輪廻
意識を集中させる。闇雲に力を使っても無意味だ。時間が戻った光景をどれだけ鮮明に描けるか、成功の是非はここに懸かっているといってもいい。
杏樹の笑顔を思い浮かべる。できる。確信が漲る。私は意識を澄ませたまま、両手を前に伸ばした。
「慧ちゃん」
炎の中から声が聞こえる。杏樹の声ではない。いくらか大人びた、落ち着いた声だ。
「輪廻さん」
声には心当たりがあった。私の予想を肯定するように、炎の奥から仮面を装着している輪廻さんが姿を現した。私のすぐそばで沈黙している男を見て、彼女が一瞬だけ顔をしかめる。
「今一瞬、すごく大きな力が慧ちゃんの周りで渦巻いたけど」
輪廻さんの声が、一気に低くなった。「何、しようとしてたの?」
私の腹が冷える。炎に囲まれて、万が一にも冷えることなんてあるはずもないのに鳥肌が止まらない。
私は口を開く。喉の奥が凍結したように凝り固まって、声がなかなが出てくれない。
「時間を、戻すんです」
仮面越しでも、輪廻さんの驚きは見て取れた。直後に彼女は肩を竦める。
「私のお願いは、聞き入れてもらえなかったかな?」
「そうしないと、私の友達は戻ってきません。初めての親友を、私は取り戻したいんです」
輪廻さんは少しだけ、考える素振りを見せる。やがて、踵で地面を力強く打ち鳴らした。それだけで炎すら静まり返ったような、身を引き裂く緊張感が伝播する。
輪廻さんの目線が、私の喉を刺した。
「仮面は万能じゃないって、言った気がするけど」
「それでも私はやるんです。杏樹のために、邪魔するのなら輪廻さんにだって容赦はしません」
輪廻さんはわざとらしく溜息を吐いた。彼女が仮面を顕現させる。
「もうちょっと、慧ちゃんは賢い女の子だと思っていたよ」
私と輪廻さんが向き合う。互の距離は二十メートル前後。仮面をつけた今なら、三秒とかからず接近できる距離だ。
輪廻さんの一歩。私は輪廻さんを拘束するために、気合を入れる。
すっと、自然な動きで私の視界に何かが割り込む。鞄だ。近くの売り場に陳列したあった鞄が、私の顔めがけて飛んできている。鞄越しに奥を見れば、いつの間にか輪廻さんが投擲を終えた体勢をしている。いつ投げたのだろうか。私には全くわからなかった。
私は顔を歪める。このまま当たるわけにもいかなったため、慌てて能力を行使する。間一髪のところで、鞄の動きが止まった。仮面使いが投げたものは、例え何であれそれだけで凶器になり得る。一瞬だけ気が緩んだ隙に、輪廻さんがすぐそこまで駆け寄ってきた。能力を解除して輪廻さんにかけ直そうにも、間に合わない。
輪廻さんの右足が、私の腹筋に突き刺さる。私のつま先が、床から浮いた。
「ごっ」
吹き飛ばされた私は商品棚に背中から突っ込んだ。呻く。肺から一気に酸素が立ち去ったせいで一瞬だけ呼吸がおぼつかない。尻餅を付いた私の顔めがけて、輪廻さんの足が迫る。私は慌てて体を回転させる。もし踏まれていたらどうなっていたか。死にはしないだろうと思うものの、考えたくない。
「止まれ!」
捉えた。私の確信が、一瞬で砕かれる。確かに能力は正しく反応した。でも、止まっているのは輪廻さんの上着だけだ。私の能力を見越して、変わり身にしたとでも言うのだろうか。驚いた私の肋骨を、輪廻さんの一撃が揺らす。声が出ない。膝から力が抜ける。床に膝をついた私の腕が捻り上げられる。格闘技には疎い私だったが、多分それが何かしらの関節技の仲間なのだということはわかった。拘束から離れようにも、腕に力が入らない。
なすすべもなく私はうつ伏せに倒される。床が、冷たい。私の中で燃えていた何かが、急激に冷めていくようだ。
やばい。最近忙しさを言い訳にしていたらストック残量がやばい。そんな気分でございます。さらに、きょうもまた日をまたいで更新。申し訳ないことこの上なしってやつですね