エピローグのようなプロローグ
プロローグのみ三人称
──紫電が一閃。瞬間、音が消え、風が止み、天高き翼が地に墜ちる。白い羽根が辺り一面に舞い、ついで紅い飛沫を上げる。
ゴロンと鈍い音を立てて塊が転がり落ちた。
(これで、終い)
それを無感動に眺めながらカチンと音を立てて剣を鞘に収める。この剣を抜くことは二度とないだろうと女は思う。戦争は終わった。この手で終わらせた。もう誰とも知らぬ命を狩ることはしない。絶対に。
「ユーリさま、ご無事ですか!」
片腕の無い騎士が駆け寄ってくる。男はこの一年、女の護衛として常に側にいた者だった。いつしか王ではなく、女に忠誠を捧げた男が、その左手を失ったのも女の為であった。
男の言葉に女は一度だけ首を振り、物言わぬ塊を再び見つめる。その瞳にはただただ暗い色が浮かぶ。男はその様子を痛ましそうに見ながら、手を差し出した。
「帰りましょう」
差し出された右手を女が取ることはなかった。もう一度首を振り、諦めたように目を伏せる。その手を取るわけには行かなかった。女に片腕を捧げる男に報いるには余計に取るわけにはいかなかった。
男には帰りを待つ人がいる。余所者である女がいては邪魔になるだけだということを知っていた。女がいる限り男は自由にはなれない。それほどまでに忠誠心の篤い人間だった。でなければ死角である背を預けることなど出来なかった。けれどもうその必要もない。戦争は終わったのだから。
「ユーリさま……」
男がある種の熱の篭った瞳をするようになったことにも気付いていた。男自身は自覚していないようだったが、向けられる側の女は気づいてしまった。応えることは出来ない。応えてはならない。そして、気づかれてもならない。
女は端から帰るつもりもなければ男を連れていくつもりもなかった。
「私のことは、忘れて。人族の英雄は死んだ。風切りの巫女は、もう、いない」
決別の言葉だった。
女がこの世界に落ちてきたのは今から一年前のことになる。それまでは普通のOLとして働いていた女はある日の帰り道、突然出来た穴に足を取られこの世界へとやってきた。
森の中に落ちた女を迎えに来た騎士たちに連れられ、城に入るなり王と面会させられて訳も分からぬまま「殺せ」と、そう言われた。
与えられた部屋にやってきた神官という男にその意味を教えられた。曰く、この世界には人と敵対する種族がいる。そのものたちを根絶やしにするために女はここへ落とされたのだと。
『神より遣わされし風切りの巫女』──それがここでの女を示す名になった。
巫女だけが使える風切りの術は、風を止める能力であった。
それは天敵である有翼人の最大の弱点。風切りの巫女は彼らを唯一追い落とせるもの。
女に選択肢など与えられなかった。帰還のすべはなく、居場所など異邦人である女にはない。殺すことだけがただひとつ与えられた使命であり、ここにいる理由になった。
だから女は斬った。羽根の生えた人に似て非なる有翼人を。天使の如き見目の彼らを。なんの恨みも因縁もなかったけれど。女がただそこにあることを許されたいがために。それしか許されていなかったがために。
(もう、何もない)
戦乱で枯れ果てた大地を歩く。存在理由を求めて、女は多くを斬った。そのうちに何もわからなくなってしまった。なぜ自分はここにいて、なぜ戦っているのか。
一年かけて最後の生き残りである有翼人の王を斬ったとて、同じことだった。なんのために命を奪い続けてきたのか。女の手には何も残りはしなかった。ただ血に塗れた傷だらけの手だけがそこにあった。
安息の地を求めて女はひたすらに歩く。女にとっての安息が何処にあるかなど考えもしないまま。誰もいない静かな場所を、死に場所に、女は自分の墓所を求めて歩いた。
何日も歩いて、夜通し歩き、飲まず食わずで歩き続け、神の加護で得た人外染みた生命力を持ってして、女が辿り着いたのは、かつての敵の住処であった巨木の群れの麓だった。
(……ここまで、か。もう足が動かない)
なんの因果だろう。こんな場所で朽ち果てるなんて。ここに住んでいたものたちを全員殺し尽くした自分がこの場所で死を迎えるなんて。神も皮肉が効いている。
あと一歩踏み出して、女の足は空を切った。バランスを崩して転がり込む。
(…………?)
はじめ女は自分がもう力尽きたのかと思った。しかし先ほどまで自分がいたはずの足元を見て気づく。
(アレに躓いたのか)
そこには白っぽい薄汚れた布の塊があった。ちょうど子ども一人分くらいの大きさの塊は微動だにしない。
(アレは……なんだ?)
人のようにも見える。だがここは死んだ森。人は兎も角、ここを住処にしていたものはもうない。そうなるように、女が導いたのだから。
じっと見つめていると女はだんだん自分の気が遠くなっていくのに気づいた。アレが何かなど、もうどうでもいい。どうせ自分はここで死ぬのだから。なんであろうともはや関係なかった。
女が気を失った刹那、謎の塊がごろりと動いた。