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9 〈最初で最後のチャンス〉

 

 しかし、その細い首筋に剣が食い込むことはなかった。ストップの効いた体は思うように動かない。心がやめろと言っているみたいだった。もうこれ以上、殺すなと。殺さないと決めただろうと。でも。でも私は。

 止まったまま動かない私に塊はなおも無防備に眠る。危機感というものがないのだろうか。私の殺気に気づかないのだろうか。

 安らかな寝顔は何の憂いも含まない。心地のいいゆりかごにでも寝ているかのようにその顔は笑っていた。まるで生まれたばかりの幸福な赤ん坊のように。

 視界に入った自分の手が震えているのに気がついて私は。

 ──ああ、もうダメだ。

 一度そう思うと自分に都合のいい言い訳ばかりが浮かぶ。

 こんな子ども一人殺してどうなる。

 こんなか細いやつに誰が殺される。

 たった一人で何が出来る。

 殺さなくたっていいじゃないか。

 もうたくさん殺したんだから。

 殺さない。……殺せない。


 急に体が脱力して緩んだ手のひらから剣が零れ落ちた。乾いた白い土に黒い点が落ちる。なんだと思って屈んだ拍子にぽろぽろと続けて落ちて、そこでようやく自分が泣いていることに気がついた。

「あ、あ、……ああ!」

 か細く流れた嗚咽が慟哭に変わるのにそう時間はかからなかった。心の中に押し殺していたいくつもの感情が溢れ出ては涙とともに流れていく。

 どうして私はこんなところにいるんだろう。なんのために、誰のために、命を奪ってきたのだろう。殺し尽くして、何が残っただろう。自分に求められるまま、力が望むままにここまできたけれど、何の意味があっただろう。

 クリスのため? メイスンのため? 王のため? 神のため? ……自分のため?

 もうわからない。わからないけど、私の罪が消えるわけじゃない。贖罪する相手も、もう。


「……だい、じょうぶ……?」


 微睡みを残した顔で、私に尋ねる声。鮮烈さを伴って存在を示したそれ。…………いるじゃないか。この目の前に。





 アインと名乗った少年は見た目以上に幼い仕草で笑う。腹が減ったあまり地面に転がっていたという彼に食べずに持て余していた非常食を与える。

「ユーリさんって言うんですね」

「ああ、さっきは情けないところを見せたな」

 右頬に食べかすがついている。アインは頬張っていた日持ちするドライフルーツを飲み込むと朗らかに言った。

「いいえ気にしてません。僕だって行き倒れてるところを助けていただきましたので。……でもどうして泣いていたんですか?」

 素直な疑問に私はうまく答えられる気がしなくて適当に誤魔化す。

「……亡くなった恋人を思い出してしまって……つい」

「そうですか…………ええと、もう、平気ですか」

「ん、平気だ。あれは忘れてくれ」

 自分でもなかなかひどい嘘だとは思ったけれどアインは納得してくれたようだった。あまりに簡単に納得したのでアインの今後が若干心配になるが、まあ騙す人間も私くらいしかいないからいいかなんて適当なことを思う。

「アインはここに住んでいるのか?」

 戦争も終盤が近づく頃にはここは空き巣になっていたはずだが。

「最近ここに来ました。前はもっと外れのところにおばば様と暮らしていたんですけど……」

「そうか。そのおばば様とやらは一緒じゃないのか?」

「……おばば様はもう死んでしまったので」

 そうだった。誰が有翼人アーラを殺したのだというのか。何て馬鹿なこと聞いているんだ私は。

「すまない……」

「あ、気にしないでください。おばば様は僕が子供の頃……だいぶ前に亡くなっているので。今は悲しいというよりも寂しくなったら思い出すようにしているくらいですから」

「……ということは病か何かで?」

「さあ……原因はわかりませんが床の上で眠るように逝かれました。おばば様は、“時が来た”のだと」

 寿命が来たということだろうか。この口ぶりからして私が戦いにて刃を振るう前には亡くなっていたらしい。

「君は……戦争のことは知っているのか」

 敵対していた種族を前にしているには平然とした態度が不思議で尋ねる。

「戦争? ああ、僕たち(はね)アリと(はね)ナシの戦いのことならおばば様から聞いたことがあります。この間、(はね)の王が死んだって風が教えてくれました」

 あまりにもあっさりとした言い分に私は唖然とした。有翼人アーラの王もそうであったけれど、同じ一族なのにこうも他人事のように話すのは何故なんだろう。王の言っていた忌子というのに関係しているのか? それとも同族意識が少ない? 

 いやそうだったらこんなところで集団生活などしないはずだし、そもそも川に捨てられたはずの子供、しかも忌子を育てたおばば様というのも謎だ。

「……私が(はね)ナシなのは、わかっているよな?」

 ぽやっとしたどこか世間知らずそうなその顔に思わず聞いてしまった。異世界人の私が言うのも妙な話だけれど。

「え? そうだったんですか? マントを取ったら(はね)があるのかと、てっきり……え、じゃあもしかして僕を殺しに……?!」

 間違ってはいない。間違ってはいないけれど、何かを大きく間違えている気がしてならなかった。

 私は青ざめているわりには逃げ出しも攻撃もしないアインにため息を吐いて答える。

「……私は、君を、殺したりしないよ。今はただの世捨ての旅人だからね」

 その言葉に嘘は一つもなかった。ただし、もっと正確にいうなれば、私は彼を殺さないのではなく、殺せないというのであって、そこに大した違いはない。

「そっか、良かったです……! 僕、おばば様が死んでからは風と話すことくらいしかなかったから、もっとお話したいと思ったんです」

 無知に近い無邪気さは爛漫にほころびる。

 ──私はこの光に殺されるのかもしれない。なんてそんな考えが脳の片隅に過ぎった。


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