8 〈放浪のさきに〉
幻影の紅い月に追われるように、太陽の日差しに焼かれるままに、私は歩いた。すでに帰郷への想いはなくなっていた。罪に染まった私に帰れる場所などない。
戻るところがないのなら、進むしかなかった。
神が与えた風切りの力はその役目を失っても残っていた。敵も味方にも使えるこの力は、どうしてか私の命ばかりだけは奪ってくれない。
だから私はひたすら歩む。尽きるまで。
日付の感覚はすでになく朝か夜かの判断しか出来ない私は昼夜なく歩き続け、自然と人里を避けていると、思わぬ場所まで辿り着くことになった。
「巨木の森……」
ここはかつて有翼人たちが住処にしていた森。もはや住むものはなく、人は近寄らない死んだ世界。
高いところにしか枝が生えない巨木は有翼人たちにとっては絶好の住処であっただろうが、人には切り倒すことも出来ない登ることも叶わない邪魔な忌むべき森とされている。
緑の表皮は朝靄の中で幽かに揺らめき、昂然たる様相で私を待ち構えていた。引き攣る足を何とか踏み出し森へ入ろうとする。ここで朽ちるのも悪くないと思った。
「……っ!?」
しかし私は何かに足を取られそのまま地面に転がる。すでに限界を迎えていた体力と気力に体を立て直すヴァイタリティーは残っていなかった。
目だけをギョロリと動かし蹴躓いた物体を見遣る。薄汚れてはいるが白っぽい布の塊がそこにはあった。何と確認する気力はなく転げた衝撃で頭を打っていた私はそのまま意識を飛ばすことになった。
死んだと思ったが、目を覚ましたことで死ねなかったことを知る。むくりと起き上がると辺りは陰り始めていた。極度の疲労は少しの睡眠で多少回復している。
あの塊は、塊のままそこにあった。
近づいてみると布から中身が出ているではないか。中からは綺麗な顔のまだ幼そうな男が姿を覗かせていた。
こっちこそ死んでいるのではと思ったけれど呼吸とともに微妙に動いていて、生きている証を示している。顔が見えているのは寝返りでも打ったのだろうか。
人族にも見える。けれど場所柄的に考えて……しかし彼らはすべて残らず屠ったはず……そうでなければならないのだ、だが……。
一つだけ浮かんだ可能性に鞘のついたままの剣で男の体をさらに転がした。
頭の周りの布が取れサラリと髪が揺れる。顕になった首の付け根に、私は見つけた。トライバルタトゥーのような紋様を。たぶん翼を模したのだと思われるそれは……『王の御印』と言われるもの。私がかつて首を切り落とした者にもあったそれ。ということは、やはり。
──行方不明とされていた有翼人の“次代の王”。が、この小汚い布の塊の正体。
「まさかこんなところにいたとは」
人がどれだけ探しても見つからなかったというのに。有翼人の王にも殺す前に当然聞いていたが「忌子のことなど知らぬ。あれは一族のものではない」なんてにべもなく言っていた。
王の御印があるのにもかかわらず一族ではないなんて意味がわからなかったし、忌子であろうと次代の王がいれば勝敗も変わっていたかもしれないのに。
王は「それにとっくに死んでいるだろう。生まれてすぐに川へ流したからな」と吐き捨てるように言い、赤子の頃にそんなことをされていたらば生きてはいないと思った。
存続よりも破滅を選ぶほど王から心底憎まれているような忌子がなんなのかは気になったが、メイスンに聞く前に私は旅立ってしまったのでもう知ることも出来ない。
しかしここで見つけたのは幸運だったかもしれない。こいつを殺せば、私の役目が本当に終わるのだ。
私はすっと立ち上がると幼い寝顔を晒し眠る頭に青白く光る剣を差し向けた。
私は有翼人を殺すもの。──『神より遣わされし風切りの巫女』なのだから。
冷たい金属を振り翳す。顔に暗い影が差し刃は不気味にきらめく。これまでもこうして奪ってきた。たくさんの翼と命を。力が命じるままに。人が望むままに。……必要とされたいがために。
追い詰められ最後には戦場に立つしかなかった無力に等しい子供も雌も切り裂いた。命乞いをするものも、無慈悲に嘆くものも、剣をふるうものも、すべて平等に死地に追いやった。
この世界に死後があるのかは知らないけれど、私はすべての有翼人に今生の終わりをもたらした。……はずだったんだ。
「君には死んでもらわないとならない」
だって、そのために私はここにいるんだから。最後まで果たさないと。
──有翼人には死んでもらわなければ。その思いだけが私を突き動かす。




