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12 〈贖罪〉

 雨が降っている。この世界は降る日数は多くないようで、その分一回の雨量が多い。川はいつもの三倍ほど増水していたし、地面もドロドロになっている。

 有翼人アーラにとって雨は天敵だ。けれど雨量の多さに人もまともに歩けない。こんな日に外に出るというだけで命取りになりかねないのだ。戦場にいたときも雨の日だけは休息日になっていた。まさに恵みの雨、というのだろうか。

 アインは暇を持て余したようにくだものの種を地面に投げている。

「なあ」

「ん? なに?」

「あ、……いや、それは楽しいのか?」

「これ? 全然。つまんないよ、でも楽器は湿気に弱くて弾けないし他にすることもなくって。あ、なんかお話でもしてくれるの?」

 話、か。

 私がアインに出来る話は少ない。ただでさえ私は異世界からの人間だ、こちらで出来る話は少ない上、こっちに来てからはほとんど血にまみれて過ごしたのだから。

 ──唯一、出来ると言ったら……。

「私は、この国の生まれではないんだ」

 こんな話しかない。

「知ってるよ」

「……え……」

「だって(はね)ナシだもん。ここは(はね)アリたちの家だから」

「あ、ああそういう意味か……。そうではなく、な。私はこことは違う世界から来た」

「違う、世界?」

「……そう。そこは人しかいない世界で、ここよりももっと空が遠くてここにはないものがたくさんあった。……私の家族とか。私は何の因果かこの世界に落ちてきて、戻れなくなってしまった」

「……それで?」

「ここで生きるためには使命とやらを果たさなくてはいけないと言われ、流されるままに使命を果たした」

 生きるために犯した罪は、いつか誰かに許されるのだろうか。それとも今はただ罰される時を待っているに過ぎないのか。後者だとすれば私を罰するのはきっと……。


「大変だった?」


 ──この無垢な瞳の持ち主しかいない。


「……どうだろう」


 大変だった。けれどそれを彼に言ってどうなる。私がしたことを思えば、そんなこと言えるはずもなかった。


「ユーリは風切りなんでしょう」


 何故それを……!


 なんてことのないように言われた一言に私は戦慄した。知られたくなかった。知らないままでいてくれたらなんて、私の業でしかないけど。この穏やかな生活を、失いたくないと思っていたのに。……いやきっかけを作ったのは自分だ。

 いつまで続くかわからないこの奇妙な同居生活を失いがたいと思えば思うほど、これまで己がしてきたことが枷になって、体も心も蝕まれていく気がした。

 それに耐えられなくなってしまったのかもしれない。平穏よりも、罰を、私は望んだ……。


「風が言うんだ。風切りを殺せって」

 アインの言葉に共鳴するように雨風が一層強く木の幹を打つ。

「風切りは一族を皆殺しにした天の使いで、仇敵だって」

 晴天の色をした瞳は、何も映さない。ただ静かに諦観の様相を呈している。

「風の声は一族の声。死んでいった仲間たちの声。ぼくを地の底へ呼ぶ声」

 地を這うような音で風がビュウと鳴る。怒りと遺恨を孕んだそれは背筋の凍えさせす冷たさを纏って私に襲いかかろうとしているのか。


「ユーリを殺せと、みんなが言う」


 ──顔も知らない誰かが。光の消えた目は風よりも冷たい温度で空を見上げた。


「でもね、僕は……」


 アインがようやく私のほうを見た。私を裁く審問官の表情は、硬く、どこかぎこちない。

 カチャリと音がして白い何かが光った。白い刃だ。有翼人アーラたちの伝統的な武器である。出刃包丁ほどの刃渡に柄には木の皮のようなものが巻かれ、そのさきからは飾りのビーズみたいなものがぶら下がっている。刃にはトライバル的な紋様が刻まれていた。


「この武器で、あなたを殺すべきなのか、わからない」


 一瞬、風が止んだ。

 私もアインの言葉がうまく飲み込めず固まる。


「これはおばば様の亡骸で作ったものなんだ。羽根を剥いで一番太い骨を削って作る守り刀……死んだ有翼人アーラが死後も守ってくれるようにと……おばば様が死んでしばらくして僕は言いつけ通りこれを作った。泣きながら。それからひとりぼっちになった僕はこれを抱きしめて眠ったんだ。……抱いていたら一緒に居られる気がして」

 ぽろりと、透明な滴が落ちる。こんなに美しく、哀しみを深く感じる涙が他に、あっただろうか。

「僕は忌子……有翼人アーラと人の合いの子。有翼人アーラでも人でもない半端者。禁忌の子。生まれてすぐに殺される定め。でも僕には(はね)の印があった。王になるための印が。

 ……けれど王は僕を捨てた。だから有翼人アーラは滅んだ。忌子を王にして生き残るよりも一族郎党、玉砕して死ぬことを選んだ。僕よりも、誇りを選んだ。それが神に対する忠誠だとでもいうように」

 息が、できない。思いが言葉にならず、私はひたすら聞き役に徹することのみだった。

「おばば様は、僕の母の祖母だった。自分の命があまり長くないことを知っていたけれど、それでも目の前で失われる命に見ないふりはできなかったと言って僕をひっそりと育ててくれた。短い時間の中でたくさんのことを教えてくれた。大切なこともたくさん、たくさん。


 そんなひとから作ったこの武器で、もはや滅んだ一族のために、ユーリを殺さなくちゃいけないのか、僕にはわからないんだ」


 泣いているように見えた。けれどその瞳は乾いたまま、私に問いかける。


 ──お前は殺すに足る人間かと。


「…………私は選んだよ。風切りの巫女として。すべてを殺すと」

「じゃあ、僕は? 何故殺さなかったの?」

「それも、選択の結果だ。アインが御印の王だというのはわかってた。だけど、私は殺さないと決めた。神も人も、今までの自分の行いをも裏切る行為だとわかっている。でも……もう、殺せない」


 終わらせたかった。私を終わらせることができるのは、アインしかいない。それゆえに私はアインを殺せなかった。なんともエゴイスティックな考えだ。自分でもゾッとする。ただ、それでも私には唯一の贖いだと思えた。


「だからアインも、選ばなくてはならないよ」


 一族のために風切りの巫女を殺す。それはつまり、アインの命を救い大切に育てたひとの形見を汚らわしい人間の血で汚すということ。

 殺さなければ一族の報いを果たすことができない。次代の王としての使命を放棄する……有翼人アーラとして一族を裏切ることになる。


 この答えは、私の元にはない。

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