俺とオレと君とキミの日常と非日常
ふっ・・・
この音がすると、途端に目の前が瞬く。輝く。大理石の床に、たくさんの植物たちに囲まれて、オレは創造主のようになる。
宇宙が見える、気がする。
君が・・・・君じゃないキミが、見えてきた。
・・・・目が、覚める。
「もう、朝の11時だよ。」
目の前に、女がいる。いや、君はよく知ってる。ていうか、君は俺の彼女だ。アゲハという名前だ。
「あ・・・・俺の、部屋・・・ここは。」
俺はまだ、目ボケ眼のままみたいだ。
「そうだよ、現実だよ。」
君が、そっと溜息を吐く。
ようやく、事態がわかってきた。いつも通りの朝がやってきやがったんだ。この狭い汚い部屋も、薄い酸素も、君の溜息も昨日と変わらない。
「色」が見える・・・・カーテンのくすんだ白、少し剥げたフローリングの茶色、そして、目の前の君の顔の白・・・吹き出物の朱色・・・。
沢山の「色」を、俺は瞬時に見て覚える。この運動の繰り返しが、とても、しんどい。
雨の音が聞こえる。昨日の天気予報通り。昨日の天気予報が、五年前の出来事であるかのようだ。
「今日は、どこに行こっか。あ、そこの注射針は片づけといたよ。」
君は既にパジャマから普段着に着替えている。君は昨夜、どこにいたんだろう。オレは昨夜、宇宙にいた。
「もうああいうこと、あんまりしないで・・・。」
君は、悲しそうに言う。
オレは、やめたくはない。あの光景を、キミにも見せたい。創造主になる歓びを、キミにも味わわせたい。
冷蔵庫を開けてみる。
中にはほとんど、何もない。コーヒー牛乳の紙パックだけ。その紙パックも、少し飲んだら空になってしまった。使えばなくなる。なんて悲しいんだ。
「とりあえず、スーパーに行こう。」
君が言い出す。
「うん。」
とりあえず頷くが、俺は実はスーパーはあまり好きじゃない。人と人と人と人・・・・物と物と物と物・・・疲れるから。スーパーじゃなくても、遊園地も公園も海岸も嫌いだ。
なんで、君は俺の彼女でいるんだろう。
そんなことを考えてるうちに、場面はもうレジの手前。
数字、数字、値段、数字。
アリガトウゴザイマシタ、マタオコシクダサイマセ・・・。
店員がレジのボタンを瞬時に押す。器用に押す。間違うことなく押す。その仕草を見る度に、酷く疲れる。しかし、機械は休むことなく、数字を伝える。
俺は、立ちくらみがした。
・・・・
・・・・
・・・・
・・・・
・・・・
立ちくらみが収まり、目の前が見えた。・・ここは、公園だ。ベンチだ。俺は君の膝の上に、だらしなく寝ころんでいる。
「ごめん・・・。」
俺は、静かに謝った。
君は、無言で俺を乗せていた。
「・・・・・私の方こそ、ごめん・・・。いきなり外になんて、連れ出すんじゃなかったね。まさかこんな急に倒れちゃうなんて。」
「・・・・・どうして、俺の彼女なんだ?どうして、君は、俺の彼女なんだ?こんな麻薬中毒者の彼女なんだ?」
俺は、とうとう訊いてしまった。
なんとなく、答がわかっているような問いを。
君は、表情を全く変えなかった。俺にとってはそれは意外に思えた。
「・・・・現実に、戻ってきてほしいから。レイジに、現実に、戻って来てほしいから・・・。」
「やっぱり・・・。」
今更、俺は戻れるんだろうか、現実に。もう普通の生活もままならない。数分間外に出ただけでも疲労が激しい。注射針を打ちたい。打ちたくてたまらない。
だからといって、君をアッチの世界に連れていきたいとも思わない。理由は簡単だ。俺と同じ症状になるのがわかってるからだ。現実の奴らのことなんかどうでもいいのに、どうしてそんなこと思うんだろう。
彼女だから?でも彼女は現実の中にいて、現実はとてつもなく俺にとって有害で、有害な中にいる彼女は有害なはずで、でも君はオレにとって無害だと俺は思っていて・・・。
・・・・
・・・・
・・・・
・・・・
また俺は気絶したらしい。
夢の中じゃない、現実じゃない、ステキな世界、それがここ。
・・・・
・・・・
・・・・
・・・・
目が、また覚めた。
覚めなくていいのに、覚めたらしい。
キミが、オレの首を締めた。オレはもがく・・・・。でもキミはもっと強くオレの首を締める。何秒間だろう、何分間だろう、もう呼吸はできない、ままならない、もう死んだかもしれない、やっと死んだかな・・・。
キミは、泣いてるのか笑ってるのか、全然わからない。怒ってるのか悲しんでるのか、両方かもしれない。
涙が流れる音が聞こえる、聞こえないはずの音が聞こえる。雨の音が聞こえる。でも、目の前は光り輝いてる。もう、注射針も薄汚い部屋も外の空気も何も無い、ただ、オレの首を絞めてるキミの柔らかくて、大好きで、憎たらしくて、力強い、手、だけが、ある。
オレの目から、水が流れる。この水は、涙だ。紛れもなく涙だ・・・なんで涙が流れるんだ。
嬉しいのか?
悲しいのか?
オレは・・・。
・・・・
・・・・
・・・・
・・・・
また、目が覚めた。一度目が覚めたのに、また覚めた。これが、また現実の厄介か。でも何故か、安心感がある。
君はパジャマ姿だ。君は、パジャマ姿でコカコーラを飲んでる。
俺は、君に抱きついた。泣きながら抱きついた。さっきオレを殺したキミは君じゃないことを確認するために。
「・・・おはよう。」
君が微笑みかける。どうやら君はキミじゃない。おはようは朝の挨拶。今は朝なのか。
俺は時計を見た。今が朝なのかどうか確認するため。確認しないと、なんだか不安だ。
AM6:38
朝だ・・・・確かに朝だ・・・。
俺は、何故か涙が出た。
オレじゃなくて俺に、朝が訪れたことが、なんとなく嬉しくてたまらなかった。
ひんやり。
今は・・・・冬だ。この気温の低さは、冬だ。
冬の匂いに、涙が止まらなくなった。
そしてこの匂いは、君の匂い。香水の匂いじゃない、人の匂い。人の匂いが、オレの匂いを掻き消してくれる。それが、なぜか嬉しい。さっき、オレは殺された。そしてオレは、俺になろうとしてる。そんな気がする。
「外に・・・・出よう。」
オレじゃない俺が、確かにそう言った。君が、やっと笑った気がした。今度は泣いても怒っても悲しんでもない、心から、笑った気がした。
少し、頭が痛い。
まだ、オレは俺に纏わり付いてるらしい、早く、取り除きたい、あの首を絞められた恐怖から逃れるために。
「今日は、風が強いね。」
「強いね。」
「今日は、冬だね。」
「冬だね。」
俺の言うことひとつひとつ、本来なら言う必要もなさそうな当たり前のことに、君は鸚鵡返しの相槌を打ってくれる。その度に、俺の中のオレが遠ざかっていく。もっと遠ざかれ、遠ざかれ、俺は、俺になりたい。
時々キミが顔を出し、オレの首を締めようとする。けれど、俺は今、俺でありたい。この闘いは、どこまで続くかわからない。
この闘いが終わるまでは、当たり前の会話を重ねていこう。何時間でも、何日でも、何年でも。オレが消えなくても、俺が消えても。
「今は、朝だね」
「朝だね。」
「ここは、公園だね。」
「公園だね。」
「風が、冷たいね。」
「冷たいね。」
「俺は、俺だね。」
「そうだね。」
「君は、君だね。」
「そうだね。」
「オレは・・・」