったらもっと平和な世界がよかったよ。明日から私、どうなっちゃうんだろうなあ。
わからないことばかりで不安で仕方ないのに、疲れ切った体が眠りへと容赦なく誘った。
「おはようございます、巫女さま」
瞼を閉じていても白い光が窓から差し込んでいるのがわかる。傍から可愛い声がしてその声から逃げるように寝返りを打った。まだ起きたくない。
「起きてくださいませ、巫女さま」
再度、義務的な声がして私は渋々目を開けた。あーあ、やっぱり夢オチなんて都合のいいことは起きないか。
声を掛けてきたのは黒のお仕着せを着たいかにもなメイドスタイルの背の高い美人さんだった。これで私より年下だったりするんだろうか。外国の人は大人っぽく見えるから。
「本日より身の回りのお世話をさせていただくことになりました。アーニャでございます。巫女さまはこれから、神殿まで足をお運びいただきます。そのために御召し換えを」
アーニャと名乗ったメイドさんはテキパキと自己紹介を済ませ用件を話す。相槌を返す暇もない。
今私が着ているのはこの世界に落ちたときに着ていたスーツだ。さすがにジャケットは脱いで寝たけれど、シャツは皺くちゃだし着替えたかったのでありがたい。
初めは一人で着替えようとしたのだけれど、神殿に入るための正装とやらは作りが複雑で、例えるなら着物みたいな作法を覚える必要のある服だったために、最終的にはアーニャに全てお任せした。気がつくと髪型まで整えられいる。なんだこれ魔法?
アップで一纏めにされベールのようなものを被せられた。
「あの……これは?」
「神に直接素顔を見せてはならない仕来りになっていますので」
仕来りなのか。それにしてもその神様って一体何者なの。
用意を済ませ迎えにやってきたクリスと合流し私はその神殿とやらに向かっている。神殿は王城の敷地内にあるらしく、長い渡り廊下を歩きながら先ほどの疑問をクリスに尋ねてみた。
「私たちの創生神である天の神のことでございます。貴女さまを遣わした神でもあります」
「ふーん、そうなんだ」
私が今ここにいるのはその神の思し召しってことか。なんかそういえば王様もそんなこと言ってたっけ。
「それで、その神殿に行って私は何をするの」
「神の御意志を聞いていただくことになるかと」
「え、なにそれ」
「選ばれし風切りの巫女の力は神託により使うことができるようになるのだと言います。そのために今、神殿に向かっているのです」「神の御意志を聞いていただきます」
あまりにも内容がぶっ飛びすぎて頭が追いつかない。
神の意志を聞く? 日本にいたころから無神論者だった私に神と話なんて出来るんだろうか。いくらファンタジーみたいなことが現実に起きてるからって。それで力が使えるってもう全然信じられないよ。
声が聞こえなかったら帰れたりしないかな。……しないか。役立たず巫女はいらないって王、言ってたよね。帰る云々の前にどうにかされそう。仄暗い想像をして背筋がぶるりと震えた。
神様の声、聞こえますように。
「こちらでございます。剣を持つものはここまでになります。中では神官がユーリさまをご案内いたしますので」
真っ白な外観の神殿はかの有名なパルテノン神殿のように太い柱が立ち並ぶ荘厳な作りだった。
「巫女さま、こちらへ」
白に近い薄紫の髪の人が中から声を掛けてくる。服装は私の着ているものに似ている。ただし顔にかかっているのは私のようなベールではなく深いフードで覆うようになっていた。
「私はメイスンと申します。御見知りおきを。巫女さまの名をお伺いしても?」
「ユーリです。……よろしくお願いします」
何に対してのよろしくなのかは自分でもよくわからないけど。なんとなく儀礼的に。
それにしても薄布を何枚も重ねたようなこの服、裾を踏んづけないように歩くので精一杯な私と違い、前を歩く神官さんらしき人物は足音もなく滑るように進んで行く。まさか実体がない人だったりとかしないよね。
「下ばかり向いておりますと、転びますよ」
裾の隙間から足が見えないかと思っていた私を不審に思ったのだろうか、そう忠告される。
「あ、はい。すみません」
「巫女さまは素直でいらっしゃいますね」
微笑みながら言われても、「いやもうこちとら二十半ばすぎてますから素直とはかけ離れてますけど」……なんて思う。転びそうなのは本当だったから謝っただけで。
というか最初に聴いた時から思ってたけど随分綺麗な声の人だな。背は私より頭一つ分高くてすらっとしている。フードの隙間から垂れる髪はセミロングの私よりも長いし、仕草も綺麗だけど……。
「あのー、付かぬ事をうかがいますが………………男性、ですよね?」
「ええ、私は男ですよ」
「あー……もしかしてよく聞かれます?」
「まあ、たまに」
だよね。聞かれた時の返答の仕方が慣れてたもの。はー、それにしても色っぽい男の人だ。流れる髪と薄い唇しか見えないけど、漂ってる雰囲気的に。神に仕える人ってみんなこんな感じなのかな。なんていうかどうにも性別不明な感じがする。
「奥へどうぞ」
案内されたのは天井が高いドーム型になっている祭壇のような場所だった。てっぺんから外の明かりが入るようになっているらしく祭壇には眩しい光が差し込んでいる。装飾らしい装飾はない。全面白一色の華美さとは真反対の作りになっている。
祭壇は幅のある階段で五段ほど高いところにあってそれを登りきると一段後ろで止まったメイスンが膝を付く。
「巫女さまもお座りください」
真似をして私も跪いた。胸の前で手でも組めばいいのだろうか。
「私が祝詞をあげます、巫女さまは目を閉じて神をお呼びください。そうすれば神はきっと貴方さまの声にお応えになられるはずですから」
そういうや否や、メイスンは朗々と祝詞を唱え始めた。お経とは違う、賛美歌とも違う、不思議な音色と節を持つそれは、けれど確かに神に捧ぐ神聖なメロディーに聞こえた。……もしくは脳を犯す電子ドラッグみたいに頭をトリップさせるような力を持っている気がした。
初めは「神様どうか私の声にお応えください、お願いしますまだ死にたくないです」なんて思いながら念じていたけれど、ぼうっと聞いていうるうちに、どんどん『私』という自我が壊れて溶けてまっさらになっていく感覚になる。体の神経も思考も、なにもかもが強烈な何かに溶かされる寸前。激しい閃光が瞼を焼いた。