海辺の林檎
一羽の烏が立ち止まり、鳴いた。
一人の少女が海に足を浸し、ぼんやりと突っ立っていた。
冬が訪れる前の十一月、冷たい空気に晒された海の水は身体の芯に染み入るほどひんやりとしている。どんよりとした灰色の雲が海を覆い、金属よりも硬い色に染め上げていた。
少女は高校のセーラー服を纏い、退廃的な雰囲気を醸し出している。偶々商店に売ってあった林檎をひとかじりして、海の中に入っていった。
灰に染まった海に、真っ赤に熟れた林檎がよく映える。少女は林檎に目を凝らしながら、自分の人生を呆然と振り返っていた。
どうにもならない人生だった。同級生からの陰湿な嫌がらせは後を絶たず、誰からも救ってもらえない人生だった。
絶えず鬱屈が募る日々。周囲に穢された少女の心は、この林檎のように円を描かず、歪みきっていた。
私の何が悪いんだろう? 私は何かしてしまったのだろうか? その恐怖の念が、彼女を縛り付けていた。そのうち、少女は自分が全て悪いと思うようになった。深夜、一人で泣き崩れることもあった。
自分を認めてもらえるから、少女は勉強が好きだった。しかし勉強に打ち込む度、現実から目を逸らしている自分に嫌気が差した。どうして私はこうなんだろう。どうして私は嫌われるんだろう。
ぼんやりと考えているうちに、肩まで浸かっていた。息が苦しかった。それでも少女は躊躇わず、海の中へ入っていく。
ごぶ、と口が海の水に侵食された。波の動きにつられ、反射的に水を飲んでしまう。穴という穴が海水に塞がれた。こうやって私は死ぬのだ。喉を潰され、声をあげることもできず、海の藻屑と成り果てるのだ。
一つだけ後悔があるとすれば、お父さんとお母さんのことだ。結局何一つ恩を返すことができなかった。私が死ねばきっと二人とも悲しむだろう。もしかしたら立ち直れないかもしれない。ごめんなさい。ごめんなさい。悪い娘でごめんなさい。少女は泣きそうになったが、海の水で塞がれた目からは、涙の一つもでなかった。
まるで林檎のようだ。少女は思った。熟された林檎は腐って朽ちるだけ。悪意で熟された少女の憎しみと哀しみは、赤い林檎のように膨れ上がっていた。
さようなら。さようなら。
少女は海の中で、外から溢れる光を見つめながら林檎を手放した。
海岸に、内側がふやけて腐った林檎が打ち上げられていた。
一羽の烏が、林檎を一欠けら嘴に挟み、飲み込んだ。