鏡
「ちゃんとここ開けといてや~。トイレのドアも開けとくから!頼むで!」
「そこは開けときますから、トイレのドアは閉めてください!!もーサイテー!」
どうやら、ダルマがトイレに行くらしい。
ここも、なにか撮れるかも知れない。
トイレに入るには、ダイニングを抜け、洗面所に入るとその左側がトイレ、右側が風呂場になっている。洗面所にもカメラはセッティングされている。
モニターを見ていると、ダルマが怯えながら洗面所に入り、トイレのドアノブに手をかけたところで動きが止まった。
「ん?なんかあったか? 先生!なんか感じますか?」
霊能者先生も、身を乗り出してモニターを見つめる。
そうしている間も、ダルマはドアノブに手をかけ、横を見つめたまま固まっていた。
「右手の・・・鏡のあたりに何か感じますね・・・」
“ほんとかよ、見たまんまじゃねーか”とは思ったが、確かに鏡を見つめたまま止まっているように見える。
すると、ダルマはドアノブから手を離し、鏡の方に向き直った。
今まで少し大げさに怯えるリアクションを取っていたダルマとは全く違う、ゆっくりした落ち着いた動きだった。
「霊ですか?」
「モニターからでは詳しくわかりませんが、霊の気配はしますね・・・。」
こいつには期待できねえな。今回一番のはずれクジだ。
「トイレのドア開けたら、なんかいたとか無しやで~・・・。」
今回の企画は、ゴールデンに放送され、尺も長い。上手くいけば一気に名前を広げられるチャンスだった。
しかし、このハイツで心霊現象は期待できない。ディレクターからの説明でもそんな雰囲気を感じ取れた。芸人としてきっちり仕事をしなければ、放送されない可能性もあり、逆に上手くいけば次も使ってもらえる。
ちょっとしたつぶやきも、マイクが拾える程度の声を心掛け、出来るだけわかりやすさを心掛けた。
“トイレの中に入ってからが勝負や、ここではあんまりびくびくし過ぎないようにせんとな・・・”
今回のディレクターとは結構気が合いそうだった。
気合を入れ直して、トイレのドアノブにしっかりと手をかけた。
その時、右の洗面台にある鏡に何かが映った気がした。
視線を鏡に移すと、そこには自分の顔以外何も映っていない。
”気のせいか”と思ったが、なぜか鏡から目が離せない・・・。
顔は鏡の方を向いたまま、体も鏡の方に自然に向いていく。
鏡の中の自分の顏を見ていると、ふと頬のあたりにあるほくろから、白く長いひげが一本伸びているのに気付いた。
“抜かな・・・”
そう思い、ひげを指でつまんで引っ張る。
しかし、ひげは抜けず、糸のように顔の中から引っ張った分だけでてきた。
“な、なんやこれ?!”
なおも抜こうと両手で糸を引っ張るが、抜ける事も切れることなく次から次へと出てくる。
“おかしい!なんかやばい!”
心臓は高鳴り、理性では“手を止めろ!やめろ!”と叫んでいるが、全く手が止まらない。
白い糸はどんどん引っ張った分だけ出てくる。
顔から脂汗が吹きだし、白い糸が血のように赤く変わった。
“あ、あぁ、あぁぁぁぁ・・・”
洗面台の流しには、大量の白い糸の上に、赤い糸が積み重なり、洗面台を赤く変えていく。
脂汗も血の色に変わり、ボタボタと服の首元と、洗面所を赤い血の海に変えていく。
鏡の中の自分の頬が、顔全体がどんどんミイラのようにやつれていく・・・
"やばい、やばい、やばい!!とまれ、とまれ! やばい、やばい誰かとめてくれ!!"
自分の意思に反し、手は止まらない。
皮と骨だけになった頭がい骨では、眼球を支えることができず、右・左と粘液を引きながら、目玉が洗面所に落ちる。
”おぉぉぉぉぉぉぉ・・・・”
声にならない声と共に、顎が開き、口から内臓のようなものが吐き出されてきた。
「ちょっとダルマさん!!」
グラドルの大きな呼び声で手が止まった。
鏡を見ると、恐怖の表情でじっと鏡を見つめる汗びっしょりの自分の顔が映っているだけだった。
「いつまでトイレしてるんですか?!私を驚かそうと隠れてるんでしょ!
ほんとに怖いんだから、やめてください!」
「あ、あぁ・・・すまんかった。すぐ戻るさかい。そこで待ってて・・・。」
「え~?!まだしてなかったんですか?もうやだー!、いい加減にしてください!」
魂が抜けたようにトイレに入り、間もなく出てくる。
もう一度鏡を見るが、そこには真っ青な自分の顔が映っているだけだった。
「なんだ?ダルマのやつ、鏡見たまんまじーっとして。マジで取りつかれたか?」
ワゴン内のモニターでは、数分間鏡をボーっと見つめているだけのダルマに、しびれを切らしたグラドルが一人の怖さに耐えられなくなって声をかけ、ダルマがびくっと驚いただけの映像が映っていた。
動きもなく、リアクションも薄いこのシーンは使えない。
その後、二人で奥の部屋に戻るが、ダルマの様子がおかしい。
「おい、ちょっと先生連れて、何があったか話し聞いてこい。」
「ただ鏡に何か映った気がしただけじゃないですか~?」
「だから、それを確認して来いって言ってんだ!一応ハンディカメラで絵も撮ってこい!
アップの絵もほしいからな。」
時計はまだ10時少し過ぎ。何かが起こり始めているが、まだ、インパクトある映像は取れていない。